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二〇二四年四月二十八日日曜日 午後十三時四十七分

 率直に言うと、先生が明かした心配や不安は至極もっともなことだった。

 そもそも先生の立場を考えれば、もっと厳しい言い方で諭すこともできただろう。私の立ち位置に何かしら思うところがあったのだろうか。気遣う言葉の数々は、ひとりの大人として──あるいは教職に携わる者として、ひとりの子どもの未来を憂う感情に溢れていたのが分かる。

 しかし、同盟相手としてまず考慮するのは「相手が本当に約束を守るのかどうか」や「相手が裏切るかどうか」のはずだ。今までの会話内容から、もはや物騒な事件が多発するのは避けられない未来らしい。今回の一件で明確に命を危険に晒したことで、嫌というほど事の状況を理解させられた。

 薄々、安請け合いできるほど単純な仕事ではないとは思っていた。扱う仕事道具(もの)魔法(もの)なだけに、今では死と隣り合わせどころか棺桶に片足を突っ込んでいる状態で生活しているのだ。ぶっちゃけ、そんなことを長々と続けていればいつ死んでもおかしくはないだろう。命を狙われる危険性が高いと言われてしまえば、なおさらである。

 要するに、死だの殺人だの謀略だのが一年後には日常になること自体が問題ではないのだ。



(……もう途中から尋問というより、進路面談めいてきたな……)



 ここで慎重になるべきは身の振り方だけに限らない。先生たちが今一番求めているものは、私の──次世代の『夢死』の魔女の誓いである。

 つまるところ、これは誰にも邪魔されることのない抜き打ちの個人面談。嘘も見栄も先延ばしも掻き捨てた、今後の未来を見据えた秘密の会合。文字面だけで吐き気を催す緊張感が身体の隅々を支配していくのを肌で感じる。

 まんまと油断して完全に裏をかかれた。というのも、まだ先の話だと見通しの甘いことを考えていた挙句、先生の疑問に対して今日まで何も準備してこなかったからである。

 しかも、この状況ではぐらかすなどという愚行は絶対に不可能だ。



(元より『答えない』を選んだ瞬間、私は先生に見限られる)



 見限られるだけならまだいい。問題なのは、私が部外者だと判断されたら、これまでやってきたことのすべてがなかったことにされるかもしれないことだ。

 それはつまり──祖父が見せてくれた魔法も、ヤマトと過ごした時間も、地下の隠し部屋を見つけた驚きも、祖母とのやり取りも、姉の胸中も、織姫と家族になれた喜びも、魔術を覚えた楽しさも、空を飛んだときの風の心地よさも、相良さんとの出会いも、瑛ちゃんとの約束も、有島さんの想いも、タシへの心残りも、先生との決闘も──今までで知ってきた何もかもを、失ってしまうこと。



(……確かに、辛い思いだってしたよ。苦しんで、悲しんで、怖い思いだってした)



 だとしても──あれもこれも、あの日私が魔法を知らなければ出会えなかった、私だけの思い出だ。



(でも、辛いからって理由だけで投げ出すなんて、そのとき経験してきた感情全部を否定するようなもんじゃんか……)



 その否定は、ただ身を切られるよりもずっと辛く、虚しいことではないか。

 何より、今まで出会った人々との出会いと別れがすべて無駄なことだったと、みんなの人生を侮辱するようなものではないか。



(……そんなことで、なかったことにしてたまるか)



 責任が重いから、何だというのだ。期待されているから、何だ。

 そんなもの──家族の、友達の、仲間の記憶を、すべてを失くすことに比べたら罰にさえならない。辛いことをするくらいなら何も残さない方がいいなどと、そんな都合が良すぎる頭の悪い考えが一瞬でもよぎったことに恥じ入るべきだ。

 身のほどを弁えない傲慢に、馬鹿馬鹿しい自惚れに、人としての愚かさに──息が、詰まりそうだ。



(嫌だ)



 それだけは、絶対に嫌だ。

 ただ自分が楽になりたいだけの現実逃避、その果ての忘却への強い嫌悪感が、頭の中を渦巻いている。



(……っまた……?)



 頭の奥のどこかに、針を刺すような鋭い痛みを覚える。

 いつもそうだ。──私は何か、大切なことを忘れている気がする。



(……)



 だとしても、もう逃げ道には振り返らない。



(壁があったって、もう逃げたりなんかしない)



 最初に立ちはだかったのは、覚悟という名の第一の壁。実力、資格を証明した上で「一般人でも立ち向かえる」と認められる必要があった。

 次にのしかかるものは、重圧という名の第二の壁。責任、期待がどこまでも付き纏う、何をもって終わりとするのかも分からない、見えないくせにそこにある忌まわしい壁だ。

 これは、ただ戦って勝つのとは訳が違う。おそらく、一生かけても向き合わなければならない呪いのようなものだ。もしかすると、この壁だけは私の前から消えることはないのかもしれない。透明な壁を壊すこともなく、沼の道を延々と歩かされるだけで終わるかもしれない。

 それでも、と私は思う。



(もう二度と──)



 祖母や織姫を、どこか遠くにいるはずの姉を、もういない家族のことを想う。

 何を選び、どこへ進むにせよ、中途半端が一番駄目な選択だ。今ここで白黒はっきりさせる方が、この先みんなに余計な心配をさせずに済む。



(もう二度と、誰も悲しませたりなんてしない)



 不安も、恐怖もある。今だって何度も足が竦んで、迷って、立ち止まって、悩んで、くよくよして、あっさりと道を見失うとしても。

 それでもなお、あのとき抱いた決意だけは何も変わらない。ならば、やることも何も変わらない。できることを成し、やりたいことをやる。私の人生は、ただそれだけでいい。



(これは誰にも、何にも変えさせない。私が『進んだっていい』と胸を張れる人生(みち)だ)



 ほんの数分前まで嵐のように渦巻いていた恐怖や虚無感は、魔法にかけられたかのように凪いでいた。

 私は、ようやく澄んだ両眼で目の前の人物を見据える。



(大丈夫。彼は信頼できる。言える。ヤマトにも、おばあちゃんにも言えなかったことも、誰にも言ったことないことも、この人ならきっと)



 少なくとも、私の言葉を今か今かと沈黙で待つ彼には──私の本当の思いを、考えていることを伝えるべきだと思える。



「幼い頃に……」



 すると、あれほど動かすのも躊躇われた唇が嘘のように動き出した。



「私が見た魔法は、私ひとりだけの夢ではないことを知ってしまった」



 震えそうな心を叱咤しながら、ただ強気に、前のめりに舌を動かすことに注力する。



「知ってしまったからには、もう戻れない。ううん、戻りたくないんです。知りたくないことを理由にして逃げたくない。私だけ蚊帳の外で、仲間外れで、安全地帯で家族の帰りを待つだけなんて、私にはもうできない」



 これから来る『何か』に怯みそうになりながら、足を踏ん張らせることに集中する。



「ヤマトとの約束をなかったことにしたくない。どこにいるか分からないお姉ちゃんを家に連れて帰りたいし、本当は復讐なんてさせたくない。パパとママを殺した犯人がいるなら捕まえたい。魔導公安機関のこともたくさん知りたい。おじいちゃんが何者だったのかも知りたい。瑛ちゃんに会いに行きたい」


 

 ──「知らないままの過去(じぶん)に戻るなんて、絶対に嫌」だと言ったときの私を、思い出せ。



「私、おじいちゃんがもう永くないって、事前に言われてたんです」


「……」


「私は、同じ目線になって、夢を語れる唯一の人を失ってしまった。……だって、ヤマトは美的感覚論外だし、お姉ちゃんは言わずもがなだし、おばあちゃんは仕事仲間でもあるけど考え方がフラットすぎるというか、ほぼ全肯定で温度差があるし……手芸部の先輩同級生後輩もみんな優しくて、いつも勉強させてもらえてるけど、何かズレを感じて噛み合わなくて。だから、目標を共有できて、惜しみなく夢を語れる人は、私にはおじいちゃんしかいなかったんです」



 私はただ、ひたむきに正直に、噓偽りなく答えようとして──



「そのときの私のやり方が違っただけかもしれないし、運が悪かっただけかもしれない。見つからないんじゃなくて、探してる範囲にいないだけで、だから……」



 ──そして、そこで初めて、もうひとつの望みが横たわっていたことに気づいた。



「わ、私は……無意識、でも……」



 気づいてしまった。だからこそ、正面からひとつの事実を認めることに心は躊躇した。



「……」


「続けて」



 面接官のように淡々とした先生の口調に、私は再度顔を上げる。



「……お、おじいちゃんの……代わりになるような人を、学校に行けば見つけられて、目標に向かって、夢を語り合えるかもって、思って」


 

 そう、ここへきてようやく気づいてしまった。

 私がかつてやろうとしていたことは──あまりに愚かで、身のほどを知らない自分勝手な願望を、見知らぬ理想像の誰かに押しつけようとしているということに。



「わ、私は──」


「分かった。要するに、だ」



 しどろもどろに言葉を重ね続けるだけの私を見かねたのか、先生は軽く制した。



「君が専門学校を希望したのは、ひとりが寂しいから共感できる仲間が欲しかった。そして、研鑽し高め合えるような友達を求めていた。違いないか?」


「そ……」


「……」


「そう、そうです。その通りです……」



 確信を持って押し通されてしまえば、反論の余地もなく。反射で覇気のない返事が飛び出てしまう。

 たった数週間の観察でまんまと煩悩を見抜かれ、恥ずかしいやら情けないやら。この際だからと、私はありのままを白状した。



「本末転倒、ですよね。勉強しに行く、ただそれだけならよかったのに……友達や仲間が欲しいだけなら、それこそ部活とかSNSとか、嘘でも上手く使えればよかった。でも、勇気を持とうとすればするほど……ふとした瞬間、言っちゃいけないことも自然と言っちゃう気がして。それで馬鹿にされたり、拒絶されたり、結局離れていってしまうと思うと途端に怖くなって、動けなかった。望んでいたことなのに、ずっとできなかった」


「……」


「自分勝手に期待して、裏切られる程度で足踏みするくらいなら、いっそひとりのままがいいんじゃないかって……馬鹿馬鹿しいですよね。事情すら知らない人の言葉でいちいち傷ついたって何の意味もないし、得もない。独りが嫌なのに独りがいいって、時々自分でも意味が分からないときがあって。そんなのまるで──」



 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、不可思議な錯覚を覚えた。

 私はなぜ、ここまで他人事のように思えるのだろう。身に覚えのないはずの過去の記憶、掴めるはずのない幻覚──なのに、その存在を否定できない。

 覗き込んだところで、到底すべては見えやしないと分かっていながら。水面のように揺らめいて、奥底までは見通せないもどかしさばかりが、私の背後に立つ。



「頭では、分かってるのに……」


「それでも、君が同志を求めたのは」



 勢いを失って消えていく言葉尻を、先生が捕らえて繋げる。



「君も相手に対して、嘘偽りなく誠実に向き合ってほしいと願っているからでは?」


「──」



 紡がれた先生の推測に、呆然とした私は言葉が出てこなかった。



「先ほど君が話した『身内が本物の魔女という事実』を、第三者が『夢見がちな同級生が語る嘘』だと見なす可能性が高いと危惧した君の感覚は正しい。それを踏まえて、漠然としたアイデンティティへの不安と崩壊するかもしれない恐怖を感じるのも当然だ。なぜなら、君が抱える危惧も不安も恐怖も、周囲の誰にも理解できず共感もできないものだからだ」


「……」


「前提として、君は集団の中でも普通に見えるだけはなく、価値観や倫理観もある程度普通に、真っ当に感じられるよう育てられている。しかし、その出自はお世辞にも普通とは程遠い。物心つく前に両親を亡くし、祖父と慕った人は何百年も生きた魔女、祖母は名目上とはいえ魔女の弟子、姉は警察官であり魔術師、傍らには機械仕掛けの喋る鴉。一から十まで信じろと言われても無理が出る話だ。嘘というには精巧で、真実というには突飛すぎる」


「えっ……と。つ、つまりどういうことですか?」


「つまり、君は最初から魔女としてではなく、どんな未来も選べる普通の人間として育てられてきた。にもかかわらず、君はこれから先の人生、家族以外の人間に死ぬまで秘密を共有することができず、それを承知の上で生活しなければならなくなる」



 先生が語る避けようのない事実に、胸が詰まる思いだった。

 今度こそ何かを言う気力もなくなり、私は黙ったまま先生の言葉の続きを聞く。



「しかし、これは君の願望と相反する歪んだ答えだ。相手に嘘偽りのない関係を望んでおきながら、自分は嘘で気持ちを隠さなければ相手と同じ目線に立つことさえできない。──心当たりのありそうな表情をしているな。さては、すでに『私の家族は本物の魔法使いだ』と言ったか、あるいは『将来は魔法使いになりたい』と豪語して、心無い誰かに嘘だ変だと笑われたり馬鹿にされたりして、コミュニティに対する孤独を経験したことがあるのでは?」


「……」


「──真実はさておき。今打ち明けてくれた君の願望は、君が秘密を共有している家族の中で育んできた価値観が大きく反映されている。普通に生きるためにそれを否定することは、今の君にも、そして未来の君にも酷なことだと私は思う。現代社会において、君の願望に寄り添うためには秘匿すべき機密事項が多すぎるからだ。誰にも責めようがない嘘に君が良心を痛めるのも無理はない」



 何でもないような顔をしながら知った風な口で喋り倒す先生は、マグロ解体ショーのごとく私の吐露を綺麗に切り分けて懇切丁寧に説明してくれた。

 ──誰がそこまで言えと言ったのか。否定できないがゆえに悔しい。反論の言葉がまったく出てこなかった。

 物語の終盤で名探偵の推理に追い詰められる犯人の心境とは、得てしてこういうものなのだろうか。ここまで私に寄り添う姿勢で論理的に詰められるといっそ泣きたくもなる。



「……ふむ、現状の悩みはこんなところか。一般人ともなると悩みや不安もまた異なるものだと身構えて、将来的なリスクを述べたが──その様子を見るに、未知の恐怖と苦痛をもってしても君の芯は変わらないようだ」



 なかったことにしようと思えば──できる自信は、ある。私はただの人間で、神でもなければ仏でもない。忘れなければやっていけないことも世の中にはあるだろう。

 やろうと思えば、人にできないことはないと思っている。けれど、すべてを忘れるには犠牲が大きすぎる。



(それができる強さを、私は求めたくない)



 私はその犠牲を、なかったことにしようとした後悔を、すべてを捨てられるほど強くはないのだ。



「それでも、と君が言うのであれば。君の心からの願いに、夢に嘘偽りはなく、誰にも何にも変えられないのだと証明したければ──返答を、聞こうか」



 親身ながらもどこか一線を引いた態度を最後まで貫き、先生は今度こそ口を噤んだ。

 私も先生に倣い、黙って目を閉じる。かつて忠告してくれた大人たちとのやり取りに思いを馳せた。


 これからのことは自分の意志で決めた方がいい、と相良さんは言った。

 祖父の思いに、祖母との契約に逆らってもいい、と有島さんは言った。

 先生の言葉は、これらの中の優しい逃げ道のひとつであったと同時に、私への──『夢死』の魔女の正式な弟子入りを受けるか拒むかの最後通告でもあった。


 私は、いつかの星を見上げるように思い出す。


 ひとつの使命を自分で終わらせようと、立ち上がり続ける人を想う。

 ひとつの使命を友への手向けと受け入れ、今も旅を続ける人を想う。

 ひとつの使命から逃げ出して、それでもなお立ち向かった人を想う。


 いずれの覚悟や選択も貴賤はなく、私には人生の先輩たちが自ら強く輝く光そのもののように見えた。



(必要なものは、この手で揃えてきた。あとは──)



 私の中の猶予期間(モラトリアム)は終わりを告げた。

 どちらの道を選んだとしても、何かしらの害は発生するだろう。だとすれば、何を選ぶべきかなんて言うまでもない。たとえ壁にぶつかって沈んで溺れたとしても、藻掻くように足掻く方法を私は知っている。この身を焼くような苦難は避けられなくとも、その痛みを和らげる手段を私は知っている。十三年間、その手段を教え続けられてきたはずだ。

 そんな私が今、やりたいこと。その答えは──











「私は、『Ma1-10Ro13a』を守りたい。そのためなら、本物の魔女にでも何にでもなってやりますよ」



 ──できることを増やして、未来への展望を目指すこと。

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