佳織の場合③
生きがいは仕事で、喜びは仕事で成果を上げること。
バリバリ働く自分が、私は好きだった。
それなのに……。
予想外の妊娠をしてしまい、それを今の夫である当時の彼氏、リョウに恐る恐る打ち明けた瞬間から、私の人生は私の意思とは関係なく走り始めてしまった。
「分かった。籍を入れよう」と真剣な眼差し。
いや、待って。
まだ産むって決めてない。
あの時、私はそう伝えたかったのに。
「おめでとう、お腹目立たない内に式あげなきゃね」とリョウの母親の弾んだ声。
いや、だから、待ってよ。
まだ産むって決意してないから。
なのに、式?なんで?
そもそも、リョウの母親がなんでこの件に口出ししてくるの?
もともと、子供ってあんまり好きじゃなかったし、もし、産むとしても、もっと先のことだろうって思っていた。
外堀を固められた。
それ以外の選択が許されない空気感の中、私はおめでた婚にて寿退社する流れとなった。
育児は仕事のどの作業とも似ていない。
丁寧に離乳食を作ったとて、夜泣きの対応をめげずにしたとて、誰からも称賛されることはない。
評価も、対価もない。
生産性もなく、正解のない、孤独な戦い。
世の母親と呼ばれる女性は、育児を当たり前のことのようにこなし、更に家事をしている。
信じられない。
私には、やっぱり無理。
ああ、あの日に帰りたい。
課長から評価してもらえたあの日に戻り、出産しない選択をしていたら、きっと今とは違う自分でいられたのに。
神様、どうか、お願いです。
私をあの日に戻して下さい。
「ぎゃー」という泣き声で、現実に引き戻される。
お気に入りのウサギのぬいぐるみがいつもの場所にないから、それだけでまた泣き出したマナ。
畳んでいない洗濯物の山から、ウサギのぬいぐるみを探し当て、マナの目の前に突き出した。
「うーちゃん」
マナがウサギを抱きしめ、ケラケラ笑う。
あと、何時間だろうか。
この二人きりの時間は。
不意に永遠にも感じ、強烈な目眩を覚える。
「ママ、ママ」
マナが私を呼ぶ声。
舌足らずな可愛らしい音。
可愛いと、思う。
愛しいとも、思う。
ただ、それと同量の大きさで、鬱陶しいとも思うし、構いたくないとも思う。
母親失格なんだろうな。
短く息を吐いた後、無言でトイレに向かう。
「ママ、ママー」
マナが私を呼んでいる。
でも、振り向けない、振り向かない。
最低だ。
だけど、それを、誰が、どう評価するんだ。
ああ、この生活から解放されたい。
トイレのドアをバタンと閉める。
その約一畳の空間だけ、私はちゃんと私で居られる。




