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二〇二四年四月二十八日日曜日 午後十三時十分

 先生は反芻すると、少し考え込んだ後になぜか顔をしかめた。



「馬鹿にしているのか? 『縁』という日本語を知らないほど私は無知なわけではないぞ?」


「まあ、縁は縁でも合縁奇縁の類いですが」


「……確認させてほしい。それは良縁、悪縁と何が違う?」



 どうやら慣れない単語で余計混乱させてしまったらしい。ここはひとつ──



「そんな重く考えないでいいですよ? ひとまず聞いてくれればいいんです」



 ──これは、私にとって幸か不幸か判別できない、ただの自惚れなのだが。

 私の短い人生のうち、今まで明確な『敵』というものは存在しなかった。



「嬉しかったんですよ。先生の夢が『おじいちゃんみたいな魔法使いになりたい』って聞いたとき、その、月並みな言葉かもしれないけど……運命だって思ったんです。生まれて初めて、私と同じ夢を見る人に出会えたから」



 人生という道を歩いていくと、道中で必然的に壁や障害が現れることがある。

 この時代において、何に優れ何に劣るかは人類の数だけ千差万別だ。現代社会という秩序の中で生きていくためにも、価値は単純な物差しで計るべきものではない。努力が足りなければさらに努力を重ねるし、努力でどうにもならなければまったく別の方向から学んで解決すればいい。

 しかし、悲しいことに世界も社会も不公平で不平等にできている。正しい者が正しいことをしても報われるとは限らない、誰が解決できるかも分からないまま放置される矛盾の世界を、我々は生きている。標準と呼ばれるこれらのものに一方は救われるが、一方は苦しめられる。


 つまり、矛盾を体現したままの世界では、誰もが平等に幸福になるような平坦な道は絶対に与えられないのだ。


 世間一般では、方法があれば乗り越えられること──あるいは、方法があってもなくても乗り越えられないものを壁や障害と呼んだりするらしい。しかし、私にとっての他者は壁でも障害でもなんでもなかった。

 どこまでいっても他者は他者だ。壁や障害などではない。ただそこに生きているだけの隣人だ。壁でもなければ障害でもない、いざというときはきちんと協力し合える存在だ。だから、私の認識の中に『敵』もしくは『敵と呼ぶに値する存在』はいなかった。

 ──『先生』が現れるまでは、そう思い込んでいただけとは知りもしないで。



「けど同時に『こいつにはだけは絶対に負けたくない。何をしてでも勝たなくちゃいけない』って思った。『自分の力を認めさせなきゃいけないんだ』って直感した。突然危険地帯に放り出されて生存本能を刺激されたというか……自分の命や夢が誰かに脅かされたことで初めて、今までの自分がどれだけ恵まれていたかってことに、気づいたんです」



 今までの経験では考えられなかった行動。今までの自分では絶対にしなかった言動。他者がいて初めて発露される、目が覚めるほど強烈な目的意識の具現。

 越えられるのではなく、どうしても越えたい壁。排除するのではなく、誰よりも理解させたい障害。それは、まさに──



「もっと早く会いたかったのは、先生が私のライバルになってくれたかもしれなかったからです」



 ──世間一般でいうところの、好敵手(ライバル)

 湧き上がるものは憎悪ではなく、ましてや親愛でもない。踏み出す方向を間違えれば最後、漠然とした危機感と焦燥に苛まれそうな不可思議な感情の奔流(ほんりゅう)

 分かっていることは「私が諦めたら何かが終わってしまう」ことだけ。相手が自分より強いと理解しているからこそ、何もかもを譲れないのだ。



「それと、さっき先生に早とちりって言っちゃったけど、よく考えたら私もそうだったなって思って。意思を無視して強制されたとかならともかく、全部そのときの私が決めたことだから、私には決断した責任を取る必要があるんです。だから、私は先生を責めないし憎みもしません」


「──」


「あ、また同じことをするようなら今度こそ絶対許しませんけどね!」


「え、ああ。理解はしているが……」


「だから、そこまで気に病む必要はないんですよ先生。だって、お詫びとか償いとか謝罪って、お互いに受け入れる覚悟がないと成立しないと思うから」



 すると何か思い当たったのか、先生は口元に左手を添えたまま押し黙ってしまった。



「腹は切るものじゃなくて括るもの。自分の意志で選択した以上、覚悟は決めました。誰もが羨む魔法を受け継ぐことに相応の責任が伴うって言うなら──私に、手放す気はありません」



 あの夜、決闘で互いに感じたものが何であれ。これまでに至った経緯を聞かされた以上、とてもではないが彼を責める気にはなれなかった。

 これだけ言葉を交わしてもなお、十分な相互理解には程遠い。それでも、私が言いたいことはほとんど言いきった。私の言葉が額面通りに伝わり、先生が正しく理解してくれていることを祈ろう。



(それにしても……)



 私はストローに口を付けると同時に、目の前の男性を見やる。

 あの夜見せた魔女を彷彿とさせる気迫は見る影もなく、今や悟りを得た賢者のような静謐さを纏った心持ちが見られる。初対面の挨拶のときのような、人を不用意に近づけさせないどこか棘のある雰囲気もない。不思議だ、これではただ人見知りなだけの文系美青年にしか見えないではないか。魔女として養育されたとしても、やはり人間は人間ということなのだろう。また少し先生に対する親近感が湧いた。



「そういえば! 私としてはおじいちゃんとおばあちゃんの知り合いならもっと早くに知りたかったです。なんで今まで会いに来てくれなかったんですか?」



 ここで選手交代だ。私はあの夜から考えていた疑問をぶつけてみることにする。



「いや、それは……」


「今さら出禁がどうとかは言い訳にはなりませんよ。ここまできたら隠しても意味はないと思いますけど……別に、嫌なら言わなくてもいいですよ。単純に気になっただけなので」


「……誰も嫌とは言っていないだろう。分かった、そこまで言うなら教える。本題はその後だ。いいか?」



 私が肯定すると、先生は温かいカフェラテに砂糖を入れながら続けた。



「──前提として、この件に『契約』は関与していない。君には言い訳に聞こえるかもしれないが……マダム・クローズから直接告げられるまで、茉穂に妹がいるなんて誰も知らなかったんだ」


「え? そうだったんですか?」



 先生が明かした意外な新事実に、私は驚きの声を上げる。



「それまでは誰もが、茉穂に兄弟姉妹の類いはいないと思い込んでいた。妹のことを茉穂にも確認したとき、話題にも挙げないほど不仲なのではと邪推したこともあるが、どうやらそうではないらしい。だから不思議なんだ。第三者から見れば、君たち姉妹にはどこか違和感というか……緊張感を覚えずにはいられない」


「……」



 先生からの思わぬ指摘に、何とも言えず言葉が詰まる。

 意外──というものでもない。姉の性格を考慮すれば、身内についてなど特に喋らなさそうな話題の筆頭である。亡くなった両親のことを思えば、必要以上に相手を警戒するのも無理はないだろう。

 むしろ意外なのは、人様から私と姉の関係性について言及されたことだ。

 先生の指摘通り、姉とは不仲なわけではない。これは年が離れているからなどという理由とは何の関係もないことだ。提供する話題が合わないだけではなく、味覚、趣味、嗜好、得意分野に至るまで、同じ家で育ったとは思えないほど共通する事柄が少ないだけで、誓って不仲ではない。実の姉が生活感皆無の黒髪美女で成績優秀で元剣道部で魔術師で今や復讐の鬼と化した現役警察官だからといって、近寄りがたいだとか緊張感が漂うだとかで不仲説が浮上するなど、まったくもって言語道断である。姉は外面が非常に強固な完璧超人なのであって、鋼鉄の鎧並みに隙がないせいで誤解されやすいだけなのだ。家にいるときの姉の別人を疑うほどのだらしなさは、妹の私がよく知っている。


 姉とは人生の手本であり、ある種の憧れがあり、ああはなれないという嫉妬であり、その他諸々の感情が詰まった存在なのだ。


 この複雑な姉妹間をなんて説明すれば理解してもらえるか逡巡している間に、気づけば三つ、四つと砂糖の包みを破り続けながら先生が言う。



「私が君の存在を知ったのは三年前だ。私だけではなく、その場にいた全員が寝耳に水な事態を痛感したよ。さらにその後、私は茉穂との一件により呪いを施されて、君に近づく理由が減ってしまい現在に至るというわけだ。これで納得したか?」


「それは、はい。分かりました。なんかすみません……」


「謝る必要はない。私も……君のような理解者にもっと早く出会えていれば、十年前より楽しい青春時代を送れていただろうと思う」


「またまた~日本語が上手けりゃお世辞もお上手なことで」


「それは褒めているのか?」



 五つ、六つとカフェラテに砂糖を入れる手が止まらない先生は、さらに続ける。



「……私の目的は後にも先にも『夢死』の魔法だけ、だった。茉穂に近づいたのは、マダム・クローズの直系の親族なら私の知りえない情報を持っているかもしれないと推測したからだ。──しかし、偏見で凝り固まった情報ほどアテにならないものはない。現に、私は君の決死の嘘にまんまと騙され驕りに油断をして、結果的に個人的な服従の誓いを結ぶに至ったからな。まったく、君は顔に似合わず大した勝負師だ。正直なところ、見抜けなかったことが悔しいよ」


「だ、騙されたのはこっちもですしお互い様では!? 嘘に関してはイエス正当防衛ノー加害者を主張します!」


「それを言うのであれば、こちらは被害者か? 君には到底知る由もないだろう。我々がどんな思いで十年を、はては数百年も神経を擦り減らしながらありもしない機会を願い続け、今まで生きてきたか。マダム・クローズが『夢死』の魔法を巡る諍いを知らないはずはなかったというのに、結局はこうなった」



 七つ目の砂糖を投入したところで、先生はカフェラテをスプーンでかき混ぜながら、視線を落とす。



「……今となっては、我々は彼女の真意を知ることすら許されないんだ。私としては、決闘に負けたこと以上にこれほど悔しいことはない」


「そ、れは……」


「ああ、『真意を知りたい』というのは私の我が儘だから気にするな。彼女のことだ、我々の認知の及ばない考えがあっても何も不思議ではない。そういった場合、真実を知ったところで大した得はないからな」



 とはいえ、先生たちの気持ちが分かるからこそ、彼らの立場を不憫に思う。

 ──祖父は、すでに魔女の後継者を決めておきながら、どうして前もって彼らに教えなかったのだろう。あるいは、当時教えられない事情があったのだろうか。理由が何であれ、人に叶いもしない望みを持たせたまま宙ぶらりんで死に逃げなど、らしくなさすぎる。私の知るいつもの祖父であれば、したり顔で何かしらヒントになるようなものをどこかに遺しているはずだ。

 本当に何も遺す気がなかったとしたら──これらの疑問を解消させる気もない、のであればこちらも成す術がない。

 生まれた謎が塊のまま海馬へ沈殿していくのを口惜しくも見送り、私は姉の話の続きを聞こうとして、前から邪推していたある疑問を思い出した。



「先生、前から気になってたんですが」


「どうした?」


「姉のことで……あの、おばあちゃんが言ってた『手を出した』っていうのは……まさかとは思いますが、姉と」


「ない。絶対にない。断じてない。天変地異が起こっても、ありえない。茉穂とあの女だけは論外だと生きとし生けるすべての神に誓って言える。──何も、なかった。『何もない』とはつまり、俗にいう男女間のあれやそれやを指しているということに相違はないか? ないよな?」


「あ、そうですか。何もないならいいです」



 先生が顔を青褪めさせながら早口で関与を否定した。

 どうやら要らぬ誤解をしていたのは私もらしい。先生の必死な発言を真実と判断し続きを促す。



「いや待て、あの一件をなかったことにするのは語弊がある。事の経緯を簡潔に話すから、聞いてもらえるか?」


「はあ、どうぞ?」


「助かる。ああ、どこまで話したか──そうだ。茉穂がひとりでいたときを見計らい、『魔女の家系同士、親睦を図るためふたりきりで話ができないか』と適当なことを言ってから人払いを済ませて、その後だ」



 ついに、音信不通になる前の姉のとある様子──もとい、先生にかけられた呪いの原因になった事件、その一部始終に耳を傾ける瞬間がきた。

 あの日、彼らの身に何が起こったというのか。なぜ先生は我が家を出禁にされるほどの呪いをかけられたのか。気持ちと一緒に体もやや前のめりになってしまうが、ようやく真相が明らかに──



「酒の席であれば話を聞ける確率が高いだろうと思い、まずカクテルを一杯(おご)って──」


「え゛」



 ──と思いきや、先生が犯したとんでもない愚行に耳を疑った。

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