繁栄
1562年春
春の訪れと共に、氏真は加賀の生産能力を最大限に引き出すための大規模な振興策を発動した。
加賀は広大な平野を有し、古来より米の多収が見込める潜在能力の高い地域である。氏真はその将来性を加賀百万石という未曾有の規模で見据えていた。まず着手したのは、暴れ川として知られる手取川の治水である。
氏真は甲斐から治水の専門家を呼び寄せ、最新の甲州流の技術を投じて堤防を築き、水流を制御することで新田開発を加速させた。荒地が次々と肥沃な田へと変わっていく様は、飢えに苦しんでいた民にとって何よりの希望となった。
同時に、日本海交易の拠点として宮腰や輪島の港の抜本的な整備を命じた。これらの港は北陸の物資が集まる心臓部となる。
氏真はここに駿河から派遣した今川官僚を配置し、厳格な検地と荷役の管理を行わせた。不正な関銭や横領を徹底して排除し、物流を滞らせない仕組みを構築したのである。
さらに、氏真は加賀の伝統工芸にも着目した。繊細な加賀絹や漆器を生産する職人たちを手厚く保護し、それらを今川の名産品として京の朝廷や有力公家へ進呈した。
今川が治める地には、これほど優れた文化が息づいているという評判を広めることで、伝統工芸を一大産業へと押し上げた。
一方、治安維持においては、越前との国境を固める柴田勝家に加賀への常駐を命じた。一向一揆の火種を完全に消し去るための措置であるが、氏真は民に対し「これは貴殿らを傷つけるためではなく、本願寺の残党から守るための盾である」と布告し、恐怖心を取り除いた。
争いが消え、理不尽な搾取が止み、確かな技術と富が流れ込む。氏真の手によって日本海の窓口として磨き上げられた加賀は、かつての荒廃を忘れ、未曾有の繁栄へと突き進み始めたのである。
加賀の仕置が軌道に乗る頃、駿府の今川館では穏やかな春の陽光が差し込んでいた。嫡男・龍王丸はすくすくと育ち、最近ではその愛らしい仕草で周囲を和ませている。
大殿・義元と正室の定恵院は、初孫である龍王丸を文字通り目に入れても痛くないほど可愛がっており、かつての戦場での猛々しさを忘れさせるような柔和な表情で孫を見守っていた。
そんな一家の団欒の中、早川殿がふと、微笑みを湛えながら氏真に言葉を投げかけた。
「殿、龍王丸も元気に育っております。そろそろ、この子にも遊び相手となる弟か妹を作ってあげねばなりませぬね」
それは、正妻としての愛情と、次代を担う今川家の安泰を願う、極めて柔らかな、しかし逃れようのない圧であった。
「うむ、その通りよ。氏真、より一層励まねばならんな」
わが意を得たりとばかりに義元が豪快に頷き、定恵院は無言のまま、慈愛と期待に満ちた満面の笑みを氏真に向けた。
現代の記憶を持つ氏真にとって、家族の情愛は至上の喜びであると同時に、こうした家を繋ぐ義務という戦国大名の宿命には時折、言葉に詰まるものがある。
だが、早川殿の清らかな瞳と、孫に夢中な父母の姿を前にして、抗う術などあろうはずもなかった。
「…心得ております。今川の未来を、さらに確かなものにせねばなりませぬからな」
氏真は苦笑いを浮かべつつも、その胸の内では家族という絆への感謝を深く刻んでいた。
民を守り、国を富ませるだけでなく、この温かな日常を次代へ繋ぐこと。抗い難い理の中に、確かな幸せを感じる春のひとときであった。
駿河が平和と喜びに包まれる中、近畿からは不穏な報せが届いた。三好長慶の弟であり、三好政権の軍事的支柱であった三好筑前守実休が、和泉の久米田の戦いにおいて、根来衆らとの激闘の末に戦死を遂げたのである。
先に亡くなった十河一存に続き、立て続けに有能な兄弟を失った打撃は、三好家にとって計り知れないものであった。
この凶報を受け、長慶の憔悴ぶりは目に見えて酷くなっているという。実休は阿波・讃岐を統括し、三好軍の主力として常に最前線に立っていた。その喪失は、単なる一武将の死に留まらず、三好家が築き上げてきた広大な支配体制の瓦解を予感させるものであった。
「左衛門尉殿に続き、筑前守殿まで…。三好の柱が、一本、また一本と折れていくようだ」
氏真は、遠く離れた近畿の情勢を想い、長慶の胸中に去来する孤独と絶望を推し量った。
長慶はもともと繊細な心を持つ文化人でもあった。相次ぐ身内の死と、終わりの見えぬ政争。その精神は、今や限界まで磨り減らされているに違いない。
中央の覇者として君臨した三好家の黄昏は、氏真の掲げる、理と銭による秩序が近畿にまで及ぶ日の近いことを、静かに、そして残酷に物語っていた。




