第5話 黒須と相沢
黒須が店長に就任して、初めての営業が始まろうとしていた。
今日は金曜日。
もちろん、金曜、土曜は一週間のなかでも最も忙しい。
営業直前、ボーイ全員が集まり、ミーティングが始まった。
参加者は全部で10人。
各キャストの来店予定や、それぞれの役割の確認など、いつもと変わらない内容のはずだった。
ただ一つ違うのは、今日から黒須が店長になるということ。
私は気づけば、ミーティングに耳を傾けていた。
黒須
「……おざーす」
やる気のなさそうな、適当な挨拶でミーティングが始まった。
その他ボーイ
「おはようございます!」
他のボーイたちは、いつもより明らかに緊張していた。
黒須
「まぁ……一応、黒須です。
んで、コイツが相沢」
黒須はダルそうに、相沢を指さした。
相沢
「相沢ッス! よろしくッス!」
黒須
「……えー、とりあえず相沢は主任に置きます」
一同がざわついた。
三田
「えーっと……僕はどうなりますか……?」
黒須
「三田さんもそのまま主任で。
この店舗の規模にしては、現状、役職者が少なすぎるので。
しばらくは三田さんと相沢の二人体制でやってもらいます」
相沢
「三田さんッ! よろしくッス!」
三田
「あー……はい……。お願いします」
黒須
「相沢がある程度慣れてきたら、三田さんは副店長に上がってください」
三田
「えっ……?
そんな勝手に……?」
黒須
「オーナーには了承済みです。
好きにしていいとのことだったので」
三田
「はい……。あ、ありがとうございます……」
三田は戸惑いながらも、どこかホッとしたような表情を浮かべていた。
黒須
「とりあえず、私は常連さんへの挨拶に回ります。
今日、明日は基本、私がいないものと思ってください。
キャストそれぞれの接客も見たいので。
付け回しは三田さん、お願いします」
三田
「わかりました」
黒須
「まぁ……何かあればインカムで」
相沢
「先輩! 自分は何すればいいッスか!?」
張り詰めた空気の中、相沢だけが場違いなほど明るかった。
黒須
「……お前は……適当にやって」
相沢
「了解ッス!」
いきなり主任に抜擢したことと言い、相沢にはずいぶん甘いのだろうか。
黒須
「担当に関しては、小嶋さんが担当していたキャストを、概ね私が引き継ぐと思っておいてください。
まぁ、接客の様子なんかも見て、多少変わると思うので、それは後ほど…」
さらに来店予定の共有などを済ませ、ミーティングが終わろうとした、その時だった。
黒須
「あと……。
小嶋さんがどんなやり方をしていたかは知りませんが、これからは私のやり方でやるので。
何かある方は、いつでもどうぞ……」
その一言で、張り詰めた空気がさらに重くなった。
黒須
「……まぁ……そんな感じで。
以上です……」
終始ダルそうに話していた黒須は、場に緊張感だけを残して席を立った。
なんだか、私まで緊張してきた…。
黒須は……営業中、どんな働きぶりを見せるのだろうか。
そして、営業が始まった。
いつものように、店内はどんどん賑やかになっていく。
ボーイたちも、いつもより動きが硬い。
さすがに緊張しているのだろう。
そんな中、まずみんなの目を引いたのは、黒須ではなく相沢だった。
相沢
「コレ、自分が持っていくッスねー!」
「いらっしゃいませーッ! こちらのお席へどうぞッス!」
「3卓、延長確認行ってくるッスねー!」
「三田さん! 10卓のマミさん、場内入りそうッスよー! ナイス付け回しッス!」
相沢は、まるで以前からこの店で働いていたかのように、フロア全体の状況を把握しながら、次々と必要な仕事をこなしていた。
誰かの仕事を奪うというより、周囲の動きを先回りして、必要な業務を効率よく片付けていく。
おまけに、すでにキャストの名前だけでなく、席の雰囲気まで把握している。
そして、お客さんへの対応も完璧だった。
持ち前の明るさと人懐っこさで、初対面のお客さんにもすぐに気に入られている。
誰の指示も仰いでいない。
いや、指示される前に、すべてをこなしているのだ。
ボーイたちも驚きと感心を隠せず、いつしか相沢の仕事ぶりに見入っていた。
リン
「ちょっと三田さん……!
相沢くんって、実はすごいのね……」
三田
「う、うん……。こんなすごい子だったなんて……。
同じ主任なのが申し訳なくなるよ……」
そう思うのも当然だった。
元気で明るいだけの、お馬鹿さん。
おそらく、最初は誰もがそんな印象を抱いていたはずだ。
相沢
「やっぱ本店は忙しいッスねー!
こんなお店でずっと働いてるなんて、みんなすごいッス!」
三田
「い、いやぁ……。相沢くんのおかげで、みんな余裕すらできてるよ……!
すごいんだね……相沢くんって……」
相沢
「いやぁー、自分なんて先輩に比べたら、まだまだッスよ!」
……これで、黒須よりもまだまだなの?
少なくとも今の私には、相沢の言葉が謙遜なのか、本心なのか、判断がつかなかった。
リンがその言葉の本当の意味を知るのは、まだ先のことだった。
一方、黒須はというと……。
フロア全体を見渡しながら、必要な席に挨拶に回っていた。
時折、キャストやボーイたちの動きに視線を向けている。
特定の席に長く留まることもなく、必要な挨拶を済ませると、また別の席へと向かっていく。
特に目立った動きをしているわけではない。
少なくとも、表面上はそう見えた。
そして……。
黒須が、リンの席にやってきた。
リンの指名客、和田さん。61歳。
不動産を複数所有していて、お金も使ってくれるし、来店頻度も高い。
少し癖はあるが、いいお客さんだ。
和田
「リンちゃんは今日もかわいいねー!」
そう言いながら、リンの谷間を覗き込んでいる。
いつものこと。
気づいていないふりをしているけれど。
よくいるスケベ親父だ。
リン
「和田さん、いつもありがとー!」
和田さんは、どうやら胸が好きらしい。
この人が来る日は、胸元の開いたドレスを選ぶようにしている。
「お話中、失礼致します」
聞き覚えのない、爽やかな声がした。
えっ……?
リンは一瞬固まった。
その声の主が、黒須だったからだ。
いや、違う?
いや、そうだ。
目の前にいるのは、間違いなく黒須だ。
笑顔の黒須が、和田さんに挨拶をしている。
さっきまで、あんなにダルそうに話していた人と同一人物とは思えなかった。
いくらなんでも、差がありすぎる。
とても自然な笑顔。
いや、自然だからこそ怖いのだ。
和田
「おー! 新しい店長かー?
よろしくなー! ワハハ!」
黒須
「はい! 黒須と申します!
今日が初日でして……。
ぜひご挨拶をと思いまして!」
わざわざ新店長が、自分に挨拶をしに来た。
和田さんも、気を良くしたのだろう。
和田
「おー! 一杯飲んでけよー!」
黒須
「ありがとうございます!
いただきます!」
黒須は、対面に置かれた丸椅子に腰を下ろした。
その時だった。
通りかかった相沢と黒須が、ほんの一瞬、目を合わせたように見えた。
誰も気づかないほど一瞬だった。
相沢は何事もなかったかのように、そのまま通り過ぎていく。
リン
「あ、今、店長のグラス頼みますねー!
お願いしま……」
!?
言い終わる前に、相沢が戻ってきた。
スッと差し出されたのは、シャンパングラスだった。
え……なんで……?
黒須は何も言葉を発していない。
合図らしい合図もなかった。
それなのに、相沢は黒須がお酒を飲む流れを察して、先回りしてグラスを用意したのだ。
あの一瞬で……?
黒須も、それが伝わるとわかっていたの……?
私は少し呆然としてしまった。
和田
「おーい、リンちゃん!
店長にお酒ついであげなよ!」
リン
「……あっ、ごめんなさい!」
カチンッ。
3人でグラスを合わせた。
和田
「黒須くん、ずいぶん若いなー!
いくつだ?」
黒須
「最近27歳になりました!」
え……私の2つ上?
老けているとか、そういうことではない。
ただ、年齢以上に落ち着いた雰囲気がある。
それが、もっと年上なのではないかと思わせていた。
和田
「若いなー!
若いうちはたくさん女抱かないとダメだぞー!(笑)
でも、リンちゃんには手出すなよー!(笑)」
いつものセクハラジョークだ。
黒須
「いやいや、僕なんかがお店の子に手なんて出しませんよー!(笑)
みなさん高嶺の花すぎますって!(笑)」
和田
「高嶺の花だってよー! リンちゃん!
よかったなぁー! ワハハ!」
リン
「あはは……」
多分、うまく笑えていない。
黒須のギャップを、まだ受け止めきれていないのだ。
二重人格なのか……?
そんなことを、接客そっちのけで考えている自分がいた。
その後、軽く話をしたところで、黒須はグラスのお酒を飲み干した。
黒須
「そろそろ仕事に戻らなきゃ……。
新しい店長は、気のいいお客さんの席でサボってるって思われちゃうので!(笑)」
まるで、和田さんとは仕事を忘れて楽しんでしまった。
そう言っているかのようだった。
和田
「ワハハ!
サボりたくなったら、いつでも来いよー!(笑)」
黒須
「ぜひ、またご一緒させてください!
ご馳走様でした!」
カチンッ。
笑顔でグラスを合わせると、黒須は席を立った。
去り際まで、黒須は終始、柔らかな笑顔を浮かべていた。
しばらくして、黒須が別の席でお客さんに挨拶をしているのが見えた。
そこでも笑顔で、相手に合わせた言葉を選び、自然に会話を弾ませている。
かと思えば、挨拶を終えた後は、何事もなかったかのように淡々と次の席へ向かっていた。
その間も、黒須はフロア全体に目を配っていた。
キャストの接客やボーイたちの動きを確認するように、時折視線を巡らせている。
誰かに細かく指示を出すわけでも、自ら率先してフロアの業務に加わるわけでもない。
ただ、必要な挨拶をしながら、店全体の様子を見ているようだった。
相沢は相沢で、全体の状況を把握しながら、周囲の動きを先回りして、必要な仕事を手際よく片付けていた。
二人とも、ただ、自分のやるべきことを当たり前のようにこなしている。
それなのに、二人がいるだけで、店全体の動きが少しずつ変わっていくような気がした。
様々な変化や衝撃に、まだ気持ちが追いつかない。
結局、私はいまいち調子が出ないまま、その日の営業を終えた……。
そして、営業後。
私はいつものように、涼風と着替えていた。
涼風
「んにゃー! 今日も飲んだわー!」
リン
「結構飲んでたねー。
いいなぁ、涼風はお酒強くて」
涼風はお酒が強い。
今まで、どれだけのお客さんが涼風を酔わせようとして、返り討ちに遭ってきたことか……。
まぁ、普段から明るいから、酔ってもあまりわからないというのもあるけれど。
私はお酒がさほど強くない。
もちろん飲めなくはないけれど、もっと飲めれば売上も上がるのにな、と思うことはしょっちゅうある。
涼風
「にゃははー! 私は最強なのだ!」
いつもより少し上機嫌な涼風。
多少は酔っているのだろう。
リン
「あ、そういえば、三田さんが着替え終わったら店長に声かけてって言ってたよ」
さっき、三田さんから言われていた。
おそらく、担当の件だろう。
黒須に声をかけるのか……緊張するな……。
でも、営業中は笑顔だったし……大丈夫かもな。
涼風
「わかったー!
じゃあ、声かけてくるねー!」
そう言うと、涼風は着替えの途中で行こうとした。
リン
「って、待て待て待て!!!
あんた、まだ下履いてない!!!」
涼風
「ん? あ、そうだったー!(笑)
ごめんごめーん!(笑)」
リン(心の声)
(まったく、この子は……)
そんなやり取りをしながら着替えを終え、私たちは二人で黒須のもとへ向かった。
パソコンに向かっている黒須。
その隣には、相沢もいた。
リン
「お疲れ様でーす」
涼風
「おつかれっすー! くろすけ店長ー!」
くろすけ……?
この子は、怖いものがないのだろうか。
黒須
「……お疲れっす」
相沢
「おつかれッス!
いやー、二人ともすごいッスねー!
さすがッスよー!」
相変わらず元気な相沢。
それに比べて、黒須はこちらを向こうともしない。
本当にすごい凸凹コンビだな……。
足して2で割れないものか……。
営業中のあの笑顔はどこへ……。
もうわからないわ……この人……。
黒須
「……担当なんですが、リンさんは私です」
うっ……。
そうだろうと思っていたけれど……。
やっぱり不安だ……。
リン
「わ、わかりましたー!
よろしくお願いしますね!」
私は、引きつりそうになる笑顔をなんとか保った。
涼風
「ねぇねぇー! 私はくろすけじゃないのー?」
黒須
「……涼風さんは相沢です」
相沢
「涼風さん! よろしくッス!」
涼風
「おー! ざわっちかー!
よろしくッス!」
相沢の口調を真似しながら、涼風は楽しそうに笑った。
ざわっちって……。
まぁ、確かに涼風は相沢のほうが合っているのかもしれない。
黒須
「……じゃあ、そんな感じで……」
必要最低限の要件を、必要最低限の言葉で伝える。
それで話は終わりだった。
相沢
「送迎の手配はできてるッス!
準備できたら声かけてくださいッス!」
そうして、各々の担当が新しく振り分けられた。
ちなみに、姫乃も黒須が担当することになった。
姫乃は、きっと不満だろうな。
体制が変わったブラン本店。
これから、どう変わっていくのだろうか……。
私は送迎車に揺られながら、窓の外を眺めていた。




