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最初の聖剣、その代償

 赤い光が視界を埋めた。


 城壁に触れれば、石も人もまとめて焼き払われる。アルトはグレンへ向かうのをやめ、炎と町の間へ走り込んだ。


「アルト!」


 フィオナの叫び声が聞こえた。


 正面から押し返す力はない。水で受け続ければ、その精霊力ごと炎へ奪われる。風も、向きを誤れば炎の勢いを増すだけだ。


 それでも、二つを短く使い分ければ、流れを崩せるかもしれない。


「フィオナ、水を貸してくれ!」


「長く触れさせたら、吸い上げられる!」


「一瞬で切る。その後に風を!」


 フィオナは答える代わりに、契約を通じて力を送ってきた。


 町の井戸や地下の水脈に宿る、小さな精霊たちの気配が伝わってくる。彼らは水そのものを失わせるのではなく、自らの力の一部を分けてくれた。


 無銘の剣が青白く輝いた。


 アルトは炎の下縁へ水の力をぶつけた。


 激しい蒸気が上がり、奔流の表面がわずかに乱れる。炎が精霊力を取り込もうと膨らみ始める前に、アルトはつながりを切り替えた。


 続いて送られた風を、斜め下から叩き込む。


 炎の先端が、ほんのわずかに上がった。


「もう一度!」


 フィオナの声に応じ、アルトは剣を返した。


 水で流れを乱し、その直後に風で向きを変える。同じ場所へ力を注ぎ続けず、炎が吸い上げるより先に接触を断った。


 刀身へ亀裂が走った。


 腕の感覚が薄れ、剣を握っているのかどうかさえ分からなくなる。それでも、送られてくる力の流れだけを頼りに刃を動かした。


 応じてくれた精霊たちの気配が、一度使うごとに弱くなっていく。


 アルトは離れようとする者を引き止めなかった。力を使い切る前に退かせ、まだ応じられる者へ呼びかけた。


「あと少しだけ、頼む」


 小さな光が再び集まった。


 刃先が欠け、亀裂が刀身の中央まで伸びた。


 その代わり、炎の進路は少しずつ上を向いた。城壁へ届く直前、その上端を越え、町の屋根すれすれを抜けて空へ駆け上がる。


 轟音とともに、雲が赤く裂けた。


 熱風が町へ押し寄せ、屋根瓦が舞い、窓が砕けた。飛び散った火が何軒かの屋根へ移り、逃げる人々が地面へ伏せる。


 無傷では済まなかった。


 それでも、町をのみ込むはずだった炎の本流は、上空へ抜けていた。


 アルトは片膝をついた。


 背後の城壁は残っている。その向こうから聞こえる悲鳴に混じり、互いを呼び合う声や、消火を指示する声が届いた。


 まだ、助けられる。


「フィオナ、町を頼む!」


 アルトは声を絞り出し、グレンへ向き直った。


 最大出力を放ったフレイムベルグでは、核の周囲を巡っていた炎が消えていた。赤い刀身の中央で、白い核だけが剥き出しに輝いている。


 今しかなかった。


 膝へ力を込めて立ち上がり、グレンへ向かって踏み出す。


 帝国兵が前へ出ようとしたが、アルトは残された風を足元へ集中させた。低く跳び、構えかけた盾の上端を越える。


 着地した瞬間、足が崩れかけた。


 右足で踏み直し、最後の数歩を詰めた。


「近づくな!」


 グレンが剣を引き寄せた。


 刀身へ魔力が流れ込んだが、炎は戻らない。大きく放出された後の循環は、まだ整っていなかった。


 グレンはフレイムベルグの刀身で、アルトの剣を受け止めた。金属音が響く中、アルトは接触した刃を滑らせ、切っ先を白い核へ向けた。


「それを壊せば、帝国の民が――!」


「この剣で奪い続ける道は、ここで止める!」


 切っ先が核へ食い込むと、白い光が弾け、その表面に細い亀裂が生まれた。アルトは反射的に押し込みかけた刃を止めた。蓄えられた力を逃がす前に砕けば、守ろうとした町まで巻き込んでしまう。


 亀裂から漏れようとする精霊力が、無銘の剣を伝って腕へ押し寄せた。熱ではなく、密度の高い力だった。身体の内側へ入り込まれれば、そのまま形を失いそうだった。


「フィオナ、核に届いた! 上へ逃がす!」


「流れをつなぐわ。押し込まないで!」


 契約印から風の力が届いた。


 アルトは刃をわずかに傾け、亀裂から漏れる力の向きを上へ導いた。核に突き立てた剣を出口の一部として使い、町へ広がろうとする流れを細く絞り上げる。


 白い光が柱となって昇った。


 無銘の剣の内部で、何かが軋んだ。鉄と木の芯が負荷に耐えかね、握る手の中まで振動が伝わってくる。


「やめろ……」


 グレンが、震える声で言った。


「この剣がなければ……」


 アルトはその顔を見た。


 怒りよりも、恐れが浮かんでいた。


 何を失うと思っているのか、すべてを理解することはできない。それでも、今ここで手を緩めれば、また誰かが焼かれる。


「剣がなくても生きられる道を、探さなければならない」


「そんなものが、どこにある!」


「俺にも、今すぐ示せる答えはない」


 アルトは歯を食いしばった。


「だからといって、町を焼かせるわけにはいかない!」


 光の柱へ力が逃げ始め、核の圧力がわずかに弱まった。


 その変化を確かめてから、アルトは剣を押し込んだ。


 核を走る亀裂が広がり、刀身全体へつながっていく。


 最後に残った支えが砕けた瞬間、アルトは剣をひねり、出口を上空へ開いた。


 第一聖剣フレイムベルグが、無数の欠片となって砕け散った。


 逃がしきれなかった力が爆ぜ、大地を震わせた。


 アルトは後方へ吹き飛ばされた。地面へ肩を打ちつけ、転がりながら右腕で身体をかばう。


 ようやく止まったとき、手にはまだ無銘の剣が残っていた。


 少し離れた場所では、グレンも地面へ倒れていた。鎧の一部が割れ、砕けた柄を握る右腕から血が流れている。


 その頭上を、解き放たれた精霊力が昇っていった。


 赤黒い炎ではなかった。


 橙色の光に金色が混じり、やがて白い粒となって空へ広がる。上空で勢いを失った光の一部は、大地や草原へ降り、周囲に残っていた小さな精霊の気配へ溶け込んでいった。


 フィオナから伝わってくる力も、少しだけ緩んだ。


 どうにか、流れを逃がせたのだろう。


 燃えていた草地の炎が変わった。


 赤黒い輝きが薄れ、乾いた草を燃やす普通の火へ戻っていく。町の屋根へかけられた水が、今度は確かに火の勢いを弱めていた。


 アルトは深く息を吐いた。


 剣を壊しても、焼けた町が元へ戻るわけではない。失われた精霊や、奪われた命が帰ってくるわけでもなかった。


 それでも、これ以上あの剣に命と力を奪われることは止められた。


「フレイムベルグ……」


 グレンの口から、かすれた声が漏れた。


 柄を握る指の間から赤い欠片が落ち、その瞼が閉じる。アルトは胸がかすかに上下しているのを確かめ、ようやくその場へ膝をついた。


     ◇


「アルト!」


 北門からフィオナが駆けてきた。リナもその後ろへ続いている。


 帝国兵たちは盾を構えたまま、砕けた聖剣と倒れた将軍を交互に見ていた。次の命令を出す者がいないのか、すぐには近づいてこなかった。


 フィオナがアルトの前へ膝をついた。


「何とかなったな」


 そう言うと、彼女はひどく険しい顔をした。


「どこがよ」


「町は残った」


「あなたも剣も、壊れる寸前でしょう!」


 アルトは手に残った無銘の剣へ目を落とした。


 刃先は大きく欠け、刀身の中央まで深い亀裂が走っていた。今こうして形を保っていること自体が、不思議なくらいだった。


 フィオナは刃へ手をかざし、内部を確かめた。


「直るか?」


「応急補修ならできるわ。でも、内部の損傷までは消せない」


「また使えるなら、助かる」


「同じ使い方をしたら、次は折れるかもしれないのよ」


 アルトは軽く返そうとして、やめた。


 剣が折れれば、自分だけでなく、助けようとした者まで危険にさらす。


「分かった。どう補えばいいか、後で教えてくれ」


 フィオナの表情が、わずかに緩んだ。


「その前に、腕を見せて」


 包帯の焼け残りを外されると、傷の一部が裂けていた。右手にも熱による腫れがある。フィオナが治療へ取りかかろうとしたとき、すぐ近くで弓弦の張る音がした。


 アルトは顔を上げた。


 リナが、倒れたグレンへ矢を向けていた。


 グレンは動かなかった。砕けた鎧の隙間から、呼吸する胸だけがわずかに上下している。


「リナ」


「退いて」


 矢先が、グレンの胸を捉えていた。


「今なら殺せる」


「そうだな」


「こいつがフェルナを焼いた。私の家族を殺した。さっきだって、また町を焼こうとした!」


「分かってる」


「なら、止めないで!」


 アルトは痛む身体を起こし、二人の間へ入った。


 リナの目が見開かれた。


「あなたには、関係ない!」


「一緒に旅をしている。その相手が今、矢を放とうとしているのを、関係ないとは思えない」


「それだけで、私の邪魔をするの?」


「グレンのしたことを、許せと言っているわけじゃない」


 アルトは、背後へ倒れた男を一度だけ見た。


「剣を壊しても、こいつの責任は消えない。生きたまま、したことへ向き合わせたい」


「帝国が裁くと思う? フェルナを焼いた将軍を、フェルナの人たちへ引き渡すと思うの?」


 答えに詰まった。


 その保証はなかった。


 グレンが帝国へ戻れば、敗北だけを責められ、町を焼いたことは功績として残るかもしれない。


「分からない」


「だったら、ここで――」


「分からないまま、リナに今すぐ殺していいとも言えない」


「私は殺したい!」


 リナの手が震えた。


 アルトは、その目から視線を逸らさなかった。


「家族のために殺したいの。こいつだけ生きているなんて、おかしい!」


「ああ」


「なら、どうしてそこに立つの!」


 頬に涙が伝った。


 アルトには、その悲しみを埋める言葉はなかった。家族を失った彼女へ、何を背負うことになるのか分かっているような顔をする資格もない。


「リナが何を感じるか、俺には決められない」


 できるだけ静かに言った。


「殺せば必ず後悔するとも、殺さなければ救われるとも言えない。それでも、取り返しのつかないことをする前に、今は止めたい」


「こいつがしたことは、もう取り返しがつかない!」


「そうだ」


「私の家族は戻らない!」


 アルトは頷いた。


 リナの矢先が下がりかけ、再び上がった。


 弓を引く指に力がこもり、やがて緩む。その動きを見ながら、アルトは一歩も退かなかった。


 長い沈黙の後、リナは掠れた声で言った。


「……今は、決められない」


 ゆっくりと弓弦が戻され、矢先が地面へ向いた。


「許したわけじゃない」


「分かってる」


「納得もしていない。あなたが正しいと思ったわけでもない」


「ああ」


「いつか、やっぱり殺したいと思うかもしれない」


「そのときも、話してくれ」


 リナは涙を拭おうともせず、アルトを睨んだ。


「嫌な人」


「そうだろうな」


 彼女は矢を抜き、顔を背けた。


 その背中へ何かを言おうとしても、言葉は出なかった。


「将軍を収容しろ!」


 副官の声で、帝国兵たちが動き始めた。


「全軍、北へ撤退する。ルミナス軍が接近する前に、隊列を立て直せ!」


 数人がグレンへ駆け寄った。


 アルトは剣を持ち上げかけ、町の方を振り返った。


 北門の内側では、熱風に倒れた者たちが運ばれている。屋根の火も、まだ完全には消えていない。ここで将軍の身柄を奪い合えば、再び戦いになり、その救助まで止まってしまう。


 そもそも、今の身体で兵士たちを押し留められるかも分からなかった。


 生きて責任を負わせると言いながら、その場を作る力が自分にはない。


 その事実を、苦くのみ込んだ。


 副官が警戒しながら近づいてきた。


「将軍は帝国へ連れ帰る」


「生かしてくれ」


「当然だ」


「敗北の責任だけを問うて、終わりにするな。こいつには、フェルナの生き残りへ答える責任がある」


「それを決めるのは帝国だ」


 アルトは副官を見た。


「なら、この件は終わっていない」


 副官は答えなかった。


 グレンを担がせ、負傷者とともに隊列の中央へ運ばせる。帝国兵たちは三人を警戒しながら、北へ撤退していった。


 アルトはその背中を見送った。


 隣にいるリナが何も言わないことが、責められるよりも重かった。


 帝国兵たちが離れてから、フィオナはアルトの腕へ手を当てた。裂けた傷を塞ぎ、町から持ってきた布で包み直す。完全には治せなかったが、出血は止まった。


 北壁の上から、見張りの声が響いた。


「東のルミナス軍が、進軍を止めています!」


 アルトが目を向けると、遠くの軍旗はそれ以上近づいてこなかった。


 聖剣から解放された精霊力が、まだ空と大地を巡っていた。彼らには、何が起きたのか分からないのだろう。こちらから見える範囲では、陣形を整え直しているようだった。


 少なくとも今は、町へ攻め込んでくる様子はなかった。


 アルトはフィオナの肩を借りて立ち上がった。


 戦いは止まった。


 だが、助けなければならない者たちは、まだ町の中にいた。


     ◇


 夜になると、ノーゼンの城壁の外に、いくつもの焚き火が灯った。


 住民たちは南側に設けられた避難場所へ集まっていた。火の移った家を離れた者や、再び攻撃されることを恐れて城内へ戻らない者もいる。


 帝国軍は退き、ルミナス軍も離れた場所で進軍を止めたままだった。


 明日、何が起きるかは分からない。それでも今夜、町が焼き尽くされることはなかった。


 アルトは焚き火の前で、木の椀を両手に包んでいた。


 野菜と干し肉を煮たスープから、湯気が上がっている。


「食べないの?」


 隣へ座ったリナに尋ねられ、アルトは匙を動かした。


「食べてる」


「さっきから、同じところをすくっているだけだけど」


 椀を見ると、確かにほとんど減っていなかった。


「考え事をしていた」


「口に合わない?」


「そうじゃない」


 アルトは一口飲んだ。


 温かさは分かった。喉を通り、腹へ落ちていく感覚もある。


 しかし、味がしなかった。


 塩気も、干し肉の旨味も、煮込まれた野菜の甘さも、何一つ感じられない。疲れすぎているのかと思ったが、もう一口飲んでも変わらなかった。


「どう?」


 リナに聞かれ、アルトは椀から顔を上げた。


「温かいな」


「味のことを聞いたの」


「……少し、分かりにくい」


 リナの眉が寄った。


「さっきの熱で、口を火傷したんじゃない?」


「そうかもしれない」


「フィオナに見てもらって」


「ああ」


 アルトは椀を置いた。


 身体の痛みとは違い、何かが静かに失われているような感覚だった。けれど、今はそれをうまく説明できなかった。


 少し離れた場所では、フィオナが無銘の剣を補修していた。


 淡い翠色の光の中で、大樹の枝を使った芯から細い繊維が伸び、欠けた刃の輪郭を埋めていく。失われた鉄が戻るわけではなく、精霊力を帯びた木の繊維が、刃として使える形を補っているのだという。


 やがて表面は整ったが、奥へ走った亀裂は残っていた。


「直らないのか?」


「使える状態には戻すわ」


 フィオナは内部へ力を流しながら答えた。


「でも、負った損傷をなかったことにはできない。しばらくは、強い力を一度に通さないで」


「分かった」


「分かったと言うだけでは駄目よ」


 アルトは苦笑しかけ、頷き直した。


 応急補修を終えたフィオナが剣を置くと、リナが彼女を呼んだ。


「アルト、スープの味が分からないって」


 フィオナの手が止まった。


「味が?」


「少し疲れたのかもしれない」


 アルトが言うと、彼女はすぐそばへ来た。


「手を出して」


「口を見るんじゃないのか?」


「先に、身体の状態を確かめるわ」


 アルトは左手を差し出した。


 フィオナが手首を握り、掌へ指を触れた。


 その表情が変わった。


「冷たい」


「夜だからな」


「そういう冷たさではないわ」


 彼女の手が胸元へ移った。


 アルトは何か言おうとしたが、真剣な顔を見て口を閉じた。


     ◇


  フィオナは目を閉じ、契約を通じてアルトの身体へ精霊力を流した。


 蘇生した直後から、不完全な身体であることは分かっていた。それでも、今朝まで保たれていた流れの一部が失われている。傷へ力を送っても、身体の奥に生じた空白までは埋まらなかった。


 フレイムベルグを壊したことと、関係があるのだろうか。


 魂を呼び戻す際にたどった魔力の痕跡を確かめようとしたが、戦いで乱れた流れの中では、以前との違いを十分に読み取れない。疲労や負傷によるものなのか、それとも別の変化なのか、今の確認だけでは判断できなかった。


「どうした?」


 目を開けると、アルトがこちらを見ていた。


「消耗が大きいわ。今夜は休んで。少し力を補うから、変わった感じがしたら教えてちょうだい」


「分かった。味が戻らないのも、調べてもらえるか」


「ええ。ほかの変化と合わせて確かめるわ」


 答えながら、フィオナは胸の内で疑いを整理した。剣を壊した直後に起きた異変を、疲れただけだと片づけることはできない。だが、恐ろしい可能性を思いついたからといって、それが事実だと決めることもできなかった。


 次の聖剣へ手を出す前に、何が起きているのかを調べなければならない。確かめられたことは、助ける方法が見つかっていなくても伝える。その決心を忘れないよう、彼女はアルトの隣へ腰を下ろした。


 リナが焚き火へ枝を足すと、火の粉が夜空へ舞い上がった。そのさらに上には、聖剣から解放された光が薄く漂っている。


 町を焼く炎は止められた。そのことを喜びたいのに、掌に触れるアルトの手は冷たかった。フィオナは手を重ねたまま、彼がゆっくりとスープを飲むのを見守った。






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