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13/22

炎が迫る町

 ノーゼンの南門が見えたとき、北の空はすでに赤く染まり始めていた。


 夕焼けには早すぎる光だった。街道の向こうから迫るフレイムベルグの輝きが、薄い雲の底を照らしている。


「まだ町には着いていない」


 リナが息を切らしながら言った。


「北門の方に、グレンたちの旗が見えない」


 細い農道を抜けた三人は、南門へ向かって走り続けていた。足元へ送られる風が踏み出す身体を支えてくれていたが、その力も先ほどから弱くなっている。


 隣を見ると、フィオナの銀白色の髪が汗で頬へ張りついていた。浅い呼吸を繰り返す横顔に、アルトは胸を締めつけられた。


「フィオナ、もう風を弱めていい」


「門まで、あと少しでしょう」


「顔色が悪い」


「あなたも、人の顔色を気にしている場合ではないわ」


 フィオナはアルトの左腕へ目を向けた。


「その腕を使わないで。さっきから、かばう余裕もなくなっている」


「気をつける」


「今度こそ、気をつけて」


 言い返そうとしたアルトより先に、リナが門を指さした。


「閉まっている!」


 ノーゼンは、もともと交易によって栄えた町だった。城壁は盗賊や魔物の侵入を防ぐためのもので、軍の攻撃に長く耐えられるほど高くも厚くもない。


 その低い城壁の上で、フェルナの紋章をつけた兵士たちが弓を構えていた。


「止まれ! 何者だ!」


「フェルナ出身よ!」


 リナが門の前で足を止め、声を張った。


「北の街道からガルディア軍が来る! この町を焼くつもりなの!」


 兵士たちの間に動揺が走ったが、門は開かなかった。


「ガルディア軍の接近なら、すでに斥候が確認している!」


「なら、どうして町の人を避難させていないの!」


「ここを明け渡せば、ルミナス軍を迎え入れられなくなる!」


 リナは言葉を失った。


 門上の兵士は、彼女の反応を振り切るように続けた。


「ノーゼンは補給拠点になる。先遣隊も東の街道まで来ているのだ。あと少し持ちこたえれば、合流できる!」


「その前に町が焼かれたら、どうするの?」


「ルミナス軍が来れば守ってもらえる!」


「間に合わなかったら?」


 返事はなかった。


 アルトは城壁の上を見上げた。弓を握る兵士たちの顔にも、恐れが浮かんでいる。彼らも助けが来るという知らせに縋っているのだろう。


「責任者と話したい」


「誰だ、お前は」


「アルト・レイヴァン」


 一瞬、門の上が静まり返った。


 やがて別の兵士が、吐き捨てるように言った。


「勇者を名乗っている偽物か」


「本物かどうかを調べるのは、後でいい。ガルディア軍には、フレイムベルグで町を焼く命令が出ている」


「だからこそ、援軍を待つのだ!」


「待つ間に避難を始めろ。先に人を逃がしてくれ」


「ここを失えば、フェルナを取り戻す機会が消える!」


 リナが門へ詰め寄った。


「取り戻すって、誰のために?」


「フェルナの民のためだ!」


「その民を、炎が来る場所へ残したままで?」


「黙れ!」


 兵士の一人が弓を引き絞った。


「お前たちがガルディアの回し者ではないという保証もない!」


 アルトは北の空へ目を向けた。赤い光は、先ほどよりも強くなっていた。


 力ずくで入れば、町の兵士たちから敵と見なされる。それでも、門の外で説明を続けている間にグレンが着けば、住民を逃がす時間そのものが失われる。


 弓を向ける相手を恐れるより、その判断を自分が下さなければならないことの方が重かった。


「門を開けてくれ」


 もう一度だけ呼びかけたが、兵士は答えなかった。


 アルトは無銘の剣へ手をかけた。


「壊すつもり?」


 リナに尋ねられ、門の合わせ目へ目を向ける。


「扉は残す。閂を外せれば、それでいい」


「外からできるの?」


「フィオナ、内側を調べられるか?」


 フィオナは短く頷き、細い風を木板の隙間へ送り込んだ。


「閂を支えている金具がある。右側の受けを壊せば、傾けられるはずよ」


「そこだけでいい。力を貸してくれ」


 剣を抜くと、城壁の上で号令が飛んだ。


「構えろ!」


 アルトは門へ走った。


 放たれた矢を剣と風で横へ払い、門の直前で踏み込む。木板の合わせ目へ切っ先を差し込み、フィオナに示された位置へ力を集中させた。


 内側で金具の砕ける音がした。


 しかし、閂はまだ落ちなかった。アルトは刃を深く差し直し、残った支えを突き崩した。


 重い木材が内側で傾き、扉を押さえていた力が抜けた。


「押してくれ!」


 リナが肩を当て、アルトも右手を添えた。フィオナの風が扉を押し、三人が通れるだけの隙間が開く。


「侵入者だ!」


 門を抜けた先で、兵士たちが槍を向けてきた。


 アルトは剣を構えたまま、足を止めた。


「戦うつもりはない」


「門を壊しておいて、何を言う!」


「閂の受けだけだ。扉は使える」


「捕らえろ!」


 数人が近づいたが、その向こうには町の人々が集まっていた。荷物を抱えた女性や杖をついた老人が、何が起きたのか分からないまま門前の騒ぎを見つめている。


 アルトは彼らへ向かって声を張った。


「ガルディア軍が、この町を焼くために来る! 南から避難してくれ!」


「嘘だ!」


 兵士が叫んだ。


「敵は町を奪うために来る。焼けば使えなくなるではないか!」


「ルミナス軍に使わせないために焼くんだ!」


 人々の間へ、ざわめきが広がった。


「今なら、まだ逃げられる。必要なものだけ持って、南門へ向かってくれ」


「家はどうなる!」


「店を置いていけと言うのか!」


「残れば、命を失うかもしれない」


 アルトの返事に、人々は黙った。


 家を捨てろと言われて、すぐに動ける者などいない。そこには暮らしがあり、仕事があり、家族と過ごした時間がある。


 何も持たない自分が、軽々しく言ってよいことではないと分かっていた。


 それでも、逃げてほしかった。


「リナ、避難できる場所はあるか?」


「南門から農道を東へ進むと、古い石切り場がある。町の人全員は入れないけれど、子どもや怪我人が身を隠せる場所はある」


「先にそこへ案内してくれ。歩ける人は、さらに町から離れるように」


「分かった」


 リナは近くにいた、幼い子を連れた女性へ駆け寄った。


「その子を連れて南門へ。重い荷物は置いていって」


「でも、夫が北側の倉庫にいるの」


 リナは一瞬迷った後、そばにいた青年へ顔を向けた。


「倉庫の人たちへ知らせてもらえる? 町の南から逃げるように伝えて!」


 青年は兵士たちと北の空を見比べ、やがて頷いて走り出した。


 女性も子どもを抱き上げた。その動きをきっかけに、一人、また一人と門へ向かい始める。


 フィオナがアルトの隣へ来た。


「町全体を覆う結界は張れないわ。移動に力を使いすぎた」


「分かってる。必要な場所だけ助けてくれ」


「あなたは?」


「北へ行く」


「一人で全部止めるつもりなら、今のうちにやめて」


 アルトは彼女を見た。ひどく疲れた顔だったが、その目はまっすぐこちらを捉え、一人で無茶をしないという返事を待っていた。


「力が必要になったら呼ぶ」


「必ずよ」


 アルトは頷いた。


 そのとき、北の見張り台で鐘が鳴った。


     ◇


 南門の兵士たちが、北壁へ向かって走り始めた。


 門前へ駆けつけてきた指揮官も、接近を知らせる鐘を聞くと、アルトへ向けていた怒りをのみ込んだ。


「そいつの拘束は後だ! 弓兵は北壁へ回れ!」


 アルトとフィオナは兵士たちに続き、町を縦に抜けた。


 北壁へ上がると、街道の向こうに黒地へ赤い獅子を描いた軍旗が見えた。その先頭にいるグレンが、城壁から少し離れた場所で馬を止める。


 東へ目を向ければ、ルミナス軍らしい旗も見えた。しかし、町へ到着するには、まだ距離がある。


「先遣隊はいるわ」


 フィオナが言った。


「ああ。でも、グレンが攻撃を始めれば間に合わない」


 帝国兵たちは城壁の外で陣形を整えた。盾を持つ兵士が前へ出て、その中央でグレンがフレイムベルグを抜く。


 赤い炎が上がった瞬間、城壁に並んだフェルナ兵たちの動きが止まった。


 白旗を掲げた帝国兵が一人、前へ進み出た。


「ノーゼンに告ぐ!」


 拡声の魔道具を通した声が、城壁の内側まで響いた。


「ルミナス軍への協力を直ちに停止せよ! 町の武装を解除し、兵士は城外へ出よ! 従うならば、住民の命は保証する!」


 フェルナの指揮官が前へ出た。


「ここはフェルナの町だ! 侵略者の命令に従う理由はない!」


「拒絶する場合、皇帝陛下の命により町を焼却する!」


 城壁の下で悲鳴が上がった。


「脅しだ!」


 指揮官は兵士たちへ向かって叫んだ。


「敵も使える町を失いたくはない! 援軍が来るまで持ちこたえるぞ!」


「ルミナス軍へ渡すより、焼く方がよいと判断された!」


 伝令の返答に、指揮官の顔が強張った。


 アルトはその横へ立った。


「住民の避難を認めてくれ」


「黙れ。まだ戦いもせず、町を捨てろと言うのか!」


「守るために戦うなら、人が逃げ切るまで守ってくれ」


「ここを失えば、国を取り戻す足場がなくなる!」


「その足場を守って、フェルナの人々がいなくなればどうする」


 指揮官が剣へ手をかけた。


「貴様に何が分かる!」


 アルトは、彼の握り締めた手を見た。


 故郷を奪われ、残った場所まで明け渡せと言われている。引けば何もかも失うのだと思う気持ちを、簡単に否定することはできなかった。


「町を失うのが、軽いことだとは言わない」


 アルトは静かに続けた。


「それでも、人が生き残れば、建て直す道を探せる。今は、その人たちを逃がしてくれ」


 指揮官は答えなかった。


 町の内側から、リナの声が上がった。


「南門から避難を始めている! 北側の人にも知らせて!」


 城壁へ続く通りには、少しずつ人の流れができていた。老人を背負った青年たちが歩き、子どもを抱いた女性の後ろを、負傷者を載せた荷車が続いている。


「勝手なことをするな!」


 指揮官が怒鳴った。


 リナは城壁を見上げた。


「勝手じゃない。この町の人が、自分で逃げると決めたの!」


「援軍が来れば守れる!」


「来る前に焼かれたら、どうするの!」


 リナの声が震えた。


「フェルナのためと言うなら、そこにいる人を置いていかないで!」


 アルトは指揮官を見た。


 彼は町の通りへ視線を落とし、唇を強く結んでいた。やがて、そばにいた兵士へ低い声で命じる。


「……動けない者を優先しろ。運べる者は、避難を手伝え」


 兵士が驚いた顔をした。


「だが、北壁の守りは解くな!」


 指揮官はそう付け加え、再び城外へ顔を向けた。


 帝国側から、返答を求める声が届いた。


 グレンがフレイムベルグを構え直すのを見て、アルトは階段へ向かった。


「アルト!」


「外へ出る。フィオナは避難を助けてくれ」


「町を背にして、あの炎を受けるつもり?」


「町へ向けさせないようにする」


 アルトは一度だけ振り返った。


「力が必要になったら、呼ぶ」


 フィオナは何か言いかけたが、やがて頷いた。


「聞こえるように呼んで。無理をする前に」


 北門へ下りると、指揮官の命令を受けた門番が、扉をわずかに開いてくれた。


 アルトはその隙間を抜け、一人で帝国軍の前へ歩き出した。


     ◇


「止まれ!」


 槍を向けた兵士たちを、グレンが片手で制した。


 開かれた道を進み、アルトは声の届く距離で足を止めた。


「町は明け渡すのか?」


 グレンが尋ねた。


「住民を避難させている」


「質問に答えろ」


「ルミナス軍は、まだ町へ入っていない。今いるのは、逃げようとしている人たちだ」


「敵軍はいずれ来る。その時間を与えるわけにはいかん」


「住民が逃げるまで待て」


「断る」


 フレイムベルグの切っ先が、アルトへ向いた。


「お前たちの拘束命令も出ている。剣を捨てろ」


「それも断る」


「ならば、力ずくで従わせる」


 アルトは無銘の剣を抜いた。


 背後の町では、避難が続いている。グレンを倒せれば、それに越したことはない。しかし、今必要なのは勝利よりも時間だった。


 一度でも町へ大きな炎を向けられれば、逃げ道ごと失われる。


「一つだけ聞く」


「何だ」


「本当に、住民が残ったまま焼くのか?」


 グレンの目がわずかに動いた。


「命令だ」


「皇帝ではなく、あなたの答えを聞いている」


「帝国の民を守るために必要だと判断した」


「剣を振るうのは、あなた自身だ。町を焼いた後で、皇帝の命令だったと言えば済むわけじゃない」


「黙れ」


 グレンが柄を握り直した。


「私の選択は、帝国を守ることだ!」


 踏み込む足が地面を蹴り、炎の刃が迫った。


 アルトは風をまとわせた剣で受け流し、赤い軌跡を人のいない地面へそらした。帝国兵たちが後退し、二人の周囲に空間ができる。


 グレンの攻撃は、街道で打ち合ったときより激しかった。


 皇帝の命令に従わなければならない焦りなのか、アルトへの怒りなのか。注がれる魔力が不規則に膨らみ、そのたびにフレイムベルグの炎も勢いを変えた。


「退け!」


「退かない」


「ここを守れば、ルミナス軍が進軍する!」


「だからといって、住民を焼くな!」


「敵を止めるためだ!」


「その敵ではない者まで巻き込んでいる!」


「必要な犠牲だ!」


 振り抜かれた刃を、アルトは身を沈めてかわした。頭上を通った炎が髪の先を焦がしたが、構わず懐へ入り、剣の柄を胸当てへ叩き込む。


 グレンがよろめいた。


 さらに踏み込もうとした瞬間、左腕へ激痛が走った。焦げた包帯の下で傷が引きつり、指先から力が抜ける。


 その一瞬を逃さず、グレンの拳が頬へ入った。


 視界が揺れ、続けて柄を脇腹へ打ち込まれる。アルトは地面へ転がり、右手をついて起き上がった。


「まだ動くか」


 グレンも息を切らしていた。


「昔から、しつこい方でな」


「英雄の余裕というわけか」


「余裕があるように見えるか?」


 口の中へ血の味が広がっていた。


 無銘の剣にも、新たな亀裂が増えている。これ以上、同じように打ち合ってはいられなかった。


 アルトはフレイムベルグの核へ目を向けた。


 大きな力を放った直後、核の輝きは弱まる。昨日も街道でも見た変化だった。今も攻撃の直後には、核を覆う炎の流れが薄くなるのが分かる。


 最大出力を放たせれば、さらに大きな隙ができるかもしれない。


 しかし、その炎を町へ向けさせるわけにはいかなかった。


「どうした。怖くなったか?」


「考えていた」


「何を?」


「その剣を壊す方法だ」


 グレンの顔が歪んだ。


「フレイムベルグは帝国の希望だ!」


「町を焼くために使わせるわけにはいかない」


「お前に決める権利はない!」


 アルトは剣を構え直した。


「俺が決めれば、それで正しいことになるとは思っていない。それでも、今は止める」


 グレンが再び斬りかかってきた。


 アルトは刃をそらしながら、町を背にした位置から少しずつ横へ移った。相手を回り込むように足を運び、やがて城壁が視界の端へ移る。


 そこから後退すれば、戦う場所を町から引き離せる。


「逃げるな!」


 グレンが追ってきた。


「なら、打ち返してみろ!」


 アルトは答えず、攻撃を流すことへ集中した。


 背後に広がるのは、すでに焼けた草地だった。帝国兵たちも二人を追って移動したが、フレイムベルグの炎を警戒し、近づいてはこない。


「アルト!」


 フィオナの声が風に運ばれてきた。


「何をするつもり?」


「最大出力の直後なら、核へ届くかもしれない!」


「壊す前に、蓄えられた力を逃がす必要があるわ!」


「分かってる。町から離して、上へ逃がす!」


 グレンが足を止めた。


 その視線がアルトの背後を確かめ、次いで町へ向く。


「私を、ここまで誘い出したつもりか」


 アルトは剣を握り直した。


 グレンは追ってこなかった。代わりに身体の向きを変え、フレイムベルグの切っ先をノーゼンへ向ける。


「お前を倒す必要はない」


「グレン」


「町を使えなくすれば、敵は進軍を止める」


 周囲の空気が、一気に乾いた。


 刀身へ力が集まり、赤い光が白に近づいていく。離れた場所の草まで熱で煙を上げ、核を巡る炎が幾重にも重なった。


「全員、射線から退避しろ!」


 副官の号令で、帝国兵たちが左右へ分かれた。


 アルトは走った。


 しかし、盾兵たちが横から回り込み、行く手を塞いだ。


「将軍を守れ!」


 アルトは盾の縁へ剣を当て、風で上へ跳ね上げた。開いた隙間へ入り、突き出された槍を払って進む。


 一人を越えれば、その後ろに次の兵士がいた。


 グレンまで届かない。


「フィオナ!」


「力を送るわ!」


 左手首の契約印が輝き、全身へ精霊力が流れ込んだ。それでも、町へ向けられた炎の膨張は止まらない。


「グレン、やめて!」


 風に乗って、リナの声が届いた。


 グレンの顔が、わずかに町へ向いた。


 北門の内側では、負傷者を乗せた荷車が運ばれている。城壁の階段を駆け下りる兵士や、その下で子どもを抱いて走る人影も見えた。


 あの男にも見えているはずだった。


 剣先がかすかに揺れ、刀身へ集まる炎の形が乱れた。


「将軍! ルミナス軍の先遣隊が、東方から接近しています!」


 副官の声が響いた。


 グレンが両足を踏みしめた。


「ここで止める」


 低い声が聞こえた。


 アルトは最後の盾を押しのけた。


「やめろ!」


 グレンが剣を振り下ろした。


 巨大な炎の斬撃が、ノーゼンへ向かって放たれた。


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