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暗君と呼ばれた男  作者: 蜜柑次郎


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1565年春

 桜の便りが届き始め、日差しに暖かさが戻ってきた頃。伊勢の松平元信から、一通の報告書が届いた。簡潔な筆致で記されたその内容は、一つの名門の終焉と、新たな時代の幕開けを告げるものであった。


『伊勢北畠家、当主北畠中納言具教の切腹により、伊勢攻略完了』


 元信は、昨年の夏からじっくりと時間をかけ、北畠の伊勢における影響力を削ぎ落としてきた。武力による制圧ではない。家臣の調略、物流の掌握、そして北畠という組織の切り崩しである。


 結果、戦が始まる前には、北畠の家臣らはほぼ全員が、今川と敵対しないことを決めていた。彼らは生き残る道を選んだのだ。


 報告によれば、北畠具教という男は、最後まで状況を理解していなかったらしい。城に籠もり、少数の側近に対し、こう漏らしていたという。


「北畠は名門である。帝の覚えもめでたい公家の家柄ぞ。先に手を出したのは今川ではないか。九鬼の水軍が少しばかり暴れた程度で、なぜこちらが攻められねばならんのだ。我慢してやっていたのはこちらの方だ」


 文句、不満、そして過去の栄光への執着。もし、彼がもっと早くに勝てないと悟り、頭を下げていれば。


 あるいは、勝算がなくとも、武士としての矜持を賭けて早々に打って出ていれば。北畠の名は、名門として、あるいは勇猛な武家として、後世に記憶されたであろう。


 だが、具教は叫ぶだけで、何の行動も示さなかった。ただ城の奥で、「我らは名門だ」「不当だ」と喚くだけ。家臣たちが次々と去っていくのを見ても、彼は「裏切り者め」と罵るだけで、なぜ彼らが去るのかを考えようともしなかったようだ。


 多くの者は言うだろう。具教は家臣に見捨てられたのだ、と。だが、それは違う。具教が、家臣を見捨てたのだ。 主君としての最大の責務は、家臣とその家族を導くことにある。戦うのか、降るのか。生きるのか、死ぬのか。


 その選択をし、道を示すのが上に立つ者の仕事だ。具教は、その選択を放棄した。


 正解か不正解かは、終わってみなければわからない。だが、あぐらをかき、思考を停止し、選ぶことを恐れれば、待っているのは衰退のみだ。


 名門というプライドは、時に人を守る鎧となるが、重すぎて動けなくなる鎖にもなる。具教はその鎖に縛られ、自らの重みで沈んでいったのだ。



 元信は、最後まで霧山城に籠もった具教に対し、総攻撃をかけなかった。無益な血を流す必要はないと判断したのだろう。ただ静かに城を包囲し、使者を送った。


「もはや勝敗は決した。出てこられよ」


 数日の沈黙の後、ようやく終わりを悟ったのか、具教は城門を開いた。痩せこけた姿で現れた彼は、元信に対し、最後の言葉をかけた。


「…残す言葉はあるか、だと? ならば、松平次郎三郎元信。貴様と一騎打ちを所望する」


 周囲の今川兵がざわついた。総大将が、敗軍の将の戯言に付き合う必要などない。弓矢で射抜けばそれで終わる話だ。だが、元信は静かに頷いた。


「承知した。その願い、受けよう」


 報告書には、淡々とその結末が記されていた。北畠具教は、塚原卜伝に師事し、剣聖とも称された武の達人である。剣術において彼に敵う者はいないとまで言われていた。


 対する元信は、まだ若い。確かに三河武士としての鍛錬は積んでいるだろうが、剣聖相手では分が悪いと思われた。


 しかし、結果は一方的だったという。具教が裂帛の気合いと共に放った太刀を、元信は冷静に見切り、最小限の動きで捌いた。二合、三合。具教の剣が空を切るたびに、元信の刃が具教の急所を捉える寸前で止まる。手も足も出なかった、というのは具教の方だった。


 元信は、ただ淡々と、事務処理のように剣聖を圧倒したのだ。


「…見事」


 剣を弾き飛ばされ、地面に膝をついた具教は、そう呟くしかなかったという。


 正直、驚いた。元信がそこまで強くなっているとは。共に過ごした頃は、真面目で慎重な少年という印象が強かった。だが、彼は氏真の見えぬところで、武芸においても凄まじい修練を積んでいたのだろう。


 それにしても、だ。一軍の将が、敵将との一騎打ちになど応じてほしくはなかった。万が一、怪我でもしたらどうする。


 具教の矜持のために、今川の至宝である元信の命を賭ける必要などないのだ。勝ったから良かったものの、後で会ったら少し説教せねばなるまい。


 名門としての権威も、武士としての武力も、全てにおいて完敗した具教。彼はその後、誰に促されるでもなく、静かに腹を切った。介錯は元信が行ったという。


 不器用な人間だった。早くから降っていれば、今川学問所で剣術師範として、あるいは文化人として、いくらでも生きていく道はあっただろうに。名門の鎖は、死ぬまで彼を放さなかったということか。



 かくして、伊勢国は今川の版図となった。特筆すべきは、ほとんど犠牲者を出さずに制圧した点である。家臣は離反し、民も巻き込まれず、城も焼けていない。 これが今川の戦い方だ。


 だが、課題はある。長期間にわたる経済封鎖により、伊勢の経済はボロボロだ。市場は枯渇し、民は疲弊している。早急な立て直しが必要になる。


 氏真は即座に、駿府と堺から物資の輸送を命じた。まずは民の腹を満たし、今川が来て良くなったと実感させねばならない。


 復興には金がかかるが、心配はしていない。なぜなら、伊勢が持つポテンシャルは計り知れないからだ。


 まず、広大な伊勢平野による米の生産力。これは尾張や越前に匹敵する穀倉地帯となる。そして、特産品である伊勢茶。すでにブランドとしての価値を持ち始めており、京や堺で高く売れる。


 さらに、丹の産地でもある。これは薬や顔料、あるいは金銀の精錬に不可欠な資源だ。これらを独占できる意味は大きい。


 だが、何よりも重要なのは場所だ。伊勢は、東海道と畿内を繋ぐ結節点である。陸路においては、鈴鹿峠を越えれば近江、大和へ繋がる。そして海路。桑名や大湊といった良港は、伊勢湾物流の要だ。


 これまで、太平洋側の海運は、駿河から遠州灘を越え、志摩半島を迂回する必要があった。伊勢の港を完全に掌握したことで、東は江戸湾から西は堺、石山まで、一本の太い海の道が繋がったことになる。


 今川経済圏は、ここにほぼ完成を見たと言っていい。


 伊勢には優れた造船所もある。熊野灘を知り尽くした堀内水軍、そして九鬼水軍。彼らを今川の組織に組み込むことで、制海権は磐石となる。大型船の建造も可能になるだろう。これからは、より大量の物資を、より速く、より安全に運ぶことができる。



 そして、忘れてはならないのが、精神的な支柱だ。伊勢神宮。天照大御神を祀る、日ノ本最大の聖域。氏真は早くからここに目をつけ、北畠との紛争においても、神宮領には一切手を出さず、中立を貫かせた。


 そして今、北畠が滅び、今川が伊勢の統治者となった。これは、今川が神宮の保護者となったことを意味する。


 熊野三山も大きな影響力を持つが、伊勢神宮の格は別格だ。全国から参拝客が訪れるこの地を、今川が整備し、安全を保障し、庇護する。

それにより、今川こそが、神仏に守られし正当な天下の守護者である。という、これ以上ない大義名分を得ることができる。


 帝は京におり、今川が支えている。そして神々の頂点である伊勢神宮も、今川が守っている。神と帝。この二つの権威を味方につけた武家など、過去にいただろうか。


 足利将軍家ですら成し得なかった権威と経済の完全なる融合。これがあれば、もはや誰が今川は田舎大名だなどと侮れようか。


 元信には、「大儀であった」として、そのまま伊勢の領管を任せることにした。彼ならば、荒廃した伊勢を立て直し、頑固な伊勢の国人衆をまとめ上げることができるだろう。


 三河、遠江、駿河での経験に加え、今回の見事な采配。彼は氏真が期待した以上に、申し分ないほど優秀に成長してくれている。


 もはや右腕などという言葉では足りない。彼は氏真の半身であり、今川の未来を背負う原動力だ。


 伊勢に行こうと思う。新しくなった伊勢の地図を片手に、神宮を参拝し、そして何より、あの冷静な顔で剣聖を倒した男の顔を見に行こう。「強くなりすぎだ」と、笑いながら肩を叩いてやるために。


 春の風が、東から西へと吹き抜けていく。その風に乗って、今川の世は確実に、日ノ本の隅々まで満ちようとしていた。

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