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出立

 行かなきゃ!

 今すぐタイタンに行かなくては!

 僕は無我夢中で旅支度をし、七年間過ごしたアパートを飛び出した。

 持ち物は少しの衣服と、紙と鉛筆(昔の物書きはこれで壮大な物語を創造していたのだ)、そして楽園への切符、即ちタイタンへの定期ロケット便の搭乗チケットのみ!

 他に必要なものは現地で揃えればいい。

 とにかく今はタイタンに辿り着くことが何よりも重要なのだ。


 タイタンへの移住が始まって、半世紀が過ぎようとしているのに、今日まで僕は地球の重力と大気の中でずっと燻っていた。

 宇宙に進出した人類の叙事詩を書こうと作家を志して物語を書き続けたものの、うだつが上がらずに月日を過ごし、気がつけばもうすぐ四十歳を迎えようとしている。

 どうすれば名作が書けるか、どうすれば名だたる作家になれるのか、そんなことばかり考え続けて物語を創造できずにいた自分が情けない。

 だが、そんな自分とは今日でおさらばだ。

 僕は地球を出てタイタンに行き、ティタニアンになるのだ。


 きっかけは動画サイトにアップロードされていた、僅か九十秒弱の動画だった。

 ベンサレムコロニーの古代海洋生物研究所で生まれたという、オパビニアやカンブロラスターをはじめとする、太古の地球の海に生息していたバージェスト動物たちが、メタンの海を自在に泳ぐさまを収めた動画で、その動画を見たとき、僕の心の火山が噴火した。

 人類の叡知は、過去に消え去った生命を蘇らせるだけではなく、全く異なるシステムで形成された海にそれらを放つことさえできるのだ。


 動画を見たその日から、僕はろくに眠らずにタイタンに暮らす人々の様子を貪るように見続け、決心した。

 窒素とメタンの大気の中を懸命に生きる人々の営みを書き、地球圏に住む人たちに伝えるのだ。

 映像はすでにいくつものショート動画として地球に送られて来ている。

 だが、人類が宇宙に進出する時代になっても、読書という文化は存続しており、小説家という職業は未だに必要とされていた。

 タイタンの生活ぶりを著したノンフィクションはいくつも刊行されているが、フィクションとしての読み物は、意外にもまだ世に出ていなかった。

 ならば、僕がその第一号を書こうじゃないか。

 金儲けでも名誉の欲しさのためでもない、地球から遠く離れた、環を持つ星の衛星に生きる新たな人類、ティタニアンの生き様をドラマにするのだ。

 そして、僕自身もティタニアンになろう。


 宇宙空港に着いた僕は、ロケットに乗り込んだ。

 ロケットが大気圏を抜けて地球から離れる。

 窓から離れていく地球が見えるというアナウンスが流れるが、僕は地球を見ようとはしなかった。

 僕の意識はロケットが飛ぶ前から成層圏の向こう側にある。

 ティタニアンに着いたら、早速取材だ。執筆も同時進行でやることにしよう。

 どうせなら、とことん娯楽性を重視したフィクションを書こう。

 アクション、サスペンス、ホラー、ラブロマンス、なんだって書いてやる。

 やっぱり宇宙の暮らしを書くなら、SFがいいかな。


 あ、こういうのはどうだろう。


 土星には妖精が住んでいて、時折、こっそりとタイタンを訪れている。

 でも、彼らはひどく臆病だから、人間がタイタンに現れたときに、みんな土星に引っ込んでしまった。

 それでも、何かのきっかけで、彼らはティタニアンの赤ちゃんを見掛ける。その可愛さ故につい、大人に見つからないように赤ちゃんに触れる。

 その瞬間、赤ちゃんは新たな力を発現する。


 ありきたりだけど、人の革新について触れたストーリーだ。その中にファンタジーを加えた、ちょっと変わった小説を書こう。


 タイタンにはまだ着かないが、どうやら僕の心はすでにタイタンに辿り着いているようだ。それくらい心が躍っているのだ。

 なんだ、これじゃまるで子供じゃないか。

 ちょっと可笑しくて、僕は小さくふふっと笑った。

 機内食を運んでいたキャビンアテンダントに笑っているところを見られ、僕は思わず赤面した。

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