第12話 あなたと夢のようなひと時を
風呂に入り、髪を整え、メイクをして......せがまれてカプルスにもファンデーションとグロスを塗ってやったが、正直蛇足と言うほかなかった。彼女の美は、もう何も付け足す必要のないほど完成されているのだから......ホワイトのストッキングを履き、ドレスを着て、香水を振り......豆のにおいがしないか、カプルスによく嗅いでもらって......靴箱の中にしまってあった黒いサテンのパンプスを引っ張り出して、私は柄にもなく緊張しながら繁華街へと向かった。
お気楽にハミングをしながら私の隣を歩くカプルスは、私の方を一瞥すると、こちらに向き直って顔を掴んできた。
「ラクちゃ~ん、顔がかちこちになってるよ~」
「こりゃーっ!メイクが落ちるじゃろうが!」
私の顔を無遠慮に揉みしだいた彼女は、指に付いたファンデーションを見ると、ごめーんラクちゃん、と謝ってきた。私は彼女にハンカチを差し出して指を拭くように言いながら、張りつめていた自分の心がほぐれていくのを感じた。......そもそも、今日の主役は私ではない。カプルスの付き添いとして、ユウキとやらがいかほどの男か探ってやるくらいの気持ちで行ってやろうではないか。
繁華街の大通りは様々な種族の人々でごった返し、ネオンとLEDのまばゆい光に満ちていた。複数の飲食店の排気が混じった、生ぬるい欲望のにおいが夜気に混じって鼻に届く。道端では酔っぱらった人間のサラリーマン達にエルフの客引きが笑顔で話しかけ、ラーメン屋から出てきたフェイの老姉妹が節くれだった樫の杖を突きながら、その尖った鼻をつきつけ合って異国の言葉で言い争っている。路地裏では派手なドレスをまとった淫魔が、ガタイのいいオークにしなだれかかっていた。
と、横のカプルスが駆け出し、ある店の前でこちらに向き直る。
「じゃーん!ここがユウキ君と私がお話しする場所でーす!」
近くに立っている電飾看板には、『B1 STARDUST』と書かれていた。私は壁に貼られているけばけばしいデザインのポスターの前に立ち、じっとそれを眺めた。
ユウキの生誕祭を告げるそれに映っていたのは、落ち着いた茶に髪を染めた、顔立ちに幼さの残る人間の青年だった。
「ふーむ......年上に人気が出そうなタイプじゃな」
「でしょでしょ!?カッコいいよね、運命感じちゃうよね!?」
「いや、私はなんも感じねーが......」
「えーーーっ!!なんで!?」
「なんでと言われてものー......」
階段を降り、重厚な扉を開ける。大理石調の床に敷かれた赤いカーペットの両脇には数基の花輪が立っており、書かれている文書を読むに、それはユウキの誕生日を祝うものであるようだ。
先ほどの私の態度に憤慨した様子のカプルスだったが、自分の注文した花輪を見つけるとすぐに機嫌を直し、自慢げにそれを見せつけてきた。
「あっほら見て見て!私のフラワースタンド!」
一際大きなその花輪には、『HAPPY BIRTHDAY BIGBIGBIGLOVE Capulus』と書かれている。
「こいつは、随分とでっけー愛じゃな......」
「えへへ、でしょー」
にこにこと笑いながら慣れた様子で受付に進んだカプルスは、慣れた様子で内勤の黒スーツに話しかける。
「予約してたカプルスでーす!」
はい、二名様でご予約ですね、と言った黒スーツは、私の姿を見ると一瞬固まった。
「失礼ですが、身分証明書のご提示をお願い頂けますでしょうか」
私はため息をつくと、ハンドバッグから免許証を出して彼に渡す。
「本当に失礼なやつじゃな。ほれ、これでよいか」
免許証を確認すると、申し訳ございません、と彼は謝った。......まあ、この手の事はもう慣れたものだ。容姿が幼いというのは、本当に面倒事しか呼び寄せない。
荷物を預け、内勤の案内に従って奥へと進む。店内のあちこちにはあのポスターが張られており、通路には風船のアーチがかけられていた。天井を見ると、間接照明の他に電飾の包まれた薄布が張り渡されており、ぼんやりと青い光を放っていた。悪くはない雰囲気だが......大きめの音量で流れているポップスだけは気に食わない。ジャズを流せ、ジャズを。
皮張りのL字ソファーに座り、お冷を飲みながらユウキを待つ。隣のカプルスは店内をきょろきょろと見まわし、髪を弄り、脚を揺らし、彼を待ち焦がれる気持ちを全身で表している。
「じっとせい。心配せんでも、じき来るわい」
ぴたりと動きを止めたカプルスは、ばつが悪そうに私を見たあと、膝の上に手を置いて大人しくなった。
と、えんじ色のスーツを着たポスターの男が速足で向かってきて、カプルスに声をかけた。
「カプルスちゃん、お待たせ。来てくれてありがとう」
一瞬でカプルスの顔がぱあっと明るくなり、彼女は太陽のような笑みを浮かべながら、勢いよくかぶりを振る。
「ぜーんぜんっ、待ってないよ!お誕生日おめでとう、ユウキ君っ!」
ありがとう、と微笑んだ彼は、私に向き直ると小さく一礼して手を差しだしてきた。
「ラクさんですね。カプルスちゃんから、よく話を聞かせてもらってます」
ラクリモーサと呼んでくれ、と答えて、彼と握手を交わす。ユウキはカプルスの隣に座ると、私に言う。
「すみません、今日は少し混んでいて。もうすぐヘルプが来るので」
「私の事は放っておいていい。存分にカプルスを構ってやってくれ」
「そんな、悪いよラクちゃーん。でへへ......」
「そういう訳にはいきません。このお店に来ていただいた方は、みんな僕の姫様です」
「......ほう、中々教育が行き届いとるじゃないか」
「そうでしょ!?ユウキ君はすごいんだよ!先月は初めて売り上げが100万円になったんだって!メッセージで教えてくれたんだよ!」
......なるほど。パネルで大っぴらに売り上げを宣伝できなくなった分、そうやって個々の客に伝えているのか。規制をかいくぐるために、ホストも苦労しているらしい。
「いや......俺なんてまだまだだよ。内勤の人とか、先輩とか、王子様たち、姫様たち.....カプルスちゃんが支えてくれたおかげ」
「わたしのおかげ......!?そ、そーかなぁ、でへ、でへへへへ......」
みっともなく頬を緩ませたカプルスの笑い顔は、正直そこらのエロオヤジの笑みと大差ない。
「完全にまいっちまっとるな......」
ユウキは私たちのお冷のグラスに付いた水滴をさりげなくタオルで拭きとりながら、こちらに視線を向ける。
「ラクリモーサさん、そのドレス、すごく似合ってますね。俺、魔人族の人を見るのって初めてなんですけど、すごく綺麗でびっくりしました。おとぎ話の中から出てきたのかと思いましたよ」
「そらどうも。中身は趣味の一つもない、つまらん女じゃがな」
「喫茶店のマスターさんなんですよね?カプルスちゃんがそこで働いてるって聞いてます」
「はいはーい!毎日頑張ってまーす!」
「うむ。カプルスが来てくれたおかげで、最近はぼちぼち順調にやらせてもらっとる」
あはは、カプルスちゃん、よく話聞かせてくれるもんね、と彼女に笑いかけた後、彼はこちらに向き直る。
「お店を経営していくのって、きっといろいろ苦労があるんでしょうね」
「まあの。でも、一人で全部決められるっつーのは気楽でもあるぞ。つまらん人間関係に悩むこともない」
「あー……それはすごく羨ましいですね。なにかお店のこだわりとかあるんですか?」
「そりゃああるよ。そもそもコーヒーっつーのはな……」
流石プロだけあって、客を気持ちよく喋らせるのが上手い。気付くと私はコーヒーに対する哲学を熱く語り始めていた。
その最中でヒカルと名乗るホストがやってきて、私の隣に座った。飲み物を頼むことになり、私はウーロン茶を、ホストの二人はハイボールを注文する。カプルスはもじもじしながら、ちらちらと壁のポスターを見て黙っている。
「どうした、カプルス……?」
彼女の目線を追うと、ポスターには『生誕祭限定 オリジナルシャンパン 50,000』とある。ラベルは特注で作られたもののようで、ユウキの姿が印刷されていた。
「ユウキ。カプルスにはオリジナルシャンパンっつーやつを頼む」
彼が答える前に、カプルスが驚いたように目を見開いて言う。
「ど、どうしてわたしが欲しいものが分かったの......!?そ、それに、いいの?シャンパンは頼んじゃダメって......」
「今日は特別じゃ。パーッとユウキを祝ってやれ」
「う、うんっ......!」
ユウキが内勤のスタッフに注文を伝えると、すぐに飲み物が運ばれてきた。スタッフはカプルスにシャンパンのラベルを見せた後、それをユウキに手渡す。
「オリシャンいただきました!」
彼が景気よく叫ぶと、数人のスタッフが集まってきた。スタッフ達はホストと共にありがとうございます、と声を合わせ、私達に拍手をする。
カプルスは少し驚きながらも、自分に感謝を伝えるユウキをじっと見つめて幸せそうに微笑んでいた。
ユウキが手際よくシャンパンを開栓し、4つのフルートグラスに中身を注ぐ。それぞれがグラスを持ち、軽く触れ合わせて乾杯をする。
「これからもずっと幸せでいてね、ユウキ君......」
深い愛情のこもったまなざしで、カプルスは彼を見つめた。
「うん。夢を叶えられるように頑張るよ」
そう答えて、ユウキは微笑みを返す。
見つめ合う二人の間には、確かな信頼があるように思えた。




