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守る剣が奪う水

「兵だ! ルミナス兵が来る!」


 川の上流へ続く道に、青と白の軍旗が現れた。


 騎兵と歩兵を合わせて十数人ほどだった。先頭には銀色の鎧を着た男がおり、こちらの作業を見つけると、すぐに声を張った。


「全員、水路から離れろ! その作業を中止せよ!」


 村人たちの動きが止まった。


 先ほどの男が、鍬を持ったまま前へ出た。


「水路を直しているだけだ!」


「その水は、軍事目的で封鎖されている!」


「俺たちは農民だ。子どもの飲み水まで止めるつもりか!」


「ガルディア領へ流せば、帝国軍の補給を助けることになる!」


 ルミナス兵たちが水路を囲むように進んできた。


 アルトは立ち上がった。胸の痛みは収まっていたが、身体に残る重さは消えていなかった。


「まず、話す」


 フィオナへそう告げると、彼女は腕を放しながらも厳しい目を向けた。


「戦うために出るのではないでしょうね」


「そのつもりはない」


「なら、私たちの声が届く場所にいて」


 アルトは頷き、村人たちの前へ出た。


「作業のことなら、俺に聞いてくれ。村の人たちへ武器を向けないでほしい」


 指揮官は三十歳前後に見えた。鎧には王国軍の水鳥の紋章が刻まれている。


「名前は?」


「通りかかった旅人だ。水路の修復を手伝っていた」


「名を聞いている」


 答えをためらったとき、指揮官の視線がアルトの髪から剣へ移った。作業で頭巾は落ち、フィオナも髪を隠しきれていない。


 その目が鋭くなった。


「黒髪の青年に、銀白色の髪の女。それに、弓を持つ少女か」


 兵士たちへ合図が送られ、槍が構えられた。


「聖剣を破壊した一行の特徴と一致する。その剣を渡せ」


「渡すことはできない」


「ならば、抵抗する意思があると見なす」


「まだ、誰にも剣を向けていない。先に水路の話をしている」


「水路は止める。三人は身柄を拘束し、国境の砦へ連行する」


「ここにいる人たちの水は、どうする?」


 指揮官は村へ目を向けたが、すぐにアルトへ視線を戻した。


「水を戻せば、帝国軍も動きやすくなる」


「この流れだけで、軍を養えるわけじゃない。村の飲み水だ」


「敵国の村であることに変わりはない」


「だからといって、渇かせていい理由にはならない」


 指揮官の顔が険しくなった。


「少数を切り捨てなければ、より多くが死ぬこともある」


「切り捨てると決められた人たちは、ここにいる。せめて、その暮らしを見てから話してくれ」


「王都にも、大勢の民がいる!」


「ここにもいる」


 指揮官は唇を結び、腰の剣を抜いた。


 刀身へ淡い青い光が宿った。水の力を扱う術剣らしいが、聖剣のような膨大な気配はない。


「水路を塞げ。三人は拘束する!」


 数人の兵士が取水口へ向かった。


 村人たちが立ちはだかり、男が兵士へ押しのけられて転倒した。


「やめて!」


 リナが弓を取った。


 アルトは片手を上げた。


「人の近くでは放つな。村の人を下げてくれ!」


 最初の槍が突き出された。


 アルトは半身になってかわし、剣の腹で柄を横へ弾いた。相手が握り直す前に懐へ入り、槍を持つ腕を押して転ばせる。


 横から迫った剣も、正面では受けなかった。刃を滑らせ、相手の力を流しながら柄頭で手首を打つ。


 以前なら、そのまま次の攻撃へ備えられたはずだった。だが、今は身体の反応が遅れ、迫る盾をかわしきれずに体勢を崩した。背後から来た刃を辛うじて受けると、無銘の剣の奥が軋み、その振動が握る手へ伝わった。


「アルト、右へ!」


 フィオナの声とともに、地面を這う風が兵士の足を払った。


 アルトはその隙に離れた。


 リナは村人たちを水路から下げ、兵士の一人が追おうとすると、進路の先へ矢を射込んだ。男が足を止めたところへ、フィオナの風が横からぶつかり、体勢を乱した。


「王国の敵め!」


 指揮官が踏み込んできた。


「次はアクアレギアを狙うつもりだろう!」


「まず、何が起きているのか調べるつもりだ!」


 刃がぶつかり、指揮官の剣から水が弾けた。


 刀身へまとわせた水を足元へ広げ、踏み込みを滑らせる術だった。飲み水を失った土地で、軍の武器には水の力が配られている。そのことへ意識が向いた一瞬、アルトの足が取られた。


 腹へ蹴りを受け、後方へ倒れる。


 右脇腹を石へ打ちつけ、鋭い痛みが走った。


 追撃を転がって避け、右手で剣を握り直したが、腕にうまく力が入らなかった。アルトは無理に立とうとせず、迫る刃へ短い風を当てて軌道をそらした。


「下がって!」


 フィオナが横へ来た。


 彼女に支えられて起き上がると、水路の入口では兵士が鍬を持ち上げていた。


 石組みを崩すつもりだった。


「水路が――」


「見えているわ!」


 フィオナが風を送ったが、別の兵士が盾を前へ出した。鍬を持った男が、その陰で足場を固め直す。


 アルトは剣の切っ先を下げた。


 長く戦う余力はない。兵士を一人ずつ退けている間に、水路が壊される。


「風を、低く通す。村の人を離してくれ」


 フィオナの顔が強張った。


「今の身体で、大きな術は駄目よ」


「一度で止める。力を広げるのではなく、水路に沿わせる」


 彼女は一瞬アルトを見た後、兵士と村人の位置を確かめた。


「……私も流れを絞る。それ以上は使わないで」


 契約印が光った。


 アルトは剣先を地面へ触れさせ、風を低く走らせた。人の身体を刃で裂くのではなく、武器と盾を押し、足場を崩すために向きを整える。


 突風が水路に沿って吹き抜けた。


 構えの乱れていた兵士から槍が離れ、盾を押された者が後ろへ転んだ。鍬も振り下ろされる前に横へ流され、石組みから離れた地面へ落ちる。


 指揮官も片膝をついた。


 アルトはすぐに精霊力を送るのをやめた。


 胸の奥が重くなり、視界が暗くなりかけたが、剣を下げたまま踏みとどまった。


「水路は壊させない」


「敵国を助けるのか」


「目の前で渇いている人を助けている」


「それで帝国軍が進み、ルミナス兵が死んだらどうする!」


「軍を進ませない方法は、別に考える必要がある。それを、この村の人を渇かせる理由にはしたくない」


「自分の力で、何でも変えられると思っているのか」


 アルトは乾いた川へ目を向けた。


「川全部を戻すことも、軍をこの場からなくすこともできない」


 それを認めるのは、苦しかった。


 水路を直しても、上流の封鎖は残る。この村を一度守っただけで、その先まで安全になるわけではない。


「それでも、今できることはある」


 背後で、水音がした。


 アルトが剣から力を引いた後も、村人たちは石組みを支え、漏れる場所を塞ぎ続けていた。その流れが、ようやく村の入口まで届いたのだ。


「来た!」


 子どもの声が上がった。


 村人たちが駆け寄ったが、先ほどの男が両手を広げて制した。


「まずは子どもと病人に配る水を確保しろ! 飲み水はきれいな器に分けて、煮沸するための火もおこしてくれ! 」


 水は少なかった。


 皆が一度にすくえば、すぐに流れは途切れる。それでも、空の椀へ水がたまっていくのを見て、少女の母親が顔を覆った。

 指揮官も、その様子を見ていた。


 やがて倒れた部下たちへ視線を移し、ゆっくり立ち上がった。


「この人数で、これ以上の拘束は難しい」


 悔しさを押し殺した声だった。


「負傷者を連れて退く。水路の件も、お前たちのことも報告する」


「今は、水路へ手を出さないんだな?」


 指揮官は、水を受け取る子どもへ一度だけ目を向けた。


「上から次の命令が来るまではな」


「分かった」


「勘違いするな。次は、もっと多くの兵が来る」


「そのときも、話をさせてくれ」


 指揮官は苦い顔をし、部下へ撤退を命じた。


 兵士たちは落ちた武器を拾い、手首や足を痛めた仲間へ肩を貸した。すぐには動けない者もいたが、致命傷を負ったように見える者はいなかった。


 それを確かめながら、アルトは彼らが上流へ引き返すのを見送った。


     ◇


 兵士たちの姿が道の向こうへ消えると、アルトは膝から崩れた。


 右手で地面を支えようとしたが、脇腹の痛みで力が入らなかった。剣を落とす前に、フィオナが肩を支えてくれた。


「ここへ座って」


 言われるまま岸辺へ腰を下ろすと、フィオナが外套を開いた。


 右脇腹には青黒い痣が広がり、その上の皮膚が擦れて裂けていた。土と血のついた布をリナが慎重にどける。


「骨は?」


「大きな損傷は感じない。でも、打ち身がひどいわ」


 フィオナが精霊の力を流し、傷口を翠色の光で包んだ。


 痛みが和らぎ、裂けた皮膚が少しずつ閉じていく。


「右手を動かせる?」


 アルトは指を曲げたが、その動きは思ったよりも遅かった。確かめるようにもう一度動かしたところで、傷口を覆っていた光が弱まり、指先の輪郭がかすかに揺れた。


 身体の輪郭が水面の映り込みのように揺らぎ、その向こうにある地面が一瞬透けて見えた。アルトは思わず息をのんで目を凝らしたが、すでに身体は元の姿を取り戻していた。


「今のは……」


 リナの声が震えた。


「見えたか?」


「うん。手が、少し透けたみたいに」


 フィオナは答えず、アルトの手首を握り直した。契約印へ力が流れ、薄くなっていた光がわずかに強まる。


「精霊術を使いすぎたのか?」


「その直後に不安定になったのは確かよ」


「今は戻っている」


「戻ったから、もう大丈夫ということにはならない」


 フィオナの声は低かった。


「今日はもう、精霊術を使わないで。剣も、重い物も持たない」


 アルトは右手を見つめた。


 普通の手に見える。指を動かすこともできる。


 それでも、自分の身体が一瞬、身体ではないものへ戻りかけたような感覚が残っていた。


「昨日より、悪くなっているのか?」


「少なくとも、新しい異変が出たわ。無理をしたときに、身体の形まで不安定になる可能性がある」


「フレイムベルグを壊したこととも、つながっている?」


 フィオナはすぐには答えなかった。


 だが、やがてアルトを見た。


「味覚の変化も、身体を巡る力の減少も、その後に起きてる。関係がないとは考えていないわ。ただ、どこまでつながっているのかは、まだ分からない」


「アクアレギアを調べる必要があるんだな」


「ええ。その前に、また身体を壊すようなことをしないでほしい」


 アルトは頷いた。


 リナが水路へ目を向けた後、こちらを見た。


「どうして、そこまで無理をしたの?」


「水路を壊されたくなかった」


「だからって……」


 彼女の声が途切れた。


 村の方では、水を受け取った少女が母親の手を握っていた。母親は椀を持ち、火を用意している家へ向かっている。


 アルトも、その姿を見た。


 村の人々を助けることはできた。だが、その結果だけを理由に、自分の無茶まで正しかったことにはできないと思った。


 倒れた自分を支えているのはフィオナで、リナは血のついた布を握っている。


「水が必要だった。でも、倒れれば二人に負担をかける。それも、分かっている」


「分かっているだけで終わらせないで」


 リナが言った。


 アルトは返す言葉を見つけられず、頷いた。


「少し、休む」


「夕方までは休んで」


 フィオナが答えた。


「その後の移動は、身体を確かめてから決める。巡回隊の報告が広がる前に国境を越えたいのは分かるけれど、今すぐ歩かせるつもりはないわ」


「分かった」


 今度は条件をつけずに答えた。


 フィオナはしばらく顔を見てから、ようやく手首を放した。


     ◇


 夕方まで、アルトは村の木陰で休んだ。


 リナは村人たちと水を運び、フィオナは取水口と水路の弱い部分を確かめていた。土の精霊へ協力を頼みながら、村人が石を置き直せるよう手順を伝えている。


 流れてくる水は、畑を潤すほどではなかった。


 井戸の水位が戻ったわけでもない。それでも、子どもへ渡す椀に水が入り、火の上には湯を沸かす鍋が掛けられた。


 朝から変わったものは、わずかだったのかもしれない。


 だが、村人たちの顔には、それまで見えなかった表情が浮かんでいた。


 先ほどの男が、木の椀を持ってやってきた。


「水だ。煮沸したばかりだから、まだ少し温かい」


「村の人に回してくれ。俺たちには、持ってきた分がある」


「お前の分も、分けた」


 男は椀を差し出したまま引かなかった。


「一人分を渡したら尽きるほどではない。受け取ってくれ」


 アルトは礼を言い、椀を受け取った。


「精霊たちと、村の人がつないだ流れだ」


「そういう言い方をする人間が、聖剣を壊したのか」


 アルトは男を見た。


「いつから気づいていた?」


「兵士が騒ぐ前から、少し怪しいと思っていた。あの戦いを見て、間違いないと思ったよ」


「俺たちに水を渡したと知れれば、面倒になるかもしれない」


「村の水路を直した旅人へ、水を渡しただけだ」


 男はそう言って、隣へ腰を下ろした。


 アルトは椀を見つめた後、一口飲んだ。


 温かさが喉を通った。味は分からなかったが、乾いていた口の中が潤う感覚はあった。


「どうだ?」


「ありがたい」


 男はアルトの顔を見た。


「あまり、具合がよさそうではないな」


「味が分からなくなっているんだ」


「病気か?」


「身体の調子が、少し悪い」


「それで、兵士と戦ったのか」


 男は呆れたように息を吐いた。


「馬鹿だな」


「今日は、そう言われても仕方ない」


「今日だけではなさそうだがな」


 アルトは苦笑した。


 男もわずかに笑い、それから水路へ顔を向けた。


「フレイムベルグを壊したことを、恨んでいる者はいる。俺も、それがよかったのかは今でも分からん」


「ああ」


「だが、今日この村を助けたことは忘れない」


 アルトは何か言おうとしたが、男は先に続けた。


「帝国は水を取り戻せなかった。ルミナスは水を止めた。お前たちは、少しだけ流した。今の俺たちには、それが必要だった」


 椀を包む手へ、温かさが伝わってきた。


 大きな戦いに勝ったわけではない。上流を取り戻したわけでも、村の安全を約束できたわけでもない。


 それでも、今日飲む水を必要としている者たちには、その少しが大きかった。


「次の部隊が来れば、水路はどうなる?」


 アルトが尋ねると、男は首を振った。


「分からん。ルミナスが来れば、また塞がれるかもしれない。帝国が来ても、軍のために水を集めるかもしれない」


「守りきれるという約束は、俺にもできない」


「分かっている。だから、簡単に約束しなくていい」


 男は村を見渡した。


「今日は水が来た。まず、それで一日を越えられる」


 アルトは、その言葉を静かに受け止めた。


 国の勝利や軍の進路について語っている間にも、今日の水を待っている人々がいる。大きな事情を知れば、その小さな必要を後へ回してよいわけではなかった。


「ルミナスへ行くのか?」


「ああ」


「アクアレギアも壊すつもりか」


「聖剣を兵器として使い続けさせたくはない。ただ、何を止め、何を残すべきかは、確かめてから決めたい」


「この川を見てもか?」


 男が乾いた川筋を指した。


「これが、あの剣の使い方だ」


「ここで起きていることを、なかったことにはしない」


 アルトは男へ向き直った。


「そのうえで、使っている相手の話も聞く。王都を守っているという話が本当なら、その力を失わせた後のことも考えなければならない」


「話せば、水が戻ると思うか?」


「話すだけで戻るとは思わない。何を恐れて止めているのか分かれば、別の方法を探せるかもしれない」


「見つからなければ?」


「そのときは、聞いたことも、ここで見たことも踏まえて決める」


 男はしばらくアルトを見ていた。


「勇者というのは、もっと迷わない人間だと思っていた」


「百年前も、そう思われていたらしい」


「実際は?」


「迷うことばかりだった」


「伝説とは違うな」


「伝説には、迷っていた時間まで残りにくいからな」


 男は小さく笑った。


 アルトも椀を持ち直し、もう一口、水を飲んだ。


     ◇


 日が沈む頃、三人は村を離れた。


 出発前にフィオナが身体を確かめ、ゆっくり歩くことだけを認めた。戦闘も精霊術も避け、異変があればすぐに止まるという条件だった。


 村人たちは水路の周囲を補強し、貯水槽へたまる水を順番に運んでいた。子どもたちが小さな桶を抱えて待つ姿を見て、アルトは足を止めかけた。


 これですべて解決したわけではない。


 上流の封鎖が強まれば、流れはさらに減るかもしれない。巡回隊も、別の命令を受けて戻ってくるだろう。


 それでも、ここへ残ることだけが村を守る方法ではなかった。


 アルトは前を向いた。


「報告が広がる前に、国境を越えられる場所を探そう」


「急ぐために無理をするのは、認めていないわよ」


 フィオナが隣へ並んだ。


「分かってる。今夜は歩くだけだ」


「兵士に会ったら?」


「まず隠れる」


「追われたら?」


「逃げる。道は、二人にも見てもらう」


 フィオナがアルトを見た。


「その返事を、忘れないで」


 後ろでリナも頷いた。


 アルトは少しだけ肩をすくめ、足元を確かめながら進んだ。


 村から離れた道は、川沿いの斜面へ続いていた。木立の陰をたどり、前方の見通しが開けた岩場へ出たところで、三人は足を止めた。


 岩場から見えた上流の景色は、それまでの乾いた川筋とは不自然なほど違っていた。岩や土で造られた堰もないのに、山の間では大量の水がせり上がり、川幅いっぱいに広がっている。見えない力に押し留められた水は、下流へ向かう流れを失い、巨大な壁のような面を作っていた。


 上流側には豊かな水があった。


 支流へ分かれた流れの周囲では、木々が青々と茂っている。それなのに、壁のこちら側へこぼれる水はわずかしかなく、その下では川底が乾いていた。


 水が失われたのではない。


 そこにある水を、下流へ進ませていなかったのだ。


「これが……」


 リナの声が途切れた。


 フィオナが、水の壁へ目を凝らした。


「アクアレギアの力よ。ここまで近づけば、はっきり分かる」


 アルトにも、その気配は分かった。


 川を丸ごと押さえ込むほどの精霊力が、一定の形を保ちながら巡っている。その内側には無数の水の精霊が留められ、本来の流れへ戻れずにいた。


 フレイムベルグのように炎を広げ、町を焼く力ではなかった。


 形を壊さず、音も立てず、水の行き先を変える。


 その静かな働きによって、下流では畑が枯れ、家畜が倒れ、子どもが空の椀を抱えていた。


「守るための剣か」


 アルトはつぶやいた。


 フィオナは答えなかった。


 壁の向こうにはルミナス王国がある。王都の人々もまた、聖剣の力によって暮らしを守られているのかもしれない。


 ならば、その守りのために何が使われ、どこまでが犠牲として数えられているのか。持ち主へ確かめなければならなかった。


「まず、話をしよう」


「それで駄目だったら?」


 リナが尋ねた。


 アルトはすぐには答えられなかった。


 乾いた村と、空の椀を持つ少女が思い浮かんだ。一方で、水を戻せば、その川を利用して帝国軍が進む可能性もある。


 誰か一人を悪いと決めれば済む状況ではなかった。


「話を聞いたうえで、もう一度考える。ただ、下流の人たちを、このままにはさせない」


 リナは水の壁を見つめ、ゆっくり頷いた。


 三人はその場で術へ手を出さず、斜面の陰へ戻った。巡回兵を避けながら、ルミナス側へ抜ける道を探さなければならない。


 背後では、皆でつないだわずかな水が村へ向かって流れていた。


 前方には、その何倍もの水が、巨大な壁となって留められている。


 アルトは二つの流れを胸に刻み、フィオナとリナに足元を確かめてもらいながら、国境へ続く細道を進んだ。


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