町を焼けという命令
フレイムベルグと無銘の剣が激突した。
赤い炎と淡い風が刃の間でぶつかり合い、焼けた街道へ熱風が吹き荒れた。アルトは右足を後ろへ滑らせ、押し寄せる力を逃がしながら体勢を保った。
グレンの剣は重かった。鍛え上げられた身体から放たれる膂力に加え、フレイムベルグに蓄えられた精霊力が、一撃ごとに刀身へ流れ込んでいる。正面から受け止め続ければ、こちらの剣が先に折れる。
「退け!」
グレンがさらに剣を押し込み、噴き出した炎がアルトの右肩へ迫った。
アルトは腕の力を抜き、無銘の剣を斜めに傾けた。相手の力に逆らわず、その向きだけを横へ変えると、支えを失ったフレイムベルグの切っ先が街道へ落ちた。
地面が爆ぜ、赤い亀裂から炎が噴き上がる。
アルトは熱を避けて懐へ入り、返した刃をグレンの胴へ打ち込んだ。しかし、グレンも素早く柄を引き戻し、その一撃を受けた。
鈍い金属音が響き、二人は互いの出方をうかがいながら距離を取った。
「やはり、その剣ではフレイムベルグに届かない」
赤い刀身を包む炎は、打ち合う前よりも勢いを増していた。
「剣の性能だけで決まるなら、苦労はしない」
アルトは乱れかけた呼吸を整えながら答えた。
「強がりを」
「そう聞こえたか?」
軽く返したものの、無銘の剣へ目を落とすと、昨日入った細い亀裂が見えた。今の衝突で広がったようには見えないが、あと何度耐えられるかは分からない。
フィオナが大樹の枝と古い鉄剣をつなぎ合わせてくれた剣だった。周囲の精霊たちの力を受け取ることはできても、聖剣のように膨大な精霊力を蓄えているわけではない。
長く打ち合うほど、不利になる。
アルトはグレンから目を離さないまま、周囲へ意識を伸ばした。
焼け残った麦畑や街道脇の枯れ草の間には、小さな精霊たちが身を潜めていた。少し離れた石造りの倉庫でも、屋根の隙間に寄り添うような気配がある。
フレイムベルグの炎を恐れているのだろう。呼びかけに気づいても、すぐには近づいてこなかった。
「少しだけ、力を貸してくれないか」
左手首の契約印が淡く光った。
背後でフィオナが両手を広げ、アルトとともに精霊たちへ呼びかける。街道を横切っていた風がわずかに向きを変え、やがて応じた小さな光が無銘の剣へ集まった。
薄い風の膜が刀身を覆い、握る手にかかる重さが少しだけ和らいだ。
「また精霊の力か」
グレンが目を細めた。
「フレイムベルグと同じだと言いたいの?」
フィオナの声が背後から届いた。
「私たちは、力を奪ってはいないわ」
「結果は同じだ。力を使って敵を倒す」
「そのために、応じる意思のない精霊からまで力を吸い上げることが、同じだと思うの?」
「聖剣へ力を与えるために存在するのではないのか」
アルトは、背後の風が一瞬だけ乱れるのを感じた。
「誰から、そう教わったの?」
フィオナの声から、感情が抜け落ちたように聞こえた。
「帝国の封印記録に、そう記されていた」
「人間が、自分たちに都合よく書き残したのでしょうね」
「剣が帝国を救うなら、それで構わない」
「精霊がどれだけ失われても?」
「帝国の民が生きるために必要な力だ。使わない理由はない!」
グレンは言い切ると同時に、フレイムベルグを振り上げた。
炎が膨らみ、背後の帝国兵たちが慌てて距離を取った。味方を巻き込みかけた先ほどの光景を、彼らも忘れてはいないのだろう。
しかし、グレンは振り返らなかった。
赤い刀身が振り下ろされ、炎の斬撃が街道を走る。
「リナ、下がれ!」
アルトは叫びながら無銘の剣を横へ振るい、刃を包む風を斜めにぶつけた。炎を押し消そうとするのではなく、正面から外すために、その流れへ角度をつける。
赤い奔流は街道脇へ曲がり、焼け残っていた麦畑をのみ込んだ。
誰もいないことを確かめてそらした。それでも、乾いた麦が一瞬で黒くなっていく光景を見て、アルトの胸が痛んだ。
今は人を守るためだと、自分へ言い聞かせるしかなかった。
「また……」
背後でリナがつぶやいた。
アルトは一瞬だけ横目を向けた。彼女の矢先はグレンへ向いていたが、矢は放たれていない。弓を握る手を強張らせながらも、約束どおり背後へ踏みとどまっていた。
その姿を確かめるより早く、グレンが再び踏み込んできた。
アルトも前へ出て剣を合わせた。振り下ろされた刃を流し、続く横薙ぎをかわす。間を置かずに放たれた突きを弾いたとき、フレイムベルグの熱が風の膜を突き抜けた。
左腕の包帯が焦げ、傷の奥へ鋭い痛みが走る。
「アルト!」
「分かってる」
「分かっている人の動きではないわ!」
フィオナへ返事をする余裕はなかった。
アルトは次の一撃を受け流し、その動きのまま剣を返して、刃の腹でグレンの手首を打った。
握りが一瞬緩み、フレイムベルグの切っ先が揺れた。
今なら、柄へ届くかもしれない。
アルトは痛む左腕を伸ばした。包帯の下で火傷が引きつり、指先に十分な力が入らない。それでも剣へ手をかけようとした瞬間、グレンの膝が腹へ突き刺さった。
息が詰まり、視界が揺れた。
体勢を崩したところへ押し込まれ、アルトは後方へ倒れた。背中を地面へ打ちつけた衝撃で、肺に残っていた空気まで押し出される。
「アルト!」
リナが近づこうとするのを、アルトは片手を上げて制した。
「来るな!」
グレンがフレイムベルグを振り上げていた。
このままでは、体勢を整える前に斬撃が来る。横へ逃げれば、背後にいるリナとフィオナが狙われるかもしれない。
アルトは右手で剣を握り直し、足を引き寄せた。振り切られる前に懐へ入り、剣を持つ腕を止めるしかない。
痛む腹をかばって身体を起こした、その時だった。
「将軍!」
街道の北側から、一騎の伝令が駆けてきた。
馬は激しく息を切らし、騎手の外套は泥で汚れている。
「帝都より緊急命令です!」
「今ではない!」
「皇帝陛下からの最優先命令です!」
その言葉に、グレンの腕が止まった。
炎をまとった剣は振り下ろされず、伝令の方へ顔だけが向けられる。アルトはその隙に立ち上がり、呼吸を取り戻しながら距離を取った。
「内容を言え」
伝令は馬から降り、グレンの前へ片膝をついた。
「フェルナ北部に残る抵抗拠点を、直ちに焼き払えとのご命令です」
アルトは剣を握る手へ力を込めた。
背後で、リナが息をのむ気配がした。
「抵抗拠点……?」
伝令は彼女へ目を向けず、そのまま報告を続けた。
「ルミナス軍がフェルナ北部の町を中継地点として利用しようとしています。フレイムベルグで町ごと焼却し、敵軍の進路を炎で断つようにとのことです」
「町には民間人がいる」
グレンの声が低くなった。
「避難していない住民が、多数残っていると報告されているはずだ」
「承知しております」
「ならば、先に避難させろ」
「その時間はないとのご判断です。ルミナス軍の先遣隊が接近しています。町を確保されれば、北部の集積所と帝国領へ続く街道が脅かされます」
「どこの町なの?」
リナが一歩前へ出た。
伝令は答えなかったが、グレンが代わりに口を開いた。
「ノーゼンだ」
リナの顔から血の気が引いた。
「まだ、大勢の人が残っているのに」
「知っている町なのか?」
アルトが尋ねると、リナは頷いた。
「フェルナ北部で一番大きな町よ。北へ抜ける街道と、東のルミナスへ続く道が交わっているから、人も物も集まるの。今は周りの村から逃げてきた人たちもいるはず」
「負傷者や子どもも?」
「いる。遠くまで歩けない人たちも、あそこへ逃げていると思う」
アルトはグレンを見た。
「その命令には従わないな?」
返事はなかった。
グレンの手の中で、フレイムベルグの炎だけが小さく揺れている。
「将軍。陛下は、町の被害よりもルミナス軍の進軍阻止を優先せよとお命じです」
伝令が顔を上げた。
「聞こえている」
「直ちに向かわなければ、先遣隊が町へ入ります」
「聞こえていると言った!」
グレンの怒声に、周囲の兵士たちが身を固くした。刀身から漏れた熱によって、足元の土が赤く照らされる。
アルトは剣を構えたまま、その顔を見つめた。
先ほどまで迷いなく踏み込んできた男が、今は動こうとしない。町に何があるのかも、焼けば何が起きるのかも、理解しているように見えた。
「民間人が残ったまま、焼くつもりなのか?」
「町を敵へ渡せば、帝国領への道が開く」
「それは、住民を焼いていい理由にはならない」
「敵軍を短期間で退ければ、戦争は早く終わる。長引かせるほど、被害は増える」
「誰の被害を数えている?」
グレンの目がアルトへ向いた。
「帝国の民だ」
「フェルナの民は、その数に入らないのか」
「私は帝国軍人だ。帝国の民を守る責任がある」
「だから、他国の民間人を焼く?」
「今ここでルミナス軍を止めなければ、次は帝国の村が襲われる!」
グレンは剣を握り締めた。
「食料を運ぶ街道を断たれれば、山の村が飢える。ようやく手に入れたものを、すべて失うことになる!」
「守る方法が、町を焼くことしかないと決めるのか」
「ならば、どうしろと言う!」
声とともに魔力が流れ込み、フレイムベルグの炎が膨らんだ。
「敵を止めなければ、今度は我々が奪われる。力を失えば、帝国の民はまた飢える!」
「だから、先に相手から奪い続けるのか?」
「守るためだ!」
「奪われた側も、同じ理由で戦う。これでは終わらない」
「黙れ!」
グレンは声を荒らげたが、斬りかかってはこなかった。剣を握ったまま、苦しげに息をしている。
「将軍。命令への返答を」
伝令の催促が、二人の間へ落ちた。
グレンは目を閉じた。
アルトは、その表情から目を逸らせなかった。
迷っているのだろうと思った。犠牲が出ると分かっていながら、それでも守るために必要なのだと、自分へ言い聞かせているように見えた。
その姿に、百年前の記憶が重なった。
戦線を維持するために、救援を諦めた町があった。魔王を追うことを優先し、助けを求める者たちのもとへ戻れなかったこともある。
選べなかった命を思い出すたび、ほかに方法がなかったのだと自分へ言い聞かせた。
あのとき本当に別の道があったのか、今でも答えは出ない。
それでも、避けられなかったと考えることと、失われた命を必要な犠牲として片づけることは、同じではなかった。
「命令に従う」
グレンが目を開いた。
リナの呼吸が止まるのを、すぐ後ろに感じた。
「ノーゼンへ向かう。ただし、接近するルミナス軍へ一度だけ撤退を勧告する」
「陛下のご命令は、即時焼却です」
「一度だけだ」
伝令が立ち上がった。
「拒絶された場合は?」
グレンはわずかに口を閉ざした後、表情を消した。
「町を焼く」
「やめろ」
アルトの口から、低い声が出た。
「町の人間を逃がす時間を作れ」
「その間にルミナス軍が入り、拠点を固める」
「なら、俺たちが話す。町を巻き込ませないようにする」
グレンがこちらを見た。
「敵軍がお前の言葉を聞くと思うのか?」
「聞かないかもしれない。それでも、町を焼く前に試せることはある」
「拘束命令の出ているお前を、私が信用するとでも?」
「俺を信用しろとは言わない。住民を逃がす時間をくれと言っている」
「その約束を待つ間に、こちらの兵が死ぬかもしれん」
「だからといって、最初から住民ごと焼くことを選ぶな」
アルトは無銘の剣を下ろさなかった。帝国兵たちが再び武器を構え、グレンと三人の間に緊張が張り詰める。
「ここで奪って、また封印するつもり?」
背後から、フィオナの静かな声が届いた。
アルトはグレンから視線を外さずに答えた。
「まずは、あいつの手から離す」
「その後は? 百年前も、私たちは剣を封じたわ」
責める響きはなかった。
だからこそ、その問いを聞き流せなかった。
「今度は、誰にも解けないようにする」
「あなたがいなくなった後も、守り続けられる封印を?」
答えが出なかった。
「百年あれば、封印は調べられるわ。グレンから奪っても、剣が残っていれば、帝国は次の使い手を探す」
アルトは柄を握る手へ力を込めた。
ここでグレンを倒せば、ノーゼンを守れるかもしれない。
しかし、それで聖剣を巡る争いが終わるわけではない。その先を考えずに奪い返すだけでは、また同じ場所へ戻ってしまう。
「将軍、アルトたちの拘束はどうなさいますか?」
副官がグレンへ近づいた。
グレンは三人を見た後、伝令の馬と街道の先へ目を向けた。
「ノーゼンでの進軍阻止を優先する。ここで戦い続ければ、到着が遅れる」
「しかし――」
「奴らも町へ向かう。現地で拘束する」
グレンは剣を鞘へ納め、馬へ向かった。
アルトは一歩踏み出しかけた。
今ここで追いすがれば、再び戦いになる。グレンが斬撃を放つたび、周囲へ炎が増える。奪えるという確信もないまま、この場所で時間を使い切るわけにはいかなかった。
「好きにしろ」
馬へ乗ったグレンが、アルトへ視線を向けた。
「どのみち、ノーゼンでお前たちを拘束する」
「町を焼かせるつもりはない」
「止められるものなら、止めてみろ。そこで、どちらが正しいか決める」
「正しさを決めるために戦うつもりはない」
「ならば、何のために戦う?」
アルトは、北へ続く街道を見た。
「町を焼かせないためだ」
グレンは答えず、馬を走らせた。
帝国兵たちも続き、蹄の音が北へ遠ざかっていく。アルトはその背中を見送るしかなかった。




