第四話 ロンダリング
昼過ぎから始めた作業も、終わりに近づく頃にはもう既に日は傾き始めていた。
遅くなってしまったからと、剛田と若い従業員、栄と紫苑の四人分の弁当をデリバリーで頼むことになった。
渋谷と恵比寿のちょうど中間点くらいにあるこの物件はレストラン激戦区でもあることからデリバリーメニューも充実していた。
栄はチャーハンに麻婆豆腐をかけた中華料理屋の弁当を、紫苑は寿司とばらばらに注文をした。
結局剛田と従業員は注文しなかった。理由を尋ねると「やっぱり嫁さんの手料理が食べたいんすよ」とデレデレしながら言った。
窓の外に見えるハイエースが遠くなっていく。彼らはこの後、それぞれ家族と暖かい時間を過ごすのだろう。栄は窓を閉めた。
「マジで今日ここに泊まる気?」
「除霊と履歴の洗浄、それがお前の仕事だからな。とにかく一日でも二日でも、住んだ実績を作らないといけないんだよ」
栄はタブレットで契約書を作成していた。
「お前、住民票とかある?」
「さあ。東京来てそのまま家に帰ってない状態だからな。どうなんだろ。実家になるんじゃない」
「そういや、お前の実家ってどこなんだ」
「京都の山奥。鞍馬山って知ってる?」
「あぁ、天狗が出るところか」
栄はタブレットから顔を上げずに言う。
「出ねえよ。その山の中にあるデケェ寺。観光客とか来るところ」
「お前、マジの坊主だったのかよ」
栄は顔を上げた。中途半端に伸びた長い髪。眠そうな目。どう見ても、僧侶には見えない風貌だ。
それでも袈裟を羽織り真剣に除霊をしていた時には、その片鱗は覗かせていたのだが。
「その坊主になるのが嫌で帰ってないんだよ。朝四時起きとか無理。山の中だからコンビニもねえし、パチンコ屋もねえし。京都って息が詰まるんだよな。市内を牛耳ってる悪い一族がいるんだわ。それに比べたら東京最高。無害な霊がうようよいるくらいだし」
「この破戒僧が……いや、僧侶じゃないのか。じゃあなんだ。クズか」
ひでぇ言い方、と紫苑はけらけら笑った。
「じゃあ、一応住所はそこにしておく。住民票とかは、まあ後でなんとかしよう」
ピンポーン、とインターホンが鳴った。のろのろと紫苑が玄関に向かう。弁当を二つ受け取って、戻ってきた。
「なんかネタ小さくねえ? こんなもんなのか、デリバリーって」
紫苑が寿司のパックの蓋を開けながらぼやく。移動中にズレたのか、元々なのか、シャリの上にあるネタがいくつかパックの端に寄っていた。中途半端に冷めた中華弁当を栄は受け取った。
「さあ。飲食店は不景気だからな。いくつか物件買っておいてコロナ禍抜けたら売り捌くのもありかもな」
「いつまで続くかねぇ、これ。さっさとパチ屋開いてくれないと俺死にそう」
「やめろよ、折角除霊したのにここを事故物件にする気か」
「今の俺の楽しみ、マジで競馬しかない。娯楽なさ過ぎて無理」
「北条くんなあ、世の中には映画とか読書とか色々あるだろうが。それこそ、バーチャル配信者とかだってそうだろ」
栄はチャーハンを一口食べた。矢鱈としょっぱかった。
「興味ねぇ。万券突っ込むようなヒリつきがないと燃えねえよ」
紫苑はガリをよけながら言った。
「じゃあ、この間の俺に憑いてた霊の除霊料、馬に消えたのか」
「……皐月賞で全部スった」
紫苑は目を逸らしながら、ばつが悪そうに言った。
「せめて当てろよ」
「当てる気はあったよ」
紫苑は最後まで栄と目を合わせようとしなかった。
パックの寿司を米粒一つ残さずにきれいに食べきった紫苑は床に張られた遮音シートの上でごろりと横になった。
「配信者って儲かるのかね」
「さあな。その分気苦労も多いんじゃないか。今回のケースみたいに炎上しないように発言とか、行動に気を付けないといけないだろうし。名前や姿を伏せてても声とか喋り方で知り合いは気付いたりするだろ。身バレ防止して、企画だって自分で考えて、動画編集もして――見た目は華やかだろうけど、やってることは俺らと同じで泥くせぇもんだろ。まさかお前配信業やろうとか考えてんの」
「まさか。そんな面倒くさいことしねぇよ。『ナントカさん、投げ銭アリガトー』とかやるんだろ。俺には無理。媚び売るくらいならホームレスでいい」
「極端だよなあ、考え方が。ホームレス配信者も新しい気がするけどな」
栄はペットボトルの緑茶の蓋を開けて、一気に飲んだ。弁当の塩分が強すぎたのだ。
「ここの家主も、最初は希望を持って始めたんだろうな、配信業を」
八畳くらいの部屋だ。撤去されているが、大きなゲーミングデスクが置かれ、パソコンとモニターが並び、マイクの前で彼女は己の仕事に誇りを持って、やっていたはずなのだろう。
どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。そして不用意な一言が、結局自分自身を追い詰めることになってしまった。
「ビジネスはビジネスだ。プライベートはどうだっていいことだろ。清廉潔白であることが正しいなら、俺は真っ黒だな」
「ブラック企業代表取締役社長、だもんな」
紫苑のひとことに栄は笑った。
「ブラックでもいいだろ。俺は自分の仕事に誇りを持ってんだからさ」
「誇り持つなよ、そんなの」
つられて、紫苑も笑った。
ふと会話が途切れると、部屋は恐ろしいほどの静寂に包まれた。壁に貼った吸音材と遮音シートのおかげで、外の車の音はおろか、風の音さえ聞こえない。
世界から切り離されたような、二人だけの空間。皮肉なことに、怨念を隠すための工事が、極上の『安眠できる寝室』を作り上げていたのだった。
「静かだな」
「ああ。よく眠れそうだ」
紫苑はそのまま、いびきをかきながら眠ってしまった。栄もまた、隣で横になって眠りについた。
***
数日後、『配信者応援キャンペーン!』と銘打った物件紹介をSNSに投稿すると、即座に内見の申し込みがDMで届いた。
この部屋で何があったのか知らない人間が、壁一面の吸音材という撒き餌につられてやってきたのだ。
痩せた若い男だった。色白で、腕も細い。その目はキラキラと希望に輝いていた。
「へぇ、大手バーチャル配信者事務所の」
「そうです、まだデビューしたばっかりなんですけど。他の配信者向けの物件よりも家賃が安くてスタジオにも近いし、いいなって思って。先輩にも紹介してるんです。隣も空いてるんですよね?」
栄の狙い通りだった。大手事務所なら物件の噂が回るのも早い。入居者が決まるのも時間の問題だった。
彼はハキハキとしゃべりながら続けた。
「『体操のお兄さん』、って設定なんですよ。床も防音してあるならすげぇ助かるんですけど」
「やってありますよ。まあ、あんまり飛び跳ねるのはどうかと思いますけど」
「そういうのはスタジオでやるんですよ、トラッキングの機材とかも違いますから。まあ、今は無理でしょうけど。でも一緒に朝にラジオ体操しようぜ、とかはできそうでよかった」
笑いながら彼は言った。明るく、やる気に満ち溢れている。配信業に誇りを持っているのだろう。言葉の一つ一つが力強い。
「すげぇ、吸音材びっしりだ。これなら叫んだり歌ったりできるな。ラジオ体操も余裕そう。契約します」
チョロい。たったの一泊だ。一度契約して、解約させる。これで履歴浄化は完了している。
そして相場より少し安いだけの『ただの優良物件』として契約することができるのだ。栄は心の中でガッツポーズをした。
紫苑は同情するような視線を男に向けていた。彼は、事故物件であることを知らないのだから。
たとえ事故物件だったとしても、自らネタにしてしまいそうな強さを彼は持っていたし、それを跳ね返せるような明るさもあった。
「まあ、大丈夫そうだな」
紫苑は珍しく、穏やかに笑った。




