第18話 生え変わる羽根のように
電気を消して、床に就く。ナポリタンの価格設定についてあれこれと考えていると、カプルスが言った。
「そっちに行っていい?」
「どうした、眠れんのか?」
「うん」
私が黙って毛布を開けると、カプルスが自分の布団からこちらに転がりこんできた。
ラクちゃーん、といつもの甘えるような調子で言って、彼女は私にくっつき、頬ずりをしてくる。その身体は、まるで陽だまりのように温かい。
「やめんか、暑苦しい......」
えへへ、ごめーん、と私を離した彼女は、こちらを向いたまま言う。
「なんかね......今、冒険が一つ終わったみたいな気がするの」
「天界から地上まで落っこちてきたんじゃ、そりゃ、確かに大冒険だったろうな」
「うん……こっちの世界は、上とは全然違ったなー......」
「......辛かったか?」
カプルスはんー、と唸ったあと、鮮やかだった、と答えた。
「鮮やか......?そりゃ、どういう意味じゃ?」
「上の世界は、整ってて、完璧で、安全で、世界が一つの色に染まってたの。
こっちはごちゃごちゃで、不完全で、危ないところもあって......でもだからこそ、みんながそれぞれの色で、光っていられるんだよ」
「不完全だからこそ美しい......か。ふーむ、おもしれーことを言うな」
「なんとなく、そう思っただけだけどね」
コーヒーと似たようなものなのかもしれない、と私は思った。全てが完璧なコーヒーなど、この世に存在しない。だが、だからこそ多くの産地で様々な品種が栽培され、精製方法に焙煎度、挽き目にドリップ法......そんな、一生かかっても極めきれないほど奥深いフレーバーの世界が生まれたのだ。
「お主はいつも、私に大切なことを思い出させてくれるな。一緒にいると、私も世界が鮮やかに見えてくるよ」
彼女はパッと目を輝かせ、私の手を探り当て、握ってきた。
「ホント?じゃ、結婚する?」
「たわけ。ユウキがダメだったからって手当たり次第か?」
「そんなことないもん。ラクちゃんが言ってくれたこと、ちゃんと覚えてるよ。
......時間をかけて、じっくり積み重ねたのが本当の愛なんでしょ?」
そうじゃとも、と答えた私は、今まで彼女と過ごしてきた慌ただしくも愛おしい日々の記憶を思い出し、ハッとした。
そんな私の顔を見つめて、カプルスは微笑む。
「きっと、神様は知ってたんだよ。地上に降りた私が、最初に誰と出会うのか」
彼女は私を抱きしめると、低く、甘い声で囁く。
「おやすみラクちゃん、大好きだよ......」
そう言って私の髪に口づけした彼女は、すぐに安らかな寝息を立て始めた。
「く、くそう、言いたいこと言って勝手に寝やがって......。眠れないじゃねーか、私は......」
私はうぶな生娘のように鼓動を高鳴らせたまま、カプルスの体温や、コスタリカのように甘いにおいや、規則正しい吐息や、その手の柔らかさを感じていた。
・・・・・・
目を覚ますと、カプルスがいなかった。寝ぼけながら横を探った手に、チクチクと何かが刺さり、軽いものがこすれ合う音がする。......手を引き抜くと、カプルスの羽根が何本も手に付いていた。
嫌な予感がして布団をめくると、その中にはおびただしい数の灰色の羽根が積もり、小さな山を作っていた。
......少し前から、彼女の羽根は徐々に抜け落ちていっていた。しかし、これほどひどいのは初めてだ。
翼を失った天使は、一体どうなってしまうのだろうか?
「......カプルス!どこじゃ、カプルスっ!!」
居ても立っても居られなくなった私は跳ね起き、彼女の名前を呼びながら部屋を飛び出した。
すると、どうしたの、ラクちゃん、と声がして、たかたかという足音と共にカプルスがやって来る。廊下で私と会った彼女は通せんぼをするように立ち、まだ寝てたらどう、と言う。
「寝ておれるか!お主、翼は大丈夫なのか!?」
翼?と首を傾げた彼女は、明るく笑うと、身体をひねって背中の翼を見せてきた。......その羽根は、純白と灰色のまだら模様になっている。
「どう?だいぶ生え変わってきたでしょ~。もうすぐで、また真っ白になるからね~」
「は、生え変わり?天使の羽根は、生え変わるもんなのか?」
「そうだよ。......あれ、言ってなかったっけ」
私は安堵から一気に身体の力が抜け、その場にへたり込んだ。
「なんじゃ......心配させおって」
「あ、いっぱい抜けてたから心配した?ごめんね、ラクちゃん」
「いや……大事ないならそれでよい」
「それじゃ、また眠ったらどうかな?まだ早いよ~」
うむ、と頷きかけた私は、どこからか漂ってくる焦げ臭いにおいに気付く。
「ん……?なんじゃ、このにおいは」
ぎくりと顔をこわばらせた彼女が、なんのこと、気のせいじゃないかな、と上ずった声で言う。分かりやすい奴め。
「台所か……」
「あ、ま、待ってラクちゃん、お願いだよ~!」
引き留める彼女を無視して、私はにおいのする方へと向かった。そして、コンロの上のフライパンの中にある、ほとんど消し炭になった目玉焼きを見つける。
「ご、ごめ~んラクちゃん......」
追ってきたカプルスがしょぼくれながら言う。私は換気扇を回すと、小さくため息をついて言った。
「別に怒っとらんよ。料理がしたいなら教えてやるから一人でやるな。火事起こされても困る」
パッと表情を明るくして、彼女は私に駆け寄り、引っ付いてくる。
「ラクちゃん、好き~っ!」
「やめんか、暑苦しい......」
・・・・・・
自分で作ったベーコンエッグをトーストに乗せて頬張りながら、おいひー、とカプルスはご満悦だ。
「これまで食う専門だったじゃろうが。一体どういう風の吹き回しじゃ?」
「ラクちゃんと、これからも一緒にいるために......私もお料理できるようになりたいなって」
はにかみながらそう言う彼女に、思わずどきりとさせられる。
「そ、そうか......。確かに料理を任せられる奴がいりゃ、コーヒーに専念できるの。最近はメニューを増やそうと思っとることじゃし......」
「でしょでしょ!?わたし、もっともっと役に立てるように頑張るから!期待しててね~、ラクちゃん!」
やる気に満ちた彼女の姿は、見ているとこちらまで元気をもらえる。
目を閉じて、喫茶店のコンロでナポリタンを作る彼女の姿を想像してみる。ナポリタンを炒める音と、甘酸っぱいケチャップの香りを感じながらコーヒーを淹れ、ふと目をやれば、少し遠くに真剣な眼差しでフライパンを見つめる彼女の姿が見える……うむ、悪くない。
あうっ、とカプルスが小さく悲鳴を上げ、皿に何かを吐き出す。
「卵の殻入ってた。噛んじゃったよ〜……」
……まあ、店の料理を任せられるようになるのは、まだまだ先の話だ。




