力さえあれば、救えると信じた
グレンが生まれた村では、冬になると人が死んだ。
雪崩に巻き込まれたわけでも、山から下りてきた魔物に襲われたわけでもない。秋に蓄えた食料が尽き、次の春を迎えるだけの力が身体に残らなくなるのだ。
ガルディア北部の山間にある、小さな村だった。土地は痩せており、短い夏の間に懸命に畑を耕しても、実る麦はわずかしかない。収穫した穀物を大切に分け合っても、冬の半ばには倉庫の底が見え始めた。
大人たちは一日に一度しか食べず、残ったものを子どもたちへ与えた。それでも全員が生き延びられるほどの量はなく、村人たちは誰かの家から泣き声が聞こえるたび、次は自分たちの番かもしれないと顔を伏せた。
グレンが七歳の冬には、隣家の老人が死んだ。八歳の冬には幼い子どもが二人亡くなり、九歳になった年には、妹が朝になっても目を覚まさなかった。
前の晩まで、腹が減ったと泣いていた。
何か食べるものはないのかと袖を引かれたが、グレンにも分けてやれるものはなかった。明日になって父が何か見つけてくると、根拠のない約束をして寝かせたことだけを覚えている。
その翌朝、母は冷たくなった妹を抱いたまま、一日中動かなかった。父は何も言わずに外へ出て、凍りついた地面を掘り続けた。
幼いグレンには、食べ物を手に入れる力も、妹を助ける知識もなかった。硬い土へ鍬を打ち込む父の背中を見ながら、せめて穴を掘るのを手伝おうとしたが、それさえ十分にはできなかった。
妹が土の中へ下ろされるとき、自分の手がまだ温かいことがひどく後ろめたかった。
その夜、村の老人が焚き火の前で勇者の話をした。
魔王軍に奪われた町を取り戻し、人々を苦しめる魔物を倒し、三本の聖剣を振るって世界を救った英雄が、かつてこの世界にはいたのだという。
アルト・レイヴァンという名を、グレンはそのとき初めて知った。
「勇者がいた頃は、こんな暮らしではなかったのか?」
尋ねると、老人は困ったように笑った。
「勇者が、すべての村へ食べ物を配って回ったわけではないからな」
「でも、魔王を倒したんだろ?」
「ああ。長い戦いを終わらせたそうだ」
「強かったから?」
「誰よりも強かったと聞いている」
老人はその後も何かを話していたが、グレンの耳にはほとんど残らなかった。
誰よりも強かった。
その言葉だけが、妹を埋めた日の記憶とともに、胸の奥へ刻み込まれた。
強ければ敵を倒せる。敵を倒して戦いを終わらせれば、畑を焼かれることも、運ばれてくるはずの食料が途中で失われることもなくなるのではないか。人々が安心して働けるようになれば、妹のように空腹のまま死ぬ子どももいなくなるのではないか。
飢えの原因を、幼いグレンが理解していたわけではない。ただ、自分には何もできなかったという事実が耐え難く、その反対にあるものへ縋りたかった。
力さえあれば、人を救える。
そう信じなければ、妹を失ったあの冬を越えられなかった。
◇
ガルディア軍の前線司令部では、占領したフェルナ領の地図が机いっぱいに広げられていた。
帝国軍を示す赤い駒が街道と拠点を押さえ、東から進出してきたルミナス軍の青い駒と向かい合っている。その間に残されたフェルナの駒はわずかしかなく、かつて独立した国であった領土は、今や他国の軍が動かす駒の下へ埋もれようとしていた。
「北部の集積所から、山岳地域への食料輸送を開始しました」
副官が報告した。
「ただし、輸送隊の不足が続いています。近隣の村については、住民を呼び寄せ、直接受け取らせています」
「帰路に護衛をつけろ。少なくとも占領地を出るまでは守らせる」
「その兵を捻出すれば、前線の警戒が薄くなります」
「荷車を奪われれば、山の村が飢える」
「ですが、護衛に回した兵が襲撃を受ける恐れもあります」
グレンは地図から顔を上げた。
「危険は承知している。それでも、民を飢えさせないために兵がいるのだ」
副官は何か言いかけたが、結局は口を閉じ、短く頭を下げた。
「承知しました。配置を調整します」
グレンは再び地図へ目を落とした。
フェルナから接収した食料は、帝国北部へ送られている。自分が生まれた山村にも、昔の自分と同じように空腹を抱えて眠る子どもたちにも、いずれ届くはずだった。
それが奪った食料であることは分かっていた。
麦を育てた者たちが、今も焼けた町で食べるものを探していることも知らないわけではない。机へ届く報告には、占領地の混乱も、避難民の窮状も記されていた。
しかし、食料は限られている。
誰かへ渡せば、別の誰かの取り分が減る。すべての人間を救えるだけの豊かさがないのなら、守る相手を選ばなければならない。
グレンが選んだのは、帝国の民だった。
そう考えるたびに、胸の奥に生じるわずかな痛みを押し殺してきた。選ばなかった側の顔を思い浮かべれば、命令を下せなくなる。将軍である自分が立ち止まれば、待っている者たちへ食料が届かなくなる。
「将軍。帝都より、皇帝陛下の使者が到着しました」
幕舎の外から兵士の声がした。
「通せ」
入ってきたのは、黒い軍装をまとった男だった。戦場には似つかわしくないほど衣服に汚れがなく、胸元には皇帝直属を示す金色の鷲章が輝いている。
男は形式的に一礼すると、封蝋された書状を差し出した。
「皇帝ヴァルガス陛下より、アルト・レイヴァンを名乗る者の拘束命令が出ております」
グレンは書状を受け取り、赤い蝋に刻まれた帝国の紋章を確かめてから封を切った。
命令は簡潔だった。アルトを名乗る者を拘束し、抵抗する場合に限って殺害を認めること。同行する銀白色の髪の少女と、フェルナ人の少女についても、共犯者として拘束するよう記されていた。
「抵抗すれば、殺しても構わんというわけか」
「陛下は、その者が反乱の旗印となることを懸念されています」
使者は淡々と答えた。
「正体を調べている間に民衆が集まれば、帝国内の秩序が揺らぎかねません」
「奴は、帝国へ反乱を呼びかけてはいない」
「今のところは、でしょう。勇者の名には、人を集める力があります。陛下は、その影響が広がる前に身柄を押さえるようお命じです」
グレンは書状を机へ置いた。
思い出したのは、先日の戦場で出会った黒髪の青年だった。
古びた剣しか持たず、身体も満足に動かない様子だったのに、フレイムベルグの力の流れを読み、水と風を使って炎をそらした。兵士を殺さず、傷ついた者を助け、最後には自分との決着よりも燃える町へ向かうことを選んだ。
何より、聖剣を見る目が記憶に残っていた。
強大な力を前にした恐れでも、それを手に入れたいという欲でもない。長く手に馴染んでいた道具が、見知らぬ者に乱暴に扱われているのを見たような目だった。
「捜索隊を出されますか?」
使者に尋ねられ、グレンは顔を上げた。
「私が向かう」
「将軍ご自身で?」
「奴が本当にアルト・レイヴァンなら、普通の兵では拘束できない。無駄に損害を増やすだけだ」
「本物だとお考えなのですか?」
「まだ分からん」
答えながら、腰のフレイムベルグへ手を置いた。
鞘越しにも、核に残った魔力の振動が伝わってくる。先日の戦いから、その間隔はどこか不揃いだった。握る手に力を込めるほど掌が熱を帯び、それが剣に蓄えられた力のためなのか、自分が動揺しているためなのか、切り分けることができなかった。
「私が拘束する。その際に、正体も確かめる」
そう告げたとき、胸の奥で蘇ったのは、初めてこの剣を握った日の痛みだった。
◇
フレイムベルグの封印解除部隊へ志願したのは、グレンが二十五歳の頃だった。
当時、帝国北部では三年続けて不作が起きていた。食料の価格は上がり、山村からは再び餓死者の報告が届き始めていた。
軍へ入ったことで、自分一人なら腹を満たせるようにはなっていた。それでも故郷へ送れるものには限りがあり、グレンは届いた報告を読むたび、妹を埋めた日の凍った土を思い出した。
兵士になり、鍛錬を重ね、以前よりもはるかに強くなったはずだった。
それなのに、山の村ではまだ子どもが死んでいた。
聖剣を手に入れれば何ができるのか、当時のグレンにも明確な答えがあったわけではない。ただ、帝国が戦いに勝ち、土地と物資を得れば、救える者は増えると信じていた。
封印の弱まったフレイムベルグへ触れた者の多くは、噴き出す炎に耐えられなかった。手を焼かれた者だけでなく、腕を失った者や、命を落とした者もいた。
グレンが柄を握ったときも、骨の内側まで焼くような熱が全身を駆け抜けた。
反射的に手を離しかけた。その瞬間、最後の夜に自分の袖を引いた妹の指を思い出した。
何かをしてやりたいと思いながら、何一つできなかった。
今また手を離せば、自分はあのときと同じ場所へ戻るのではないか。
歯を食いしばり、焼ける柄を握り続けた。助けたいという願いと、二度と無力な自分へ戻りたくないという恐れが、痛みの中で区別できなくなっていた。
やがて炎が収まったとき、剣はグレンの手に残っていた。
皇帝はその姿を見て告げた。
「剣がお前を選んだ」
グレンは、その言葉を疑わなかった。
かつてアルト・レイヴァンが振るい、世界を救った聖剣を、自分は手放さずに握り続けた。ならば、その力を受け継ぐ資格が自分にはあるのだと思った。
妹を救えなかった少年ではなく、誰かを救える者になれたのだと、ようやく信じられた。




