page15:海野海月
【海野海月】
「起きて!起きてください…!」
私が何度か肩を揺さぶると、そのおじさんはようやく目を開いた。
「んお…うぉ、めっちゃ痛ぇ…」
おじさんはうなって手を胸元に持っていこうとするが、うまくできていなかった。手錠のせいだろう。仮面の人が私の手から外して、おじさんに着けてしまった。
おじさんの胸の一部は、黒く焦げている。内側は酷い火傷だろう。
…よくわからない。
急に魔法みたいなことをする人が出てきた。
仮面の人は杖で人を焼くし。
一緒に来た変な男の子は会話しないし。
急にこのおじさんと出てきたレザージャケットの男の人は遠くの杖を弾き飛ばしたし。
おじさんは…。
「大丈夫ですか」
「あぁ。痛いだけだ。ったく、本当に碧といるとろくなことが起きねぇ」
碧。誰だろう。レザージャケットの人かな。
言いながら、おじさんはあたりを見渡す。私は、ここまで見てきたことを話した。
「なんか、古い市民会館みたいなところ。どうせあの人たちが追ってくるからって、狭い部屋に入れられちゃった」
「倉庫かなんかか。もう少し清潔感のあるところが良かったが」
「それも、そうだね」
おじさんは足と腰を動かして、痛そうにしながら姿勢を直した。
どこか余裕がありそうだ。それとも、そう繕っているのか。
少なくとも、おじさんと話している方が、少しソワソワした気持ちが落ち着いてくる。
「なんか、変なことはされてないか。注射とか」
「されてない…けど、何も教えてくれてない。あの人たちが何なのか、私がどうして警察に捕まったのか…捕まった方は、大体想像がついているけど」
「…。」
おじさんは視線を逸らした。知っているのだろう。
「ねぇ、おじさん」
「なんだ」
「教えて。知っていること」
「…わかったが、あいつらほど詳しくないし、少し古い情報になる。聞いている中で、俺の頭がいかれているんじゃないかと思うことも出てくると思う」
「いいよ、別に」
今は何をおいても、私が踏み込んでしまったものを、知るべきだと思った。
おじさんは、色々と思い出しながら教えてくれた。シンドローム、キャリア、CAM、アウトサイド、アウター、そして、レゾナンス。
「…じゃあ、私がアウターを使って、シンドロームを使ったから、圏ができて、バレちゃったんだ」
「そういうことだ」
「おじさんはシンドロームを使ってないの?」
「俺は普段使っていないし、あんたにも使ってほしくないとは思ってる」
「…そ」
手紙の内容は、すぐに思い出せる。あれは暗に、私の歌はそのままでも充分だと伝えたかったのだろう。
だから、アウターを使わなくてもよいと。
「…俺も、歌手を目指していた時期がある。四年前までだ」
「…えっ」
「今、似合わないって思っただろ」
「思ったけど言ってない」
「お前…」
おじさんは溜め息をついた。
意外だったのは事実だった。
「でもその時に…キャリアになっていることが分かった。単に便利な奴だって思われて、犯罪に力を使っていた」
そっか。
普通、こういう力が手に入ったら、そういう使い道もあるんだ。それに、人によって使える力が違うなら、それもまた、警察の対応をしづらくする。
「そんな中で、レゾナンス…ここの奴らに見つかった。俺は、ここの奴らの考え方を聞いて、怖くなった。だからCAMに行った」
「ここの人たちは、シンドロームを使うべき力だと言ってる。私の歌も認めてくれてる…なのに、どうしてそれが、怖くなるの…?」
「こいつらの最終目標は、キャリアとして生きるための人権を世界に求めることだ。キャリアは進化した人種である…ってな。それは、聞こえのいいことだが…レゾナンスには"シンドロームを使わない自由"はない」
「使わない、自由…?」
使えるものは使いたいし、使ったほうがいいと思う。
「俺は、シンドロームがあるから犯罪に使われた。だから、シンドロームはいらない。使ってもいいことは少ない…逸脱したら、好きな音楽だって楽しむ心を忘れちまうかもしれない。使い方を教えてくれた恩人に苦い思いをさせちまう…だから、歌とは離れた。あんたほど、直接的なシンドロームでもなかったけどな」
そう語るおじさんは、どこか嬉しそうだった。
その感覚が、私にはまだわからない。
音楽は好きだ。
でも、好きなだけでは仕事にならない。
好きな歌を仕事にするためには、売れるための手段として、まずは歌を使わなくてはいけない。
視線からその考えを感じ取ったのだろう、おじさんは、目を逸らして言った。
「あんたは違う考え方かもしれないが、俺はそう考える。レゾナンスには、俺の考えは通らない。だから、相容れない…それだけだ」
「……。」
私は少しだけ距離を取って座る。
そんな私に、おじさんは尋ねた。
「あんたはどんな歌が好きだ」
「…バラード」
「そうか。最近、割合減ったよな」
「…若い人には、ポップの方が受けるし。あと、前奏、間奏とか短いノリのいいサビが近いやつ」
フルコースのメインディッシュだけ食べたい。それが情報社会の人々のニーズだ。
「露骨に、再生数が違うよな」
「うん。おじさんは何が好きなの」
「嫌かもしれないが、俺もバラード。昔は大手サイトで配信もしたんだぞ」
「…売れなかったでしょ」
「期間限定のありえん味のアイスくらいには売れた」
「売れてないじゃん」
「…でも、そういうことだ。ここでは、きっと息の長い若者の支持を欲しがる。あんたはその役割のために、ここに連れて来られた。たまにはご老体のために演歌だって歌うだろう」
「…でも、嫌いなわけじゃ、ないし」
「嫌いも好きも、あるのかね…」
でもそれは、普通に歌を仕事にしても、同じことではないか。
好きなことを仕事にするために。
仕事にするために、もっと売れるために…。そのためには、シンドロームが必要だ。
姿勢を直すたびに、おじさんは胸を抑える。
「あれ…?」
おじさんだってキャリアのはずだ。
どうしておじさんは、焼かれたんだろう。
その疑問をぼんやりした頭で掴み切る前に、おじさんは吐き捨てるように笑った。
「…何」
「いや、面白いなと思った」
「何が」
「だってあんた、ずっと"使う"か、"使わないか"で話してるんだよ。アウター使って歌う歌は、本当のあんたの歌とか言ってたのに」
「…!!」
そうだ。
道具なんかじゃない。
あの数分が本当の…
「俺たちは物理現象を便利に借りてるだけ…あんたが"本当の私"になって歌った歌は、いい音響設備を借りてるみたいなもんだ」
「…言わないで」
反射的に言葉が出ていた。
違う。
外付けの設備じゃない。
あの喉を震わせる感覚は…
「俺は、あんたの最初の方の無編集の歌ってみた動画とか、小さなライブハウスの歌、好きだったけどな」
「……。」
頭がフリーズする。
『…今日の歌が本当の海野さんの歌だったら、海野さんが言ってた、両親が喜んでくれたっていう歌は、なんだったんだろうね』
空っぽの頭に、澄空さんの言葉が浮かんだ。
そして、おじさんは続ける。
「売れたくて歌ってるなら、俺には止める手段はないよ」
「…あなたは売れなかった。歌手にならなかった」
言ってやったつもりが、おじさんはただ頷くだけだった。
「ああ、そうだ。俺はやめた。だから、ただの戯言だよ…たださ、せめてファンとして言うなら」
「何ですか」
私が聞き返した時だった。
扉が開く。
男が二人入ってきた。知らない顔だ。
手には当然のように銃を持っている。なんだっけ。ショットガン?猟銃?
どうしてそんなものを。日本で見ることなんて、ないと思ってた。
…私はなんのために歌うの。
この人たちに聞いてもしょうがないのだろう。早く、仮面の人と話したい。
「おい、お前は出ろ」
男の一人はおじさんに銃を向けて言った。
「わかったわかった」
軽く言いながらも、立ち上がる時は痛みを堪えていた。
そして、男たちに連れられ部屋を出る前に、振り返った。
おじさんはこちらを見ている。
その瞳をちゃんと見たのは、初めてだったかもしれない。
「またさ、楽しそうに歌ってくれよ。それだけだ」
「おじさん…」
私が何も返せないまま、男の一人がおじさんを軽くストックで殴る。
「早く行け」
「あいよ…」
まさか、殺されたりしないよね?
また会えるよね?
その考えが浮かんだ時、この場所がもしかして、とんでもない場所なのではないかという実感が湧いてきた。
扉が閉まる。
おじさんがいなくなって、部屋が少し寒くなった気がして。
急に静かになって、心細くなって。
あの目。
確か、ライブではいつも後ろの方にいた。
特に、声をかけてくれることもなかった。
でも、大体のライブに来てくれていた。
その人の願い。
楽しそうにって…なんだっけ。
………。
……。
…。
数分が経った頃、もう一度扉が開いた。
そこには、仮面の人がいた。
「すみませんね、こんな場所で。我々の邪魔をしようという輩が来そうなので」
「あ、えっと…」
「いえ、そのままで、無理に立つことはありません」
紳士的なようで、こちらの話を流しているようにも感じる。
どこか、無機質な感じがした。
仮面の人は、膝をついてこちらと目を合わせる。
「さて、海野海月さん。いきなりこのような場所に連れて来られて、怖いかもしれませんが…人とは違う才能があるあなたには、何よりもまず、私たちのことを、知ってほしいのです」
大体は知っているはずだ。それでも、素直に頷く。
仮面の人の話は、おじさんから聞いたことを、綺麗な言葉で言い直しているようだった。
追加で、これまでどのような人たちを救ってきたのか、CAMがどのように不当にキャリアを押し殺してきたのかとか、そんな話があった。
その話で、イメージは変わらなかった。
「…しかし、残念ながら、我々には仲間が足りない。CAMのように政府の援助もない。だから、シンドロームを、我々の力を使って、人を集める必要がある」
「それで、私を…?」
仮面の人は嬉しそうに頷いた。
そして、仮面の人は私の手を取り、そこに注射器を置いた。
おじさんが言っていた注射器はこれだろう。アウター…私がこれまで使っていたものとは、少し違うやつ。
注射器を眺めていると、仮面の人はもう片方の手で私の顎を支え、少し強引に視線を合わせる。
仮面越しに見えるその瞳がこちらを映している。
どうしてだろう。
おじさんの瞳と比べて、心が冷えていく。
「あなたは美しい歌声を持っています。しかも、それは…」
「シンドローム由来の、宇宙から授かった歌声ですから!」
・3話まで毎日投稿。4話以降は1日おきに続きを投稿予定です。
・CASE FILE 02: 歌声は完結しています。全22話完結(8/22完結)予定。
・pixivで全編投稿済みです。先が気になる方はこちら(url: https://www.pixiv.net/novel/series/15989613)へ!
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