二〇二四年四月二十八日日曜日 午後十三時四十分
「『夢死』の魔法を君に継承する話が出てきたとき、肯定派否定派問わず多くが疑問視したのが『事情を知らされていない、一般人とさほど変わらない人間に魔女の使命が務まるのか』だった。私としてはこの疑問に関して特別問題視はしていない。例外ではあるがサンプルケースがあるからな」
「サンプルケース?」
「相良紬だ。君はすでに彼とは顔合わせをしていたのだったか?」
「! はい」
相良さんの名前が出た瞬間、私は気を新たに身を正す。
「君ほどではないが、彼の継承問題は……当時の記録を見るかぎり、かなり揉めたらしい」
「そう、だったんですか」
「当時、魔導公安機関を訪れた相良紬は、中学校を卒業して日が浅い十五歳の少年だった。マダム・クローズが直接彼を迎えに行ってその後、こちらの都合に巻き込んだ詫びの代わりに魔法を返却するよう迫った。しかし彼は何を言っても要求をすべて拒否し、『自分が魔女の後継になる』と言ってただ頑なだった、と」
「……」
「彼の名誉のために補足するが、結果的にその頑なさ、口の堅さ、義理堅さが後継と認める決め手になったそうだ。もちろん周囲の同意も得た上で、だ。我々も含め、ほとんどの構成員は当時幼かった彼の勇気と判断に感謝している。もし彼がいなければ、戦力の一角を失うばかりか、魔導公安機関の歴史の一部は確実に変わっていただろうからな。彼がそこにいたという幸運は、先代だけでなく我々をも救った。感謝してもしきれないほどの幸運だよ」
──相良さんが魔女になった経緯は、偶然以外の何物でもない。たまたま瀕死の魔女を見つけて、助けようとして、そばに誰もいなかったから魔法を託された。当時、まだ四歳の幼児だった相良さんに。
それが時を越えて、赤の他人に今さら「魔法を返せ」と告げられた相良さんは、何を思っていたのだろう。十一年も経っていれば、葛藤も後悔もあったに違いない。それでも彼は、自分の手で決着をつけるという選択を貫いた。
そして、彼は今も戦い続けている。
(……じゃあ、私は?)
相良さんは死にたくなるほどの後悔に苛まれようと、正義感と責任を持って魔女になることを決意した。先生は少年期での迷いを乗り越え、熱意と家業への誇りをもって『夢死』の魔法を守ろうと固持した。
けれど、私は──
「彼については事情が事情なので、詳しいことはまた追々話すとして──それよりも、だ。君がついこの間まで魔女として、魔術師として教育されていないことを知ったとき、私が憂慮したのは君の将来についてだった」
「……」
「さほど意外な話でもないだろう。……悲しいことに私の性分なので、知ったからには本人に再確認しておきたいだけだ。大事なことだ、君が嫌でも付き合ってもらう」
先生はカフェラテを呷って、さらに続けた。
「ミセス紅からこれまでの経緯はすべて聞いた。魔術を修得しはじめておよそ三ヶ月、よく実戦で最低限の力量かつ最大限の結果が出せたものだと感心している。『夢死』の魔法の成せる業だ」
「はあ」
「マダム・クローズの遺言書のおかげで、君の修行期間が一年前倒しになったのも幸運だった。君も知っている通り、今年は異常事態が多発する年になる。さらに言えば次の年から、停滞していた多くの敵勢力が動き出すだろう」
「敵、ですか」
あまりに非現実的で冷ややかな単語が、無意味に口を滑る。
「ああ。一番の問題は──そのとき、我々は君個人の望みを優先させる選択肢を選べないことだ」
先生の口から放たれた宣告に、私は言葉に詰まる思いをしながらも黙って耳を傾けた。
「一年後の君は、感情のまま泣いたり落ち込んだりする暇もないくらい忙しくなる時間を過ごすことになるかもしれない。君もその目で見て話を聞いたと思うが、魔女のせいで人生を狂わされた人間もいれば、魔女によって命を救われた人間も確かに存在する。時と場合によっては手強い敵に、あるいは心強い味方になるだろう。敵味方が誰であれ、君はこれからの人生、これまでとは比較にならないほど大勢の誰かに巡り合うことになる。──同時に、人に出会うということは、その数だけ命の危険が付き纏うことを意味する」
「……!」
「魔法とは死の呪いそのものであり、多くの人類が夢見るような愛らしい代物ではない。だからこそ、その力を欲しいがために、手段を問わず力づくで奪いに来る者も少なくない。『夢死』の魔法はその中でも筆頭だ。──つまり、我々の中で一番に狙われるとしたら、それは君だ」
「っ……」
「魔女も魔術師も、騙し騙されが当たり前。妬み嫉みが実情、疑心暗鬼は日常。下手を打てば、疑似的な不老不死である魔女でさえ、何度も死に目に遭う。お世辞にも、つい最近まで一般人だった人間に向いた仕事とは言えない。願望と現実のミスマッチは誰しもに起こりうることだ。……多くの構成員が危惧する点は、君にも理解できるものだと信じている」
いっそのこと、脅しだと断言してほしかった。
今頃の一年後には起こるであろう恐怖や苦痛、聞いているだけでも心が折れそうになるような現実を、整然と並べ立てるように先生は述べる。
「……では、改めて君に問おう。これから先の未来、体を蝕まれ、精神を苛まれてなお──君は、ひとりの魔女として使命を果たすと誓えるか? 我々の悲願達成まで、最後まで戦ってくれるか?」
先生はテーブルの上で軽く両手を組み、熱を孕んだ声音でそう問いかけた。
「──我々が欲しいのは、君の揺るがない意志を持った答えだ」
「……」
易々と口を開くことが憚られる、切実な要求だった。
魔導公安機関に関わる人間が実際どれほど存在しているのか、私は未だその全容を知らない。けれど、顔も名前も知らない彼彼女たちが未来を不安に思う気持ちだけは、痛いほど理解できる。
祖父は死んだ。きっとおそらく、祖父の手によって救われた人もいるのだろう。魔導公安機関の歴史、その一角を担う魔女を──あるいは、心の支えでもあった魔女を喪った人々の心境を思うと、『夢死』の魔法の重みが増してくる。
『適当にできて気負わないヤツの方が向いてる』などと言い切った祖母は何を思って──と逡巡するものの、祖母の予想通りか否か、今の私は気負ってしまっている。先生たちの話を聞いてから、必要以上に。
むしろ、あんな話を聞かされて今まで通りでいられる人間がいたらぜひともお目にかかりたいものだ。その人は心臓が鋼鉄でできたライオンハートの持ち主に違いない。
(……だからって、今さら……)
自分で決めたはずだ。ここは自信を持って答えるべきだ。後悔なんて今さらすぎる。だからこそ、付いて回る責任が私の首を絞めて、言葉が口を突いて出てこない。
そもそも、先生の話を聞いたから何だというのか。もし、事前に事情のすべてを知っていて、なおかつ納得して『夢死』の魔法を快く明け渡すことができたかどうかも、今となってはかなり怪しい。それこそ今さらなたられば話だ。
けれど、そんなことは第三者からすれば何の関係もないことで──それは、私の我が儘にすぎない願いでしかない。
自分の我が儘を、身勝手さを貫いた結果、私以外の誰かに迷惑をかけているとしたら、話はまったく別だ。私は祖父の代わりに、もしくはそれ以上の存在として、何かを成せると断言できるほど自惚れることはできない。ましてや次代の魔女など、ただの高校生として生きてきた私に何をどうしろというのか。
──顔も名前も知らない、誰かの期待に応えること。これまでの人生経験が役に立つとは思えないほどの絶望的な重圧が、今頃になって背筋を伝う。
(今さら……)
地震が起きたわけでもないのに、足元がぐらついたような錯覚を覚える。
『夢死』の魔法を譲る気はない。しかし今、自分がどんな顔をしてここにいるのかも定かではない。せっかく手にした決意と覚悟が霞と消えていくかのような虚無感に、軽く眩暈がする。
汗をかいたアイスコーヒーを見つめながら黙り込んでいると、見かねた先生が視界の端で腕を組むのが見えた。
「……ここから先は、私の独り言として黙って聞き流していい」
「?」
「今から当たり前のことを言う。──私は大人で、君は子どもだ」
「……? ?」
突然当たり前のことを言い出した先生に置き去りにされながら、先生は言う。
「今なら、まだ引き返せる。嫌なら逃げてもいい」
「……!?」
「念のため言っておくが、これは君に魔法を手放してほしくて言っているわけではない。なので、変に勘繰って思い違いをしないように」
そんな前置きを入れて、先生はさらに続ける。
「今日ここに至るまでの君の言葉や行動を嘘偽りだとは思わない。だからこそだ。ここにいる理由を、その意味を、大切な家族への情や未練で縛られていると感じるのであれば、それに従う必要性はまったくもって、ない。元より、夢を叶えようとするのは勇気が必要なことであり──夢を諦めるのも、ひとつの選択だ。進む道はひとつきりではない。これから先の未来、何をしたいかは君が好きに決めていい。それは、見ず知らずの大人が決めていいことではないからだ」
既視感を感じられる光景に、まっすぐすぎるほど真摯な言葉に、私はすっかり頭をやられて言葉を失った。
「大人は子どもを守らなければならない。師は弟子を大切にする義務がある。それは、自分が辿り着けなかった夢や目標を後世へ託すことでもある。──そう教わって、私はそれを高潔だと信じて行動することを心がけている。方法の良し悪しが何であれ、後継を大事とするのはどこも同じだ」
「……」
「ゆえに、子どもの将来や夢は自由であるべきだ。成し遂げようとする分責任がついて回るだろうが、そこは大人がフォローしてやればいいと思っている。私は絶滅寸前の魔女のひとりであると同時に、曲がりなりにも教師のひとりだ。私のできる範囲でよければフォローはする。だから、その……そんなに不安そうな顔をしなくていい。別に脅すつもりはなかった。あくまで可能性の話をしただけだ。進路の保障は確約できないが、最悪の事態を避けるためなら力は惜しまない」
暗鬱とした空気に少し気まずそうにしながらも、私のためにと言葉を重ねてくれた先生の気遣いが余計に申し訳なさを加速させる。
どうやら、今の私は先生が見かねるほど沈痛な面持ちでいるらしい。あれだけ先生に大口叩いておきながらいざとなって尻込みしたなど、なんとも情けない話である。
先生の言う通りだ。何のためにヤマトが命がけで私を助けてくれたのか──最悪の事態だけは起こさないためだ。
(本当に今さら──後悔なんて、何を選んだってどうせ後悔するくせに!)
進路の件は、遅かれ早かれ祖母には打ち明ける予定だった。
こればかりはどうしようもない。私の考えも、そのときになって伝えればいいと思っていた。けれど、やはり私の考えは甘かった。先生に面と向かって言われて、恥ずかしくなるくらい痛感する。
そのときでは遅い。今、ここで心に決めなければいけない。そうでなければ私は、これから何をしても、どこへ行こうと、一生中途半端なままだ。
「……それでも」
「?」
「それでもと、君の意志を貫ける何かがあるなら、この際何だっていい。命を懸けてもいいと思えるほど譲りたくないものがあるなら、何をされようと絶対に誰にも譲るな。あの夜、君が私に啖呵を切って見せたようにすればいい。無理は、押し通してしまいさえすれば道理が通るものだ」
「だから、君に聞こう。──今、君が何を考えてここにいるのか、私は知りたい」




