封印では終わらせない
街道脇では、そらした炎が麦畑を焼き続けていた。
フィオナが両手を伸ばし、風の流れを変える。火をすでに黒く焼けた地面へ押し戻すと、その周囲へ低い結界を張った。
「一時的に閉じ込めたわ。炎が結界の力を奪うから長くは保たないけれど、しばらくは燃え広がらない。その間に、剣の方を止めましょう」
「助かった」
アルトは無銘の剣を収めた。
「急ごう」
リナは頷いたが、北へ伸びる街道を見て唇を噛んだ。
「この道を走っても、馬には追いつけない」
「別の道はないのか?」
「ある。昔使われていた農道なら、ノーゼンの南門近くまで抜けられる」
リナが指したのは、街道の東側だった。焼け残った畑の向こうに、草に覆われた細い道が続いている。
「街道より、かなり短いの。ただ、途中に崩れた水路があるし、足場も悪い。馬では通れないけれど、私たちなら越えられる」
「案内できるか?」
「できる。でも、急がないと間に合わない」
フィオナが三人の足元へ風を集めた。
衣服の裾が揺れ、アルトは足にかかっていた重さがわずかに和らぐのを感じた。
「移動を助けるわ。身体を運ぶほどの力は出せないけれど、踏み出す足を支えるくらいならできる」
「ノーゼンまで続けられるのか?」
「必要なところで使う。あなたも、足元には気をつけて」
フィオナの声にも疲れが残っていた。無理をさせたくはなかったが、今はその力を頼る以外に間に合う道がない。
アルトは短く頷いた。
「頼む」
リナが先に農道へ入り、アルトとフィオナも後に続いた。
風に支えられていても、左腕の痛みは消えなかった。走るたびに包帯が傷へ擦れ、腹にはグレンの膝を受けた鈍い痛みが残っている。
それでも、足は動いた。
今はそれを確かめながら進むしかなかった。
◇
農道は畑の間を縫い、やがて低い土手に沿って続いていた。
リナが足場を確かめながら先を行く。その後ろを追いながら、アルトは街道で突きつけられた問いを考えていた。
グレンから奪い返した後、どうするのか。
また封印すればいいと、つい先ほどまで考えていた。今度こそ誰にも見つからない場所へ隠し、誰にも解けない術を施せばよいと。
しかし、その考えは百年前と変わっていなかった。
「さっきの話だけど」
隣を進むフィオナが口を開いた。
「グレンを止めるだけでは、終わらないわ」
「分かってる」
答えながらも、アルトはすぐに次の言葉を出せなかった。
聖剣そのものに意思があるわけではない。人を焼くことを選んだのは、使い手だった。力を正しく扱う者が持てば、再び多くの命を救うかもしれない。
百年前にも、仲間たちと同じことを話し合った。
魔王を倒した直後の世界には、強大な魔物が残っていた。精霊の循環が乱れ、復興の見通しが立たない土地も多かった。
再び大きな脅威が現れたとき、聖剣が必要になるかもしれない。
破壊を求める意見もあったが、アルトは残すことに賛成した。危険を理解していても、未来を守るための力まで失わせるべきではないと考えたのだ。
あのときの判断に理由があったことは、今も変わらない。
それでも、その結果として町が焼かれている。
過去の自分たちに事情があったからといって、目の前で起きていることから目を逸らしてよいはずがなかった。
「また封印するの?」
前を行くリナが、振り返らずに尋ねた。
「いつか誰かが見つけて、今度は別の町を焼くかもしれないのに?」
「……その可能性は、なくせない」
「次の使い手が、グレンよりひどくない保証も?」
「ない」
口に出して認めると、胸の奥に残っていた迷いの形がはっきりした。
自分は聖剣の力だけを惜しんでいるのではなかった。
フレイムベルグを握り、仲間たちと戦った日々がある。あの炎によって救われた命も、守り抜けた場所も、確かにあった。
壊したくないという気持ちの中には、その記憶を失いたくないという思いも混じっていた。
けれど、思い出を守るために、次の犠牲を未来へ残すことはできない。
「フィオナ。壊す方法はあるか?」
隣の気配がわずかに揺れた。
フィオナは走る足を止めず、アルトへ目を向けた。
「聖剣を?」
「ああ」
「核を露出させられれば、壊せる可能性はあるわ。ただ、刀身を折れば済むようなものではない」
「蓄えられた精霊力があるからか?」
「長い年月をかけて取り込んだ力が、内部に残っているもの。扱いを誤れば、それが一度に解き放たれる。一つの町では済まない被害が出る恐れもあるわ」
アルトは腰の剣へ目を落とした。
鞘へ収まっていても、刀身に入った亀裂を思い出すことができた。フレイムベルグと打ち合うだけで傷つく剣を頼りに、その核へ届かなければならない。
核へ届いたとしても、蓄えられた力を安全に逃がせなければ、周囲の人々や精霊まで巻き込んでしまう。剣を壊すことと、町を救うことを両立させる方法は、まだ見つかっていなかった。
「なら、被害を出さずに壊す方法を探す」
「三本とも、同じ方法が使えるとは限らないわ。核の構造も、力の性質も違う」
「分かってる。今すぐ無理に壊そうと言っているわけじゃない」
アルトは前を向き直った。
「まずは、町を守る。そのうえで、もう誰にも使わせない方法を見つける」
フィオナはしばらく黙っていた。
農道を横切る倒れた柵をリナが越え、アルトも右手を添えて後に続いた。着地の衝撃に腹が痛んだが、足を緩めずに進む。
「百年前、俺たちは必要になる日が来ると思って聖剣を残した」
息を整えながら、アルトは言った。
「その判断が、全部間違っていたとは思わない。でも、今は三本とも、人間同士の戦争に使われている」
「ええ」
「また奪って隠すだけでは、同じことになる」
フィオナは否定しなかった。
その沈黙に促されるように、アルトは続けた。
「封印したときには、未来の人たちへ力を残すつもりだった。でも、今の有り様を見たうえで同じことをしたら、止められなかった問題を、次の誰かへ預け直すだけだ」
「それで、壊すと決めるのね」
「ああ。フレイムベルグだけじゃない。アクアレギアも、エアリアルも、すべて破壊する」
言葉にすると、失うものの大きさが胸へ迫った。
世界を救った力を、自分の手で失わせる。その先に新たな脅威が現れたとき、この決断を悔いる日が来るかもしれない。
それでも、現に使われている兵器を残す理由として、まだ見ぬ危機だけを挙げ続けることはできなかった。
何より、ノーゼンで暮らす人々には、百年前の事情など関係がない。
彼らが焼かれようとしている今を、変えなければならなかった。
「それが、英雄の後始末?」
リナが尋ねた。
アルトは、彼女の背中を見た。
「ああ。残すことに賛成した者として、今度は終わらせるために動く」
「一人で?」
その問いに、アルトは隣を見た。
フィオナの銀白色の髪が、走る動きに合わせて揺れていた。前には、焼けた故郷を離れ、遺品を抱えて進むリナがいる。
自分一人の責任ではないと言われても、簡単に受け入れられなかった。だが、自分一人で果たせる役目ではないことも、今は分かっていた。
「一人で背負うつもりだったけど、今は三人だからな」
リナが少しだけ横を向いた。
フィオナは呆れたように息を吐いた。
「私たちまで、勝手に数へ入れないで」
「手を貸してくれるか?」
「あなた一人に任せたら、蓄えられた力の処理も済まないうちに、核を斬ろうとしかねないでしょう 」
「さすがに、今の話を聞いた後ではやらない」
「その判断を、疲れていても忘れないでね」
厳しい言葉だったが、離れるつもりのない返事でもあった。
アルトは小さく頷いた。
「頼りにしてる」
「私も行く」
リナが前を向いたまま言った。
「グレンを止めるところまで、ついていくと決めたから」
「ああ。ただ、危ないときは――」
「助けを求める。あなたも約束したでしょ」
「覚えてる」
「なら、守って」
リナはそれだけ言い、農道の先へ目を凝らした。
話している間にも道は狭くなり、草に隠れた石や崩れた柵が行く手を遮っていた。やがて前方に、縁の欠けた乾いた水路が見えてくる。
「ここを越える。向こう側の土が崩れやすいから、足を置く場所を見て」
リナが先に渡り、安全な場所を示した。
アルトは助走をつけすぎないように踏み切った。着地の瞬間、フィオナの風が身体を支え、傷ついた腕を地面へつかずに済んだ。
すぐにフィオナも越えてくる。
「大丈夫?」
「ああ、助かった」
強がりではなく、必要な助けを受け取ったうえで答えた。
三人は再び走り始めた。
騎馬隊が進む街道に比べれば、こちらの足場は悪い。風に支えられていても疲労は積み重なり、アルトの呼吸も次第に荒くなっていた。
それでも、この道なら短い距離でノーゼンへ近づける。
「間に合うの?」
フィオナが先頭へ声をかけた。
「間に合わせる。南門まで出たら、まず町の人に知らせよう」
リナは振り返らずに答えた。
アルトも前を向いた。
聖剣をどう壊すか、その答えはまだない。グレンを止め、ルミナス軍を退ける保証もなかった。
だが、決断を先送りにしたまま走っているわけではなかった。
まずは町を焼かせず、そこにいる人々を守り抜く。そのうえで三本の聖剣を破壊し、かつて世界を救った力が、人を殺すために使われ続ける未来を断つ。
遠くにノーゼンの屋根が見え始めた。
あの町には、まだ自分たちへ迫る命令を知らず、今日を生きようとしている人々がいる。アルトは痛む腕をかばいながら、二人とともに足を速めた。




