第1話 ユドラとナシャラ
「ユドラはさ、たぶん私がいないとダメだよね? 無茶しちゃいけません、って言ったのに、いつもいつも傷だらけになって」
おおよそ、俺たちみたいな少年少女が二人で生活するには相応しくない場所。
ゴミだらけの地下空間、ユフ強制実験施設、封印区画最下層の片隅で、ナシャラは頬を膨らませながら言った。
傷の手当てをしてもらっている最中だが、これには「仕方ないだろ」と返す他ない。
俺が人体実験の駒にならないと、ナシャラが狙われるのだ。
そうなるくらいなら、傷の一つや二つできようと関係ない。
俺にとっての一番はナシャラだ。
ナシャラを守るために俺は戦う。
きっと、世界を創り上げた神がそう仕組んだのだ。
俺の強さは、大切な存在を守るためにある。間違いない。
「俺が人体実験に出向かないと、ナシャラがこの実験収容施設の第一区画に行く羽目になる。あそこは狂った奴ばかりだ。拷問官も何もかも、実験台である人間のことをネズミみたいに思ってやがる。容赦ない」
元々、俺の動きを制限するかのように全身に纏わりついている神鎖。
それが、拷問官や研究員たちとの戦いでボロボロになり、所々千切れたりしている。
体にできた傷もそうだが、ナシャラは俺の神鎖をもう一度繋ぐように、独特な藍色の魔法陣を手から発して回復させてくれていた。
それをしながら、はぁ、とため息をつく彼女。
「なんか、ヤだね。絵本で見た花園に行きたい。平和な場所でユドラと暮らしたい」
「……夢みたいな話だ。それを叶えてくれる存在がいるなら、俺はそいつのことこそ神と呼びたい」
ジャラ、と。
俺が軽く腕を動かすだけで、何重にもなって巻き付けられている神鎖たちが音を立てる。
そうだ。
創造の神は、人間が生まれるたびに、こうして体のどこかへ鎖が巻き付くよう細工した。
それは、一体何のためか。
色々と地上に住む連中の間では諸説が飛び交っているようだが、俺の聞く限りだと、神が人間の力を恐れた結果こうなった、という説を推す人間が多い。
天上に住まう天使と、地上に住む人間。
その両方が程々の力を持ち、繁栄をしていくよう神は夢見ていたらしいが、それは思わぬ形で失敗に終わった。
この世界において、天使と人間が手を組み、傲慢な神に抗った大戦争は有名なお伽話だ。
その戦争の結果、人間には力の制限が掛けられ、天使はほとんど全てが力を無くし、俺たち人間に姿を見せなくなった、という。
気が遠くなるような、本当にあったのかもわからないような昔話。
ただ、それを聞くと、人間の身体に神鎖が巻き付いているのも納得がいく。
他にも色々と説はあるみたいだが、鎖の歴史になんて興味は無い。
欲しいのは、安住の地。
ナシャラと平和に暮らせる場所、ただそれだけだった。
「もっと言えば、この神鎖からも俺は解放されたい。これが無かったら、もう少し自由に動き回れるはずだ」
腕の神鎖が元通りになった。
三重奏になったのを確認しつつ、ナシャラは金色の前髪から覗く左目で俺を射抜き、返してきた。
右目は神鎖で覆われている。瞳が見えない。
「鎖はいいじゃん。ユドラが無理しないように、って。神様が与えてくれたものだよ?」
「そんなのくれる前に、戦わなくてもいいようにしてくれ。クソ野郎どもはいつも俺じゃなくナシャラを狙う」
ため息交じりに言うと、当のナシャラは前髪に隠れている顔の右半分と、自らの心臓を指差し、
「私、人気者なので……!」
なんてふざけて言ってきた。
呆れるしかない。
俺はさらに深いため息だ。
「勘弁してくれ。そんな人気、ナシャラだっていらないはずだろ? 殺されるのを喜んでるみたいだ」
「大丈夫。死なない死なない。なんたって、私にはユドラがいてくれるし」
「だったらその言葉、さっきナシャラが言ってたセリフに返すよ。ナシャラも俺がいないとダメなんだな?」
俺のセリフを受けて、ナシャラは無邪気に笑った。
笑いながら頷く。
そうかもね、と。
「結局、私たちは運命共同体。こんな場所で出会ったのがそもそもおかしな話だもんね」
「おまけに、普通身体のどこかに巻き付けられてるだけの神鎖が全身を取り巻いてる男と、発生するはずのない心臓と目に神鎖がある女だ。おかしいってのにも限度がある」
「ほんと!」
ケラケラ笑って、ナシャラは俺の脚の神鎖修復に取り掛かってくれる。
こう見るとボロボロだ。
まさに、今日の戦いの苛烈さを表している。
少しでも体力を回復しておかないと、また明日の『呼び出し』に身体が追い付かない。
絶対にナシャラを連中へ渡すわけにはいかないのだ。
俺が……。
俺がどうにかしないと……。
「……けど、私幸せ……」
「……遂におかしくなったか。この状況が幸せだなんて」
「ユドラは幸せじゃない?」
問いかけながら、俺に抱き着いてくるナシャラ。
屈託のないその瞳を見ていると、俺はどうにも耐えられなくなる。
目を逸らし、顔を熱くさせた。
「……幸せ……なのかも」
正直な気持ちの吐露はナシャラの笑いのツボを突く。
お腹を抑えながら笑われて、俺はもう恥ずかしくて仕方なかった。
お前が聞いてきたんだろうがまったく。
「もう……いいから早く回復させてくれ。俺の魔力供給は、ナシャラからじゃないと得られないんだぞ? 明日までにあまり時間も無いから……」
「ふふふっ! はーい! そのためには、何か私も食べなくちゃいけないので、後で一緒に食料探しに行こ?」
手をにぎにぎされる。
もちろん、動き始めるのはナシャラの回復作業が終わってからだ。
「ユドラはやっぱり私がいないとダメだね〜?」
「……そっちもだろ?」
「ふっふっふっ……正解っ!」
思わず「うわっ!」と声を上げてしまう。
にぎにぎされていた手をギューっと強く握られた。
「痛いって! 手の傷も鎖もまだ治ってないんだからな!?」
「知ってまーす! わざとだよー!」
わざとって。
ナシャラの力は弱いけど、今の俺には致命傷級だ。痛過ぎた。
「ひひひっ。何か食べた後はまたあの絵本読んだける。だから許して?」
「許すも何も、追加の罰みたいなもんだな。アレは俺からすれば退屈な文字の勉強だ」
吐き捨てるようにして言うと、ナシャラはまた俺の手をギュッと握りしめてくる。
だから、痛い。
俺が喚くと、金色の髪をした彼女は楽しそうにクスクス笑った。
まあ、ナシャラが笑ってくれるならそれでいい。
生まれながらにして親の顔を知らない俺は、文字の読み書きがあまりできない。
今でこそ会話はできるが、そのやり方も、何もかも教えてくれたのはナシャラだった。
人語も何も持たず、ただ命を狙ってくる奴を葬り続けた。
この場所でナシャラと出会うまでの俺は獣同然だ。
鎖だらけの殺人鬼。天使殺しの可能な化け物。危険指定の鎖者。
そんな風に人々は俺を罵り、恐れ、なぜ神鎖があんなにも身体を覆っているのに力を発揮でき、魔法を使用できるのか、と動揺する。
冷静に考えれば、その反応もわからなくはない。
通常の鎖者に戦闘などできるはずがないのだ。
神の鎖に囚われし者には、機動力も、魔力も無い。
大人しく、平和のための一生物として、慎ましやかに暮らすべき。
それが世界の常識だ。
自分が異端である、という自覚はある。
だからこそ、こうしてユフ強制実験施設、封印区画最下層にて捕らえられている。
ここは人が暮らせるように設計された場所ではない。
衣服も食事もまともに与えられず、俺たちは日々増えては処分されゆくゴミから、どうにかこうにか着られる何かを、食べられる何かを探して生きているわけだ。
もちろん、俺たちが普通の人間ならば、とっくの昔に栄養不足か、不衛生が原因で死んでいただろう。
生きていられるのは、すべて神鎖のおかげ。
力を制限するだけのもの。そう教えられていたが、そこに関してはナシャラが教えてくれた。
どうも、俺とナシャラの身体を取り巻いている神鎖は特別らしい。
どう特別なのか、そこはわからないみたいだが、とにかく飲み食いせずともずっと生きていられる。
健康かどうかはわからないが、そこはもういちいち気にしていられない。
生きていられるならばそれでいい。
生きて、いつかここを脱出した後に花園を目指すのだ。
ナシャラの言う『絵本』。
そいつに登場する男の子と女の子のように、平和に暮らせるのを願って。
「ねえ、ユドラ?」
「……?」
「もし、もしもだよ? もしも、私が死んじゃいそうになった時は……」
そんなの無いよ、と。
俺は即座に答える。
誰がさせるか、そんなこと。
俺がいる限り、ナシャラが死ぬことはあり得ない。
ナシャラが殺される前に、俺が殺そうとしている奴を殺す。
それでも、彼女は金色の髪の毛を揺らし、首を横に振った。
「もしもの話。そうなったら、その時は……」
「私の心臓を食べて、か? その言葉ならいつも聞いてる」
「ううん、それだけじゃない。それだけじゃなくて……」
まだ何か食べて欲しいものがあるのか。
そんなこと起こり得ないし、人間である俺が、人間であるナシャラを食べることだってあり得ないのだ。
傷の治療がそろそろ終わるのを確認しつつ、話半分でナシャラの言葉に耳を傾ける。
「鎖に覆われていない私の左目。これも、ユドラが食べて?」
「あいにく、俺は人を食べる趣味なんて無い」
「私のお願い。私がユドラの中にいたいから」
それは、きっとあの絵本に出てくる話の真似で。
ナシャラは、結局登場人物たちの真似がただしたいだけだ。
俺は小さく笑って立ち上がった。
鎖がジャラジャラと音を立てる。
「わかったよ。とりあえず聞いとく。何度も言うように、そんな風には絶対にさせないけどな」
「……私も、ユドラのこと守るからね?」
「俺もだ。ナシャラのことをちゃんと守るから」
だから、死なせない。
ナシャラは絶対に死なせない。
そう誓って、俺は彼女の手を取りながら立たせてあげた。
この手に感じる温もりさえあれば、そこら中がゴミだらけであろうと希望を持っていられる。
世界は、輝いて見える。
ただ、その翌朝、俺の隣からナシャラは消えた。
二人で眠っていた一瞬の隙に、実験台として研究員に連れ去られていた。




