邪神
あてがわれたのは、城の隅の、小さな部屋だった。
勇者たちには、それぞれ立派な客間が用意されたらしい。
俺には、これだ。
寝台がひとつ。机がひとつ。窓がひとつ。
牢、というには上等で、客間、というには、あまりに簡素な部屋。
能力なしの巻き添えには、これで十分、ということなんだろう。
文句を言える立場でもない。
窓の外には、ふたつの月が、出ていた。
白い月と、赤い月。
赤いほうは、見れば見るほど、目に悪い色をしている。
俺は、寝台に腰かけて、ぼんやりと、それを眺めていた。
眠気は、来なかった。
昼間のことが、頭のなかで、何度も、巻き戻る。
春樹は、勇者。
高井は剣聖、田中は大魔導士、佐倉は聖女。
巻き込まれただけの、あの山田ですら、時空魔法。
俺だけが、何もなし。
考えるたびに、腹の底が、じりじりと、焼ける。
悔しい、という言葉では、足りなかった。
悔しさなら、まだ、前向きだ。
これは、もっと、どす黒い。
なんで俺なんだ、という、行き場のない問いが、ぐるぐると、回り続けている。
別に、俺は、立派な人間じゃない。
それは、自分が、いちばんよく知っている。
人を損得で見て、友達面しながら、腹のなかで算盤を弾く。
春樹を、十年かけて、手なずけてきた。
そういう、薄汚い人間だ。
でも、だからって。
なんで、俺だけが、こんな目に遭う。
他の連中だって、聖人ってわけじゃないだろう。
なのに、あいつらには力が宿って、俺には宿らない。
どういう、選別だ。
どこに、基準がある。
考えても、答えは出なかった。
ただ、黒い感情だけが、腹の底で、煮え続けていた。
◇
《――ずいぶん、つらそうな顔をしてるね》
声が、した。
俺は、顔を上げた。
部屋には、誰もいない。
扉は閉まっている。窓も、閉まっている。
なのに、声は、すぐそばで、聞こえた。
耳元、とも違う。
頭の、内側から、直接、響いてくるような。
奇妙な、声だった。
「……誰だ」
俺は、立ち上がった。
声が、くすりと、笑う。
《そう身構えないでよ。取って食ったりしないから。――今のところは、ね》
声は、不快ではなかった。
むしろ、その逆だった。
低くも、高くもなく。
男とも、女ともつかない、なめらかな響き。
いつまでも、聞いていたくなるような、心地よい声。
だからこそ、寒気がした。
その心地よさの、裏側に。
何か、底の知れないものが、潜んでいる。
それが、理屈ではなく、本能で、分かった。
《君、いま、世界中を呪ってる顔をしてた。なんで自分だけ、って。違うかい?》
言い当てられて、俺は、黙った。
声の主は、楽しげに、続ける。
《いい顔だよ。僕、そういう顔、好きなんだ。妬みとか、恨みとか、自分は選ばれるべきだったって思い込みとか。そういうので、ぐつぐつ煮えてる顔》
「……何が、言いたい」
《教えてあげようか。どうして君だけ、力をもらえなかったか》
俺は、答えなかった。
だが、声は、構わず、続けた。
《不手際なんかじゃ、ないよ。あれはね、僕が弾いたんだ》
心臓が、ひとつ、跳ねた。
《鑑定のとき、横から、ちょいとね。君に宿るはずだった力を、弾いておいた。別のものを、あげるためにさ》
「……弾いた?」
馬鹿な、と思った。
あの女神の水晶を、横から?
いったい、何者なんだ、こいつは。
《うん。でも、その前に。君の、本当の適性、知りたくない?》
知りたく、なかった。
知ったところで、いいことがあるとは、思えなかった。
だが、声は、構わず、告げた。
《農業だよ》
間の抜けた単語が、部屋に、落ちた。
「……は?」
《のうぎょう。土を耕して、種をまいて、育てて、いい頃合いになったら収穫する。君は本来、どこかの村で、そういう地道な働き手になるはずだった。誰の記憶にも残らないまま、土をいじって、一生を終える》
馬鹿にしているのか、と思った。
だが、声の調子に、嘲りはなかった。
《でもね。農業なんて、君には、似合わないよ》
声が、ふっと、笑った。
《だって君、土なんかより、もっと面白いものを、その腹のなかで、育ててるじゃないか》
「……何の、話だ」
《君が、せっせと積み上げてきた、それ。業だよ》
業。
聞き慣れない、言葉だった。
《人を損得で値踏みして、踏み台にして、それを悪いとも思わない。にこにこ笑いながら、腹の底で算盤を弾く。春樹くん、だっけ。あの子を、十年かけて飼い慣らしたみたいに、ね。――そういう業に、僕は、興味があるんだ》
心臓を、握られた気がした。
隠してきたつもりの、いちばん奥の部分を。
なのに。
不思議と、嫌な気は、しなかった。
むしろ――初めて、誰かに、正しく見てもらえたような。
そんな、倒錯した心地よさすら、あった。
《土を育てる才能より、君のその業のほうが、ずっと見ものだ。だから、農業のほうを、弾いておいたのさ》
「……何が、言いたいんだ」
《単純な話だよ》
声が、ぐっと、近づいた。
《僕が、君に、力をあげる。その業を、もっと立派に育てるための、力をね》
俺は、唾を、飲んだ。
罠だ。
そう、思った。
こんな、都合のいい話が、タダで、あるわけがない。
声の向こうに、確かに、何か、暗いものが、控えている。
――でも。
春樹は、力を得た。
あいつらは、みんな、得た。
俺だけが、手ぶらだ。
その差を、埋められるなら。
哀れまれる側に、回らずに、済むなら。
「……条件は」
気づけば、俺は、そう尋ねていた。
声が、嬉しそうに、笑った。
《いい質問だ。でも、安心して。条件は、ないよ。対価も、いらない》
そして、付け足すように。
《――今は、ね》
その「今は」が、やけに、耳に残った。
けれど、引っかかりを、言葉にする前に、声は、続けた。
《君にあげるのは、【能力創造】。読んで字のごとく、自分で、力を創り出せる。何かを見て、そこから、新しい力を、組み上げる。武器を扱う力、ものを生む力、頭を回す力――その手のものなら、何だってね》
「……力を、創る」
《そう。見れば見るほど、創れば創るほど、君は、強くなる。育てれば、育つほど、ね》
育てれば、育つほど。
その言葉に、胸の奥が、勝手に、熱くなった。
俺にも、力が。
あいつらと、同じ場所に、立てる力が。
いや。
あいつらの、上に。
《ああ、でも。ひとつ、言っておくね》
声が、わずかに、調子を変えた。
《人の心そのものを、いじる力――洗脳とか、魅了とか、記憶の書き換えとか。ああいうのは、今の君には、創れない》
「……創れない」
《創れないんじゃ、ないよ。できないことは、ないんだ。ただ、ポイントが足りないと、創れない。それだけ》
「ポイント?」
《うん。そのうち、分かるよ。君が、ちゃんと、育てばね》
ポイント、という言葉の意味は、分からなかった。
だが、深くは、考えなかった。
力が、ほしい。
今は、そのことで、頭が、いっぱいだった。
《じゃあ、契約成立だ》
声が、楽しげに、言う。
《これから、じっくり、育てていこうね。君を。いい具合になるまで。そして――頃合いを見て、収穫する》
収穫。
その言葉の意味を、深く考える余裕は、なかった。
体の奥に、熱いものが、流れ込んできたからだ。
血を、骨を、内臓を、巨大な何かが、満たしていく。
めまいがするほどの、力の、奔流。
これが。
これが、力か。
俺は、震える手を、握りしめた。
《いいねえ》
声が、うっとりと、呟いた。
《よく、育ちそうだ》
その一言を、俺は、聞き流した。
力の感覚に、酔っていたから。
「……あんた、名前は」
息を整えながら、俺は、尋ねた。
声が、ふっと、笑う気配が、した。
《名前なんて、ないよ。強いて言うなら、そうだね》
一拍、置いて。
《邪神、とでも呼ぶ人は、いるかな》
邪神。
その単語を、俺は、口のなかで、転がした。
神を、邪する。
ろくでもない、響きだ。
なのに。
差し出された手を、振り払う気には、なれなかった。
「……邪神、ね」
《気に入らない? 別に、何と呼んでくれても、いいよ。悪魔でも、運命でも、君が信じたい何かでも。呼び方なんて、どうでもいいことさ》
声は、もう、遠ざかりかけていた。
だが、去り際に。
ふと、思い出したように、付け足した。
《ああ、そうだ。ひとつ、アドバイスをあげる》
「アドバイス?」
《その力はね、あんまり、知られないほうが、得策かもしれないよ?》
声が、優しく、囁く。
《考えてもごらん。何でも創り出せる力なんて、知られたら、周りは君を、放っておかない。利用するか、怖がって遠ざけるか、いっそ、消そうとするか。ろくなことにならない》
言われて、はっとした。
確かに、そうだ。
こんな力がバレたら。
王国は、俺を、便利な道具として、飼い殺すか。
あるいは、得体の知れない危険分子として、始末するか。
どちらにせよ、面倒なことになる。
《だから、隠す力も、作っておくといい。能力創造で、ね。今の君でも、それくらいは、作れるよ》
「……隠す、力」
《うん。せっかくの力だ。大事に、隠して、育てな。――じゃあ、またね。君が、いい具合に、育った頃に》
待て、と言う間もなかった。
気配が、すっと、消えた。
部屋には、俺ひとり。
赤い月の光が、床に、長く伸びている。
俺は、しばらく、その場に、立ち尽くしていた。
それから、ゆっくりと、自分の手を、見つめた。
握って、開いて、また、握る。
力が、確かに、そこに、あった。
昼間まで、何ひとつ、持っていなかった、この手に。
邪神の、言ったとおりだ。
隠す力も、作っておくべきだろう。
俺は、意識を、集中した。
自分の力を、覆い隠す。
誰の目にも、触れさせない。
そういう力を、頭のなかで、組み上げていく。
すると。
すとん、と。
それは、形になった。
【隠蔽】。
自分の能力を、ステータスごと、隠す力。
試しに、ステータスを、開いてみる。
淡く光る板が、視界に、浮かんだ。
そこに刻まれた【能力創造】の文字を、隠蔽で、覆う。
文字が、すっと、見えなくなった。
……完璧だ。
これで、誰にも、本当の力は、悟られない。
俺は、ひとつ、息を吐いた。
腹の底で、あれほど煮えていた、どす黒いものは。
いつのまにか、消えていた。
代わりに、別の何かが、そこに、居座っている。
それが、何なのかは、まだ、分からなかった。
ただ、ひとつだけ、確かなことが、ある。
俺は、もう、哀れまれる側には、戻らない。
その手段を、たった今、手に入れた。
窓の外で、赤い月が、ゆっくりと、傾いていった。
まるで、何かを、見届けたあとのように。




