第3話 空間を侵食する神鎖
やはり、どう考えても俺に纏っている神鎖の数は異常だ。そう思わざるを得ない。
走ろうにも鎖のせいで体が重いし、四肢を動かすたびに鎖同士がぶつかって転倒しそうになるし、いちいち「ジャラジャラ」という音がその場に響くため、隠密行動なども到底できない。
いや、この際隠密行動はできなくてもいいか。
自らの力のみで封印区画最下層を出たせいだろう。辺りはこれでもかというほどに警告音が鳴り響いており、俺の存在をユフの全階層、全フロアに知らせている。
無機質な白の壁をした廊下では、腹立たしく赤いライトが縦横無尽に照らされ、『実験対象ゼロ』という俺の二つ名が機械音声で何度も叫ばれていた。
「……来るなら来いよ。もとより機動力には欠ける。力技のゴリ押しで一気に殲滅してやる……」
四肢を引きずり、汗を流しながら、俺は一人で不敵な笑みを浮かべる。
俺の鎖は特別だ。
通常、神鎖によって制限される身体能力の他に、魔力も抑えられるはずなのだが、俺にはそれがなぜか無い。
人間と違い、神鎖を付けられていない天使と同じように、遠慮なく魔法陣を発動させられるのだ。
しかも、属性も何も無い魔法陣。魔法陣の属性くらいは天使たちも持っているのに。
「ナシャラ……待ってろ……! 俺が……絶対……助けるからな……!」
彼女が今どこにいるのかはわからない。
ただ、なんとなく場所の見当はついている。
候補はいくつかあるが、それを細々と考察して、一つ一つ巡っていく時間は無かった。
考えている間に少しでも体を前に進めないと、ナシャラを助けられなくなる。
本当、眠っている間、何で俺の神鎖が解かれていたのか。
拘束力が弱かったか? いや、そんなはずはない。いつも通りだった。
疑問と後悔と焦る気持ちがパニックを呼び、進む歩を早くさせていくが、力任せに歩くと鎖同士がぶつかり転倒してしまう。
お前は動くな、と。
神にそう言われているようだった。
「いたぞ! アレだ!」
……さっそくお出ましか。
ほくそ笑み、背後の方へ視線をやると、そこにはユフの人間と思われる男数人が立っていた。
連中の着用している制服を見ると、腹の奥底をかき混ぜられるような負の感情を抱く。
白を基調としていて、高潔な雰囲気が漂う作りをしているが、洗練さを感じさせるのは制服のみだ。
見れば、奴ら一人一人、体の部位のどこかしらがおおよそ人間のものとは思えない『異形化』を果たしている。
それでも、右腕の部分にはこの国の象徴とされる最高級位の大天使、ネーショラを崇拝する証明バッヂが付けられていた。
花弁が七つで、それは翡翠色に染められた華のよう。
綺麗なようで綺麗ではない。
俺からすれば、目にもしたくないものだ。
「……まったくだな。毎日毎日毎日、アレを見ずに済む日は無いのか?」
自らの存在を認知されても歩き続け、俺は舌打ちしながら独り言を呟く。
逃げるつもりは無かった。ただ、立ち止まって時間のロスを生じさせたくはない。
一刻も早くナシャラのいる場所へ行かなければ。
そう考えながら足を引きずるが、対照的に騒々しく靴の音を奏でながら連中が走り寄ってくる。
前と後ろで包囲され、俺の目の前に一時立ったメガネの男が血相を変えて叫んだ。こいつは左手が怪物のようになっている。人のものとは思えない色だ。薄い青に染まり、鋭利な爪をしていた。
「実験対象ゼロ、待て! 貴様、封印区画最下層からどうやって這い出てきた!? あの場所は到底一人で抜け出せるようなところでは――」
何度も言う。一刻も早くナシャラを助けなければならない。
その意思に従って、俺は囲ってきた五人……いや、前にいた二人の間をすり抜けて歩き通る。目も合わせない。
「なっ!? き、貴様……ァ!!!」
怒気を孕んだ叫び声。
大きくそれが聴こえ、同時に普通ではない魔力を感じ取る。
ただ、視覚に頼るほどではない上に、そもそも特段気にするほどでもない。
「止まれェェェェェェ!!!」
瞬間、背に激しい衝撃を感じるが、俺には無関係だった。
神鎖。
人の力を制限するそれが、俺にとっては防の力となり得る。
構わず歩き続ける俺の背では、命があるかのように鎖が体中から飛び出し、何重にもなって壁を作り上げる。
「ひっ……! な、何だアレは……!?」
「だ、ダメだ! ただの魔法では効果を発揮せん!」
連中もバカではない。
単純な魔法では俺の足止めにならないと判断し、五人のうちの何人かが自らの『手』を使って俺の歩を止めてきたのだ。苛立ちが募る。
「……邪魔するなよ。そんなに死にたいのか?」
簡単に振り払うことはできた。
だが、それをしたところで奴らは俺を追いかけ続けてくるだろう。
加えてこの警告音だ。
早いところ一人一人を処理しておかないと、数で足止めを食らっても面倒だった。
俺は静かな口調に怒りを滲ませ、五人のユフ研究員、あるいは職員を鋭く睨みつける。
俺の手足を縛りつけているその『手』は、元来ただの人間だった奴らが伸ばしてきた異形の『それ』だ。
「死ぬのは貴様だ、バカが! 囚われの身の実験対象が勝手な行動を起こしてどうなるか、想像もつかんか?」
「化け物め……! ここはまだ最下層を出たばかりの地下層だ……! 地上へ出るまでにお前はただの死体になってるんだよ……!」
「タダで生きて出られるなどと思うな!? 実験対象は、実験対象らしく大人しくしておけばよかったのだ!」
「もう一人の実験対象が使い潰されようともな!」
もう一人の実験対象を使い潰す。
その言葉でナシャラが上の階層へ連れ去られていったのだと再確認できた。
「お前たちの考えそうなことだな。俺が寝ている間でなければナシャラを連れ去ることができない。せこい真似だ。崇拝している大天使もさぞ嬉しがってるだろうよ」
「黙れェ! 貴様なんぞが我が国の象徴をコケにするなァ!」
目を血走らせ、攻撃の構えを取る研究員たち。
発現させた魔法陣は、鎖からの解放者であることの証明だった。鎖者のままであれば、これらを発現させることができない。
「鎖と鎖の間だ! 生身を狙え! そこに刃を突き刺すのだ!」
「魔法は風のみだ! 肉体の部分を切り裂いてやれ!」
「死ねェェェェェェェ!!!」
威勢のいい掛け声だ。
だが、そんなものは俺の前ですべてが無に帰す。
「生身の部分なんて無い。だから俺は苦労してる――」
そして、こいつらに、いや、世界から化け物だと恐れられているのだ。
「……拡がれ……!」
殺意を向け、全身の意識を防御へ傾ける。
まるで神鎖の鎧を着た何かだ。
自らの姿を確認することはできないが、本当に俺は化け物なのかもしれない。
身体中に重なる銀色の鎖は重く、しかし俺の感情の変化で確かな効果を発揮する。
そして、だ。
「ッガァァァァ!!!」
意識を攻撃の方へ傾けるだけで、俺の身体からさらに神鎖は飛び出し、この地下層の廊下、白に塗られている壁や床を食い破るように破壊し、浸食していく。
「ひっ、ひぃぃぃぃぃ!? な、何だこれは!? しっ、神鎖がっ! 神鎖がこの場所自体をッ!?」
「のっ、飲まれるッ! 飲まれるッ! 飲まれるゥ!!!」
悲鳴を上げ、恐怖する研究員たちだが、何てことはない。
「お前たちだ。すべて、お前たちが悪い。俺からナシャラを奪ったせいだ」
――全員、血祭りにあげてやる。
「ウゴォォッッ!?」
「ゴッガァァァ!?」
「ギョバァァ!?」
空間を侵食する神鎖は研究員たちの体を無数に貫き、そこで血を被る。
銀色のほんの一部が赤に染まり、俺の顔にも血しぶきが飛んだ。
五人分だけでこれほどの血の量。
これからこのユフにいる全員を殺すとなると、それこそ血の海になるだろう。
「ァ……ァッ……」
死の間際だろうか。
鎖に貫かれまくり、ハチの巣状態になった男の一人が小さく呻き声を上げている。
じきに死ぬだろう。
それ以上の攻撃は加えず、荒くなった自らの呼吸と共に、俺も再び前へ進む。
連中の言った通り、ここはまだ地下層だ。
ナシャラがいるのは、恐らく地上階の研究施設頂上。
俺がいつも実験と称した拷問を受けている場所だ。
「早く……早く行かないと……!」
増えた鎖がさらに体を重くさせている。
これを減らすには、少しだけ時間がかかる。
ムキになった。バカだ。
怒りをぶつけ過ぎたリスクが、自分の移動スピードへ繋がった。
「くそっ……! 早く……! もっと早く動け……!」
懸命に体を動かし、鎖同士のぶつかる音をそこで奏でる。
研究員たちの声がさらにまた向こうの方から聴こえてきた。
時間が……。
時間が……無いのに……。




