第8話 ハンドドリップのエスプレッソ
数週間が経つと、バズとやらの影響もひと段落し、客足は落ち着いてきた。カツラギも奥の定位置に戻って、時折コーヒーを口にしながら静かに文章を紡いでいる。ありがたいことにいくらかの客はこの店の雰囲気を気に入ってくれたようで、昼下がりの今にも4,5人の客が、ゆっくりとした静かな時を過ごしている。今までの開店休業状態と比べれば、長足の進歩だ。
「ラクちゃーん!みてみて、ユウキ君からメッセージ貰っちゃった!」
まかないのサンドイッチを頬張りながら、奥から昼休憩中のカプルスが飛び出してくる。その手には、せがまれて買ってやった新品の携帯......いや、スマホか......があった。
あの十五万のうち不足分の七万は、当然彼女の給料から支払わせた。金を貯めるため二週間ユウキに会えなくなったカプルスは死にそうになっていたが、給料日になると懲りずにホストクラブへ飛んでいき、肌をつやつやとてからせて帰ってきた。利用方法について私が口を酸っぱくして言い含めておいたおかげで、あれ以降ホストクラブの料金は2,3万円に収まっている。
「なんじゃ、騒々しい......」
画面を覗いてみると、カプルスとユウキは文章のやり取りをしているようだ。
『もうお昼だね。カプルスちゃんは元気?
ウェイトレスのお仕事頑張ってね
またカフェの話、聞かせてほしいな』
「どうしよどうしよどうしよ、なんて返信しようかな!?」
「ありがとう、そちらもお仕事頑張ってね......でええじゃろ、無難に」
「ダメだよ!ただでさえ最高なユウキ君がお仕事頑張ったら、ユウキ君を指名したい女の子が100人くらい出てきてわたしがおしゃべりできなくなっちゃう。ユウキ君が頑張るのはわたしといるときだけでいいの!」
「真面目に言っとるっぽいのが怖いのーこいつ......」
もういい、自分で考える、と言って私の手からスマホを取り返すと、彼女は一文字ずつ声にあげながら文章を打ち込み始めた。
「『け・っ・こ・ん・し・ま・し・ょ・う・こ・ど・も・は・な・ん・に・ん・ほ・し・い・で・す・か』......っと」
「やめんかあほう!客からいきなりそんなこと言われたら怖いわ!」
「なんで?ユウキ君もわたしのこと大好きって言ってくれたよ?そうしたら地上の人たちは結婚して子供を作るものなんでしょ?」
「だっから営業トークを真面目に受け取るなとゆーとるじゃろうが!」
「ユウキ君は嘘ついてないもん!わたし、天使だからわかるんだもん!」
外から入ってきた人間の青年が、カウンター席に座ると、言い争う私達を見て戸惑いながら声をかけてきた。
「あのー......注文いいですか?」
「……失礼いたしました。お決まりでしたら、いつでもどうぞ」
「どーぞっ!」
「じゃあ......カフェラテ一つ」
かしこまりました、と答え、私はカウンターの後ろの棚に並べてあるステンレス製の容器からフルシティのエチオピアを取り出すと、ポルタフィルターをエスプレッソマシンの隣にある専用のグラインダーにセットして極細に挽く。バスケット山盛りに挽いた粉を、タンパーでよく押し固める。マシンにポルタフィルターをセットし、下にカップを置いて抽出を始める。同時にピッチャーに牛乳を注ぎ入れ、エスプレッソマシンからきめ細かいクレマが濃密な赤褐色のコーヒーと共に落ちていくのを見つめながら、軽くパージしたスチームワンドで牛乳に空気を含ませ、マイクロフォームを作り上げる。すぐに布でワンドを拭き、ピッチャーを軽くカウンターに打ち付けた後に回し、泡を均一にする。抽出が終わるのを待ってからピッチャーの中身を注ぎ入れ、細かく左右に振って、リーフのラテアートを作る。
「お待たせいたしました。カフェラテです」
青年はラテを一口すすると、少し目を開き、うま、と呟いた。思わず口元がほころぶ。
一部始終を横で見ていたカプルスが、私の肩をつついて言う。
「ねね、私もその機械使ってみたい!」
「駄目じゃ、駄目じゃ!カップやほうきと違って、ぶっ壊されたら替えが利かんのじゃこれは。父が異国で買ってきたもんじゃからな」
「えー......ラクちゃんのケチ!じゃあ手でやる!その穴空きスプーンと棒貸して?」
ポルタフィルターとタンパーを指さして、カプルスはよく分からないことを言う。
「手で……?」
「うん!機械に入れる前、ラクちゃんがその棒でスプーンの粉をぎゅって押してたでしょ?わたしが頑張って押したら、きっとコーヒーができると思うんだ!」
「あほう、エスプレッソっちゅーのは、タンピングして密に詰めた極細の粉の中を、機械で圧をかけて湯を押し込んでるんじゃぞ。粘土の中に水を通すようなもんで、手作業でできるわけがない」
「やってみなくちゃわからないじゃん!ねーねーお願い!」
あまりに彼女がうるさいので私は根負けし、豆の無駄じゃ、とぼやきながらポルタフィルターにエチオピアを挽くと、そこにエスプレッソ一杯分の湯を無理矢理かけてタンパーと共に渡した。
「そんなに言うならやってみい。......ま、ほとんどなんにも出てこんと思うがの」
そしてわたしは、一応カプルスの手元の下にカップを差し出す。ありがとう、と笑った彼女がタンパーで山盛りの粉を押すと、それは一瞬で圧縮され、間もなくバスケットの底から蜂蜜のような雫がとろりとこぼれ落ちた。
「な……!?」
「ぎゅ~~っ......!」
カプルスの腕がぷるぷると震えると、ポルタフィルターが小さくきしみを上げる。
雫はやがて濃密な黒の流れへと変わり、それが見事なクレマと共にカップへと落ちていく。
「んなあほな......」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。できたよっ、と顔を上げたカプルスは、私の顔を見るとけらけら笑い出した。
「あははっ、ラクちゃん変な顔!」
私はカップを手に取り、ぐっと鼻を近づけて深く息を吸う。ベルガモットを思わせる華やかな香りが、鼻腔いっぱいに広がった。軽くカップを回して攪拌してから一口啜り、舌で口の中に広げるようにして飲む。強烈な苦みの後に、酸味と甘み、そして果実のような香りの混じった、爽やかなフレーバーの余韻を感じた。
「ふっつーにうまいんじゃが。どーなってんの......」
私も飲む、とカップを奪い取ったカプルスは、一口飲むと、声にならない悲鳴をあげて飛び上がり、蛇口の水でうがいをした。
「にっ、苦すぎだよ~!わたし、強く押しすぎちゃったかな......?」
「エスプレッソはこれでいいんじゃ」
「そうなの......?」
と、それを見ていたのか、先ほどラテを頼んだあの青年が言う。
「カフェラテ......もう一杯。今度は天使さんが作ったエスプレッソで......」
「いえ、それは.......」「はいはいはーい!いけまーす!」
「こりゃカプルス、勝手なことを言うでない......!」
「でも、おいしかったんでしょ?」
「そ、そりゃあそうじゃが、きちんと研究もしておらんものをお客様に出すわけには......」
「あー......いいですよ。味にばらつきとかあっても、文句言わないんで」
「ほら!お客さんもこう言ってくれてるよ!」
「む、むう......」
渋々カプルスからポルタフィルターとタンパーを受け取り、バスケットの中の抽出を終えた粉をノックボックスに捨てると、タンパーとポルタフィルターのバスケットを拭き、再び粉を挽き、湯をかけて彼女へ返す。
「動画とっていいですか?」
「どーぞどーぞ!」
青年がスマホを構えると、カプルスは花のような笑みを浮かべながら、カメラ目線でエスプレッソの抽出を始める。……しかし、これもある意味ハンドドリップということになるのだろうか?本当に彼女には常識が通用しない。
みし、と、年季の入ったポルタフィルターの持ち手が嫌な音を立てた。
「お、おいカプルス、力を入れすぎじゃぞ……。父から受け継いだもんなんじゃからな、それは……?」
「大丈夫大丈夫!おいしくな~れ、おいしくな~れ!」
ベキィッ!カランッ!!
豪快な音を立てて持ち手が付け根からへし折れ、先に付いたバスケットがカップの中に落ちた。
「あっ......」
目を丸くして動きを止めたカプルスが、気まずそうにこちらを向いて、ごめんラクちゃん、と舌を出す。
私は怒りに震えながら、声の限りに叫んだ。
「こんの……ホス狂堕天使がーーーッ!!」




