第6話 改革の始まり
黒須が店長に就任して二日目。
今日は土曜日。
なんだか昨日は疲れたな……。
仕事自体はいつもと変わらないはずなのに、いつも以上に気疲れした気がする。
やっぱり、黒須の存在だろうか。
「はぁ……。まあ、今日行けば明日は店休だし、頑張ろ」
私はベッドから起き上がった。
夕方、メイクを終えて一息ついていると、スマホが震えた。
黒須からのメッセージだ。
黒須
「おはようございます。
本日も予定通り21時出勤で大丈夫ですか?
来店予定があれば教えてください。
本日もよろしくお願いします」
「……へぇ」
思わず、そんな声が漏れた。
直接話すと、あんなに素っ気ないのに。
文章のほうが印象がいい。
普通は逆じゃない……?
私は少し不思議に思いながら、来店予定を含めて返信した。
……仕事の連絡は、ちゃんとしているんだな。
そんなことを思いながら、私はスマホを置いた。
20時過ぎ お店到着
すでに営業は始まっている。
相沢
「おはようございます! 今日もよろしくッス!」
相変わらず、元気いっぱいだ。
リン
「おはようございます」
私が挨拶すると、黒須はフロアに目を向けたまま、口だけを動かした。
黒須
「……おざっす」
……うん。
こっちも相変わらずだ。
私は軽く会釈をして、自分の準備に取りかかった。
相沢は昨日と変わらず、テキパキと仕事をこなしていた。
その姿を見て、ほかのボーイたちも自然と自分から仕事を探し、積極的に動いているように見えた。
相沢が動くことで、周りも動く。
そんないい循環が生まれているようだった。
一方の黒須はというと、今日も大きく動き回ることはなかった。
お客さんへの挨拶。
ボーイたちの動き。
キャストの接客。
ときどき立ち止まっては、フロア全体を観察している。
……本当に、よく見ているな。
そんなことを思っていたとき、ふと気になることがあった。
黒須が、フリーの席へ向かう前のキャストに声を掛けているのだ。
何かを短く伝え、キャストが席へ向かう。
それだけなら、店長として普通のことなのかもしれない。
けれど、不思議なことに、黒須から声を掛けられたキャストのほとんどが、その後、場内指名を取っていた。
……え?
何を伝えているんだろう。
まさか、ちょっとしたアドバイスだけで、そんなに変わるものなのだろうか。
気にはなったものの、私も仕事中だ。
それ以上、様子をうかがうことはできなかった。
その後も営業は順調に進み、大きなトラブルもなく終了した。
営業終了後。
黒須は一人でVIP席へと入っていった。
通常の席とは違い、VIP席は個室になっている。
個別の面談や相談など、人目を気にせず話をするには、ちょうどいい場所だ。
しばらくすると、三田が一人のキャストに声を掛けた。
呼ばれたキャストは、そのままVIP席へと入っていく。
……面談かな?
今までも、こうしたことはたまにあった。
ただ……。
黒須と個室で二人きり。
緊張するだろうな……。
想像しただけで、私は胸の奥がざわついた。
その後も、キャストが入れ替わりでVIP席へと入っていく。
そして、ついに姫乃も呼ばれた。
いつもは余裕たっぷりの姫乃も、どこか不安そうな表情を浮かべている。
……あの姫乃でも緊張するんだ。
やがて、姫乃がVIP席から出てきた。
その表情は、明らかに不機嫌そうだった。
何を話したんだろう。
姫乃があんな顔をするなんて、よほどのことがあったのだろうか。
……まさか、私も呼ばれるのかな。
そんなことを考えているうちに、数人のキャストとの面談が終わった。
黒須がVIP席から出てくる。
結局、私は呼ばれなかった。
……よかった。
そう思う一方で、別の感情も湧いてくる。
なぜ、私は呼ばれなかったんだろう。
今のところは特に何もないということなのか、期待されていないのか……。
……考えても仕方ないか。
私は頭を切り替え、帰る準備を始めた。
帰り支度を終えた私は、いつものようにフロアの席で涼風と話していた。
仕事が終わったあとの、ちょっとした息抜きだ。
涼風
「明日、美容室とネイルなんだー! どんなネイルにしよっかなー!」
涼風はスマホを眺めながら、楽しそうに声を弾ませている。
リン
「私も次のネイル、どうしようかな」
涼風
「リンちゃん、最近どんなのが好きなのー?」
リン
「うーん……。今回はシンプルだったし、次はちょっと華やかなのもいいかな」
そんなたわいもない話をしていた。
少し離れたところでは、ボーイたちが集まり、ミーティングを始めている。
……あ、始まった。
別に聞こうとしていたわけではない。
ただ、どうしても気になってしまう。
私は涼風と話を続けながら、自然とそちらに意識を向けた。
黒須
「……お疲れっす」
だるそうに煙草を咥え、手に持った書類に目を落としている。
一同
「お疲れ様です!」
黒須の挨拶に、ボーイたちが一斉に返事をする。
その声が収まるのを待って、黒須が口を開いた。
黒須
「えー……。昨日今日見て思ったことは……」
一度、言葉を切る。
この間が怖い。
黒須
「……みなさん、私が想像していたよりレベルが低いです」
思わず、息をのんだ。
周囲の空気が、一瞬で変わった気がした。
ボーイたちも、誰一人として口を開かない。
そんな中、黒須は淡々と話を続けた。
黒須
「今まで外から本店の売上とか、数字を見てただけなんで、詳しい内情はわかりませんでしたが……」
黒須
「本店の知名度、広告力、長年築いてきた顧客基盤。それに、上位キャストたちの個の力……」
黒須は、相変わらず感情の読めない声で続けた。
黒須
「そのおかげで、なんとかなってたんでしょう……」
……すごい言い方。
今までのやり方を、真っ向から否定しているようにも聞こえる。
黒須
「このままだと、店舗売上は良くて頭打ち。……おそらく、徐々に落ちていくでしょう」
誰も反論しない。
というより、できないのかもしれない。
なぜか、黒須の言葉には説得力があった。
黒須
「……相沢」
相沢
「はいッス!」
呼ばれた相沢が、すぐさま返事をする。
黒須
「……お前、ボーイ教育やって。あと、主任業務も三田さんから全部引き継いで。一週間ね」
相沢
「了解ッス!」
相沢は迷いなく答えた。
……え?
一週間?
主任業務を全部引き継ぐって、そんなに簡単なことなのだろうか。
私が驚いていると、三田主任がおそるおそる口を開いた。
三田
「あ、いや……。いくら相沢くんでも、さすがに一週間じゃ……。新しく担当するキャストも数人いますし……。それに、教育もしながらでは負担が大きすぎませんか……?」
ごもっともな意見だと思う。
しかし、黒須はあっさりと言った。
黒須
「……こいつは大丈夫です」
相沢
「三田さんッ! 大丈夫ッスよ!」
不安や戸惑いなど微塵も感じさせない、いつも通りの明るい笑顔だった。
三田 心の声
(うぅ……なんでこの子は平気そうなんだ……)
黒須
「……三田さん。相沢の心配より、自分の心配してください」
黒須は吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。
三田
「へっ……!?」
三田は、少し怯えた表情を浮かべた。
黒須
「一週間で相沢に引き継ぎ。その後、あなたは副店長です」
三田
「……え、もうですか……?」
三田主任の声が裏返った。
……副店長。
役職が変わること自体は、昨日、黒須がそうするつもりだと話していたから知っている。
ただ、想像していたよりずっと早かった。
三田は、それ以上何も言えずにいた。
無理もない。
黒須が来て、まだ二日目なのだ。
それなのに、もう引き継ぎの期限まで決めて、具体的に動き始めている。
黒須
「新たな業務も増えますので。……お願いします」
三田
「は……はい……。がんばります……」
三田は、戸惑いながらも頭を下げた。
黒須は、それ以上何も言わず、次の話題へと移った。
……すごいな。
まるで違う店になってしまいそうだ。
いや、正確には、まだ何も変わっていない。
でも、彼はすでに、周囲を動かし始めていた。
黒須
「……まずは徹底的にボーイ側を変えます」
一同
「……っ!」
ボーイたちの背筋が、一斉に伸びた。
黒須
「……まずは私たちの側が変わらないと、キャストへの説得力なんて生まれません。
何か指摘すればするほど、今度は私たちの至らない部分に目が行きます。
……それは人として当然のことです」
ボーイたちは、黙って話を聞いていた。
黒須
「素直に聞き入れてくれない。
わがままも出る。
……悪循環です」
黒須は、一つ一つ言葉を区切る。
黒須
「……それではキャストのマネジメントなんてできないんです」
……確かに。
キャストに何かを求めるなら、まず自分たちができていなければ説得力はない。
言われてみれば、当たり前のことだ。
私も、小嶋店長の指摘をすべて素直に受け入れられていたわけではない。
彼の雑さや、キャストによって変わる態度など、不満に思うこともあった。
けれど、それを変えるのは簡単ではないだろう。
黒須の表情は変わらない。
黒須
「……妥協は許しません。死ぬ気でやってください」
一同
「……はい」
ボーイたちの返事には、さっきまで以上に緊張がこもっていた。
……厳しいなぁ。
まるで独裁者みたいだ。
でも、私利私欲のために周りを従わせているようには見えない。
店を良くするために、必要だと思ったことを迷いなく進めているのだ。
けれど、黒須はそこで終わらなかった。
黒須
「……まあ、その分、私の判断で給料はどんどん上げますので」
その一言で、ボーイたちの表情が少しだけ明るくなった。
……あ、やっぱそこは大事だよね。
私もちょっとだけ納得してしまった。
厳しい仕事を求めるなら、それに見合う待遇も必要なのだろう。
黒須は、書類から一度も目を上げないまま、さらに言葉を続けた。
黒須
「……あくまでも、私が見るのは仕事での結果だけです」
そして、いつもの淡々とした口調で言い放つ。
黒須
「私に気に入られようと、すり寄ってきたりしても無駄です。……めんどくさいだけなので」
……はっきり言うなぁ。
私は思わず、苦笑いしてしまった。
そもそも、黒須に取り入ろうとする人なんて、そうはいないだろう。
そんな気を起こさせない雰囲気を、彼はまとっている。
仕事で結果を出すこと以外に、評価される方法はない。
そう、釘を刺したのだ。
黒須
「……以上です。……お疲れっす」
一同
「お疲れ様でした!」
こうして、黒須による改革の第一歩が始まろうとしていた。
リン
「……ボーイさんたちも大変だな」
ミーティングが終わり、私は小さくつぶやいた。
昨日、黒須が来たときは、正直なところ少し疑っていた。
アネモネの業績を大幅にアップさせたらしいけれど、実際のところ、どれほどのものなのだろう。
いつもだるそうだし、やる気もなさそう。
そんな気持ちが、どこかにあった。
でも、問題点を見つけ、必要だと思ったことを、妥協せずに実行しようとしている。
ただ厳しいことを言っているわけではない。
それが正しいのかどうかは、まだわからない。
これから、反発する人も出てくるかもしれない。
それでも……。
この人は、本気なんだ。
私は、少し離れたところに立つ黒須を見た。
相変わらず、何を考えているのかわからない。
表情も、態度も、なにも変わらない。
それなのに。
ほんの少しだけ、彼に対する見方が変わった気がした。




