page10:黎明期
「あれほどのこと…いつ身につけたのですか」
「五年ほど前ですね。必要でしたから」
「当時の現場は、どのような…」
「酷かったですよ。理論のない世界で、理論のないものの存在を隠すのは…」
織星さんは思い出しつつ、手先を遊ばせるように遠くのネックレスを揺らしては止め、揺らしては止めるのを繰り返す。
「碧と組み始めた頃です。キャリアがいることはわかっていましたが、キャリアをどうするのか、社会は当然決めることができていません」
今ですらほとんどの人が知らないことだ。当時の人は相当頑張ったと見える。
「とりあえず見つけた人からむやみに力を使わないよう説得して、上手な抑え方を教えて…その目的でCAM-MEDという医療研究機関が立ち上がりましたが…それを活用できるのは、聞き分けが良い、こちら寄りのキャリアだけ」
「そうでない人も、当然います」
澪莉の相槌に、織星さんは頷く。
「当然、私たちに繋がる前にその力を知ってしまい…日常的に、個人的に使う例がほとんどでした。神経伝達系のシンドロームでテストをカンニングする学生…ガス代・電気代の節約に熱循環系を使う人たち…」
それはいるだろう。そして、それを外部には話さない。
「そんな人たちがいたのが、どうしてわかったか…そういった積み重ねをする人は、知らないうちに深度を深めて、逸脱していくからです」
澪莉は、織星さんの隣に腰掛けた。
「…逸脱した人は、社会に馴染めなくなる」
「はい。社会に馴染めなくなった人は目立ちます。そして、私たちに見つかる。もう、戻れないのに」
そういった人たちを、何人も見てきたのだろう。織星さんも、楠木さんも、きっと、澪莉も。
「運良く見つかっても、アウトサイドに流れる人もいました。彼らは彼らで、CCの術を培っているのでしょう。厄介でした。そういった人たちと会話をする第一歩が、私が生み出し、今瑞葉ちゃんが使ったシンドローム活用法です」
シンドロームで切り開かないと、相手を止められない…。
「話し合いや交渉は、同じ土俵でないと成り立ちませんから…」
楠木さんの実力行使も、きっと、そういう必要性があって育て上げたのだろう。
「そして、そういったシンドロームの発揮があるたびに、調停員は駆り出される。当時は逸脱のメカニズム理解なんて今より稚拙です。その上で、協力的なキャリアは少ない…私も、碧も、そして調停員も…逸脱寸前のまま、動き続けました」
逸脱と聞いて思い浮かぶのは楠木さんだ。でも、その最後のトリガーがダブルキャリアだっただけで、それ以外の人たちも、ギリギリの状況だったのだろう。
狼男の事件の際、屋上から眺めていた調停員の人…茅ヶ崎さんなんて、確か記憶の書き換えができるキャリアだ。どれだけ駆り出されたことか。
そこで、織星さんは少し空気を変えるように声色を変えた。
「それでも、私たちの元で社会に返っていく人たちもいます。内田も、その一人」
織星さんの瞳は、過去を見ているようだった。
………。
……。
…。
四年前。あの事件の少し前のこと。
「飽きたぜ、金髪さん」
私に対して、内田はそう言った。
CCの開始から30分。今日はよく保った方だろう。
「飽きたそうですよ、碧」
「じゃあ気晴らしにドライブ行くか、内田」
そう言う碧はすでに車のキーを取り出していた。警察から貸与されている一般乗用車のものだ。
内田は勢いよく立ちあがる。
「それを待ってたぜ楠木。そのままカラオケ行くぞ、カラオケ」
「お前点数高いから一緒にやりたくない」
「ツレねぇじゃねえか。お前が下手なのが悪いんだ」
「アマチュアとはいえCD出したやつが言っても悔しくすらない。あと、俺は下手ではない」
「後で毛利さんに何言われても知りませんよ…」
内田詩行のCCは私が担当し、碧が付き添っていた。
内田は決して素行は良くなかったとの前評判だったけれど、キャリアやシンドロームといった情報を受け
入れると、途端に落ち着いた。
自分が何者かわかると、人は落ち着けるものなのかもしれない。
碧の付き合い方が良かったのも理由の一つ。碧はアウトサイド自体を悪とみていない節があった。内田にもフランクに接して、打ち解けるのが早かった…毛利さんとの良い温度差が生まれていたのも一因だろう。
内田はまだよかった。これがもっと若く、思春期相手だとこうもいかない。
シンドロームを自身の特別な力と見てしまうと、多感な時期にそれを抑えるなんてできないだろう。
CAM神奈川支部から出ようとしたところで、碧のスマホが鳴った。
「少し待て…はい、楠木」
碧の表情を見て、内田が苦い顔をした。
「嫌な予感がするぞ」
「まぁ、用事がない電話はないでしょうからね」
「そうだな。まぁこいつのことだからデートの誘いかもしれないが」
なるほど。
「では、内田さん。CCの時間です。私に圏を悟らせないようにしつつ、碧の聞いている内容を私に伝えてください」
「…おっかねぇなあんた」
言いつつも、内田は目を閉じて集中し始める。
内田は圏に収めた人の聴覚を自身に共有することができる。
「…あぁ、毛利の姐さんからだな。近くのガソスタでトラブルらしい。アルバイトしてたのが管理下のキャリアだってよ。C対案件にしたから行ってくれ、だそうだ」
「なるほど。了解しました。内田さん、普段はこんなことしちゃだめですよ」
「……。」
内田がものすごく呆れた顔をしている中、碧がこちらに戻ってくる。
「二人とも、悪いが…」
「内田さん伝てに聞きました。ガソリンスタンドですね。向かいましょう」
「…内田、駄目じゃないか、勝手にやっちゃあ」
「金髪さん、こいつのこと殴っていいか?」
「一回だけですよ」
「は?…え?痛っっっ!?」
スパーンと綺麗な音が響く。受付担当のお姉様がわかりやすくスンとした笑顔になった。
そそくさと逃げるように出口から出る。
「じゃあいきましょうか」
「え、俺も行くのか?あんたらの仕事みたいなもんだろ」
私が促すと、内田はキョトンした表情をする。
「でも、内田さんといるのが私たちの今日の仕事ですし…」
「ああ。他のキャリアを見るのもいい体験だと思う」
碧も頷き、車に乗り込む。碧が運転し、私が助手席、内田が後ろだった。
普通、私と内田で後ろに座り、私が見張る…という形が正しいのだろうが、内田に関しては、碧の意見でそれは早々になくなった。
碧がエンジンをかけながら話す。
「ガソリンスタンドのやつは、CC終えたばっかのキャリアで、高校生だ。バイトしてたんだが、態度が悪かった客の車を壊したらしい」
「…でもなんでわかったんだ?」
「その車、車検に出した直後なんだって。んでもって、シンドロームは物質結合系」
「あぁ…若いねぇ」
内田の言い方は達観したものだった。その言い方が気になり、私は振り返った。
「内田さんも、そのうちこうして社会に戻るんですよ。今から仕事を選んでくださいね」
碧も、発進させながら口を開く。
「内田はシンガーソングライター…だっけ。目指してたんじゃないのか?」
内田は少し時間をかけてから答えた。
「…迷ってる」
「…どうして?」
「俺のシンドロームって…音に関係するだろ?関連するものを仕事にすると、自然と…使いまくっちまいそうでよ」
「あー…」
「それって、楠木と金髪さんに聞きまくった…逸脱?に繋がる結果になるんじゃないかってさ、…それって、義理がたたないだろ」
「俺らに?」
「そうそう」
「…逸脱はしないに越したことはないですが、別に私たちへの義理を考えなくても良いのですが」
「うーん…こんな力があると、自分のあるべき形に沿わねぇんだよな。自分の力が、シンドロームありきなのか、そうじゃないのか曖昧になる。だから、全く違うことをしてみるのもいいんじゃねぇかってさ」
内田は私たちと目を合わせていないからここまで話せているのだろうか。
部屋の中で顔を突き合わせるだけが正解じゃないのかもしれない、と感じた。
「楠木はさ、この仕事してなかったら何してた?」
「うーん…どうだろうな。一応大学は教育系だけど。資格は取っておくけど…どうなるか」
この時、碧はまだ大学生。就職先を考える段階だった。私はまだ、大学に入ったばかりだったと思う。
「でも、碧はコーヒーも好きですよね。そういうお店は?」
「…他人に提供できるほど安定した味を出せるわけではないからなぁ。いろんな豆を飲むのが好きなだけで」
「…時々びっくりするくらい濃いの出てきますよね」
「あれはエスプレッソが飲んでみたいって美姫が言ったからで」
「エスプレッソはエスプレッソ。苦すぎるコーヒーとは違います。やっぱり朝は私が紅茶を…」
「お二人、結婚して何年?」
「「まだしてない(ません)!!」」
「まだ、ね。まだ…金髪さんは?」
「…私は、心理系ですね。大学院を目指していますが…この生活だと、資格さえ取れればいい方かもしれません」
「金髪さんはシンドロームと進路が関係ありそうだよな。悩まないのか」
進路を決めて入学したところに、シンドロームなんてものが見つかってしまったのだ。
内田の考えは真っ当だと思った。それでも、それに振り回されるのが正しい道だとは、私は思えなかった。
「そうですね…今後のシンドロームの研究次第でしょうか。例えば、逸脱に繋がる深度だって、深めなければ…一度使えたものは何度使っても深度が深くならなければ、その能力はいくら使っても問題ないわけです。それ以上の欲さえ我慢できれば…そうは考えられませんか?」
私の発言で、碧の表情が歪んだのがわかった。先に言葉を返したのは内田だった。
「…それを言うのが金髪さんだからいいけどよぉ」
「ぞっとしないな…その行使が絶対に他人に強い影響を与えない、悪い影響を与えないなら…それをコントロールできるなら。だがそれは理想論だ」
そう。理想論だ。何が現実的かなんて、基準はもうなくなっている。
「あら、碧。私は今、夢を語っているんですよ」
「内田は真剣に相談したんだと思うんだけど…」
「だから、シンドロームと生きられるように、研究するのを仕事にする…というのも、悪くないですね。これから内田さんみたいに悩む人は増えるわけですし」
新しいものが生まれれば、新しい当たり前ができて、新しい仕事ができる。
「それもそうか…」
「ま、俺はそんなに自分を信じられないからさ…シンドロームがあっても日常に戻れる…そんなモデルケースを目指して、二人の実績になるのも悪くねぇ」
「ですって、碧」
「じゃあ、今から社会科見学だ。若者がどんな気持ちで日常を壊したか、確認しに行こう」
………。
……。
…。
織星さんは、四年前まで行っていた仕事内容と、その中の内田の例を簡単に話してくれた。
時々表情が変わるのは、その時の感情を思い出しているのだと感じた。
「…内田は私たちとの関係性を基に、シンドロームとは離れた世界で生活することを選びました」
しかし、改めて聞くと、私の例は稀なのだと思い知らされる。
「私みたいに、CAMに所属するケースは本当に少ないんですね…」
「そうですね。ほとんどの例はシンドロームを抑えて、元の生活に戻ります…内田は特に、その意識が強かった。だからこそ、今回の件で関わっているとなると、その理由が気になります」
確かにそうだ。簡単に言えば、楠木さんや織星さんとの約束より優先することが起きたということだ。
内田自身の身に何か起きたか、どうなのか。
私も思案していると、澪莉が小さく口を開いた。
「…あの、織星さん」
「…?どうされました、澪莉ちゃん」
「四年前の楠木さんは、どのような方だったのですか」
澪莉は、今回の事件について聞いてから、少し様子が変わった。
変わったことはわかる。でも、なぜ、どのようになのかは私も言語化できていない。
織星さんも、きっと気づいているのだろう。
「…変わりませんよ。碧は変わりません。…私から見てる限りは」
「そう…なのでしょうか」
納得しづらい様子の澪莉に、織星さんは言った。
「強いて言えば、少し、臆病になりました。きっと、大事なものができたからだと思いますよ……っ!?」
その表情は、何かに気づいたようで。
「どうかしました?」
「いえ…なるほど。少し、碧の読みがわかった気がします」
「…?」
首を傾げる私たちに、織星さんは、少しだけ悲しそうな表情を見せた。
・3話まで毎日投稿。4話以降は1日おきに続きを投稿予定です。
・CASE FILE 02: 歌声は完結しています。全22話完結(8/22完結)予定。
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