電光石火
1570年夏
日ノ本の空気は、むせ返るような熱気とともに、今川の理がすべてを塗りつぶそうとする静かな、しかし抗いようのない圧力に支配されていた。
春の内に四国を平定した本多忠勝は、息つく暇もなく次なる一手へと動いた。降伏した長宗我部の水軍と、三好の水軍を糾合し、大規模な連合艦隊を編成。そのまま豊後の大友領へと強襲を仕掛けたのである。
報告によれば、忠勝の進撃はまさに電光石火であったという。九州の要衝である府内、そして臼杵を瞬く間に落とし、大友家の心臓部を掌握した。氏真の側近くで小姓として仕えていたあの少年が、今や東国無双の名に恥じぬ立派な武将へと成長した姿を思い浮かべ、氏真は口元を緩めた。
「あの忠勝が、今や海を越え、一国の主を震え上がらせるまでになるとはな」
この戦では、佐竹義重も凄まじい働きを見せたという。その猛攻の前に、終わりを悟った大友宗麟はついに降伏を申し出た。当初、宗麟は「豊後の地を安堵してくれるのであれば降る」と条件を出してきた。大友家にとっての根拠地を守りたいという執念だろうが、氏真の命を受けた井伊直親はこれを一蹴した。
氏真は大友に対し、豊後ではなく筑前と筑後の二国を与え、そこへ移封させる裁定を下した。これは慈悲ではない。肥前の龍造寺隆信という野心家に対する壁として、大友の武力を利用するための再配置である。
ちょうどこの頃、九州の空は厚い雲に覆われ、台風が襲来する季節となっていた。
「九州はここで一時、休息に入ることになるだろうな」
氏真は、自然の猛威すらも戦局を整えるための猶予として受け入れた。
この大友攻略の隙を突き、肥前の龍造寺は大友の混乱に乗じて勢力を拡大しようと画策したようだが、目論見は外れた。大友の降伏があまりに早く、今川軍の統制が維持されたため、思うように兵を進めることができず、肥前に引きこもらざるを得なくなったのである。
一方、日向の伊東修理大夫義祐は、日向の領管に任じることを条件に降伏を申し出た。氏真はこれを即座に受け入れた。当面は、これまで孤軍奮闘してきた肥後の相良頼房とともに、薩摩から北上を狙う島津の抑えとして働いてもらうことになる。
「相良は、この過酷な九州においてよくぞ今川を信じて持ちこたえてくれた」
相良への物資供給路が安全に確保されたことは大きい。九州の諸将の中でも、苦境を耐え抜いた彼のような忠臣は、戦後の論功行状において格別の配慮をもって報いてやらねばならないと、氏真は心に刻んだ。
九州が雷鳴のような武力で席捲される一方、氏真が滞在する備前を中心とした中国地方の戦況は、打って変わって静かに、しかし着実に進んでいた。
ここでは力よりも理と名分が武器となっている。氏真は、かつて山陰・山陽で権勢を誇った尼子家や山名家という名門の看板を最大限に利用した。彼らを今川の傘下として復興させる姿勢を見せることで、毛利の支配に不満を持つ国衆たちの心を揺さぶったのである。
交渉の最前線に立つのは、筒井順慶や黒田官兵衛といった、理を重んじ、先を読む力に長けた者たちだ。尼子や山名に対して快い感情を持たない勢力には、無理に彼らの配下とするのではなく、直接、今川という巨大な看板に降伏させる。相手の事情やプライドに合わせた柔軟な対応。これこそが、氏真の目指す、無駄な血を流さない戦の真髄であった。
その成果は目覚ましく、因幡、伯耆、出雲のほとんどの地が、戦わずして今川の軍門に降った。
唯一、出雲の月山富田城に籠る天野・吉川の両氏は、毛利への義理を立ててか、いまだ降伏を拒み粘り強く城を守っている。しかし、氏真はこれを強襲することはしなかった。城の防衛網の射程外に、今川の息がかかった新たな道を通すことで、城の戦略的価値を無効化したのである。
「戦わず、ただそこにあるだけの石垣にしてしまえ」
孤立した月山富田城は、もはや広大な今川領の中に浮かぶ孤島に過ぎなくなった。
備中に目を向ければ、備中高松城の小早川隆景もまた、完全に孤立していた。周囲の備後までもが次々と今川へと寝返ったため、毛利の本領との連絡は絶たれ、袋の鼠の状態である。
この山陽方面で、氏真が密かに注視していた男がいる。宇喜多直家である。暗殺や裏切りを厭わぬ冷酷な謀略家として知られる彼が、今回の遠征では驚くほど真面目に働いている。略奪を禁じ、今川の法を遵守し、着実に周囲の調略を進めるその姿は、一見すると非の打ち所がない。
「どこかで牙を剥く機会を狙っているのか、あるいは…。流石の蜘蛛も、今川という大鳥の前では死んだふりをするしかないと悟ったか」
氏真は直家という男の本質を疑いながらも、その有能さを利用することに躊躇はなかった。彼が真面目に働けば働くほど、備中・備後の平定は早まる。
これにて、備中・備後のほぼ全域が平定された。毛利が維持している領土は、四国の一部、そして石見、安芸、周防、長門という本領のみとなった。
豊前や豊後といった九州の拠点までもが今川のものとなった今、毛利家が存続するための道は一つしかない。氏真は、毛利元就がいつ折れるかを見定めていた。毛利側からは「せめて四国ほしい」との泣きつきが届いているが、氏真は冷徹に返答した。
「二国までだ。それ以上は認めぬ」
山陰山陽の地を毛利に与えすぎれば、将来的な火種となる。二国という条件は、家名を残すための最低限の慈悲であり、それ以上を望むならば、毛利という家そのものを日ノ本から消し去るまでだと突き返した。
孤立した諸城に支援の手を差し伸べることもできず、ただ領土が削られていくのを眺めるしかない毛利の姿を見て、さらなる国衆の離反が雪崩のように続いている。
今、氏真の目の前にある敵は、もはや毛利、肥前の龍造寺、そして薩摩・大隅の島津の三勢力のみ。
「秋風が吹く頃には、答えが出ているだろう」
氏真は、汗を拭うことも忘れ、眼下に広がる備前の海を見つめた。戦国の終わりは、もうすぐそこまで来ていた。




