第17話 恋の終わりはナポリタンの味
私は部屋の窓を開け、ぬるい夜気と街の遠いざわめきを感じながら、小説の世界に没頭していた。長く続いた連続殺人事件の捜査は、思いもよらない真相へとたどり着きつつあった。
刑事が最初の被害者の家に隠されていた地下室へ踏み入ろうとしたところで、たっだいま~っ!と、玄関で元気な声が聞こえてくる。
思っていたより早い帰りだ。私は少し後ろ髪を引かれる思いでしおりを挟み、本を閉じると、文机の引き出しにしまう。そうして立ち上がり、玄関へと向かった。
首尾はどうじゃった、と尋ねると、ダメでした!と元気のいい答えが返ってくる。
「恋人がいるからダメだって〜。わたしはその人と三人で付き合ってもいいって言ったんだけど、困らせちゃったみたい。天使的には普通なんだけどな~。
……ん〜っ、残念!」
「その割に、さっぱりした顔しとるじゃないか」
えへへ、と笑って、彼女は頷く。
「ユウキ君にはっきり断られたら、もやもやが消えて、逆にすっきりしたよ。ラクちゃんの言った通り、勇気を出して告白して良かった!」
「そうか、そうか。
……カプルス、お主も長命種じゃろ?次の巡り合わせがあるまで、のんびり待っていればええ。コーヒーでも飲みながら、な」
うん、ラクちゃんのコーヒー好き!と答えた後、彼女は続ける。
「でもわたしは待つより、迎えにいく方が好きかな〜」
「せわしないのう……ま、確かにその方がお主らしいか」
彼女は目を細め、微かに口の端を上げながら言った。
「次の出会いは、意外と近くにあったりして……」
「なんじゃその意味ありげな表情は……?
……まさかカツラギか!?やめとけやめとけ、あんなジジイ。知らんうちにくたばってるぞ」
必死に止める私を見て、カプルスはくすくすと笑っていた。
・・・・・・
玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム、ウィンナーを刻み、電子はかりでケチャップと、隠し味のウスターソースを計量しておく。ウィンナーと玉ねぎを炒め、玉ねぎがややしんなりしてきたら残りの具材を加える。
「ラクちゃん、こっちのフライパンは何?」
後ろに立って眺めていたカプルスが、空のフライパンを指さして言う。
「ふむ........ちょうどええ、お主にも手伝ってもらうかの。冷蔵庫からタッパに入ったスパゲッティを出して、そのフライパンで温めておくれ」
りょうかーい!、と元気よく冷蔵庫へ向かった彼女は、私が朝用意しておいた2.2mmのアルチェネロを取り出すと、何のためらいもなくその中身を全てフライパンに空けた。
「あれっ、量多くない?これ全部食べていいの?」
取り返しがつかなくなってから、カプルスが気付く。まあ、今回は問題ない。二人分じゃよ、と答えながら、食器棚から菜箸を一膳取り出し、カプルスに持たせる。
「ラクちゃん、まだ晩ごはん食べてないの?なんで?」
さあな、とごまかして、私は彼女に言う。
「少し焼き目が付くまで炒めとくれ。イタリア人は怒るかもしれんが、ま、ナポリタンは日本料理なんでな」
はーい、と返事をして、彼女は菜箸で麺をほぐし始めた。私は具材に火が通ったことを確認すると、それを片側に寄せ、フライパンに空きを作る。そこに先ほどのケチャップとウスターソースを入れると、ジュウッという音と共に、ケチャップとウスターソースのスパイスの香りがふわりと立ち昇る。
「じゅる......いい匂い......」
隣のカプルスが、よだれを垂らしながら横目でこちらを見た。よそ見するでない、とたしなめて、少し煮詰めて余分な水分を飛ばしてから具材と絡め、更に炒める。ケチャップの食欲をそそる甘酸っぱいにおいが濃くなり、生唾が出る。
きゅるるるぅ......。
カプルスが顔を上げ、にやにやと笑って私を見ながら言った。
「かわいい音が聞こえたね、ラクちゃん」
私は頬が熱くなるのを感じながら、照れ隠しに怒った。
「腹ぺこで何が悪い!そもそも、お主と一緒に食べようと思って飯を我慢......あ、……くっ、な、なんでもない!」
つい口が滑り、余計なことを言ってしまう。カプルスは目を輝かせ、感動したように言う。
「ラクちゃん、好き~っ!炒めるのが終わったら、ぎゅーっしてあげるからね!」
「やめい!全身複雑骨折するわ!」
「ちゃんと加減するから~」
馬鹿話をしているうちに、ケチャップがフライパンに薄くついてきた。麺を入れる頃合いだ。
「カプルス、もうよいぞ。座って待っておれ」
わかった、と返事をして、彼女がダイニングへと下がる。スパゲッティのフライパンを掴み、温まった麺をこちらのフライパンへと移して具材と混ぜ合わせる。最後にバターをひとかけ入れれば、喫茶店のナポリタンの完成だ。
皿を食器棚に取りに行こうとすると、手元に二枚の大皿が並べられた。振り向くと、ナポリタンはこのお皿でしょ、と得意げに笑うカプルスの顔があった。
たまには気が利くのう、と憎まれ口を聞きながら、内心では私は、彼女と私との共同生活の中で積み重なった絆の一端を感じて、小さな幸福を感じていた。
私はナポリタンをトングで山型に盛り付け、仕上げにパセリを少々振りかけて、食卓に並べる。
「いっただっきまーす!」「いただきます」
カプルスが箸で麺を掴み、豪快に啜った。彼女の口元や腕にケチャップが飛び散るが、シミューズドレスにオレンジの模様ができることはない。……本当に便利な服だ。
「ん-っ、おいひーっ!」
口の中にナポリタンを入れたまま、彼女が叫ぶ。これだけ喜んでもらえれば、作ったかいがあったというものだ。
「こりゃ、ゆっくり食わんか」
私がそう言うのとほとんど同時に、彼女はとんとんと胸元を叩きだす。そうして席を立ち、コップに水をくむと一息に飲み干した。
「はーっ。のどに詰まったよ......」
「言わんこっちゃない......」
えへへ、と照れたように笑った彼女は、ラクちゃんの料理がおいしすぎるのが悪いんだもん、とのたまった。
「ふん......調子のいいこと言いおって......褒めたって何も出んぞ」
デザートのプリンに、生クリームでも乗せてやろうかな。それに、缶詰のサクランボもある。あれも添えてやろう。
......いっそのことフルーツも切ってアラモードといこうか。そうだ、それがいい.。何せ、私の料理はおいしすぎるということだ。期待には応えなければなるまい......。




