17話 〜春と萌ゆ〜
穏やかな季節というものは、とかく短いものだった。
人生にとっての穏やかな季節もまた短いのかもしれない。
しかし、そんな季節ばかりではなく……
激情の季節にこそ、何かを得る人もいるのだろう——
チリン、チリン、
「あぁ、久しぶりっ!元気だった?」
「はい、リョウくん。まぁ何とか?」
「何になさいますか?」
「新しい……人?」
「はいっ、ルイって言います。親父に無理や……」
「マスターなっ!それに余計なこと、、、」
「あぁ、リョウくんの息子さん?いつの間にこんな大きく……ビールを下さい」
「すぐお待ちしますっ」
「ごめんね、モエちゃん。あいつまだ来たばっかでさ」
「そんな、リョウくんも最初は、、、」
俺がここを手伝うようになって、最初の頃のことを思い出したんだろうが……
この人にとってはイヤな、それこそ激情の季節だったのかもしれない。
◆
『居酒屋なみのり』
〜season3・最終話〜
◆
この店の常連で、当時46歳の商社の課長だったタダシと恋に落ちたモエ。
当初から、その歳の差を理由に、周りからは懸念の声が上がっていた。
「マスター、私は平気ですよぉ〜?そんなのぉ?」
「いや、そうだけどさぁ?親御さんだって?」
「私がしたいっていったら良いって言うもんっ、ウチのパパママはっ!」
「まぁマスター、本人のアレだから……」
「リョウ、そうは言ってもな?一応、思いつくことは今のうちにな?」
「マスターの気持ちは分かりました。でも私は後悔なんてしませんっ」
「分かったよ。でもな、1つ約束してくれないか?」
「てゆーか、お願いでしょ?ノリちゃん」
え?女将さん何を——
「そうだ、お願いだから、困った時は隠さず俺たちを頼ってくれ!頼んだぞっ」
「ま、マスターあ〜。うわぁ〜ん」
この時だった。
いつも明るいモエの泣き顔を、初めて見たのは……
こんなにも、心を込めて泣くとは、
この人の隠した心の奥底が見えた気がして……
そこから、この人を見る俺の目は変わっていった。
しかし、やはり穏やかな季節は、そう長くはなかった。
「マスターおかわりを」
「モエちゃん、もうやめにしたら?」
「ハルトくん呑ませてよっ」
「モエ、後悔しないんじゃなかったのか?」
「マスターすみません、モエち、母は少し……」
「いいよ、ハルト弁解しないで、モエはそんな弱い子じゃないんだ」
「マスター、、、」
そして、モエはハルトとしばらく暮らし、そして——籍を入れた。
「ハルトさん、タダシさんの遺言だからって……気にしなくても私は」
「平気だよ!モエちゃん」
しかし、お互い気にしすぎたのか、タダシの名前を、好みを、出すのを嫌い……
その隙間は広くなりすぎてしまった。
——そして、10数年もの冬が続いた
いつしか、2人は『なみのり』にさえ来なくなり、俺も2人のことを忘れかけていた。
そして今日久々に、モエがやって来たというわけだった。
「あ〜そうか、今日はタダシさんの命日だったのかぁ?」
「はい、すみません。雰囲気を暗くするつもりはないので、いつものように」
と、いうモエには、あの頃の面影はなく、今でもお通夜の未亡人そのものだった。
「いらっ、アユミさ、ちゃん」
「ねぇ、わざとでしょ?リョウくん。アンタとは歳変わんないわよね?」
「はははっ、お通しに良いの入れとくからさぁ?」
「ビール1本サービス!?くらい言ってよ?ねぇ、おチビちゃん」
「俺ももう、働いてる歳なんだけどぉ」
ルイも仲良くしてもらっとくんだぞ?
大お得意さまだからなっ!
「あら?モエちゃんじゃない?」
「あ、ご無沙汰しております。その節は」
と、丁寧に頭を下げるモエ。
「やめてよぉ〜、モエちゃんと私の仲じゃないの」
「そうですね。アユミさん」
「もおぉ〜、ちゃんでしょ〜?」
そんな時、
チリン、チリン、
「あぁ!?」
一瞬、俺が声を失ったのは、ハルトにタダシの面影を見たからだった。
「どうぞっ、ハルト久しぶりっ」
「リョウくん……老けたね」
うっせっ!
そして2人の間だけに、音をなくした時が過ぎて行った。
やっと口を開くハルト、
「俺、やっぱりベルギーに転属だ」
「分かりました」
「……どうする、モエちゃんは?」
黙って顔を上げハルトを見つめるモエ。
「あなたが行くのなら……」
「いや、このままさ、仮面みたいなことしてても、お互い」
「そうですか……」
立ち上がり、お勘定とルイに伝える彼女。
ズザザっ、
テーブルが動く。
「ちょっと待ってっ」
手を掴み引き止めるハルト。
彼女は無言で振り返り、また——ハルトを見つめていた。
「座ろっか?」
「はい」
俯くだけの2人には場違いな歌が流れた。
「ルイ、黙ってコレおいて来い」
「分かった」
差し出したお茶の湯気が弱まった頃……
「もうさぁ、親父のことを気にするのはやめにしないか?」
「え!?でも……少しのことで意識して、すぐに怒るのはあなたじゃないっ!」
「そおなんだけど……やっぱ不安でさ。モエちゃんがどんな想いかなんて正直分からないし」
「私がうまく出来なかったのが悪かったのね」
「だからさっ、もう……終わりにしようって思って、君にもちゃんと伝えなきゃと」
「分かりました。今までお世話になり……」
「だからさっ、もう……親父の名前も、思い出も、想いも、全部さ、、、隠さず言おうよ」
「ええ?」
「だって、俺の親なんだぜ?そんで、、、」
ポタポタと垂れ落ちる、男の勲章。
そのひとつで、彼の辛さが、心の優しさが伝わって来た。
「だって、私が遺言なんて気にしなくてもって言った時、あなたは平気だよって……平気だよなんて言い方されたら」
「そっか、そうだね?今までは押し付けられていたのかもね?」
「……」
「だからさ、終わりにしよう!俺たちを」
「じゃあやっぱり……」
「そうさ、それでさあっ、始めるんだよ!こっから」
「ハルトさん……」
「だから、俺とベルギーに行ってくれっ」
またしても、黙ったままハルトを見つめるモエ。
それは、彼女の中の迷いではなかった。
彼女の目には、すでに決意のようなものが燃え始めていた。
急に静まり返る店内。
それは、さっきまでわざと騒いでいたかのように、固唾を飲み2人を見守るのだった。
ようやく、モエの口が開きかけた、
「イヤだっ!と言ったら?」
はへっ?
「な?どうしたのモエちゃん?」
「だからぁ〜、イヤだと言ったらどぉすんですかぁ?」
「イヤ?てか……その口調、、、」
今度は汗をかき出すハルト。
一世一代の大舞台だったのだろう、彼には。
「ちっ、ハルトのやつ根性見せろよっ」
「アユミさんてそんな人だったの?」
「煩いよっ、チビすけっ」
「いたっ!」
聞こえるか聞こえないかのアユミの声に勇気をもらったのか?
それとも、この店の雰囲気を思い出したのか?
「イヤとは言わせないっ。キミ……お前は俺の嫁さんだっ!モエは俺と結婚したんだからなっ!」
「イヤぁハぁー」
と、モエより先に叫び出したのは、やはりアユミだった。
そして、重い空気を嫌うみんなも次第に拍手をしだすのだった。
「そうね。あの時もこの拍手に背中を押されたのよねぇ?私はっ!」
そして長い長い2人の冬に、ようやく暖かな陽射しが差し込んで来るのだった。
「よぉ〜し、明るく戻った私モエが最後に歌いまぁ〜すっ!!みなさん続けて拍手をお願いしますねぇ〜」
「モエの歌は結構でーすっ!!」
「みんなして、そんなぁ〜!?」
はははははー
完




