第三話 リノベーション
「どもっす、天國社長」
「待ってたぜ、剛田さん」
ハイエースから降りてきたのはベリーショートのハイトーンツーブロックが目を引く筋肉質な若い男だった。黒地に赤い長方形のブランドロゴが入ったキャップを被り、短い無精ひげが生えている。
「持ってきてくれたか? 吸音材」
「その前に、ちょっといいすか」
彼はワンカップの酒を開けて床に置いた。そのまま静かに合掌する。
「もう祓ったよ」
窓を開けて紫苑が煙草を吸っていた。長細いメンソールの煙草は、紫苑の指によく映えた。
「うぉっ!? びっくりしたあ。社長、ついに従業員雇ったんすか」
「まぁ、うん……」
「初めまして、剛田翔って言います。天國社長には良くしてもらってまして」
剛田は紫苑に向かって礼をした。
「声でけぇ」
「アレは北条紫苑。除霊師だ。まあ、なんでも好きなように呼んでやってくれ」
「除霊師……うわーすげぇ、ガチじゃないっすか、天國社長」
剛田はワンカップの酒をひょいと持ち上げた。
「じゃ、始めさせてもらいますね」
ガラスのワンカップをシンクに持っていく。流そうとした瞬間だった。
「ちょっと待て。勿体ねぇ、それくれ」
紫苑は驚くほど素早く窓際から走ってくると、剛田からワンカップの酒を奪い取るようにして手に取ると、一気に飲み干した。
「すっげぇ。カップ酒一気に行く人初めて見た」
明らかに引いている。栄はうんざりしたようにため息をついた。
「っかぁー、除霊後の酒はキくね」
「オッサンかよ」
「うるせぇな、いいだろ。酒はな、穢れを祓うんだよ」
「お話し中にすんませんね。ちょっといいっすか、養生しますんで」
剛田はせっせとブルーシートで床を養生する。後から入ってきたサイドに剃り込みの入った男が吸音材を運んでいた。従業員らしい。
「すげぇっすね。なんだろうな、油性ペンかな。落ちるかなー、これ」
剛田は壁一面の罵詈雑言を眺めて言った。
「いいよ、やらなくて。吸音材貼るからどうせ見えねえよ。糊強めにしたら剥がれないだろ」
「それはそうですけど。そうも行かないっすよ。溶剤で落ちればいいけど……できるだけやりますね」
この男は仕事に関しては真面目で律儀だ。
元々は荒れていたそうだが、若くして彼女を妊娠させたのを機に、地元の仲間を集めてこの会社を立ち上げたのだそうだ。
強面のヤンキー集団だが、家族と仲間を思う結束力は何よりも強い連中だ。文句ばかりで手が動かない小綺麗な工務店よりも、素直にこちらを肯定して仕事をしてくれる彼らを栄は信頼していた。
なんとも言えない複雑な気持ちになりながら、栄は壁を見上げる。
「誹謗中傷を受けながら、これ書いたんだもんなぁ。怖い話だぜ」
「誹謗中傷? この家主がっすか」
「そう。最近自殺したバーチャル配信者だって」
吸音材を広げるのを手伝いながら栄が言った。
「あー、SNSで話題になってたやつか。光野ミライちゃんだったかな」
「へぇ、詳しいな」
「大炎上して週刊誌に載ってたっすよ。自粛中に男と飲み会したとか、なんとか」
「俺週刊誌読まないからなあ。飲み会か」
「あれ重ねるとちょうどいい枕になるんだ。俺の頭にちょうどいいのは月刊の少年漫画雑誌なんだけどな」
「お前は何の話をしてるんだよ」
栄は剛田に吸音材を手渡した。剛田は隙間がないように丁寧に吸音材を貼っていく。
少しずつ、誹謗中傷の文字が見えなくなっていった。
「でも、そこまで……自殺するまで追い込むことはなかったと思うっすけどね。そりゃあ、俺たちだって自粛してますし、飲み会だってずっとリモートっすよ。でも、顔合わせて飲み会したい気持ちは……こんな息が詰まるような毎日だったらパーッとやりたい気持ちはわかりますよ」
剛田は鼻をすすりながら言った。彼の生きがいは荒川の土手で仲間内でバーベキューをすることだ。
風薫る、五月。これからがシーズンだというのに、そのささやかな幸せは奪われてしまっている。
「そもそもなんで週刊誌に載ったんだろうな」
「音声と写真が流出したって書いてありましたね」
壁の『信じてたのに』という文字を見つめて、剛田はやるせなさそうに溜息をついた。
「その様子を撮ってた『裏切り者』が、飲み会の席にいたんだと」
紫苑は窓際で、メンソールの煙を吐き出しながら淡々と言う。
「裏切者?」
「最初から週刊誌に売りつける気で、虎視眈々と録音してたのさ」
「何のために? そいつだって、同席してたのがバレたらダメージ受けるだろ」
栄はタブレットで週刊誌の記事を検索しながら、理解できないという顔をする。
損得勘定で動く栄には、自分が損をしてまで他人を落とす心理が全く分からなかった。
「そこまでしてでも、彼女を地獄に落としたいくらい恨んでたってことだよ。ま、よくある『痴情のもつれ』ってやつさ」
紫苑が吐き出した煙が、『裏切者』の文字を霞ませた。
「彼女がイチャついてた歌い手の男、その『裏切り者』も狙ってたんだと。女の恨みは、コロナよりタチが悪い」
「それ、どこ情報っすか? 初めて聞いたな」
「さっき彼女から直接聞いた」
「やば。マジっすか」
彼女は『みんなの心を癒やす聖女』というキャラクターの、清楚系の見た目をしたバーチャル配信者だった。
少し高めの声質だが耳障りではなく、不快ではない。よくありがちな『異世界転生』モノの聖女のような風貌をした白いドレスを着たアバターが、にこやかに笑いながら手を振っていた。
彼女はステイホームの象徴のように振る舞っていた。丁寧にコメントを拾い、時折笑いながら投げ銭をしたファンの名前を呼ぶ。
――みんな、辛いけどお家にいようね! 私もずっとお家でみんなと一緒にいるからね。約束だよ!
そんな緊急事態宣言の真っ只中に、音声と写真が流出した。有名男歌い手たちとタワマンで乱痴気騒ぎをしている音声だった。男に甘えるように、彼女は話しかけていた。まるで画面の向こうから打たれた「このセリフ読んでよ」と流れるようなコメントを読み上げるように。
そして決定的な一言を発してしまう。
「自粛とかマジでバカ正直にやってる奴らウケるよねー。まあ、そのおかげで稼がせてもらってるんだけど。今月かなり投げ銭飛んだわ」
「マジで? 『騎士様』羽振り良すぎだろ。じゃあこの酒はその騎士様たちの奢りってわけか。やべー、サイコーだな」
下品な男の笑い声。音声はここで終わっている。
流出した写真は、彼女の真正面から撮られたものだった。彼女が心を許して、無防備に笑いかけていた相手こそが、スマホの録音ボタンを押していたのだ。
そして、彼女一人が——炎上した。
俺たちは我慢してるのに――コロナ禍特有のルサンチマン。
清楚だと思ってたのに男と遊んでたのか――ガチ恋勢の絶望。
同じように見られるのは迷惑なんだけど――真面目にやっている同業者からの冷ややかな目。
同席した男は『暫く充電してきます! また次のステージで会おう!』と雲隠れした。SNSのアカウントにも鍵がかかっており、リプライも送れない状態になっている。
週刊誌はこれを面白おかしく報道した。
『バーチャル配信者の聖女の裏の顔は下衆の極み配信者だった!?』として。
『嘘つき』『裏切り者』『ファンを金づるとしか見てないくせに』
——『生きてる価値ないよね』
SNSで飛び交う罵詈雑言。
彼女は、この言葉を笑いながら壁に書き写していた。もう、心はとうに壊れてしまっていたのだ。
「あは、あはははは! 嘘つきの裏切り者。お前のせいだ、お前のせいだ!」
涙を流しながら。顔を掻きむしり、頭を壁に打ち付けながら。
そして——彼女は、パソコンのケーブルに首を巻き付け——自ら命を絶った。
部屋に重い沈黙が流れる。壁に頭を打ち付けていた彼女の霊。その痛みは、ネットの炎上だけではなく、『仲間だと思っていた人間に背中から刺された』という絶望だったのかもしれない。
「こいつらが刺したのは『ミライ』っていうキャラクターのつもりだったんだろうな。でも、血を流して死んだのは、中にいた生身の人間だ」
紫苑が呟く。
『そこまで叩く必要あった?』
『え、死んだの? ショック……ご冥福をお祈りします』
『つーかこれ逃げた男の方が悪くね?』
彼女を死へと追いやったその大衆の指が、のうのうと擁護に回り、そして別の誰かへと言葉を向けていく。
剛田はやりきれない表情で、壁の文字を乱暴に吸音材で覆い隠して見えなくさせた。
「なんか、生きてる人間の方が幽霊よりも怖いっすね」
「正解。だから俺は人間が嫌いなんだよ」
紫苑は窓の桟に吸い殻を押しつけた。
「あー、お前折角掃除したのに」
「どうせまた掃除するからいいだろ」
剛田は苦笑いを浮かべながら、吸音材を壁一面に張り付けた。




