朝の光景
タイタンのコロニー内の都市、ニルヴァーナシティにあるマンションに住むジョンソン氏は毎朝、携帯端末でニュースを閲覧しながら朝食を摂るのが日課であった。
『アビス・キャメロン号 チャレンジャー海淵へ』
『小惑星LV-426調査のため、調査船スコット号がツィオルコフスキー月面基地を出発』
「ふむふむ」
リビングのテーブルに置かれた自動調理器から出されたトーストを食べながら、ジョンソン氏は閲覧を続けた。
『政府、タイタンに第二のコロニーの建造を検討か』
「ほうほう」
コーヒーカップを口につけるジョンソン氏。尚も顔は端末から離れない。これらはすべて毎朝の光景である。
閲覧を続けていると、寝室から妻のヘレンが出てきてジョンソン氏の向い側に座った。
「おはよう。あなた」
「おはよう」ジョンソン氏はヘレンを見ることなく返した。
「あなた、またトーストとコーヒーだけなの?朝はしっかり食べてといつも言ってるでしょ」
「ちょっと食欲がなくてね。ん?地球ではまた砂糖が値上げか」このちょっとした夫婦のやり取りも毎朝の光景。
「タイタンは物価が安定しているのにね。地球じゃそんなに大変なのかしら」
ヘレンは自動調理器を操作してスクランブルエッグとアボカドサラダを出した。
「色々と問題があるんだよ。おや?速報だ」
端末の画面の上部に速報のニュースが流れる。そのニュースを見た途端、ジョンソン氏の表情が驚愕のそれに変わった。
「大変だ。地球で未知の病原ウイルスが発生したらしい」ジョンソン氏は画面に速報の記事を表示してヘレンに見せた。
「未知のウイルス?また2020年代みたいになるの?」記事を見たヘレンの表情が曇る。
「いや、当時より医療技術は発達しているんだから大丈夫だよ。どんなウイルスだろうと人類は乗り越えてきたんだ。きっと、このタイタンに到達する前にウイルスは死滅するよ」ジョンソン氏は妻の顔を見て言った。
「だといいけど…。おじいさまやおばあさまが経験したコロナウイルスはとてもひどかったそうよ」
「そうだろう。ぼくたちが小学校の時の歴史の教科書にだって何ページにも渡って書いてあったからね」
「ウイルスが流行すると、大勢の人たちがひどい目に遭うのよ。地球の友人たちはまた苦労するわね」ヘレンはテーブルに視線を落とす。
「一応、マスクと消毒液を買っておこう。もしもの時のためにね」
「それがいいわ。でも大量に買い込むんじゃなくて、他の人たちにも行き渡るように、必要な分だけ買っておきましょう」
「そうだな。まわりを考えずに行動するとタイタンの物価まで上がってしまう。それだけじゃない、マスクが入手できなかった人たちからクラスターが発生することだってあり得る。とにかく、このタイタンでは助け合わないと生きていけないんだ」
二人は同時に立ち上がった。
「私、これからテレビ電話で地球に連絡してみるわ。両親や友人が心配なの。場合によっては定期船で地球に行くことも考えないと」
「わかった。ぼくも会社で時間を見つけて地球の兄弟に連絡するから。でも地球へ行くのはあまりすすめないな。いいかい?まずはテレビ電話でご両親の安否を確認するんだ。いいね」
「ええ…。嗚呼、父と母が心配だわ」
「落ち着いて。きっと、きっと大丈夫だから」
ジョンソン氏はヘレンを抱きしめて言った。
「ええ。気をつけてね」ヘレンはジョンソン氏の頬にキスした。
「うん。愛してるよヘレン」ジョンソン氏もヘレンにキスを返した。
二人は離れると、ヘレンはテレビ電話のほうへ、ジョンソン氏はマンションを出て会社へとそれぞれ向かった。
ウイルスの完全消滅のニュースをジョンソン氏が見たのは、それから三年後の朝食の時だった。
ウイルスはジョンソン氏が言った通り、タイタンに到達することなく死滅した。
その後もジョンソン氏の朝の光景は変わらなかった。
妻のヘレンがいなくなったことを除いて―――。




