二〇二四年四月二十八日日曜日 午後十三時十八分
「──お察しの通り、その些細な気遣いによる作戦は大失敗に終わった。……まさか、たかがカクテル一杯で人格が一変するほど泥酔するとは思わなくて……」
「先生、知らなかったんですね。お姉ちゃん死ぬほどお酒弱いのに……」
「現代の日本人は比較的アルコールに耐性がないとは聞いていたが、あそこまでとは。加えて泣き上戸ときてな。君なら当時の現場が容易に想像できるだろう」
「うわあ悲惨」
自らの判断の失敗に嘆きを隠さない先生につられて、私の頬も引き攣る。
ちなみに、姉のアルコール耐性はせいぜい三パーセントが限界値だ。よほど浮かれているとき以外、姉がアルコール類に手を出すことはない。
当時の状況は頭痛を錯覚するほどしっかり把握した。先生は本当に素晴らしいタイミングで『夢死』の魔法の詳細を聞き出そうとして、見事姉のアルコール耐性のなさを見誤り、しかもこの様子からして大した情報を引き出せなかったらしい。
緊急時における冷静な判断力やみみっちい計画性とは裏腹に、不確定要素と運にとことんまでそっぽを向かれる星の下に生まれたようだ。あと一歩というところで計画ご破算という、RPGのラスボスも真っ青の悪夢にも等しい運命に翻弄されるなど、さすがに同情を禁じ得ない。
「茉穂を宥めるのに二時間かけてようやく祖父母の話に移ったところまではよかったんだ。しかし、一向に魔法に関する話題が出てこないまま、さらに一時間経過したとき……」
「?」
「その……彼女を宥めるまでにこちらも無駄に酒が回っていたので、我慢の限界で魔が差して……」
これ以上ないほど口ごもる先生は、意を決してさらに続けた。
「……暗示の、魔眼を使ってしまった」
「暗示?」
──魔眼、あるいは邪眼。悪意ある視線。魔術における広義では、一瞥しただけで魔術を引き起こす魔術的器官。現在の人類において唯一、詠唱を必要としない呪いそのもの。
最も古い記録は紀元前三千年頃まで遡る。人々は悪意をもって不幸をもたらす邪視を恐れ、あらゆる対抗手段を講じた。例えば、古代エジプト人は目や口に入り込むのを防ぐために口紅やアイシャドウなどの化粧を施して身を守ろうとしたという。こうした魔眼に関する民間信仰や迷信は世界各地で言及されており、現在でも根強く残っている地域があるそうだ。
先天的にしろ後天的にしろ、発現する魔眼ひとつに付き授かる力もひとつきり。魔眼にもさまざまな種類があり、病気や不幸をもたらすのみならず、最たるものは見ただけで人を殺すという。一応、歴史的かつ伝統的な標準は、周囲に不幸や災害をもたらす「凶眼」と呼ばれる魔眼らしい。
(……あのとき、バタバタしてて結局聞けなかったけど、もしかしたら瑛ちゃんが持ってる魔眼って……)
話の途中、ふと瑛ちゃんのことが頭をよぎったが、ひとまず隅に置いて続きを聞く。
魔眼には『色相階梯』という規定があり、保持する魔眼の色によってある程度魔眼の強弱が判明するそうだ。光の三原色でお馴染みの赤・緑・青を中心に黄、橙、黄緑、藍、紫──例を挙げると枚挙に暇がなさそうなので割愛しよう。色相階梯で重要なのは、魔眼の中でも最も明るく輝くとされる神域の色こそが、魔眼の最高峰とされている。
『視る』という、生物が生み出した最古の魔法。だからこそより強く、より洗練された魔眼が讃えられるのだそうな。
さりとて、どれほど強力な魔術であろうと視線の力。身近な脅威ほど必然、対抗策もいくつか生じる。「魔眼除け」と呼ばれる魔眼対策専用のアイテムがあれば、およそほとんどの魔眼からある程度は身を守れるそうだ。
では、これらの情報を踏まえると先生が保持する魔眼はいかなるものか。
──先生曰く。暗示とは、つまるところ催眠術の究極だという。
催眠とは、相手にかけるものではなく、かけられる相手自身に補完させて初めて成立する。「暗示を強制させる」と言えば尋問や自白に最適で便利そうに聞こえるものだが、当事者の先生にしてみると理想ほど使い勝手のよいものではなかったらしい。
第一に対象が生物のみに限定され、第二に暗示にかかりやすいものとそうでないものに篩がかけられる。第三に、性能が相手の精神的脆弱性にアプローチする魔眼なので、相手や状況、相性次第では何の役にも立たないお飾りと化す。魔術的抵抗を持たない一般人ならまだしも、魔女や魔術師に対してはよほど有利な状況でないかぎり、効果を示すことはあまりないそうだ。
──以上の事実から、姉と先生の間に何が起こったかというと、こういうことである。
「──要するに。先生は酔っ払ったお姉ちゃんに暗示をかけて話を聞き出したはいいものの、最終的に乙女の秘密を丸々すっぱ抜いただけで欲しい情報はまったく得られず、骨折り損のくたびれ儲けに終わり現在に至る……と」
魔眼の種類からその強さまでの説明や補足を長々と受けた上で、先天的に得た魔眼が大して使い物にならない悲劇を淡々と伝えられ、ここまでしてなお目的達成ならず、肝心の結果は踏んだり蹴ったりときた。
まさに心中お察し案件。姉は無意味な赤っ恥をかいただけで済んだらしいが、私が先生の立場なら布団の中で泣いて暴れながら夜を明かしたことだろう。
しかしながら、同情は同情、事実は事実だ。
「先生、最低」
泣きっ面に毒蜂も辞さない先生の不遇っぷりと事の顛末に、せめてもの情けとして私はトドメの言葉を添える。
「……言われずとも十分理解している。これに関しては存分に貶してくれていい。姉の方とはもう関係の修復は望めないし、今さら望んでもいない」
「いやいや冗談ですって、真に受けないで先生! すでに終わったことに部外者が今さら首突っ込めませんって!」
表面上は無表情を装うとしても、私の言葉でまた沈みかけている先生に慌ててフォローした。
「別に気を遣う必要はない。アルコールのせいで記憶が残らない相手を自分の目的のために利用した自覚はある。思う存分罵詈雑言を浴びせてくれて構わない。場所を変えるか?」
「遣ってませんし変えませんってば。こればっかりは本人同士のあれこれもあるし、確かに先生も悪いけどお姉ちゃんへの悪意が目的でこうなったわけじゃないし! それにお酒弱いって分かっててまんまと情報すっぱ抜かれる現役警察官も大分迂闊だと思うし……! あとなんかお姉ちゃんが長々とすみませんでしたっ!」
「君が謝る必要はない。それに、あのときの彼女の立場や心境を思えば……あまり力になってやれなかったことが心残りだ」
不意に飛び出してきた姉の痴態エピソードに妹としては思うところもあるが、ひとまず棚に上げておく。
確かに、意識のない相手──ましてや仲間内から正当とは言えない手段で情報を聞き出そうとするのは心の底から良くないと思う。加えてこの一件に懲りず、私に対しては強制睡眠という有り様。
祖父がどう思うかはともかく、祖母が怒髪天を衝く勢いだったのも今なら納得だ。
(事情が事情だし、先生には真面目に信用回復してもらうしかないんだろうけど……お姉ちゃんとおばあちゃんがどこまで許容してるかが問題かも……?)
ここへきて先生のやらかしたことを批難したいのか庇いたいのか、自分でも言っていてよく分からなくなってきた。
しかし、このままでは祖母からの信用も地に墜ちたままマントルを突き抜けそうである。覚悟の上での決闘だったとはいえ、今後のことを考えると祖母と先生の関係性が悪化して良いわけもあるまい。
この現状に何かできやしないかと私が唸っていると、先生はなぜか少しだけ口角を上げていた。
「……先生?」
「いや、何でもない」
「何でもないことはないでしょ、何笑ってんですか。こっちはあなたたちの今後のこと真剣に考えてるのに」
「誤解するな、今までの君が言っていたことを思い返していたんだ。誓って馬鹿にするつもりはない。ただ……」
言葉の途中、私は先生と目が合う。
「……マダム・クローズが君を選んだ理由をようやく理解した。それだけだ」
そう言って、先生はほぼ砂糖の塊と化したであろうカフェラテを呷った。




