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幕間 落胆

「5 自覚」と、「6 ある夜」の幕間です。

恋心を自覚したグレンは居ても立ってもいられず侯爵を呼び出します。




 

 ジェシカに縁談が来ている…。

 グレンは現状を確認するため、執務室にオニクセル侯爵を招いた。

 ちょうど定例評議会が開催されており、侯爵はリバースを訪れていたのでオニクセルの双子が不在の時間を見計らい、デイビッドに手配させた。


「わざわざすまないね。オニクセル侯爵」


「殿下のお召しなら喜んで馳せ参じますぞ。愚息どもがいつもお世話になっております。さぞやご迷惑をおかけしていることでしょう?」


 侯爵はうやうやしく礼を取り快活に答え、勧められるまま長椅子に腰掛けた。


「いや、二人ともよくやってくれているよ。今や彼らがいなくては僕の政務は立ち行かない」


「御謙遜を。今日の評議会でも南部酪農地帯の流通販路拡大について慎重な意見を出されていましたな。奴等が役に立っているとも思えませんが」


 どこか腹の探り合いのようなやり取りが応酬される。

 しばらくは昨今の国内外の情勢について議論を交わした。

 オニクセルはワーズウェント最北の領地だが、侯爵はグレンよりもよほど世界情勢を把握しているようだった。


「……侯爵は、ジェスをオニクセルに戻そうとしているのかな?その…何度も縁談を持ちかけているとか」


 グレンは本題に切り込んだ。

 侯爵は、おや?と片眉をあげる。


「まあ…いい加減、頃合いでしょうな。まさかこれほど長く城に留まれるとは思っておりませなんだ。最初はすぐ戻ってくると高を括っておりましたから、軽ーい気持ちで送り出したのですが」


 いけしゃあしゃあと侯爵は言う。

 軽い気持ちで兄と妹を入れ替え登城させた事を。この狸め、とグレンは呆れた。


「この5年、跡取り達は王城に入りびたりで侯爵領にも全く帰って来ませんし、ここらで落ち着いて貰おうかと思いましてな」


 ジェシカはもう20歳になる。

 この年頃の令嬢なら既に婚約者や伴侶がいるのが普通だった。

 

「落ち着くとは……その、すでに相手が決まったということかな?」


 グレンは極力平静を装ったつもりだったが、声の端に微かな焦りが滲んでしまった。

 侯爵は大仰にため息をついて肩をすくめる。


「とんでもない! いくつ見繕ってやっても、あのじゃじゃ馬、縁談の話を尽く足蹴にするのですよ。まったく、親の気も知らないで剣の修行ばかり……ほとほと困り果てております」


 ぼやく侯爵の言葉に、グレンは内心ひどく安堵し、強張っていた肩の力が抜け、ほっと深く息を吐き出した。


「そうか……。いや、ジェスらしくて頼もしいというか……なんというか……」


 言葉を濁し、微かに胸を撫で下ろすグレンの様子を、百戦錬磨の狸である侯爵が見逃すはずがなかった。

 侯爵の鋭い目がスッと細められ、口元に弧が描かれる。 


「……殿下」


 侯爵は少しだけ身を乗り出し、声を潜めた。


「あんな男勝りで剣馬鹿の娘、普通の貴族に嫁がせても三日で離縁されるのがオチです。……いっそ、殿下が貰ってやってはくれませんかな?」


「えっ……」


 予想外の言葉に、グレンは普段絶対に出さない間抜けな声を漏らした。

 侯爵からの申し出に、グレンの心臓は大きく跳ねた。

 自分に、ジェスを……?

 無意識に喉が鳴る。

 それがまさに、自分の本当の望みだと…気がつく。

 ここで頷けば、王や侯爵の許しを得て、彼女を正式に自分のものにできる。

 身分的には侯爵令嬢だ。何の問題も無いだろう。しかし…勝手に話を進めるのは、やはり違う…。


「……返事は一旦、保留にさせてくれないか?」


 グレンが必死に理性を総動員してそう答えると、侯爵はわざとらしく意外そうに眉を上げた。


「おや。娘は、お気に召しませなんだかな?」


「……本人の意志を確認せず、親や主君という立場で勝手に決めてしまうわけにはいかないだろう。それに、ジェスには、夢や目標があるから……縁談が正式に行ってその気が無かったら、側近を続けられなくなるだろう?」


 今の居心地のいい関係を壊すのは怖かった。

 だからといって、他の誰かに取られるつもりは毛頭ない。それだけは王子の権限を濫用してでも絶対に阻止するが。

 グレンの歯切れの悪い、けれど必死な独占欲の滲む言葉を聞き、侯爵は喉の奥でくくっ、と笑った。


「なるほど……。いやいやしかし、殿下ご自身も、大概の縁談を理由をつけては遠ざけておいででしたが、保留……とは」


 侯爵は、ニヤリと人の悪い、しかしひどく満足げな笑みを浮かべたので、グレンは気まずそうに咳払いをした。


「よろしいでしょう。内々に娘に打診します。私としても、殿下のような度量のある方に引き取っていただけるのが一番の安心ですからな」





 グレンとの密談を終えた後、オニクセル侯爵は王城に滞在している自室に娘のジェシカを呼び出していた。


「ジェシカよ。喜べ!お前にまたとない素晴らしい話が……」


「けっこうです」


 侯爵が嬉々として相手の名前を告げる前に、ジェシカはピシャリと言い放った。


「私は今、王子の側近として重要な政務に就いているんです。縁談なんてこれっぽっちも興味ありません。もういい加減諦めてください。どうせろくな男じゃないんでしょう? 絶対に嫁ぎませんからね!」


「いや、お前、相手が誰か、聞いてから……」


「聞きません! だいたい、私が急にいなくなったら王子が困られます。 それに私は今最高に充実してるんですっ。一生側近で上等なんですっ。縁談に興味なんて、これっっっぽっちもありませんから!もう二度と、この話は持ってこないでください! 失礼します!」


 嵐のようにまくしたて、ジェシカは踵を返して行ってしまった。


 取り残された侯爵は、ぽかんとした後、愉快そうに肩を揺らして笑い出した。


「やれやれ、あの馬鹿娘め。相手がその殿下ご本人だと知ったら、一体どういう顔をするのやら……。殿下も物好きですなぁ…。最大の難関は、どうやらご自分のようですぞ?ま、あとは若い者同士、よしなになさってくだされ」


 この顛末は、その後、侯爵からグレンへと面白おかしく、そして少しばかり同情を交えて報告された。


「禄に聞きもしなかった…か」


 グレンは少し期待していた分、肩透かしをくらいがっくりうなだれた。




 この頃のジェシカは縁談から逃げまくっていたので、侯爵の話を聞こうともしませんでした。

 ここできちんと話を聞いていれば、グレンの若かりし大暴走はなかったかもしれません…。いや、やっぱりうだうだジェシカに猛アタックするかな?



 さて、本編は丘の上に急ぐため二人のもどかしい恋愛エピはすっとばしましたが、私はほんとはムズキュンも大好きなのです。

 そんなわけでAIさんにお題を出し、ムズキュンエピソードをいくつか作ってもらいました(笑)

 またしてもあとがきのほうが長くなってしまいますが、なかなか楽しかったのでここで共有します。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


お題

グレンがジェシカへの恋心を自覚し、姑息な手段でジェシカの本心を聞こうとするまでの間の、奥手なグレン(いまや超貴重)のささやかなアピールにまったく気づかないジェシカのムズキュンエピをお願いします。

一人称、キャラの言葉遣いに細心の注意をお願いします。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



承知いたしました。

『ARCADIA王国編』の壮大な物語、その狭間にあったであろう、心温まる一幕を。グレンがジェシカへの恋心を自覚したものの、どうすることもできずにいた頃の、もどかしくも愛おしい物語を、心を込めて執筆します。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ARCADIAラブコメ劇場:『届かない指先』


 深夜の王城書庫は、古い革とインクの匂いで満ちていた。蝋燭の灯りが、壁一面に並ぶ書物の背表紙をぼんやりと照らし出している。僕は、山と積まれた古地図の整理という、地味だがやりがいのある任務に没頭していた。こういう緻-密な作業は、性に合っている。


「…まだ、起きていたのか」


 静寂を破って、不意に声がした。振り返ると、そこには寝間着の上にガウンを羽織っただけの、少し眠そうな王子が立っていた。


「王子。お休みになられていなかったのですか?」


「ああ…。少し、目が冴えてしまってね。君こそ、もう休んだらどうだ?残りは明日にでも」


「いえ、キリの良いところまで進めておきたいんです。それに、こういうのは集中している時が一番捗りますから」


 僕がそう答えると、王子は少し困ったように笑って、僕の隣の椅子に腰掛けた。手伝うでもなく、ただ静かに僕の作業を眺めている。なんだか、いつもより距離が近い気がする。…気のせいか。


「次の資料は…っと。ああ、一番上か」


 目当ての文献が、書架の最上段にあるのを見つけた。僕は慣れた足取りで、近くにあった移動式の梯子を引いてくる。ギシギシと木の軋む音を立てながら梯子を登り、目的の分厚い本に手を伸ばした。


「危ない、僕が梯子を支えていよう」


 下から王子の声がした。見ると、王子が梯子の脚を両手でしっかりと押さえてくれている。


「ありがとうございます。でも、これくらいなら大丈夫ですよ」


「いいから。…万が一のことがあったら、僕が困る」


 その声が、やけに真剣に聞こえた。王子のこういう真面目なところは、好ましいと思う。僕は頷いて、再び本に手を伸ばした。しかし、長年動かされていなかったのか、本が棚に固着してしまっている。


「ん…、抜けないな…」


 指先に力を込めて引き抜こうとするが、びくともしない。体勢を変えようと少し屈んだ瞬間、ふわりと、僕の指先に王子の指が触れた。


「…っ!」


「僕も手伝うよ。二人で引けば、きっと」


 耳元で囁かれるような、王子の声。触れた指先から、彼の体温が伝わってきて、心臓が妙な音を立てた。なんだ?この感じは…。


「…いえ、王子。お手を煩わせるわけには」


 僕は反射的にそう言うと、一度手を離した。そして、もう一度体勢を立て直す。よし。


「こういうのは、力任せじゃなく、コツがいるんです」


 僕はそう呟くと、本の背表紙の上下を両手でしっかりと掴み、一瞬、強く、短い力で左右に揺さぶった。そして、間髪入れずに真横へ引き抜く。

 ズズッ、と重い音を立てて、本は呆気なく棚から解放された。よし、完璧だ。


「…すごいな、君は」


 梯子を降りると、王子がどこか呆然とした表情で僕を見ていた。


「これくらい、造作もありません。昔、アンソニーとよく書庫で悪さ…いえ、手伝いをしていましたから」


 僕は少し得意になって胸を張る。王子に褒められるのは、いつだって嬉しい。


「はは…。そうか。本当に、君は…頼りになるな」


 王子はそう言うと、ふっと寂しそうに笑った。そして、僕の頭に、ぽん、と軽く手を置く。


「…王子?」


「いや…。何でもない。ありがとう、ジェス。…もう、僕は休むよ。君も、あまり無理はしないように」


 そう言うと、王子は何かを振り払うように踵を返し、書庫から出ていってしまった。

 一人残された書庫で、僕はしばらく王子のいた場所を見つめていた。

 頭に置かれた、王子の手のひらの感触が、まだ残っている気がする。


「…なんだったんだ…?」


 最近、王子は少し様子がおかしい。きっと、慣れない政務でお疲れなのだろう。

 僕はそう結論づけると、手に入れた文献を机に置き、再びインクの匂いがする静かな世界へと意識を戻した。

 王子の指先が触れた意味も、その寂しそうな笑顔の理由も、この時の僕には、まだ何もわかっていなかった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

お題 ピアノか弦楽器

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


ARCADIAラブコメ劇場:『不器用な練習曲エチュード



 その夜、王子に「少し付き合ってほしい」と呼び出されたのは、月明かりが美しい音楽室だった。

 中央には大きなチェンバロが鎮座し、銀色の光が象牙の鍵盤を静かに照らしている。王子は僕に椅子を勧めると、自らはその鍵盤の前に座った。


「疲れているだろうに、すみません、王子」


「いや、いいんだ。…ただ、少しだけ、誰かに聞いてほしくてね」


 そう言うと、王子の指が鍵盤の上を滑り始めた。奏でられるのは、穏やかで、どこか切ない旋律。僕が今まで聞いたこともない、美しい曲だった。一曲弾き終えた王子は、ふっと息をつくと、こちらを振り返った。


「…君も、弾いてみないか?」


「私が、ですか?滅相もありません。私の手は剣を握るためのものです。こんな繊細な楽器、壊してしまいます」


 僕は自分の手のひらを見下ろす。武骨で、あちこちにタコができた、お世辞にも女性らしいとは言えない手だ。王子のような、白く滑らかな指とは大違いだ。


「そんなことはない。君の指は、とても綺麗だと思うよ」


「……」


「簡単な曲だ。僕が教えてあげるから」


 そう言って、王子は僕の手を取り、チェンバロの前に座らせた。断る間もなかった。一つの長い椅子に二人で座ると、肩と肩が触れ合う。

 王子の体温が伝わってきて、なんだか落ち着かない。


「力を抜いて。…そう」


 王子は僕の後ろから覆いかぶさるようにして、僕の右手にそっと自分の手を重ねた。大きくて、温かい手。王子の指が、僕の指を導いて、鍵盤を一つ、また一つと押していく。


「…っ」


 ぽつ、ぽつ、と奏でられる音は、ぎこちなくて拙い。けれど、指先に伝わる王子の熱と、耳元で聞こえる優しい声に、胸の奥がざわついて、うまく集中できない。


「すごいな。剣を握る手とは思えないほど、しなやかだ…」


「…からかっているのでしょう?」


「本心だよ」


 真剣な声で言われて、ますます顔が熱くなる。だめだ、このままでは埒が明かない。任務は迅速かつ正確に遂行するのが僕の信条だ。


「王子、お待ちください」


 僕は一度、王子の手をそっと外した。王子は驚いたように僕を見ている。


「一度、お手本を見せてください。その…私が弾くべき部分を。ゆっくりと。一度見れば、覚えます」


「え?」


「記憶力には、自信がありますので」


 僕が真剣な顔で言うと、王子は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、それから何とも言えない、泣き笑いのような表情を浮かべた。


「…わかった。それじゃ見ていて」


 王子は、先ほどの短いフレーズを、指の動きがよく見えるように、ゆっくりと、一度だけ奏でた。僕はその指の動き、押さえるべき鍵盤の位置と順番、リズムの全てを、一瞬たりとも見逃さないように頭に叩き込んだ。剣の型を覚えるのと同じだ。


「よし…」


 王子が弾き終えるのを待って、僕は深呼吸した。そして、記憶した通りに鍵盤を叩く。

 少し硬さは残るが、音もリズムも間違ってはいないはずだ。最後まで弾ききると、僕は満足して彼を見上げた。


「どうでしょう。これで、合っていますか?」


 完璧にこなせただろうか。

 しかし、王子はなぜか、ひどく感心したような、それでいて、途方に暮れたような、複雑な顔で僕を見ていた。


「……ああ。完璧だ。君は、本当にすごいな…」


 彼の声には、先ほどまでの熱が消えていた。


「ありがとうございます。反復練習すれば、もう少し滑らかに弾けるようになるかと」


「…はは。そうだろうね…」


 彼は力なく笑うと、椅子から立ち上がった。


「もう、十分だ。付き合わせて悪かったね。…僕は、これで失礼するよ」


 そう言って足早に部屋を出て行ってしまった彼の背中は、なんだか、とても寂しそうに見えた。


「…? 練習の出来が、不満だったのだろうか…」


 一人残された音楽室で、僕は首を傾げた。

 彼が僕の指に触れたかっただけだなんて、この時の僕は、まだ知る由もなかった。美しい練習曲が、僕にとってはただの記憶力テストになってしまったことも。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

お題 オルゴール

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



ARCADIAラブコメ劇場:『宝物のありか』


 その日の夜更け、王子に私室へと呼ばれるのは、これが初めてのことだった。執務室や書庫ではなく、王子のプライベートな空間。側近として、何か緊急の要件だろうかと身構えていた僕の予想は、良い意味で裏切られた。


「…これなんだ」


 テーブルの上に、王子がそっと置いたのは、古びた木製のオルゴールだった。

 華美な装飾は何もなく、長年使い込まれたことがわかる、いくつもの小さな傷がついている。


「母の…形見なんだ。僕が持っている、たった一つの」


 その声は、静かで、少しだけ震えていた。僕は息を呑む。

 王子が、自身の過去、特に亡き母上のことを口にするのは、極めて稀なことだ。それを、僕に。

 王子が小さなネジを巻くと、オルゴールは、どこか懐かしい、もの悲しい旋律を奏で始めた。それは、ブレイグで歌い継がれている古い子守唄。僕も、昔侍女に歌ってもらった記憶がある。


「母は、歌が好きな人だった。貧しい暮らしだったけど、僕が眠る前には、いつも何か歌ってくれて…」


 王子は、宝物を見るような目で、小さなオルゴールを見つめている。その横顔は、僕が知っている王子のものではなく、ただ一人の、母親を恋しがる少年の顔だった。


「…素敵な音色ですね」


 僕がようやく絞り出した言葉に、王子は顔を上げた。その紫色の瞳が、少しだけ潤んでいるように見えた。


「ありがとう。…君に、聞いてほしかったんだ」


「私に…ですか?」


「ああ。君も、母君を早くに亡くしたと聞いているから。それに…」


 王子は一度言葉を切り、僕の手元に視線を落とした。


「君は、僕の大切なものを、きっと笑ったりしないだろう?」


 その言葉に、胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。信頼されている。側近として、一人の人間として、王子に認められている。その事実が、たまらなく嬉しかった。


「当たり前です。王子の大切なものは、私にとっても、大切なものです」


 僕が力強くそう言うと、王子は本当に嬉しそうに、花が咲くように微笑んだ。ああ、この笑顔は駄目だ。ずるい。


「ありがとう、ジェス。…僕の一番の宝物は、これなんだ。そして、この宝物のことを、誰よりも先に、君に知っていてほしかった」


 彼はそう言うと、オルゴールを挟んで、テーブル越しに、そっと僕に向かって手を伸ばしてきた。その指先が、僕の手に触れる寸前で、ためらうように止まる。

 王子の瞳が、何かを熱心に訴えかけている。

 わかっている。王子は今、とても心細いのだ。唯一の肉親の形見を見せ、感傷的になっている。そして、僕を信頼して、その弱さを見せてくれている。

 ならば、僕が応えるべきことは、ただ一つ。

 僕は、王子の伸ばされた手を取る代わりに、椅子から立ち上がり、王子の前に進み出た。そして、騎士が主君に誓いを立てるように、深く、片膝をついた。


「王子」


 僕は、王子の瞳をまっすぐに見上げ、僕にできる、最大限の誠意を込めて告げた。


「その信頼、お受けいたします。私は王子の側近として、王子の剣として、どんな時も、王子と、王子の宝物をお守りすることを、ここに誓います」


「…………え」


 王子の顔から、表情が消えた。

 伸ばされたままの王子の指先が、ぴくりと震えて、行き場をなくしたように、ゆっくりとテーブルの上に戻っていく。


「…あ…、ああ…。うん…。ありがとう…。とても、頼もしいよ…」


 王子の声は、なぜか、蚊の鳴くようにか細かった。そして、顔を真っ赤にして、僕から視線を逸らしている。


「はい!お任せください!」


「…うん…。もう、遅いから…。君も、部屋に…」


「承知いたしました」


 立ち上がって一礼し、僕は王子の私室を退出した。

 今夜の僕は、側近として完璧な務めを果たせたのではないだろうか。王子の信頼に応え、忠誠を誓う。これ以上の答えはないはずだ。

 満足感に浸る僕の背後で、王子が小さな声で


「…そうじゃないんだけどな…」


と呟いたのを、僕はまだ、聞き取ることができなかった。



※オルゴールは母の形見のとつけ忘れてたのに、ちゃんとわかってるAIすご。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

お題 薔薇

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






ARCADIAラブコメ劇場:『一輪の、あまりにも遠い花』


 その夜の散歩は、いつもと少しだけ違っていた。王子は、普段僕たち側近が近寄らない、王家のプライベートな庭園の奥深くへと僕を導いたのだ。

 月明かりに照らされたその場所は、甘く、むせ返るような薔薇の香りに満ちていた。


「ここは…?」


「王妃様…僕の義母上が、特に大切にされている薔薇園なんだ。昼間は侍女たち以外、誰も入れない」


 白い薔薇、淡い黄色の薔薇、そして、月光を吸ってベルベットのように輝く、真紅の薔薇。まるで夢の中に迷い込んだようだ。


「…綺麗、ですね」


 僕が素直な感想を口にすると、王子は嬉しそうに微笑んだ。彼は真紅の薔薇の前に立つと、その中から、ひときわ大きく咲き誇る一輪に手を伸ばす。


「…っ」


 小さな呻き声に、僕の意識は現実に引き戻された。見ると、王子の指先から、ぷくりと血の玉が滲んでいる。薔薇の棘が刺さったのだ。


「王子!怪我を!」


 僕は駆け寄り、考えるより先に王子の手を取った。そして、いつも懐に入れている清潔なハンカチで、そっと血を拭う。


「大したことはないよ。これくらい…」


「いけません。小さな傷でも、土の中の菌が入れば化膿します。後で医務官に診せてください」


 僕が真剣な顔で言うと、王子は困ったように眉を下げた。僕の手に包まれた自分の指先を、なんだか熱心に見つめている。


「…君の手は、いつも温かいな」


「鍛錬で血行が良いだけです。それより、その薔薇は…」


 見れば、王子が摘んだ真紅の薔薇が、血の雫と同じ色で、妖しく咲いている。王子はその薔薇を、僕の目の前に差し出した。


「君に、と思って。この薔薇の赤は、君の…その、情熱の色に似ている」


「じょ、情熱…?」


 思いがけない言葉に、心臓が跳ねた。僕に情熱なんて、そんな大層なものが…。


「私はただ、任務をこなしているだけで…」


「それが、君の情熱だよ。真っ直ぐで、ひたむきで…とても、美しい」


 月明かりの下、真剣な瞳でそんなことを言わないでほしい。どう返事をすればいいのか分からない。


「…ありがとう、ございます」


 僕がようやくそれだけ言うと、王子は「いや」と小さく首を振った。


「受け取ってくれるだけじゃなく…髪に、飾らせてくれないか?」


 王子は一歩、僕に近づいた。薔薇の甘い香りと、彼自身の清潔な香りが混ざり合って、くらりとする。王子の手が、僕の髪に伸びてくる。その指先が、耳のすぐそばの髪に触れた。


「…っ」 


 近い。あまりにも、近い。王子の紫色の瞳が、すぐそこにあって、僕は身動き一つ取れなくなった。

 王子の呼吸が、頬にかかる。王子の理性が、今にも切れそうな細い糸で繋がっているのが、なぜか、わかってしまった。

 僕も、どうにかなってしまいそうだ。


 どうしよう。何か、何か言わないと…。


 僕は、目の前にある真紅の薔薇の花びらに、必死で思考を集中させた。そうだ、この薔薇だ。この薔薇について何か…。


「…この薔薇…」


 僕が口を開くと、王子の動きがぴたりと止まった。


「この薔薇、見事な巻きですね。花弁の数が多く、中心が密集している。これは確か、古い品種改良の…」


「…………え」 


「先日、図書室で読んだ園芸書に載っていました。害虫対策が非常に難しい品種のはずですが、これだけ美しく咲かせるとは…王妃様の庭師は、相当な腕利きですね。素晴らしい」


 完璧な分析だった。僕は、自分がまた一つ賢くなったことに満足して、王子に同意を求めるように微笑みかけた。

 しかし、王子は固まっていた。僕の髪に触れていた指先は、行き場をなくして空中で止まり、その顔は、喜びとも、悲しみとも、絶望ともつかない、見たこともない表情をしていた。


「……そうか…。庭師、か…」


 王子は、絞り出すような声でそう言うと、持っていた薔薇を、僕の髪ではなく、そっと手に握らせた。


「…すまない。やはり、急に冷えてきた。もう、戻ろう」


「え、王子?」


 僕が何か言う前に、王子はくるりと背を向けると、足早に薔薇園から去って行ってしまった。


「……?」


 一人残された僕は、手に握らされた一輪の真紅の薔薇と、王子の去っていった暗い小道を見比べるしかなかった。

 もしかして、僕の園芸の知識に、何か間違いでもあったのだろうか…?

 王子の理性の糸が、別の意味で、今にも切れそうになっていることなど、この時の僕が知るはずもなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

お題 再会の湖

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



ARCADIAラブコメ劇場:『星空の誤算』


 その夜、王子は珍しく、僕を夜の乗馬に誘った。行き先は告げられなかったが、馬が自然と向かったのは、あの「再会の湖」だった。

 馬を降りて湖畔に立つと、息を呑むほどの光景が広がっていた。風のない湖面は完璧な鏡となり、地上と寸分違わぬ、もう一つの「満天の星空」を映している。天と地の境目が溶け合い、まるで僕たちは星々の中に立っているかのようだった。


「…すごい…」


 僕が感嘆の声を漏らすと、隣に立つ王子が静かに言った。


「君に、見せたかったんだ。この景色を」


 王子の声は、いつもより少しだけ低く、熱を帯びている気がした。王子は僕から視線を外さずに、ゆっくりと続けた。


「ワーズウェントに来てからの僕の毎日は、ただ、決められた責務をこなすだけの、色のない日々だった。…君が、アンソニーとして僕の前に現れるまでは」


「王子…」


「君が側にいてくれるようになって、僕の世界には色が生まれた。君の真っ直ぐな瞳、時折見せる笑顔…。そのすべてが、僕にとっての光だったんだ」


 これは、なんだ?

 ただの主君が側近に向ける言葉ではない。王子の瞳は、星の光を宿して、あまりにも真剣に僕を射抜いている。心臓が、痛いほどに高鳴り始めた。


「ジェシカ…」


 王子は、ほとんど囁くような声で、僕の本当の名前を呼んだ。

 そして、一歩、距離を詰める。もう、逃げ場はない。


「僕の世界は、君がいるから輝いているんだ」


 そう言うと、王子はゆっくりと、その顔を僕に近づけてきた。

 長い睫毛に縁どられた紫色の瞳が、僕だけを映している。

 王子が、何をしようとしているのか、さすがの僕でも、もうわかってしまった。

 どうしよう。受け入れて、いいのか?

 僕の思考が真っ白になった、その瞬間だった。

 ──カサリ。

 すぐそこの森の茂みから、微かな物音がした。

 僕の身体は、思考より速く動いていた。


「王子、静かに!」


 僕は迫っていた王子の唇の前に、咄嗟に人差し指を立てて制止する。そして、王子の胸にそっと手を当てて押し返すと、腰を落とし、戦闘態勢に入った。


「森の奥です。何かの気配が…!」


 僕の鋭い囁きに、王子は硬直した。その瞳は、信じられないものを見るように、大きく見開かれている。王子も、この緊張感を共有してくれている。さすがだ。

 僕たちは、息を殺して、暗い森の茂みを睨みつけた。

 数秒の沈黙の後、茂みから姿を現したのは──一匹の、月光色の狐だった。狐は僕たちを一瞥すると、興味なさそうに、ふいと森の奥へ消えていった。


「………」


「……………」


 気まずい沈黙が、湖畔に落ちる。


「…狐、でしたか。驚かせましたね。申し訳ありません、王子。私の早とちりでした」


 僕は姿勢を戻し、完璧な側近として謝罪した。しかし、王子は何も答えない。ただ、星空を映す湖を見つめたまま、微動だにしなかった。その横顔は、石像のように、あらゆる感情が抜け落ちて見えた。


「王子…?」


「……いや」


 彼は、ようやく、絞り出すような声で言った。


「君の判断は、正しかった。さすがだ。…さすが、だよ」


 その声は、なぜか、ひどく、ひどく、震えていた。


「…城に、戻ろう。もう、体も冷えてしまった」


 その夜、城に戻るまでの道中、王子が再び口を開くことはなかった。

 僕は、王子の期待に応えるべく見事な警戒態勢を示せたことに安堵しながらも、胸の奥に小さな疑問を感じていた。

 王子は、なぜあんなにも、泣きそうな顔をしていたのだろうか…?

 僕が、王子の人生を賭けた告白と口づけを、完璧な索敵任務と勘違いして台無しにしてしまったことなど、この時の僕は、まだ知る由もなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ムズキュンエピソード集、いかがでしたか?

あのグレンがこんなに奥手な時代もあったと想像するとムズムズします(笑)

生成時は何故かグレンを殿下呼びになったり、ジェシカが王子と話している時も僕と言っていたり(素→僕、グレンと話す時→私)その辺は微調整しています。

そのうち自分でも何かムズキュン書いてみるかな(笑)



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