森のざわめき
タイタンのコロニーでは、都市開発と同時に植樹作業が盛んに行われていた。自然保護区の――と言っても、元からタイタンにあった自然ではないが――平地に植樹し木々を増やしていくこの作業は、人間がコロニーで生きていくうえで非常に重要な仕事である。酸素発生装置だけでは、年々増加する移民者が呼吸するのに必要な量の酸素をまかなうことができない。そこで、コロニーの指導者は、植物の光合成を利用した酸素の生成によってこれを補うという、地球上では至極当たり前に行われている酸素生成方法を思いついたのである。
この単純かつ重要な仕事に従事する作業員の一人であるウィリアムは、仕事仲間のズーチェンとともに今日も植樹のために自然保護区にある森林地帯を訪れていた。
「本日は晴天なり。本日も森は静かなり。と」ウィリアムが呟く。
「これで鳥のさえずりなんか聞こえたら、まんま地球なんだけどな」隣でズーチェンが言った。
「言うなよズーチェン。地球が恋しいのか」
「そんなんじゃないよ。俺はここの暮らしが気に入ってるんだ。地球に帰るなんてまっぴらさ」
「じゃあなんでここに地球の環境を求めるんだ?」
「だって、鳥のさえずりが聞こえない森なんて不自然じゃないか。ううん、鳥だけじゃない。虫の音や獣の鳴き声は普通は森で絶対聞こえるだろ。ところが、ここにはそれらが一切ない。俺はこの仕事をするようになって違和感を覚えるようになったんだ。最初はなんとも思わなかったことだが、仕事を続けていくうちにこの違和感がどんどん大きくなった。これじゃ、仕事がはかどらない。生き物たちの発する音がない森がこれほどまで不自然とはね。この違和感を消し去るには、人間以外の生き物が必要なんだ。おまえもそう思わないかウィリアム」言い終えるとズーチェンは足元に落ちていた枝を拾い、枝についている葉をむしり始めた。
「言われてみるとそうだな。こういう落ち葉の下にはだいたい――」ウィリアムはしゃがんで、地面の落ち葉を手で払った。湿った黒い土が露になる。「毛虫のひとつくらいはいるもんだよな」ウィリアムは片手で土をすくい、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。葉が腐り土に還る独特の匂いが鼻をつく。
「ズーチェン、おまえの言う通りだ。おまえに言われて、俺も違和感を覚えた」
「ほかの連中にも聞いてみよう。多分、同じ違和感を抱いているはずだ」ズーチェンとウィリアムはその日の昼食時に、同僚たち全員に自分たちが感じた違和感のことを話した。すると、やはり同僚たちも生物がいない森に違和感を抱いており、この話で持ちきりになった。その中に、彼らの上司である現場監督のジェフリーが割って入ってきた。
「森に生き物がいないとおかしいだと?」
「そうです。熊がいたら危険ですが、リスや小鳥が枝に止まっていて、土にはモグラや虫がいないと、気になってしょうがないんです。ある時、茂みでガサッと音がして振り返ると、朽木が地面に落ちただけでした。些細な音ですら敏感になっちまってんです。こんな日はどうもおかしくて仕事なんてできませんよ」そう話すズーチェンの顔は真剣だった。
ズーチェンは普段、とても真面目に働くことを知っていたジェフリーは彼が冗談を言っているわけではないと思い、小馬鹿にすることなく、彼の話に耳を傾けた。
「ふむ。その目つき、わしをからかっているわけではないようだな」
「我々の話をわかっていただけてなによりです」ズーチェンは嬉しさのあまり、ジェフリーの両手を握って言った。
「では訊ねるが、君たちの口は堅いかね?」
「はい?――ええ、大丈夫です。どんなことも、決して口外しません」
「そうか、わかった。では君たちを信用して言おう。実はだな、このコロニーに近々、地球から動物が送られてくることになったんだ」
「なんですって。そりゃすごい!」驚く一同。ズーチェンはジェフリーの手をほどいて腕を広げた。
「この自然保護区の植樹地区から3ブロック離れた地域にフェンスと空中ネットを設置して動物を放ち、その動物たちの暮らしぶりを調査するそうだ。君たちが動物を拝めるのはフェンス越しになるが、鳴き声やさえずりくらいはここからでも聞こえるだろう」そこまで言い終えて、ジェフリーはコーヒーカップを口にした。
「何も聞こえないよりはマシです。生きている動物を見られるなんて夢みたいだ!」
「動物が来るのがそんなに嬉しいかね?」
「嬉しいですよ!何しろ、本物の動物を見たのは、地球にいたとき、小学校の遠足で訪れた動物園以来ですから」
ズーチェンは頭の中でこれから来る動物たちのことを想像してみた。
木の穴の中でマテバシイを口いっぱいに頬張るシマリス、巣でヒナたちにアオムシを与えるヒヨドリ、穴からひょっこり顔を出すトウブモグラ、野を駆けるヤブノウサギ……それらの生活音が森に響き渡る。
――まさに動物たちが織り成すオーケストラ!!
「ああ、待ち遠しい!」ズーチェンはその場で跳び跳ねた。
「待て待て。はやる気持ちはわかるが、絶対に余所で言うなよ。このことが公表前に知れたら、動物をひと目見ようと野次馬が詰め掛けてくるからな」
「わかっています。みんなも秘密は守ってくれるよな?」ズーチェンは後ろを振り向き、ウィリアムをはじめとした同僚たちに言った。
「もちろん!!」学校の先生から決まりごとを言われて元気に返す子供のような返事がかえってきた。
「やれやれ、ずいぶん元気のいい返事だな。普段の朝礼でもそれくらい元気に返事してほしいもんだよ、まったく」部下たちのはしゃぎようにジェフリーは半ば呆れていた。
「とにかくだ。改めて言うぞ。絶対に口外してはならん。いいな?」
「イエッサー」言葉を見事に揃えて返す一同。
ジェフリーは片手で頭を抱えて最後にもう一度、「…まったく」と小さな声で呟いた。
その後、ウィリアムやズーチェンら植樹作業員たちは、今までにないくらいの働きぶりで仕事をした。動物たちがタイタンに来る日が待ち遠しくてその日その日を終わらせようと、さっさと仕事を終わらせるのである。休憩中は動物の話で盛り上がり、植樹の作業中には地面にキツネや小鳥の絵を描いて過ごす。そして彼らの意志は岩よりも固かった。酒の場では、カード遊びで気を紛らわし、帰宅後の家族との団欒では子供に学校のことを聞いて動物を忘れるように努め、誰一人として秘密を漏らすものはいなかった。だが、いくら動物の話は漏らさないよう努力しても、嬉しさから来るにやにやした顔は完璧に隠せるものではなかった。皆、にやけているのを家族に指摘されごまかすのに必死だった。中には関係が冷えきっている夫婦で、夫があんまりにやけるので浮気をしているのではと勘違いした妻が夫のことを一週間尾行したこともあった。しかし、仕事を終え、酒を飲んでから真っ直ぐ帰ることしかしない夫の姿を見て妻は私といるのがとても幸せなのだろうと、夫への愛情がより増して、もとの仲睦まじい関係にもどった夫婦もいた。
待ち遠しくて眠れない日々が続き、いよいよ動物が来る日が三日後に迫った日にそれは起きた。
「大変だ!!」動物が来るのを楽しみに待っていた作業員のうちの一人であるリオネルが、血相を変えて事務所に飛び込んできた。
「何事だ!」ウィリアムがリオネルに駆け寄る。
「大変…だ。く、熊が…出た」リオネルは息を切らしながら応えた。
「熊だと!?」
「そ、そ、それも、普通の熊より大きくて少し変わってるんだ」リオネルはひどく怯えた様子で、声を震わせながら説明した。
「動物が来るのは三日後だぞ。それも大きい熊だなんて」
「間違いない。俺がEブロックで一人で作業していたとき、茂みの中から音もなく突然現れたんだ。俺を見た途端、二足立ちになって…に、二十フィートはあったぞ」
「二十フィートだって!そんな馬鹿でかい熊がいるか!」
「いや、もしかしたら熊じゃないかもしれない。爪は普通のやつより太くて、口からキリンみたいに長い舌をにょろっと出したんだ。と、とにかく、あんなでかいの、熊以外に例えるものがないんだよ」
「キリンみたいに長い舌か。ばかでかいアリクイなんていないし、そんなやつ、地球の生態系にいたか?」ウィリアムは思案した。
「まさか、タイタンで生まれた生命体なんじゃ――」傍にいたズーチェンが言った。
「そいつはないな。タイタンの動物だったら、とっくの昔に出てきている筈だろ。入植前だって地球の探査機が散々、この星を調べ尽くしたんだ。木も生えてない、極寒の荒野でやつはどうやって生きてきたんだよ。しかも、そいつがコロニーの森の中にいるなんて、あり得ない」ウィリアムは事態を冷静に捉えていた。
「そもそも、動物はまだ来てないんだ。先に誰かが持ち込んだとしても、そんなでかいの、なんで今まで見つからなかったんだ。俺たちは毎日ここで仕事をしているんだぞ。誰にも見つからずに今日まで過ごせるわけがない」
「そうだよな。二十フィートもある熊なんて誰にも見つからずに持ち込めるわけないよな。それじゃ、やつは一体何者でどこから来たんだ?」
「それは…」これにはウィリアムも答えられなかった。
「ねぇ。もしかしたら、そいつは地球の生物かもしれないよ」ウィリアムらと同じく、植樹作業員であるデルシャドが言った。
「地球の生物?そんなやつが?」とウィリアム。
「うん。ぼく、大昔の動物が好きでさ、特に新生代の生物には詳しいんだ。今リオネルが言った特徴を持ったやつが、その時代にいたんだよ」
「へぇ、新生代か。どんなやつなんだ?」
「多分、メガテリウムっていう動物だと思う。ナマケモノの祖先なんだ」デルシャドは気取ることなく、静かに答える。
「ナマケモノって、一日中、木にぶら下がっているあのナマケモノか?」
「そう。今とは似ても似つかないくらい巨体でね。舌も本当にキリンみたいに細長いんだ」
「でもとうの昔に絶滅したんだろ」
「そのはずなんだけど……」
「とにかく、そんなのが市街地に出たりしたら、パニックになる。早いとこ見つけ出してなんとかしないと」ウィリアムは捕獲用にロープと非致死性のゴム弾をこめたショットガンを用意した。
「こんなもんでメガなんとかってのを止められるのか」ズーチェンはウィリアムからショットガンを受け取って言った。
「丸腰よりマシだろ」ショットガンの安全装置を外すウィリアム。
「ぼくもいくよ。ショットガンをくれ」とデルシャド。
「そのほうがいい。詳しいやつがいたほうが退治方法がわかるかもしれないしな」ウィリアムはズーチェンからショットガンをもう一丁もらい、それをデルシャドに渡した。
「できれば、こんなもの使わなくても済むといいんだけど」
「デルシャド、かわいそうかもしれないが、ゴム弾で少しこらしめてやるだけだよ。俺たちだって、生きている動物を殺めるなんてことしたくないからな。ところでそいつは何を食べるんだ?」
「葉っぱだよ。鉤爪で枝を引き寄せて、長い舌で葉っぱをしごいて食べるんだ」
「なら、一刻も早く見つけて捕獲しないと。ほっといたら、植樹した木がそいつにみんな食われちまう」
「よく考えてみたら、その通りだ!それはまずい」
「では急ごう」
巨獣捕獲隊はウィリアム、ズーチェン、デルシャドと三人で編成された。残りの者は事務所に残り、ジェフリーに一件を報告しウィリアムたちからの連絡を待つこととなった。
三人は林道を歩き、リオネルが巨獣と遭遇した地点を目指していた。皆、目的地に近づくにつれ、武器を握る力が強くなっていく。ウィリアムが先頭に立ち、間にデルシャド、その後ろにズーチェンと縦並びで進み、どの方向から巨獣が現れても、即座に対応できるようにしていた。
「そろそろやつが現れた場所に着くぞ。警戒を怠るな」ショットガンを構えてウィリアムが言った。
「了解。これじゃ軍隊だ」ズーチェンの声は少し震えている。
デルシャドの場合は震えることなく何か思い耽っていた。「うーん。どうも腑に落ちないな」
「何が」ウィリアムが振り向く。一行は立ち止まった。
「さっきのリオネルの話を思い出していたんだけど、メガテリウムらしき巨獣は音もなく現れたんだよね?」
「そうらしいな」
「音もなく、か」
「それがどうしたんだよ――いや、待てよ。なんかおかしいぞ」ウィリアムも何かに気づいたようだ。
「二十フィートもあるやつが足音を立てずにどうやって人前に出るんだよ」
「そうなんだ。メガテリウムのような大きい動物が歩くと、ズシンと地響きが起こる筈なんだ。なのにリオネルの話だとそいつは茂みの中からいきなり現れたと言っていた。とても奇妙だ」
「でも、リオネルのあの怯えようはとても嘘をついているようには見えない。本当に突然現れたに違いない。とすると、やつは一体何者なんだ」
大昔、有史以前に絶滅した筈のその巨獣は何故、現代に現れたのか。それも、地球から遠く離れたこのタイタンで――。正体は亡霊か、それとも地球動物がいない恋しさのあまり、植樹作業員全員がかかった集団催眠による幻影か。深まる謎。
「それをこれから確かめに行くんだろ。早く進もう。この森はいつも静かだが、あんな後じゃ静かすぎるのは気味が悪い」ズーチェンが二人の会話を止めた。
「こいつは、只事じゃなさそうだぞ」ウィリアムは、事態は自分たちが考えている以上に深刻になっていると考えた。
――その瞬間、森の奥から男の悲鳴が聞こえた。
「何だ!出たのか!?」ウィリアムは悲鳴が聞こえた方向へ走り出した。
「あれはサムの声だ」ズーチェンとデルシャドも後に続く。
ウィリアムたちがサムのもとへ駆けつけると、そこにはサムが腰を抜かして地面に座り込んでいた。
「サム大丈夫か?」ウィリアムは肩を貸してサムを立たせてやった。
「ば、バケモンだ。バケモンが出た」リオネルと同様に怯えているサムは、指を震わせながら前方の茂みを指す。
「わかってる。とても大きな熊みたいなやつだろ」
「そ、そんなやつもいるのか」
「今何て言った?やつも?」ウィリアムは頸を傾げた。
「俺は大きい熊なんて知らん。お、俺が見たのは、太くて大きな牙を持った虎みたいなバケモンだ」
――顔面を青くして沈黙する捕獲隊の面々。
「でかい熊だけじゃないのか」相変わらずズーチェンの声は震えていた。
「デルシャド、大きな牙を持つ虎みたいな動物は知ってるか?」ウィリアムがデルシャドに訊ねる。
「知ってる。そいつも大昔に地球にいた動物だ。おそらくスミロドンじゃないかな」
「おまえら、何のことを言ってるんだ。バケモンはあいつ以外にもいるってのか」サムはパニックに陥っているようだ。
「ズーチェン。サムを事務所に連れていけ。熱いコーヒーを飲ませて落ち着かせるんだ。俺はデルシャドと共にそのスミロドンってのを追う。サム、そいつはどっちへ行った?」
「あっちへ…あっちへ行った」サムは虎らしき動物が出た茂みとは反対側の、川に出る方向を指した。
「こっちだな。ようし、デルシャド行くぞ」ウィリアムは再び走り出した。その後をデルシャドが追う。
「二人とも気をつけろよ」後ろでズーチェンが叫んだ。
「やめろよ、でかい熊ってのがそこら辺をうろついてるかもしれないだろ。叫ばないでくれ」怯えるサムの手はまだ震えていた。二人を見送るズーチェンも内心怯えていたが、サムの手を握ってやり、恐怖を分かち合わうことで気持ちを落ち着かせた。手を通して伝わる他人の熱――。お互いの震えがおさまるまでズーチェンはウィリアムとデルシャドが走り去った方角を見つめた。その光景を見ていたのは、風に吹かれて宙を舞う緑の葉だけだった。
ウィリアムとデルシャドはスミロドンが逃げた方向を走り続け、やがて川辺に出た。川は浅く、透明な澄んだ水が静かに流れていた。――コロニーの川に魚はいない。
「向こう岸へは歩いて渡れそうだな」ウィリアムは川へ足を入れた。作業靴の中に水が染み込むが、ウィリアムは全く気にしなかった。
「ウィリアム、またひとつ不可解なことが」その後ろでデルシャドが呟く。
「なんだ、気になることがあったらなんでも言ってくれ。やつらの正体を暴く手掛かりになる」
「ないんだよ、足跡が」
「足跡がない?」ウィリアムは渡りながらデルシャドの顔を見た。
「どこにもないんだ。それに、草を踏みしめた痕跡も」
「暴くどころか、ますます正体が掴めなくなったぞ。でもその話でひとつわかったことがある」
「わかったこと?」
「メガテリウムもスミロドンも本物の動物じゃないということだ」
「それじゃ、一体?」
「――幽霊かもな」
「まさか」
「冗談だよ。だが、幽霊とでも考えないと、音もしなければ足跡もないなんて説明がつかない。とにかく言えるのは、やつらが実体のない存在だということだ」
「実体がない、か」
二人は川を渡りきり、辺りを見回したが、スミロドンの姿は見えない。
「やつめ、どこへ行った」
「スミロドンは前肢に比べて後肢が短いからそんなに速く走れないんだ。だからそう遠くへは行っていないと思う」
「あの小山に逃げ込んだのかも」ウィリアムは前方の、丸みを帯びた茶色の九フィートほどある高さの小山を指した。
「スミロドンは森に生息していた動物だから、あそこに住処があるかも――って、え?小山?」
「どうした」
デルシャドはしゃがみ、作業着の左の胸ポケットから森の地図を出して地面に広げた。片手にはコンパスを持っている。
「――?どうしたんだよデルシャド」
デルシャドは地図を見たまま、口を開いた。
「ウィリアム。あれは小山じゃない。地図にはあんなとこに小山なんて載ってない」
「小山じゃない?じゃあ、あれは――」
その時、茶色い小山が揺れた。地震ではない。小山は大木のように大きな“四本の脚“でのっそりと動き出した。小山だと思っていたその正体は、全身が茶色の体毛で覆われ、長い鼻と巨大な二本の牙を持つ象のような動物であった。
「マンモスだ」
「こいつは俺も知ってる。シベリアの永久凍土から見つかった個体をニュースで見たことがある。ケナガマンモスってやつだ」
メガテリウムやスミロドンと同じく、地球の新生代を生きた象の類縁種――マンモスは、その巨体を動かしているのに地響きひとつ立てることなく歩いて行く。
「まずい、あの先は事務所だ。止めないとみんながぺしゃんこになる」
「ちょっと痛いけど我慢しておくれ!」
二人はマンモスの真後ろからショットガンを放った。マンモスとの距離、約三十ヤード。しかし、放たれた無数のゴム弾はマンモスの身体に着弾したにも関わらず、臀部から頭部へと身体を通過し、マンモスが歩く前方の木々に当たり、跳ね返って周囲に散乱した。マンモスは一切反応せず前進を続けている。
「ちくしょう!あいつも幽霊だ!」ウィリアムは発砲を続けるが、ゴム弾は変わらずマンモスの身体をすり抜けてしまう。すり抜けたゴム弾がビー玉のように地面に転がる。やがてマンモスは林の中に――樹木をなぎ倒すことなく――吸い込まれるように入っていった。
「くそったれ!!」ウィリアムはショットガンを投げ捨てマンモスを追いかけた。
「待って、迂闊だ!」マンモスを、ウィリアムを追うデルシャド。
マンモスは草木をすり抜けて進むが、ウィリアムたち生身の人間にそのような芸当はできる筈もなく、生い茂った樹木に行く手を阻まれ、距離を大きく開けられてしまう。
「待て!待てってんだ!」ウィリアムが叫ぶ。
マンモスの姿はみるみる遠くなりその内、姿が見えなくなった。
この林を抜けた先には草原があり、その草原を真っ直ぐ進めば、事務所は目と鼻の先である。もし、やつが気まぐれを起こして質量を持つ実体になるようなものなら、間違いなく事務所を直撃する。ウィリアムの脳裏に事務所が、仲間たちが、マンモスに踏み潰される光景が過る。このままでは―――。
やっとの思いで林を抜けた二人は草原に立ち、マンモスを探した。しかし、マンモスの姿はどこにもない。
「消えた!?」
「ウィリアム、伏せて!」後ろにいたデルシャドがウィリアムを突き飛ばした。前のめりに倒れるウィリアム。デルシャドは頭を抱えてその場に伏せた。直後に二人の上を巨大な怪鳥が飛翔する。
「あいつは!?」ウィリアムが顔を上げる。
「アルゲンタヴィスだ!」デルシャドも見上げて怪鳥の名前を言う。この怪鳥も新生代の動物である。
「絶滅動物のオンパレードかよ!」怪鳥の羽ばたきによる羽風は吹いていない。アルゲンタヴィスも先ほどのマンモスのように実体を持たぬ存在なのだ。
その怪鳥の姿は事務所からもはっきりと確認することができた。
「空飛ぶ化け物だ!」
「神よ!」
震え上がる面々。
「地下シェルターに避難だ!」タイタンには不測の事態に備えて各地に地下シェルターが設けられている。事務所の奥の部屋に地下シェルターへ続く階段があり、ジェフリーは事務所にいる作業員に避難を指示した。
「あんな化け物、わしらだけでは対処できん。コロニー警備隊を呼んでなんとかしてもらおう。警備隊でも止められない時は、地球から国連軍を派遣してでも…」ジェフリーの目は血走っていた。
「監督、落ち着いてください!」誰かが言った。
「落ち着いていられるか!やつは、やつはエイリアンが送り込んだ化け物だ。我々人類にタイタンを先取りされたから、あんなのを寄越してわしらを殲滅する気なんだ!こうなったら戦争だ。航宙機でも核ミサイルでもなんでも用意して人類全体で驚異に立ち向かわねば!くそう、こんなフィクションのようなことがあってたまるか!早く警備隊を…」
ジェフリーが連絡用のコンソールに触れたその時、作業員の一人が手に持っていたステンレスの水筒でジェフリーの後頭部を殴った。ジェフリーは気を失い床に倒れる。
「悪く思わんでくださいよ、監督」
数人でジェフリーをシェルターに運び、作業員たちはシェルターへの避難を始めた。
「ウィリアムとデルシャドは無事なのか」サムと共に事務所に戻ってきていたズーチェンは二人の同僚の安否を気遣う。
「ズーチェン早くしろ!」
「わかってる。今行く。二人とも、無事でいろよ」
仲間に呼ばれ、ズーチェンは階段を下り、二人の無事を祈りながらシェルターの扉を閉じた。
そんな地上でのパニックをよそにアルゲンタヴィスは尚も飛び続けていた。
「砂塵が舞わない!?こいつも幽霊か!」ウィリアムは必死にアルゲンタヴィスの姿を眼で追う。航空機と見間違うほどの巨体は陽に照らされて地表に日陰をつくりだしている。つまり、物体を透過してしまう存在に影があるのだ。二人の脳内は更に混乱する。
「幽霊に影なんてあるわけない!あいつ、一体どうなってるんだ!」
「ウィリアム見て!」デルシャドがアルゲンタヴィスを指す。
「!?」
アルゲンタヴィスは降下し始め、着陸態勢に入った。だが、着地しようとしているのは二人がいる草原ではない別の地点であった。
「あいつ、降りる気だ!」
「あそこはリオネルがメガテリウムに出くわした場所だ」
「化け物ども、もう逃がさんぞ」二人は着地地点に向かった。
ウィリアムは走る。走る。こんなに走ったのはいつ以来だろう。子供のとき、まだ地球にいた頃、父の農場で放し飼いにされていた鶏を追い掛けていたあの少年の日以来か。
デルシャドも走る。地球の、故郷の砂漠で、落ちてくる爆弾から、紛争の戦火から、姉に手を引っ張られ無我夢中で逃げ回っていたあの日々以来の全力疾走。
二人の男は無我夢中で走った。新たな故郷を脅かす、古代生物の幽霊の正体を暴くために。
リオネルがメガテリウムに遭遇した地点、Eブロックに辿り着いた二人の前に新たな古代生物が現れた。
「こいつは?」脚を止める二人。
二人の正面、十七ヤード先に立つそれは体高七フィートはある巨大なサイのような生物で額にはとてつもない長さの角が生えており、その角の下にある鋭い眼光は確実に二人を捉えていた。
「エ、エラスモテリウムだ。更新世にいた、サイの一種の…」硬直するデルシャド。
エラスモテリウムは片脚で地面を擦り、疾走する前兆を見せている。無論、地面は抉られず、砂埃も立てていない。――こちらを弾き飛ばすつもりだ!!
「ウィリアム、逃げよう。逃げなきゃ…」デルシャドはウィリアムの服の袖を掴むが、ウィリアムは微動だにせずエラスモテリウムをじっと見つめたままだ。
「ウィリアム?」
ウィリアムは足元にあった鋭く尖った石と長めの枝を拾い、それらを捕獲用のロープで結びつけて、小型の石槍を作った。彼は石槍を片手で逆手に持ち、エラスモテリウムに向け、腰と腕に力を入れて投擲の姿勢をとる。過去の遠い祖先がおそらくしたであろう同様のスタイルを、地球から遠く離れた星で、それも科学文明真っ只中の時代に。
「誰が逃げるものか。俺は逃げん。絶対に逃げんぞ」
「そんな。危険だ。駄目だよウィリアム」
「下がっていろデルシャド。いいかよく聞け。俺にもしもの事があったら、事務所まで突っ走れ。わかったな」
「無茶だよ」
「構うな、離れろ!」今度はウィリアムがデルシャドを突き飛ばした。
デルシャドが尻餅をついたのと同時にエラスモテリウムが突進してくる!
「この野郎!」ウィリアムはエラスモテリウムを目掛けて石槍を投げた。――すり抜けてしまう石槍。
これまでかと胸中で呟くが、ウィリアムは決して瞳を閉じなかった。せめて、せめてこいつに俺の闘志を見せつけてからやられてやる!さぁ、来い!
エラスモテリウムが間近に迫り、ウィリアムは死を覚悟したその刹那、巨獣の後方でガキンと金属に何かが当たるような音がした。その音がした途端、エラスモテリウムは呻き声を上げることなく、悶え苦しみ出した。
「何が起こっている?」突き飛ばしたデルシャドに手を貸して立たせながらウィリアムはその光景を見た。
エラスモテリウムは苦しみ、姿を変化させていく。最初はメガテリウム。次にスミロドン。その次はケナガマンモス。そしてアルゲンタヴィス。再びエラスモテリウムに戻るがその前肢はメガテリウムの鉤爪を持ったものになり、口元にはスミロドンの牙が生え、鼻はケナガマンモスの長いそれに、そして背中にアルゲンタヴィスの巨大な翼が生えた異様な怪物に変貌し最後は風船のように膨張して破裂した。破裂した残骸は光の粒子となり大地に降り注ぐように消えていった。
怪物の最後を見届けた二人は、金属音がした茂みの方へ歩み寄り、草を掻き分けてみた。
「あ、これは――」
そこには、ウィリアムが投げた石槍が突き刺さった、サッカーボールくらいの球状の物体が落ちていた。
「なんだいこれは」デルシャドが物体を拾う。
「立体映像投影球だよ。俺が子供の頃流行ったおもちゃだ」ウィリアムはそれを受け取り、石槍をそっと引き抜いた。引き抜いた箇所から小さな火花が散る。
「色んな動物や人物の立体映像を空間に投影してくれるんだ。親父がこいつでよく、プレスリーにラヴ・ミー・テンダーを歌わせてたよ。発声装置はだいぶ前に壊れていたみたいだ。だから動物たちは声を発さなかったんだな」球状の下部にあるカバーを開き、カードスロットが露になり、ウィリアムはスロットから親指サイズの小さなチップを取り出した。
「これがソフトだ。どれ、ソフト名は――」ウィリアムがソフト名を読み上げる。
「『新生代動物図鑑』だってさ。どうりで絶滅動物ばかり出てくるわけだ」
「こんなおもちゃにぼくたちは振り回されていたのか」
「そうらしい。取り敢えず事務所に戻ろう。みんなに化け物の正体を教えてやらなきゃ」
斯くして二人は事務所に戻り、ホロスフィアを同僚たちに見せた。
「人騒がせな」
「ばかばかしい!」
怪物騒ぎの真実を知り、呆れ、怒る面々。
その中でも、目を覚ましたジェフリーに至っては呆れる程度では済まなかった。
「怪物の正体がおもちゃだと?ふざけおって!!」怒声が事務所に響く。
「どこの誰がそんなものを森に置いたかは知らんが、大体、私物を作業場に持ち込むのが常態化しとるからこんなつまらん騒ぎが起きるんだ。今後、作業場への私物の持ち込みは一切禁止とする!ほんっとにくだらん!実にくだらん!」ジェフリーは後頭部をさすりながら顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あーあ。仕事の合間に携帯端末でプレイボーイを読むのが楽しみだったのに」
「これからは森でポーカーはできないな」作業員たちから嘆きの声が上がるとジェフリーの顔はより一層、熱湯の寸胴に放り込んだタコのように真っ赤になり、怒りが頂点に達した。
「貴様ら、今まで仕事中にそんなことをしとったのか!この――」次に来る言葉を察して全員、歯を食い縛る。
「バカども!!」
その後もジェフリーが退勤時間までがみがみと怒鳴り続けたため、ウィリアムたちは全く仕事にならなかった。
明くる日の昼、ウィリアムはズーチェン、デルシャドと共にランチをとっていた。
「全く、昨日は散々な目に遭ったぜ」ウィリアムはハムサンドにかじりついた。
「馬鹿げた苦労をしたもんだよなウィリアム」ズーチェンが気遣う。
「エラスモテリウムとか言うバケモンのせいでどれだけ死ぬ思いをしたか。おかげで寿命が縮んだよ」
「おまけに私物の持ち込みを禁止にされちまって、とんだとばっちりだよな。なぁ、おまえもそう思うよなデルシャド」ズーチェンがデルシャドの方を見やると、デルシャドは両手に持った二枚の写真に視線を注いでいた。
「デルシャド?」ウィリアムとズーチェンが写真を覗き込む。
二枚の写真は事務所前に設置された防犯カメラの映像をプリントアウトしたものであった。一枚はウィリアムたちが事務所に戻ってきたときの画像で、破損したホロスフィアを抱えているウィリアムの姿が写っており、もう一枚の写真は夕刻らしく、薄暗い景色で人は写っておらず、スミロドンの姿だけが写り込んでいた。
「こいつ、俺たちがいない時にこんなとこまで来ていたのか」
「何日前の写真かな?」ズーチェンは写真の端に表記された撮影日時を確認したが、その途端、動きが止まった。
「どうしたズーチェン?」ウィリアムも日時を確認する。
「おい、これって…」彼も同様に動きが止まり、二人の反応を見てデルシャドが口を開いた。
「そう…なんだよ、このスミロドンの姿が撮影されたのは今朝の、日の出の時刻なんだ。実はね、みんながこれ以上パニックにならないように、こっそり消してしまったんだけど、何かの足跡もその場にしっかり残ってたんだ。それで、このスミロドンが立体映像かどうか確かめたくて映像を写真にしてみたら、益々本物に見えてきて…」
「そんな。それじゃあ、ここに写っているこいつは…」思わず立ち上がるウィリアム。
「わからない。さっぱりわからない。でももし、このスミロドンが本当に生きている動物だとしたら、こいつは今もこの森のどこかに潜んでいるのかも」
「森のどこかで…!?」
同時刻、深い森の中で得体の知れない何かが、木の幹で爪を研ぐ音が木霊した―――。




