第3話 少し先の未来
ボーイ
「いらっしゃいませ! いつもありがとうございます! ご案内いたします!」
ボーイの案内で、二人はVIP席へと向かった。
リン、涼風
「ひろちゃん、よっしー、お待たせー!」
私たちはいつものように笑顔で二人の席に着いた。
弘中さんと吉高くん。
建築関係の会社を経営している弘中さんは、私の指名客。その会社で働く吉高くんは、涼風の指名客だ。
二人が店に通い始めて、もう二年になる。
今では、あだ名で呼ぶ仲だ。
弘中さんは優しくて、面倒見のいい社長だ。
吉高くんはノリがよく、素直な子。
二人とも気取ったところがなく、一緒にいて自然と笑顔になれる人たちだった。
何より、私たちの仕事に理解があり、無理な要求をしてくることもない。
それでいて、お酒も気前よく入れてくれる。
キャバ嬢としては、ありがたいお客さんの代表みたいな存在だ。
弘中
「いやー、今日も二人とも可愛いねぇ!」
涼風
「えー、ひろちゃん、気づくの遅っそー!」
涼風がさっそく冗談を飛ばす。
弘中
「いやいや、毎回言ってるでしょ!」
涼風
「もっと言ってくれてもいいんだよー?」
弘中
「欲しがりだなぁ!」
涼風
「だって、褒められたら嬉しいじゃーん!」
涼風は吉高くんに顔を向けた。
涼風
「よっしーも、そう思うでしょ?」
吉高
「えっ、あ、うん! もちろん!」
涼風
「ほらー!」
吉高くんは、涼風に話を振られるとすぐに嬉しそうな顔になる。
……本当にわかりやすい。
私は思わず笑った。
弘中
「リンちゃんも、褒められると嬉しいの?」
弘中さんがニヤニヤしながら聞く。
リン
「なんのシャンパンで乾杯するー?(笑)」
弘中
「聞いてねーな!」
リン
「冗談!(笑) いつも褒めてくれて嬉しいよー!」
弘中
「ほんとかぁ?」
リン
「ほんと、ほんと!」
そんな会話をしながら、私たちはグラスを傾けた。
しばらくすると、涼風が手を叩いた。
涼風
「ねえ、よっしー! いつものあれやろうよ!」
吉高
「おっ、いいね!」
涼風
「お願いしまーす! テキーラくださーい!」
涼風は楽しそうにオーダーした。
涼風
「じゃあ、山手線ゲームにしよ!」
吉高
「受けて立つぜ!」
涼風
「お題は……『私の良いとこ』!」
吉高
「なにそれ? 涼風は自分の良いところを言うの?(笑)」
涼風
「あったりまえじゃーん! じゃあ私からねー!」
涼風が手拍子を始めた。
パン、パン!
涼風
「かわいー!」
パン、パン!
吉高
「えー……」
涼風
「はい、遅い! アウトー!」
涼風は食い気味に吉高くんを指さした。
吉高
「ちょっと待て! 今のは時間短すぎるだろ! てか、自分でかわいいってなんだよ!(笑)」
涼風
「私の良いところなんてすぐ出るでしょー!」
吉高
「いや、今のはノーカンだろ!」
涼風
「ノーカンじゃない! はい、テキーラ!」
涼風は吉高くんの前にショットグラスを置いた。
吉高
「マジかよ……。飲むけどさぁ!」
吉高くんは渋々グラスを手に取ったが、どこか嬉しそうにテキーラを飲み干した。
涼風
「よっしー、さっすがー!」
吉高
「くっそー! 次は勝つ!」
涼風
「じゃあ、次に負けた人は二杯ねー!」
吉高
「増えてるじゃん!」
涼風
「勝つ自信があるなら問題ないでしょー?」
吉高
「……わかったよ! こいや!」
二人は私たちのことなど忘れたように、ゲームで盛り上がっている。
その様子を見て、弘中さんと顔を見合わせた。
弘中
「……あの二人、毎回あんな感じだよな」
リン
「ほんとにね(笑)」
弘中
「まぁ、楽しそうだからいいんだけどさ(笑)」
リン
「うん。涼風もよっしーも、ああいうの好きだもんね」
涼風は誰といても、すぐにその場を明るくする。
気取らず、自然体で接するから、周りもつられて笑顔になってしまうのだろう。
私には、なかなか真似できないことだった。
弘中
「そういえば、俺がリンちゃんを指名するようになってから、どれくらい経ったっけ?」
弘中さんがふと思い出したように言った。
リン
「二年くらいかなー? もうそんなに経つんだね!」
弘中
「早いよなぁ。あの頃は、まだ今ほどの貫禄はなかったもんな!」
リン
「ちょっとー! それじゃ売れて偉そうになったみたいじゃん(笑)」
弘中
「いやいや、リンちゃんは全然変わってないよ(笑)。でも今じゃすっかり不動のNo.1だもんな。系列全体でもトップだろ?」
リン
「まあ……一応ね」
弘中
「いやー、すごいよ。本当に」
当時の私は、No.1を取ることもあったけれど、毎月その座に就いていたわけではなかった。
弘中
「でも、大変だろ? 周りからも期待されるだろうし」
リン
「うーん、まあね。気持ちに余裕がない時もあるよ」
弘中さんには、つい本音が出てしまう。
No.1でいることは、決して楽ではない。
毎月の売上を維持し、お客さんとの関係を続け、周囲の期待にも応える。
数字だけを見れば順調でも、その裏では考えることがいくらでもある。
弘中
「まあ、リンちゃんは真面目だからなぁ」
リン
「そうかな?」
弘中
「そうだよ。ちゃんとお客さんのことを考えてるの、見てればわかるし」
弘中さんはグラスに口をつけた。
弘中
「俺も、リンちゃんに話を聞いてもらって助かったことあるしな」
リン
「そんな大したことしてないよ」
弘中
「そういうところだよ。自分では大したことないと思ってても、相手にはありがたいことってあるんだから」
その言葉に、私は少し照れくさくなった。
リン
「あ……ありがとう」
弘中さんは、もともと数人で会社を立ち上げたらしい。二年前に出会った頃には、すでにそれなりの規模になっていたが、その後も事業を広げ、従業員を増やしてきた。
吉高くんや、たまに来る他の従業員も、弘中さんを慕っているのがよくわかる。
仕事ができるだけではなく、人を大切にしているからだろう。
こんな人の会社で働けたら、幸せだろうな。
ふと、そんなことを考えた。
弘中
「リンちゃんがキャバクラ卒業するまでは、こうやって飲みに来て応援するからさ!」
リン
「えー、ありがとう! じゃあ、生涯現役でいようかなー?(笑)」
弘中
「いや、さすがにそこまでは応援できないかも(笑)」
リン
「前言撤回はやすぎっ!(笑)」
弘中
「もしキャバクラを卒業して、次どうしようって迷ったら、うちの会社に来なよ(笑)」
リン
「えー! ほんとー? じゃあ、そのときはよろしくねー!(笑)」
弘中
「まあ、今ほどの給料は出せないけどな!(笑)」
リン
「そんなに求めないよ!(笑)」
私たちは顔を見合わせて笑った。
冗談めいたやり取りだった。
そのあとも、四人で楽しい時間を過ごした。
二人は帰り際、いつものように笑顔で『また来るね!』と手を振ってくれる。
リン、涼風
「ひろちゃん、よっしー、ご馳走様でした! 今日もありがとね!」
リン、涼風
「またねー!」
二人を見送ったあと、私は小さく息を吐いた。
楽しかった。
気を遣わずに話せるお客さんと、気の合う涼風。
こういう時間があるから、この仕事を続けていられるのかもしれない。
ただ、弘中さんの言葉が頭の片隅に残っていた。
――もしキャバクラを卒業して、次どうしようって迷ったら、うちの会社に来なよ。
その言葉を思い出すと、胸の奥が少しだけ揺れた。
営業が終わる頃には、日付が変わっていた。
ロッカーの前で着替えていると、涼風が声をかけてきた。
涼風
「お疲れ、リンちゃん!」
リン
「お疲れー! やっと明日店休だー! お腹減ったー!」
涼風
「わっかるー! ……軽く行っちゃいますー?」
涼風がにやっと笑う。
リン
「行っちゃおうかー!」
涼風
「よっしゃー!」
涼風とは、この店で出会って四年になる。
営業終わりに飲みに行くことも、今ではすっかり恒例だった。
接客中もお酒を飲んでいるとはいえ、プライベートで飲むお酒は気分が違う。
気心の知れた相手と、何も気にせず飲める時間はやっぱり楽しかった。
涼風
「てんちょー! 私とリンのすけ、送り無しで大丈夫でーす!」
小嶋
「はーい、わかったよ! お疲れ様!」
涼風
「おつかれしたー!」
リン
「お疲れ様でしたー」
私たちは支度を済ませると、店を出た。
まだ賑やかさが残る街。
煌びやかな看板が並ぶ通りを歩きながら、よく行くバーへ向かう。
ここはご飯が美味しい。小洒落た雰囲気で、私も涼風もお気に入りのお店。
涼風
「いやー、今日も頑張ったねー!」
席に着くなり、涼風が言った。
リン
「うん、頑張ったねー!」
涼風
「とりあえず、おつー!」
リン
「お疲れー!」
グラスを合わせ、一口飲む。
仕事中から飲んでいたせいか、少し飲んだだけで身体の力が抜けていった。
涼風
「そういえば、今月もリン子1位いけそうだねー!」
リン
「まだわからないよ。 まだ一週間あるし……。 姫乃ちゃんも新しいお客さんを結構掴んでるしさ」
涼風
「だいじょーぶ! リン子が頑張ってるの、私が一番知ってるし!」
リン
「……ありがとう」
嬉しかった。
でも、少し羨ましくもあった。
涼風は売上や順位を気にしているようには見えないのに、いつも上位にいる。
お客さんと笑い、周りを笑わせ、自然とその場を明るくする。
心から接客を楽しんでいるのだ。
私には、涼風のような力はない。
だからこそ、もっと自然に楽しめたらいいのにと思うことがある。
涼風が私の顔を覗き込んだ。
涼風
「まーた考え事?」
リン
「あ、ごめん(笑)」
涼風
「今日どうしたのー? なんか変だぞー?」
リン
「そうかなぁ」
私は苦笑した。
リン
「……ねえ、涼風。私、いつまでこの仕事をやるのかなって、最近ちょっと考えるんだよね」
涼風は目を丸くした。
涼風
「えっ? 病んでるー?」
リン
「病んでるわけじゃないよ(笑)」
涼風
「ほんとー?」
リン
「ほんと。今の仕事は好きなんだけど、最近、将来のことを考えちゃうんだよね。涼風は、そういうの考えたりする?」
涼風
「将来かぁ……」
涼風は少し考えてから答えた。
涼風
「自分のネイルサロン出したいなー!」
リン
「えっ、そうなの?」
涼風
「うん! 自分のお店ってよくない? デザインも内装も自分好みにしてさ! お客さんと楽しく話しながらネイルするの!」
楽しそうに話した。
涼風は美容師免許とネイリスト資格を持っている。
美容師を目指して専門学校に通っていた頃、学費や生活費を稼ぐためにキャバクラで働き始めた。
卒業後は美容室とネイルサロンを併設した大きな店に就職し、美容師として働きながらネイルの技術も学び、施術も担当していた。
しかし、美容室で任される仕事が増える一方、キャバクラでも指名や売上が伸び、次第に両立が難しくなっていった。
今はキャバクラ一本で働いているが、身につけた技術や資格は今も持っている。
リン
「涼風はいいなぁー、手に職があって」
涼風
「そんなことないよー! 経験も全然足りてないしさ! 自分のお店なんてまだまだ遠い夢! 私ほら、計算とかも苦手だし(笑)」
リン
「でも、ちゃんとやりたいことがあるじゃん」
私は小さく笑った。
リン
「私なんて、キャバクラ辞めたら何もないや」
口にした瞬間、自分でも少し驚いた。
今の仕事は順調で、収入にも困っていない。
それでも、いつか辞める日は来る。
そのとき、私はどうするのだろう。
涼風
「えー? リン子、何言ってんのー?」
涼風がきょとんとした顔で私を見る。
涼風
「リン子、いろいろ持ってるじゃん!」
リン
「……え?」
涼風
「考え方もしっかりしてるし、頭いいじゃん! 私、困ったときはリン子に相談しようって思うもん!」
リン
「いやいや、そんなこと……」
涼風
「あるある!」
涼風は続けた。
涼風
「リン子って、ちゃんと相手のことを考えてくれるじゃん。ちゃんと話を聞いてくれるし!」
リン
「……」
涼風
「私、そういうところ、すごいと思ってるよ?」
リン
「……」
涼風
「仕事だって、お客さんにどうしたら楽しんでもらえるか、いつも考えてるじゃん!」
リン
「……」
涼風
「リン子のいいところなんて、いっぱい出てくるよー!」
何気ない言葉だった。
でも、その言葉は思っていた以上に胸に響いた。
自分には何もないと思っていた。
キャバ嬢としての実績はあっても、それはこの世界の中だけのものだと思っていた。
けれど涼風は、仕事の実績ではなく、私自身を見てくれていた。
気づけば、目の奥が熱くなっていた。
涼風
「……え、リン子……?」
涼風が慌てて身を乗り出す。
涼風
「ごめーん! 変なこと言っちゃったー?」
リン
「違うよ。嬉しかったの……」
涼風
「え?」
リン
「私、自分には何もないって思ってたから。そんなふうに見てくれてたんだなって思ったら……」
私は少し笑った。
リン
「なんか、嬉しくなっちゃった」
涼風はほっとしたように息を吐いた。
涼風
「もー! びっくりしたー!」
そして、いつもの調子で笑う。
涼風
「リン子のいいところは、私が一番知ってるよ!」
リン
「……ふふっ、ありがとう」
涼風
「だから、そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない? 今すぐ答えが出なくてもいいじゃん!」
リン
「……そうだね」
涼風
「それに、リン子だったら何やってもうまくいくと思うよ!」
リン
「何やっても、は言いすぎだよ(笑)」
涼風
「絶対そうだよー! 少なくとも私よりは!(笑)」
涼風は楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、私も笑った。
先のことは、まだわからない。
でも、今すぐ答えを出す必要はないのかもしれない。
リン
「……ねえ、涼風」
涼風
「んー?」
リン
「今日、誘ってくれてありがとう」
涼風
「なに急にー!」
リン
「なんとなく、言いたくなっただけ」
涼風
「こちらこそ、付き合ってくれてありがとねー!」
涼風はにっこり笑った。
そのあとも、私たちはしばらく飲んでいた。
気づけば、窓の外が明るくなり始めていた。
涼風
「えっ、もうこんな時間?」
涼風が時計を見て声を上げる。
リン
「ほんとだ! そろそろ帰ろっか(笑)」
涼風
「そうだねー!」
リン、涼風
「まったねー!」
店を出ると、それぞれタクシーに乗り込み、帰路についた。
家に着くなり、ソファに横になる。
静かな部屋で、私は今日の会話を思い返していた。
――リン子のいいところなんて、いっぱい出てくるよー!
涼風の声が、頭の中によみがえる。
「……フフッ」
思わず笑ってしまった。
「……ありがと、涼風」
誰もいない部屋で呟く。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、妙に綺麗に感じられた。
心地よい疲れと安心感に包まれ、意識がゆっくりとぼやけていく。
「……あ。メイク落とさなきゃ……」
キャバ嬢は、帰宅してからもすぐには寝られない。




