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カルロ村・夜襲前夜:静かなる波紋

夜のカルロ村は、静止画のような静寂に包まれていた。


昼間、ネロの骸骨兵たちが整えた畑の畝も、アンリの魔術で瞬く間に増築された真新しい家々も、今は銀色の月明かりを浴びて深く眠っている。


だが、その静寂は「平穏」ではなく、嵐の前の「真空」に似ていた。





1.ヨハン組:最悪の起床と聖獣の警告


――ガタガタッ!

村の外れにある宿舎。その粗末だが頑丈な木扉が、内側から激しく前脚で叩かれた。


「……ワン」


低く、短い拒絶の声。

続けて――。


「ワン、ワンッ!」 


鋭く、切迫した鳴き声。それは「散歩」でも「空腹」でもない。明確な**“緊急事態”**の合図だった。


「んー……やかましいのう。どうした、ウンコかのう……」


使い古された布団の中で、ヨハンが芋虫のように身じろぎしながら片目を開ける。


「夜中に騒ぐな、この毛玉……。ワシの美眠を妨げるとは……」


「この変態犬はヨハン爺のケツを狙ってるニャ。間違いないニャ」


隣の寝床で、毛布を頭まですっぽり被ったボミエが、こもった声でぼそりと毒を吐く。


「いや、それは絶対ないから」


即座に、アルスの冷静な突っ込みが飛んだ。彼はすでに布団の上に座り、無造作に伸びた前髪をかき上げている。


「そもそも聖獣系がそんな俗な理由で主人を起こすわけがないだろ」


「む、失敬な。ワシの尻は由緒正しき……」


「意味が分からんニャ。キモいニャ」


冗談を飛ばし合う彼らだったが、扉の前に佇むチューリップの姿を見た瞬間、言葉が止まった。


チューリップは笑っていなかった。耳を低く伏せ、尾を隠し、その琥珀色の瞳は一点の曇りもなく「外」を――村を囲む闇の深淵を見据えている。


「……来てる」


アルスが立ち上がり、壁に立てかけてあった得物を手に取る。


「外。村の外周。森の縁が動いてる」 


「ふむ」


ヨハンの目から眠気が完全に消えた。布団を跳ね除け、老体とは思えぬ俊敏さで立ち上がる。


「この子がわざわざ起こしに来る時は、冗談では済まん時じゃな。ボミエ、鼻はどうじゃ?」


「……ニャ。最悪ニャ。血と、泥と……それから、鉄の臭いがする。魔物だけじゃない。統制された『軍勢』の臭いニャ」


「よし。行くぞ。……ウンコの話は後じゃ」


「最初からしてないニャ」



2.アンリ組:温度差とスコーン


ドタドタドタッ!!

村中央の邸宅。階段を破壊せんばかりの勢いで駆け下りてきたのは、サジとカエナだった。


「おい! アンリの婆さん! 起きてるか!? 外がヤバいぞ!」


「この気配……普通の魔物じゃねぇ! 囲まれてる!」


二人が居間の扉を勢いよく蹴破るように飛び込むと、そこには異様な光景が広がっていた。


小さな丸テーブル。


清潔な白いレースのクロス。


細かな蒸気を立てるボーンチャイナのティーカップ。

そして皿には、黄金色に焼き上がったスコーンがうず高く積まれている。


「ふむ。おぬしら、やっと気づいて起きてきおったか。遅いのう」


アンリが、優雅に紅茶を一口。

外の不穏な空気など微塵も感じさせない、あまりにも完成されたティータイムがそこにはあった。


「……は?」


サジが呆然と立ち尽くす。


「いや、ちょ、待て。ババア、外が明らかに異常な状況だって分かってんのか!?」


アンリは小首を傾げた。


「そりゃそうじゃろ。さっきから、死者の嘆きにも似た風が騒いでおるわ」


「知ってんなら起こせよウンコババア!!」


――ピシッ。


空気に目に見えない亀裂が走った。アンリの持つカップが止まり、その赤い瞳が冷たく細められる。


「……ほう? 今、なんと言うた?」


「ひっ……!」


サジの背筋に氷を流し込まれたような戦慄が走る。


「ちょっと待てってサジ! 言葉を選べ!」


慌ててカエナが割って入るが、その視線はアンリではなく、テーブルの上のスコーンに釘付けになっていた。


「……なぁ」


「なんじゃ、カエナ」


「それ、外はサクサクで中はしっとりしてそうだな」


「……」


サジが絶叫する。「お前、今それ言うタイミングかよ!?」


アンリは一拍置いて、ふっと毒気を抜かれたように息を吐いた。


「……まぁよい。いくさの前に腹を空かせて、死に顔が痩せこけていては不憫じゃからな。ほれ、食え」


アンリが指先を動かすと、スコーンが二人の口へと魔法で放り込まれた。


「んんっ!? うまっ! 何これ、バターの香りがすごい!」


「サジ、黙って食え。……アンリ、状況は?」

アンリはカップを置き、完全に「魔女」の顔に戻った。


「安心せい。村の外周は、すでにワシの影が一度“撫でて”ある。近づいた端くれどもは、今頃心臓が止まっておるか、逃げ帰っておるわ。じゃが――」


アンリの視線が窓の外、ロッペンハイマーへと続く街道の方角へ向く。


「本命は、これからじゃ。あの鉄臭い小僧どもが、ゴミを連れてやってくる」



3.集結:夜の掃除の始まり


その頃、メアリーとお魚先生もまた、窓の外に立つチューリップの姿を見て覚悟を決めていた。


「先生、やっぱり……」


「ええ、来たわね。あの傲慢な魔導士たちの、幼稚な嫌がらせが」


お魚先生は宙を泳ぎ、メアリーの肩を叩く。


「行きましょう。カルロ村、ロッペンハイマーは、もう誰にも渡さないわよ」


村の中央広場。

月明かりの下に、便利屋ギルドの面々が集結する。

ヨハン、ボミエ、アルス。

アンリ、サジ、カエナ。

メアリーとお魚先生。

誰も慌ててはいない。むしろ、その瞳には「よくも夜中の安眠を妨げてくれたな」という、侵略者にとっては致命的なまでの静かな怒りと、プロフェッショナルな闘志が宿っていた。


森の向こう、闇がざわりと大きく揺れる。

統制された足音。魔物の咆哮。そして、それを操る魔導士兵たちの冷徹な気配。


「……来るわよ」


お魚先生が呟くと同時に、ヨハンが逆薔薇の剣を肩に担ぎ直した。


「さて。夜の掃除を始めるとしようかの。ボミエ、アルス、遅れるなよ」


「爺こそ、腰を言わせるなニャ」


「……仕事だ。速やかに終わらせる」


アンリは最後の一口の紅茶を飲み干し、不敵に微笑んだ。

「ワシらを怒らせた代償は、高くつくぞ?」


夜はまだ深い。

だが、カルロ村はもう眠っていない。

狩られる者と狩る者の立場が、今、静かに入れ替わろうとしていた。


挿絵(By みてみん)

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