第百五十五話 皇帝たる資格⑫
毎朝、同じ時間に目が覚める。
あと数分もすれば侍従が起こしに来てカーテンを開けるだろう。
その後は身支度、朝食と順番に済ませる。
そして、皇帝モラク・ルー・グラーツィアはいつも通り玉座に着くのだ。
皇帝とは象徴である。
特にモラクは象徴としての存在が大きい。
先帝、つまりはモラクの父に当たるわけだが、その人物は権力という名の力に溺れ切った愚帝であった。
帝国の治安は荒れに荒れ、どこの貴族家もバチバチと敵対意識をむき出しに、従来の帝国という型に乗っているだけの、もはや小国連合のような歪な力関係を為していた。
そんな腐り落ちた帝国を現在の帝政へと変革したのが、現皇帝モラク・ルー・グラーツィアである。
先帝は愚かではあったが、実際能力がなかったわけではない。
ただ、力に呑まれてしまっただけで、本来ならば名君の器だったのだろう。
誰より傲慢であったが、皇太子時代から様々なことを成し遂げ、その評判は高かった。
しかし、先帝の先帝、つまり現帝モラクの祖父に当たる人物より帝位を譲位されてから、その人物評価は一変してしまった。
それまで上に立つ者としてのプライドだと思われていた彼の傲慢ぶりが際限を超えて行ったのだ。
国を治めるのではなく、締め付ける。
誰が何を言おうと、「我ならば問題ない」と聞く耳を持たず、史上でも最悪なほどに帝国内は荒れた。
そんな一触即発、内乱の瀬戸際までひっ迫した帝政を一気にひっくり返したのが現帝モラクだった。
当時皇太子であったモラクは父のそんな姿を見て、嘆くのではなく、好機だと捉えた。
父に同様優秀だったモラクは父のような傲慢な性格ではなかったが、その分強欲な性格をしていた。
それこそ、力を誇張するだけで持て余している父のことを嘲るほどに。
そして皇太子モラクは友人であったファルシアンの次期当主である堅物スレイドを口車に乗せ、先帝への反逆を開始した。
まずは明確な実績を作るためにスレイドと共に帝国北部の死の大地と呼ばれていた魔物や魔獣の巣窟を制圧した。
当時、圧倒的な力を誇っていた二人は僅か数か月の間に帝国の地図を何度も書き換えなければならないほどの大成果を持ち帰り、その実力を知らしめた。
次にモラクは周到なまでの根回しを始めた。
何の根回しかと言えば、スレイドを英雄に仕立て上げる根回しだ。
無論、スレイドはそんな根回しの必要のないほどに英雄としての素質を備えていたが、『強欲』なモラクはその程度では満足しない。
普段は領地で魔物とばかり戯れているスレイドを様々な貴族領へ連れ出し、凱旋と題して大きく連れ回った。
すると、モラクの想定通り、スレイドは帝国中の誰からも帝国の英雄と呼ばれるように……そして、その立場からモラクは英雄を従える主と見られるようになった。
これには当時のスレイドが控えめだったことも大いに関係しているのだろうが、モラクの立ち回りが賢かったことも間違いない。
モラクは英雄という明確な称号以上に英雄を従える者という立場を欲していたのだ。
この頃になると帝国内でも徐々にモラクを皇帝へ推す声が上がり始める。
当然、内乱の気配は感じさせるものの、内乱をするだけの力を持たない貴族家や中立を決め込んでいた貴族家などは一番穏当に済みそうなその選択をし始めた。
だが、『強欲』なモラクはこれでも満足しない。
次に始めたのは近衛を手中に収めることだった。
皇帝の力の象徴である近衛騎士は先帝に不満を持つ者も多くいた。
不本意な任務、横暴な主等、その不満の内容は様々だったが、モラクからすればそんな不満を抱く者こそ恰好の獲物だった。
そして不平不満を持つ近衛たちにモラクは決まってこう告げた。
「お前たちが使えるべきは先帝ではなく、皇帝という存在だ」と。
近衛騎士となる者は基本的には忠義に厚く、それなりに聡い者だ。
そのため彼らはその言葉の意図に気付いた、いや、気付かされてしまった。
こうして反乱の波は密かに、だが確かに近衛騎士の間に広がっていき、皇城という狭い空間の中ではその波はすぐに決壊する。
ある夜にそれは起きてしまった。
「我らは近衛騎士! 使えるべくは皇帝であり、お前の駒ではない!」
近衛騎士の大反乱。
常日頃から横柄な態度で城内で嫌われていた先帝には味方が少なく、数の暴力によってあっさりと討ち取られてしまった。
そしてその機を待っていたとばかりに現れたのが、再びスレイドを連れて戻って来たモラクだった。
英雄とその主は見事に反乱を起こした近衛騎士を制圧し、モラクはそのまま皇帝へと成り上がった。
皇帝となったモラクは傲慢な印象を払拭するために「皇帝とは象徴であり、王ではない」という声明を発表し、その上で「王とは帝国に住むそれぞれが見出すものだ」と発言。
そして、その日のうちに皇城を王城と、帝都を王都と呼び変えるように触れを出し、自らはあくまで帝国の象徴であるというポジションを確立した。
もちろん、低姿勢な態度は皇帝にふさわしくないと騒ぎ立てる貴族もあった。
だが、モラクはそんな貴族には容赦せずに己が力を見せつけた。
特にその頃にはスレイドを連れ回さくなっていたことが大きいのだろう。
北部での見えない戦功より、各領地での目に見える戦功は大きく印象に残り、こうしてモラクは帝国の象徴と、帝国最強という二つの看板を手に入れていた。
ここまで来れば、流石のモラクの『強欲』もそこそこに満たされ、その確かな手腕と信頼、カリスマによって帝国の治世はこれまでにないほどに安定した。
だが、安定ほど『強欲』を刺激する物もない。
徐々に、皇帝モラク・ルー・グラーツィアの内側にはとある衝動が生まれ、強くなっていった。
その衝動とは、自分の地位を脅かすほどの存在の登場である。
そうだ。
皇帝モラク・ルー・グラーツィアはその腕で歴史上で最も安定した帝国を築きながら、そんな自分を超えんとする宿敵の存在を欲し始めた。
そして、その願いは数十年の時を超え、ようやく叶わんとしている。
「ここまで、長かったな」
決戦を控えたその前日だと言うのに、緊張感のない一言が空虚な玉座の間に木霊する。
「……陛下?」
モラクの呟きに怪訝な顔をして反応したのは、最近、近衛として臨時復帰をしたメホロス。
そんなメホロスに皇帝モラクは尚も独り言のように語り聞かせる。
「だが、余のこれは余が欲するものを本当に再現してくれる。なんと面妖で素晴らしい力なのか」
「……? ええ、確かに陛下の魔法は素晴らしいとは思いますが」
メホロスは急に何を言い出すのだ、と、さらに眉間にしわを寄せながら、モラクの言葉を肯定した。
「時にメホロスよ。明日、余とファレスが一騎打ちになったとするとどちらが勝つ?」
「……無論、陛下の勝利を信じておりますが、彼の牙は間違いなくその喉元へと届くでしょう」
「フッ! ハッハッハ! そうだろう、そうでなくてはな」
「……」
今度はメホロスの表情が呆れたものになる。
なぜならば、昨晩の皇帝の意見表明の前から含めてこのやり取りはもう何度も繰り返されたものだからだ。
だが、彼は何も言わない。
皇帝の笑い声だけが玉座の間に響いた。
「陛下」
そんな玉座の間に新たな声が舞い込んでくる。
「……エドワードか。なんだ?」
少し興が削がれたとでも言いたげな声で言う皇帝の前にそのまま膝を付く。
玉座の間を訪れたのはサラの父であり、エバンス家当主エドワード・エバンスだった。
「アゼクオン及びにファレスへ同調する各貴族家の動向を調べてまいりましたが、特に今日中は行動を起こす気配はありません。どうやら決戦の日時は守る様です」
「……そうか」
空気を読まずに、完全に水を差すような発言に皇帝はつまらなさそうに返事をする。
「はい。では……」
だが、そんなことに気付いていないのか、それとも関心がないのか、報告だけして持ち場へ戻ろうとするエドワードに皇帝は声を掛けた。
「少し待て、エドワードよ」
エドワードは不意に呼び留められてもすぐに振り返って膝を付いた。
「なんでしょうか?」
「明日の戦い、ファレスの傍には間違いなくお前の娘がいるであろう? その時、お前はどうするつもりだ?」
モラクは口元にわずかな笑みを浮かべながらそう聞いた。
以前のエドワードは問答無用でサラを消そうとした。
だが、この数か月間エドワードは自らサラ周りのことをよく調べていた。
モラクはそこに何か変化があるのではないかと聞いたのだ。
「無論、反逆者に掛ける慈悲などありません。それが例え娘であっても」
しかし、そんな皇帝の思惑など歯牙にもかけない様子でエドワードは淡々と告げた。
「ほう、そうか。だが、よく考えよ。お前の娘であるということは……」
「陛下っ!」
だが、その言葉に続いた皇帝の言葉にはエドワードは血相を変える。
「ハッハッハ! お前は本当に忠義の臣だな! だが実際、その葛藤がベリルの独断を事前に防ぐのを阻んだのであろう? フッ! さて、今度のお前はどうするのだろうな?」
「――っ」
皇帝とエドワードとは長い付き合いになるメホロスだが、皇帝のこのような態度もエドワードのこんな表情も彼は見たことがなかった。
一体両者の間にどんな関係があるのか、流石のメホロスも一瞬は気にならずにはいられなかった。
だが、彼は騎士だ。
特に近衛騎士にとってはスルースキルとは必須の素養である。
メホロスは学園の長を務めたことで自身の中に生まれた好奇心を必死に押しとどめ、忠実に職務を全うする。
玉座の間には皇帝の笑い声だけが良く響いていた。
これで準備は整いました。
ファレスは目的を固め、モラクは待ちわびた相手との戦いが叶う。
次話から最終決戦です。




