第19話 ヘブンズ・ブレンド
そして、半年が過ぎた。
私はペーパーフィルターの中に入ったコーヒー粉から湯が落ちきるのを待ち、サーバーから立ち昇ってくるティピカの軽やかな香りを感じながら、横目に窓の外を見た。
珍しく雪が降っている。大気を漂う純白の空からの便りは、まるで天使の羽根のように美しい。......地面は溶けてみぞれのようになった雪でとても滑りやすくなっており、何人か転んでいる通行人も見かけたが。美しいだけではなく厄介事を引き起こすという点でも、本物の天使に似ている......か?
私がドリップポットから新しく湯を回しかけると、扉が開き、新たな客が入ってくる。彼はコートの肩に付いた雪を上品な手つきで払うと、帽子を外して同じように雪を払い、帽子とコートを入口横のポールハンガーにかけた。
カウンターの向こうで雪を眺めていたカプルスが朗らかに笑いながら、いらっしゃい、おじいちゃん、と声をかける。こんにちは、カプルスさん、と微笑んで返事をした彼に、私は言う。
「今日はどうする、カツラギ」
「ヘブンズブレンドでお願いします」
私は小さく頷くと、サーバーからカップにティピカを注ぎ、それをソーサーごとカウンターに置く。カプルスがすぐに動き出し、危なげない手つきで、それをテーブル席の客のもとへと運んでいく。
カツラギは私と話したい気分なのか、いつもの席には座らず、目の前のカウンター席に座った。私は棚に並べたステンレスの保存容器から、ヘブンズブレンド......カプルスと共に調合した会心の作だ。ジャスミンのような爽やかさと、キャラメルのような甘さが混じり合った香りに、コクのある飲み口と、さっぱりした後味の合わさった、毎日飲んでも飽きの来ないフレーバーに仕上がっている......を取り出し、グラインダーで中細に挽く。
私が粉の入ったドージングカップを持って戻ってくると、待ち構えていたカツラギが言う。
「しかし、人は変わるものですね。あなたがブレンドを作るようになるとは。それも、店の看板メニューとして」
うるせえ、と突っぱねてやると、彼は心底愉快そうにほほほ、と笑う。本当に気に食わない男だ。カプルスは耳ざとく私達の話を聞きつけてやって来ると、自慢げに胸を張った。
「ヘブンズブレンドは、当店一押しのコーヒーとなっております!とってもおいしいです!なぜなら、わたしとラクちゃんで頑張って作ったからです!」
私はハンドドリップで抽出を始めながら、カプルスに言う。
「こりゃ、カプルス。『とってもおいしいです』ではなく、『コーヒー本来の華やかで優しい香りを楽しめる、豊かなコクと爽やかなキレの合わさった、毎日飲んでいただける一杯となっております』じゃ。昨日練習したじゃろ」
あ、そうだった、と言ったカプルスは、こーひーほんらいの......と私の言ったことをたどたどしく暗唱し始めたが、途中でこんがらがって止まってしまった。
「うう......長くて覚えられないよ~」
「ははは、能書きなんてどうでもいいじゃありませんか。コーヒーなんて、おいしければそれでいいのです」
「……ま、そりゃそうじゃな」
「じゃ、覚えなくてもいい!?」
「駄目じゃ。お客様に聞かれた時、しっかり説明できるようになってもらうぞ」
が~ん、としょぼくれた顔で肩を落としたカプルスを見て、カツラギはまた愉快そうに笑った。
「マスターはこういう事にはうるさいですからね。頑張ってください、カプルスさん」
「うん......」
たわいない話をしているうちに抽出が終わる。サーバーからカップにブレンドを注ぎ、ソーサーごと彼の前に置く。ありがとうございます、と言ってカツラギはカップを持ち上げ、立ち昇る湯気をゆっくりと吸い込んだ後、一口飲んだ。
「......うん、いつも通りおいしいですね。飲む人へ向けたお二人の真心を感じる、心安らぐフレーバーです」
「でしょでしょ!えへへ......」「そりゃどうも」
数か月前、私に連れられてやってきた喫茶店で、カプルスは生まれて初めてブレンドコーヒーを飲んだ。そのおいしさに驚いた彼女は、どうしてうちにはこれがないの?と私に尋ねてきた。
混ざれば味が濁るから、と答えた私は、自分の言葉に以前ほどの確信がないことに気付いた。
そしてカプルスに勧められるまま作ってみたブレンドコーヒーは、味のバランスがよく、とてもうまかった。なぜ自分があれほど単一品種にこだわっていたのか、今となってはよく分からない。
......もしかしたら、ただ私は意地を張っていただけなのかもしれない。誰かの力を借りる必要などない、ラクリモーサという品種は、ストレートで十分やっていけるのだ、と。
我ながら、尖った風味の豆だったと思うが……それを優しく、明るく、柔らかなフレーバーで包み込んでくれる、昼下がりの日だまりのような豆と出会えた。
今の『ヘブンズ・ドア』は......私の彼女との、ブレンドコーヒーなのかもしれない。




