公共の益
1567年夏
大和から順慶という牙を抜き、今川の直轄領としての歩みが始まった。堺に戻った氏真の元には、連日のように大和の復興状況が届けられた。まず乗り込んだのは、算盤を抱えた今川の官僚たちである。彼らは即座に正確な地検を開始し、不当な上乗せを排した公明正大な年貢の徴収体制を整えた。同時に、今川直轄軍による徹底した治安維持活動により、山賊や野伏は瞬く間に掃討され、街道に平和が戻った。
氏真が最も力を入れたのは、民の生活基盤の立て直しであった。淀川へと繋がる水流の整備を急がせ、治水と利水を同時に進める。さらに、狭隘だった街道の拡幅工事を行い、物流の円滑化を図った。そして、長年民を苦しめてきた、寺による不当な高利貸しに終止符を打った。興福寺の腐敗した老僧たちが私服を肥やすために行っていた苛烈な取り立てを、今川が代理で一旦すべて返済。その上で、今川直営の低利貸へと借り換えをさせたのである。
「今川の経済封鎖により、そなたらを飢えさせてしまった。無理を強いて済まなかったな。だが、これからは今川がそなたらを飢えさせることは決してない」
氏真のこの宣言と共に、大規模な公共事業による雇用の創出と、備蓄米の放出が行われた。飢えに苦しんでいた民にとって、この慈悲深い処置は、旧来の権威への未練を断ち切らせるに十分なものであった。
一方、興福寺の膿を出す作業も容赦なく進められた。不正に着服を繰り返していた僧たちは次々と摘発され、その地位を追われた。しかし、氏真は彼らをただ路頭に迷わせることはしなかった。
「職を失った者らには、街道整備をする甲賀の下働きとして仕事をさせよ。わずかではあるが、生きていけるだけの給金を与えよ」
牙を抜かれた僧たちは、今川の巨大な組織の歯車として再雇用され、かつての特権を忘れて汗を流すこととなったのである。
さらに、氏真は大和の信仰の核心である春日大社に対し、破格の庇護を与えた。
「これまで興福寺の僧らが着服し、神社に届いていなかった年貢…数年分を今川が一度に寄進する。これをもって速やかに社殿を修繕し、境内を整えよ」
氏真は、来年からは今川主催の祭りを毎年恒例で開くことを決定し、そのための資金と物資、人員を惜しみなく投入させた。
「我らは、この地を侵略しに来たのではない。祈りの場である聖域を、俗世の汚れから浄化しに来たのだ」
このメッセージは強烈であった。武装を解き、民の腹を満たし、神仏の場を清める。かつての支配者たちが特権として独占していたものを、今川は公共の益として民に還元した。大和の民の心は、驚くべき速さで今川の支配を受け入れ始めていたのである。
1567年秋
秋風が吹き始める頃、東国からも吉報が届いた。氏真が北条氏政と約束した、駿河水軍による安房攻略支援が、想定を上回る成果を挙げていた。
里見家は伝統的に強力な水軍を擁し、海からの補給を生命線としていた。しかし、今川が派遣した駿河水軍は、その高い航海技術と組織力をもって安房の海を封鎖。海上支援を完全に断ち切られた里見軍は、まさに陸の孤島と化してしまった。
「海を制する者が、安房を制する…。中将殿の言った通りだ」
氏政からの文には、今川の支援に対する深い感謝が綴られていた。刈り入れが終わる頃には、里見の抵抗も限界を迎えるだろうという。来年の年明けを待たずして、安房全土が北条によって塗りつぶされるのは、もはや時間の問題であった。氏真は、自らの差し出した盾が、北条という矛をいかに鋭くしたかを満足げに確認した。
越後の軍神、上杉輝虎もまた、その圧倒的な武力を誇示していた。越後に侵入していた会津の蘆名軍を、輝虎は一年と経たず全域において追い散らすことに成功したという報が入った。蘆名は、しばらく国衆を動員し防戦一方になりつつ粘ったが、自軍の損害が大きくなることを嫌い兵を退いたそうだ。元々、武勇よりも調略と血縁外交で版図を広げてきた蘆名にとって、本気で怒り狂った軍神と真っ向から殺り合うのは、採算が合わないと判断したのだろう。
氏真はこの機を逃さなかった。
「下野への影響力が落ちた今こそ、楔を打ち込む好機だ」
氏真は、伊賀の者たちを呼び、下野から奥羽にかけての正確な地図作成を優先して欲しいと命じると共に、ある噂を流布させる任務を与えた。
「蘆名に勢いがあったのは、もはや過去の話。上杉に怯え、逃げ帰ったのがその証拠よ。東の佐竹も、今や北条に睨まれ、身動きも取れまい。…これからの北関東で生き残る道は、日の出の勢いの今川にすがる他になかろう」
隠密たちは、行商人や旅の僧に化け、各地の国衆の耳元でそう囁きながら歩く。戦わずして敵の心を折る。氏真が仕掛ける情報の戦は、冷たい秋風と共に下野の国衆たちの胸中に、不安と今川への期待という種を植え付けていった。
「蘆名も佐竹も、そう長くは保たないだろうな」
氏真は、秋の夜長に地図を眺めながら、北の空に輝く星を見つめていた。そこには、武力による征服を超えた、巨大な経済・情報の網に捕らえられた日ノ本の未来図が、はっきりと描き出されていた。




