ep.1-3 【異国での出会い】赤い電話ボックスと本音
北野天満神社の高台から風見鶏の館を主役とした絶景を眺めていた湊と海都。
今回の海都は一味違います。
「そしたら次は、うろこの家だな」
暫しその景色を眺め、満足げに小さく微笑んだ湊を観測した海都は、次なる目的地を設定する。
さらに街の奥へと進んでいく。細い階段の道を登りチケット売り場を越えると、景色が一気に開けた。中庭だろうか、綺麗に整備された緑の景色が広がっている。
そして見上げると、大きな筒が2本連なったような建物が堂々とこちらを見下ろしていた。
「中へ入る前に、これ」
ここは青空と建物自体も相まって全体的に寒色系の爽やかな風景であったが、その中で異彩を放っている存在がたしかに湊の気を引いてはいた。
緑に囲まれた空間の端っこにぽつんと佇む、真っ赤な電話ボックス。補色のコントラストが眩しい光景だった。
「この電話ボックスで話した本音は、幸運を引き寄せてくれるんだって。受話器に向かって悩み事を打ち明けてごらん?そしたら電話口の向こうから返事が来るかもしれない」
その現実離れした言い伝えを真剣な口調で教えてくれるから、湊はファンタジー小説の主人公になった気分だった。
だけど、藁にも縋りたい気持ちだったのだろうかー重い扉を開け電話ボックスに1人で入ると、湊は本音をぽつりぽつりと独白した。
「人前で顔を出して歌うなんて、ましてその初舞台が5万5千人の前だなんて、どうかしてる…こわい。こわいんだ」
想像しただけで、どうにかなってしまいそうだった。歌には自信がある。だけどそれは守られた空間で、誰にも見られていないという安心感が根底にあるからだった。歌っているのは湊、だけど人々が目にしているのは湊そのものではない。アーティストとしての彼だけ。絶賛も、批判も誹謗中傷も、受け取っているのは湊じゃない。だから変に浮かれることも傷つくこともなかった。それがひとたび顔を出せば踏み込まれたくない所まで土足で踏み込まれるかもしれない。物理的なことだけじゃない、心の中をもだ。
電話口からの返答は、なかった。ただ静寂という名の時間が向こうでは流れている。暫く観光地に身を寄せていただけに、静寂は静寂で耳の奥が煩く思えてくる。久々に1人という空間を実感した。
「返事、なかったよ」
重い扉に挟まれないよう注意しながら外に出ると、湊は海都に文句をつけた。
「そりゃ返ってこないよ、さっきのは俺のホラだから」
当然といった顔で、海都は言う。これは、出会って初めての喧嘩勃発かもしれない。
そんな予兆もしたが、そのような子供じみた発想をしていたのは湊だけだったようで、海都は干したての布団のように柔らかな表情で嘘をついた理由について明かしてくれたのだった。
「何だか思い詰めてるようだったから。だからといって出会って数十分の俺に無理に話せとも言えないし。誰にも聞かれてない空間で本音を吐き出す時間が必要かなと思ったんだ。湊が人を疑わない純粋な人でよかったよ」
どうやら相手にされないこと承知で、賭けのつもりで嘘を吐いたらしい。まんまと騙されてしまったことに若干の恥ずかしさは抱きつつ、感謝の気持ちも少なからずあった。
「おかげさまで、少しだけすっきりしたかもしれない」
この本音は、誰にも言えなかった。ファンタジーの世界にぶち込まれてようやく身体の外へ吐き出せた本音だった。
「そんな顔してる。初めて嘘ついてよかったと思った」
それは無闇に得て良い教訓なのか判断つかなかったが、これで海都の自信が1つ身についたなら、湊も安易に騙されてよかったと思う。
「少しは心も軽くなったところで、中も見て行きますか」
海都が先を歩き始めたため、湊もその後を追って歩み始めた。いよいよこの大きな建物の中へ潜入だ。
なるほど「うろこの家」の由来はこの外壁を覆う鱗型のタイルのようなこれか。中へ入るため建物へ近づいた際に湊は納得した。このひとつひとつの鱗は、スレートと呼ばれるものらしい。
このスレートを1枚1枚建物へ施した人々が、過去に存在するということだ。果てしない作業だったと思う。着工から完成までの期間がどれほどだったかは湊にもわからないが、苦労なしにこの緻密なデザインが具現化されることはなかったはずだ。作品の分野や有形無形の差はあれど、大きく括れば湊も同じモノ作りを担う人間だ。湊も1つの曲を作り上げるまでに、このスレートのように1音1音を積み重ねて試行錯誤してようやく世の中の皆さまへ送り届けることができる。聴く人にとっての唯一無二でありたい、そんな想いで作品は年々独自の色で成り立っていき、このうろこの家のように世界にたったひとつの作品となり人々の拠り所になれているはずだ。
曲というものにカタチが存在するならば、すなわち曲が有形であるならば、湊の生み出す楽曲たちはどんな形をしているのだろう。とんがり屋根なのか、この塔のように高く聳え立っているのか、青なのか赤なのか。思考を巡らせるだけで胸が高鳴った。
そんな今この情景とは半ば関係のないことまで頭の中で繰り広げ始めていた。心の余裕が生まれてきた証拠だ。
館内には豪華な食器で埋め尽くされた食器棚、実際に食器やカトラリーが準備された状態で展示されている食卓など、一層に異国感と裕福さを感じられる調度品で瞳と脳内処理が忙しかった。
言葉を発することも忘れて黙々とその作品1つ1つに目を向け続けた。そんな湊のペースに合わせて、海都は話しかけてくることもなくただそばに寄り添って同じ歩幅で進んでくれた。
「こっちは、展望ギャラリー」
ひと通り見て回り満足した気分で外に出ると、海都がもうひとつの入り口を指して教えてくれた。
「いろんな作家さんの作品が飾ってあったり、1番上の階は展望台になってたりする。きっと湊は好きなんじゃないかな」
この数時間で海都も湊の性格や感性をよく心得たようだった。勧めてもらうがままにその展望ギャラリーとやらにお邪魔させてもらうことにした。
今までの場所は異国や歴史を感じるという感覚に近かったが、ここはそれら以上に"今"を感じた気がした。今を担うアーティストたちによる作品も多く展示されているからだろうか。タイムトリップしたのではなく、あくまでこの現在の世界線で自分はこの場所に身を置かせてもらっているのだと、改めて実感した。
外から見たとき筒状に見えた、そのうちの1本の上部に今、自分たちはいる。それを彷彿とさせる丸みを帯びた壁面に沿って敷き詰められた椅子に2人揃って腰掛けた。後ろを振り返れば大きな窓越しに神戸の街並みを眺めることができる。先程の北野天満神社よりさらに奥に位置する高台からの眺めだ。より一層あたりはミニチュアハウスだった。
「他にもおすすめの場所はある?」
湊も気づけばこの街の虜になっていて、新たな魅力を発見すべく自ら海都へそのように尋ねていた。
「おすすめのパワースポットがあるよ」
懲りずにそのワードを出すものだから湊は疑心暗鬼な瞳を向けてしまったが、海都が慌てて付け加える。
「これは本当!この街には多いんだよね、そういうのが」
願い事は叶うと思ったら叶うの精神でやっている海都にとって、そういった意味でもここは楽園なのだという。
「願い事、実らせにいこう」
神戸の街並みを背に、海都と湊は次なる目的地へ足を向けた。
今回はうろこの家を巡りました。
赤い電話ボックスは実際に存在しますが、そのジンクスに関しては完全なるフィクションです。海都の優しさによる作り話でした。
ただ次回登場するパワースポットは、ジンクスごと本物です!実際に現地の方に聞いた話を基に調べ直してお話に組み込んでます。お楽しみに!




