第5話 助けの一手
もう、いったいどれほどの空間階段を上がったかわからない。
そこは、おびただしいほどの『死』で埋め尽くされていた。
地下層フロアの何階か。
元々広々とし、清潔な雰囲気を漂わせていた大広間だが、今では大量の死体と血と、壁や床を突き破るようにして突出する神鎖が場を支配するだけ。
その中で、俺は最後の一人になった男と向かい合っていた。
「ば……化け物……神鎖の……怪物だ……」
恐怖と絶望に満ちた瞳。
白衣を血染めにし、最大限怯えながら、その男は俺を見つめてそう言った。
――興味がない。
こいつの思いに今さら耳を傾けるつもりもない。
俺が欲しているのは、上の階に行くための確かな情報だけだ。
神鎖で重くなった体を引きずりながら、前へ歩を進める。
それに伴って、男も恐怖に悲鳴を上げ始めるが関係ない。
発現している、床に落ちた俺の神鎖。
それを再び動かし、逃げようとする男をその場で縛り上げた。
「ひっ、ひぃぃぃぃっっっ! た、助けてくれぇぇぇぇぇ!」
情けない悲鳴だった。
どうせこいつも神鎖の研究をしていた一人、つまり好き勝手人体実験をしていた奴のうちの一人だ。今すぐにでも殺してやりたい。
……が、
「……教えろ。地上階へ出ていくにはどのルートが最短だ?」
「わ、わかった! 教える! 教えるから見逃してくれぇぇぇ!」
つまらない悲鳴を上げる前にさっさと情報をよこせばいい。
俺には時間が無いのだ。
「ちょうどこの上の階層だ! そこに監獄階を抜けた地上階、研究階層エリアゼロへのワープシステムがある! 朱色の魔法陣! その上に立つだけでいい!」
「……ちょうどこの上? どういうことだ? この上はまだ監獄階だろう?」
「か、監獄階だが……そこにワープシステムがあるのだ! 単純に自分の力で上へは行けない! 地下階層の空間階段はどこまで上がっても監獄階なのだ!」
一瞬、男の目が泳いだ。
バカが。
すぐに嘘だと見抜ける。
「……ご立派だな。こんな状況に陥っても、まだ俺を嵌めようとしているのか?」
鎖で縛り上げ、動けなくなった状態の男を浮遊させてこちらへ寄せる。
近くで見るこの男の顔はかなり綺麗だった。
恐怖による汗が窺えるものの、俺とは違って肌に一切の汚れが付着していない。
さぞかし恵まれた生活を送っているんだろう。
人を玩具のように扱っておいてな。
「ち、違う! 嵌めようとなどは思ってない! 本当なんだ! 監獄階だが、そこにワープシステムがあって――」
強引に手で男の顎元を掴む。
上手く喋ることができなくなったせいでモゴついているが、それでも俺は本当のことを話せ、と凄んだ。
「ぅむぐぐぐぐ……!!! ほ、ほんと……ほんとに……そこにぃ……!!!」
「前の階層にいた奴もそうだった。ワープシステムがどうとか言って、それで俺はここへ来た。結果がこれだ」
束になってかかれば始末できると思っていたらしいが、天使に憧れた半人間――解放者など俺の敵ではない。
敵ではないものの、時間は容赦なく削られている。
それがこいつらの目的であるとするならば、地上階にいる連中はどれほど腐っているのか。
肉壁を使ってでも俺の足止めをする気か、と。怒りがさらに増す。
この男も、結局のところただ利用されているだけなのかもしれない。
そう考えるとむなしくなった。
握り締めていた顎元から手を離してやる。鎖も解いてやった。
「げっ……! げはっ……! げはぁっ……はぁっ……はぁっ!」
空気と、圧から解放された頬骨を撫でるようにして、男は涙ながらに荒い呼吸を繰り返す。
助かった、と。その感動にただ身を縮こまらせていた。
俺は男のことを無視し、再び重い体を引きずって歩き出す。
「み、見逃してくれるのか……!?」
背から震えるような男の声がする。
舌打ち交じりに返してやった。別にむやみな殺しがしたいわけではない、と。
「……俺は……ただナシャラを助けたいだけだ……」
呟きは、男に届けようとして発したものではない。
自分自身への鼓舞だった。
どれだけ上へ行っても、上へ行っても地上階が見えてこないことへの焦り、苛立ち、絶望感。
脳内に浮かび上がる最悪のシチュエーションをひたすら否定し続け、歩き続けるしかない。
歩き続けるしかないが、さすがにここまでくればバカ正直に進むだけでは無駄だと気付く。
どこかにあるワープシステムか、あるいはそれ以外の上へ行くための手段を探さなければ。
荒くなっている自分の呼吸を感じつつ、いつも目隠しをされた状態でどうやって上へ行っているか、匂いや感覚、音だけを頼りに考える。
考えろ。考えろ。考えろ。
早く。早く。早く……!
そうやって、歩きながら高速で頭を回していた矢先のことだ。
「ギヒャハァァァァ! 死ねぇぇぇぇぇぇ!」
――今、助けた男。
奴が俺の背を狙い、攻撃を仕掛けてきた。
刃状に変形した男の手。
それが背に突き刺さる――
「……バカが……」
……わけもない。
背に集中する俺の神鎖の防御壁。
その硬度と反動により、男の手は先端が欠けていた。
「ぎっ……!? ひぃっっ! おおお、俺の手がぁぁぁ!!!」
痛みと動揺により、さっきまでのような絶望の表情にすぐ戻る男の顔。
瞬間、ふと男の腕に付けられた翡翠色のバッヂが俺の目に飛び込んでくる。
バカげた大天使とやら。
それを信仰しながらこの国――レイアードの民として生き、ユフの研究員として愚かな行為に手を染めるのがこいつの人生だったんだろう。
最後の最後まで、こうして攻撃してきた。
その抵抗心だけは買ってやる。
「ま、待て! 俺は! 俺はぁぁ――」
視覚し、男の身体中から神鎖を飛び出させる。
鎖に何もかもを貫かれた男は、一瞬で意識を失ってその場で倒れ込んだ。
最初、あれだけ騒々しかった大広間に、今では完全な沈黙が降り立っている。
俺の呼吸だけがこの場所の音のすべてだった。
「……急がないと……」
最後の男の死を目撃し、俺は焦るようにして、また体を引きずる。
「はぁ……! はぁ……! はぁ……! くそっ……! くそっ……! くそぉっ……!」
刹那、足をもつれさせてその場で転ぶ俺。
身体の前面に神鎖が集中し、俺を守ってくれるが、今一番して欲しくないのは足止めであり、この鎖たちの重さだった。
「……そんなに俺のこと守ってくれるんなら……ナシャラの居場所を……地上階への行き方を教えてくれよ……!」
ナシャラを助けたい。
早く助けたい。
でなければ、彼女が亡き者にされてしまう。
焦りによって、目から涙が零れ落ちそうになる。
弱音を吐いた時、傍にはいつだってナシャラがいてくれた。
「ナシャラ……ナシャラっ……!」
汗に混じった涙が地面に落ちた、そんな折だった。
「お困りのようだね、リーダーさん?」
掛けられるはずもない声。
生きていた奴がいたのか、と。
身体中の神経が逆立ち、振り返るとそこには、俺と同じようなボロ布に身を包んだ一人の女……いや、男が立っていた。




