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5時46分ー僕が僕として歌う理由を探して  作者: はお
第3章 人生の余暇

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20/22

ep.3-8【人生の余暇】香川に在る神戸

屋島編の続きです。さっそくご覧ください!

屋島の頂上から麓の方まで降りてきた。


「え、ここって香川だよね?」


つい湊がそのように運転手の海都へ確認してしまったのは、流れる車窓から束の間見えた光景が関係していた。訊かれた方の海都は湊の予想通りの反応にしたり顔をしている。

「香川だよ?早速それを確認しに、行きたいところだけど」

その前に寄りたいところがあるという。

車を降りてすぐ、鳥居が見えてきた。ここにも神社があるらしい。


屋島神社ー長く続く階段を登った先に、それはある。第八代高松藩主が徳川家康を祀るためつくった神社である。


早朝登ってきた金刀比羅宮へ続く石段とまでは言わないが、こちらも相当足腰に来そうな段数が目視できる。今日は階段を登ってばかりだ。2人して顔を見合わせてお互いを鼓舞するように頷き合ってから登り始めた。

黙々と階段を踏み締めている間も、常に屋島の平らな頂上が目線の先にあり続ける。その階段がまっすぐと続く様は、天を昇っているかと錯覚しそうなほど長く永遠に感じた。


「着いた」


神門を前にして、自然と口からその一言が溢れた。特段大きな門ではないはずだが、何故だか妙に威厳を感じて足元がすくむ。つい先ほどまで見えていたはずの山頂が、日食の如く神門の向こうに姿を隠しているからだろうか。目に見えないからこそ感じる偉大さというのもあるのかもしれない。有意義な時間を過ごさせてくれたこの地への感謝も伝えた。

一礼をして神門へ背を向ける。その視界の先に広がっていた景色に思わず息を呑んだ。

登ってきた道のり、そして香川の町並みが高みから一望できる。海ではなく人々が暮らす景色が見える方角に神門が向いているのは、敢えてなのだろうか。人々の世を統制し続けてきた御方には、海より街並みのが余程安心できる景色なのかもしれない。

長い階段の中腹に、社務所がある。

「御朱印、無人で置いてある場所なんてあるんだ」

少なくとも湊は初めて目にしたのだが、社務所の前に書き置きの御朱印がぽつりと置かれていた。直書きの時間帯もあるらしいが、社務所の方が不在の際は初穂料を納めてセルフで受け取る形式らしい。参拝者を信頼していないと出来ない仕組みだ。しかと規定の初穂料を納め、湊はこの旅2枚目の御朱印をいただく。これを機に自分用に御朱印帳を購入するのも良いかもしれないとも思えてきた。そのために寺社仏閣の宝庫である我が故郷の京都へ帰るのもなかなかわるくない。湊の頭は、ようやくこの旅を終える理由を前向きに探し始めていた。

海都の中にも、旅の終末は見え始めていたのだろうかー出会って4日目、淡路島四国と回ってきたこの旅の締めくくりに、彼はこの場所を選んだ。


ライトグリーンの外壁、真っ赤な電話ボックス、真っ赤な円柱型のポストーただひとつこの洋館だけ、まるで神戸北野の異人館街へ迷い込んでしまったようだった。


まさかこの、自分の苗字とお揃いの屋島という地で、旅の原点に戻ってくるとは思わなかった。しかしながら、見るからにこれが北野に立ち並ぶ洋館たちと仲間であるのは間違いないが、どうしてこの1軒だけが遥か遠く香川の地にぽつり存在するのだろうか。

入り口側に、看板があった。この家がこの場所へやってくるまでの経緯が記されていた。イタリアと日本の夫婦が住まいとして建てた家が、やがて日本郵船の社員寮として使用されて、その役目を果たしてこの地へと移築されてきたのだという。現在はカフェとして営業しているそうだ。


「父さんも、家族を他のどこよりここに連れてきたくて四国に旅行しようって提案してくれたんだろうな」


1976年に現在地へ移築されたこの異人館は、神戸で生まれ長い時を過ごしながら阪神淡路大震災を知らない。

海都の父親はこの異人館と同じ神戸で生まれ育ち、その地で出会った海都の母親と結婚した。海都の母親は神奈川で生まれ育ち、大学に通うため移り住んだ神戸で海都の姉を身籠った。海都の姉は、母親のお腹の中にいた頃、阪神淡路大震災を経験し、母親の故郷である神奈川でこの世に産みおとされた。そしてその10年後、弟である海都は姉と同じ神奈川で生まれ、やがて父親の母校である神戸の大学に進学した。

皆が皆違う境遇にあったが、その皆が家族という輪の中にいて、それぞれの時間軸の中で神戸という地に触れている。

この異人館も同じ、同じ震災を経験していなくても、今は別の地に根付いていても、彼らと同じく神戸に確かな軌跡を刻んできた。

その単純な縞模様でも格子柄でもない不規則な交わりに湊も一線を加えることとなり、巡り巡ってこの地に降り立ったわけで、縁というのは何処までも続き曲がりくねっていくものだなとどこか浮ついた気分に身を委ねていた。

「ここも俺が以前来た頃から店名を変えてリニューアルオープンしたり、色々と変化を続けてるみたい」

この世に変わらないものなどない。それは一方で寂しいことなのかもしれないけれど、どこかの誰かにとっては喜ばしいことでもあるかもしれない。

店内に入る。一歩そこへ踏み入れた瞬間、タイムトリップといえば一言で済まされるが、もっと詳らかにするならばそれは、自分が現在進行形から切り離されたような感覚といえよう。それは神戸に現存する異人館の数々にも通ずることだった。

1階の1フロア全面に敷き詰められた椅子とテーブルもまた、アンティークの類いなのだろうか。椅子の歴史を塗り重ねた茶色の木材は模様を描くように飾り彫りされており、座席部分は深い赤、鮮やかな青、穏やかな緑と色調も彩度明度も様々な3色が割り振られており、視界を賑やかにしていた。紺地に黄土色のドット柄と花柄を全面あしらったカーペット生地の床もまた椅子たちとともに視界を楽しませる要素のひとつである。同じ材質、穏やかな緑の座席を纏ったソファ席もある。先客が既に数組、窓際や室内中央の席で紅茶やお菓子を楽しんでいた。空いているお好きな席へどうぞ、店員さんにそう案内されたため、そのソファ席に2人横並びで腰掛けることとした。

入り口側の壁際に沿うように置かれたソファは、部屋全体を見渡せるという点においても湊たちにとって特等席だった。

淡い水色に植物柄が全面大ぶりに描かれた壁紙、背を向けているばかりではもったいなくて、湊はつい振り返ってじっと見つめたりしていて、我ながら落ち着きがない。この空間に擬態して悠々と振る舞いたいものだ。

「これが美味しいんだよね」

店内を見渡し満足した様子の海都は、さっそくメニューに目を落としアイスクリームのひとつを指差す。和三盆のアイス、香川は和三盆も有名らしい。

「そしたら和三盆アイスと、このグルジアンティーにしようかな」

海都おすすめのアイスと、お店のオリジナルという紅茶を頼んだ。海都はどうせなら前回とは違うものをとコーヒーゼリーとロイヤルミルクティーを頼んでいた。こちらもゼリーの上にアイスが乗っているらしい。2人して本日2つ目のアイスだ。

注文を済ませると、再び店内に目を向ける。正面奥には背高のっぽの木製時計。頭の中で某古時計の童謡が自然と流れ始める。

「お爺さんの時計かな」

同じ時計に注目していたらしい海都が、ついて出てしまったようにぼそりと呟いていた。4日も片時も離れずそばにいれば脳内も同期し始めるらしい。思考回路がほぼ同じ道筋を辿っていて思わず小さな声で笑ってしまった。

「ごめんごめん、安直だった」

「ううん、僕も今同じ曲を頭の中で流してた」

笑った訳を話すと、彼も顔を綻ばせる。照れくさそうにもしていた。

湊たちが座るソファの左手延長線上には、グランドピアノも置いてあった。そういえば最近は家にある電子ピアノもお飾りと化している。帰ったら久々に弾いてみよう。何年も鍵盤に触れていない指先たちは果たして湊の思い通りに動いてくれるだろうか。

頼んでいたアイスたちがテーブルに届いた。花が咲いたような形をしたガラス製のアイスクリームカップが、アイスのひんやり感と愛らしさをより演出している。グルジアンティーは半透明で明度の高い茶色が見た目からして他の紅茶とは一味違う雰囲気を醸し出している。海都は「後で一口ちょうだい」とおねだりしてくる。懐かしい味に舌鼓を打ちたいらしい。

まずは和三盆のアイスを一口。砂糖であることには変わらないから湊のような凡人の舌に違いがわかるものだろうかと一抹の不安はあったが、スプーン一掬いを口にしてすぐその良さはひしひしと伝わってきた。悪目立ちをしない上品な甘さが舌をさらっと撫でていくような、柔らかな甘みが自然と湊の口角を上げる。

「美味しそうな顔して食べてる」

比較的表情が乏しい湊の僅かな表情の変化も海都は見逃さない。

お願いされていた通りにそんな彼にも和三盆アイスを勧めると、瞳を輝かせ自身のスプーンで一掬いもらっていく。口の中にアイスが到着するとさらにその輝きを増す。

「こっちは?」

厚意のつもりでグルジアンティーの方も差し出したが、アイスの時とは反応が異なり海都は迷いを見せていた。

「一口目は畏れ多くていただけないよ、お先にどうぞ」

若干誤魔化された気もしてならないが、そう一口目を勧めてくれるため素直に湊は初めましての紅茶を口に含む。

最高速度で頭のてっぺんまで到達したスパイシーな香りが、花火が開いたみたいにやがて口の中へと広がっていく。喩えるならチャイティーが近いかもしれないが、他では到底味わえない唯一無二の味だった。アイスの一口目と同様微笑みを浮かべると、何故かそれを見ていた海都が安堵した様子だった。

「あ、もしかして苦手だった?この大人な味が」

以前海都がここに来たのは15歳の頃である。この独特な味わいが口に合わなくても無理はない。

海都は湊の問いに正直に頷いたが、それでも「一口飲んでみてもいい?」と上目遣いで聞いてくる。数年ぶりに挑戦してみるらしい。

恐る恐るといった感じでその因縁の紅茶を一口口に含むと、彼は表情をぱっと明るくさせる。どうやら思いの外美味しく感じたらしい。

「人ってこんなに味覚も変わるものなんだね。どうりで飽きないわけだ、人間」

変わりたい、味覚以外もー海都がその願いを言葉にしたのは初めてのことだった。

今のまま変わらなくたって、湊の目に映る海都は人の痛みに寄り添える優しさと好きなことを素直に好きと言えるまっすぐさを携えた魅力溢れる青年だ。それでも本人が納得できない部分があるのだとしたら、それを変えたいという志しがあるのなら、湊にある選択肢はその背をそっと支える、その一択だ。彼の言葉に小さな頷きを返す。

変わりたい、湊は人生でそう自ら願ったことはなかったが、人生において何回とは数えられないほど徐々に、本人も気付かぬうちに変わりゆくものはあったかもしれない。

海都は海都、湊は湊だが、その枠組みの中で漂いながら己の心地よい自分を探しチューニングしていくのもわるくない。

あっという間に最後の一口、最後の一滴まで堪能すると、自ずとなりたい自分に出会えた気がした。

人生3度目の勇気ー1度目は歌手の道を歩み始めたとき、2度目はようやく掴みかけた夢の舞台を諦めるために振り絞った。


「帰ろっか」


この旅を終わらせる、それが3度目の勇気。

2度目よりずっと、足取りは軽かった。



今回は屋島編の続きでした。

以前旅行で兵庫・四国をまわった際、作者もまた最後に訪れたのはこの香川に移築された異人館でした。そして実は、旅の始まりも湊と同じ神戸の北野異人館街だったのです。ずっと行ってみたかった異人館街に念願足を運ぶことができ、その旅の最後にまさか香川という地で偶然にも同じ場所を故郷とする異人館に出会って(※1)、そんな本の世界のような巡り会いを忘れたくなくて、備忘録の意味も込めて、この旅の経験を軸に物語を書こう!と作者は思い至ったわけです。まだ話は続くのですが、ここまで書くことができて少しほっとしています。やっと辿り着いてくれた、湊と海都も労ってあげたい。


※1)屋島に来たのは前回物語にも登場したやしまーると屋島神社がお目当てで、その道中でたまたま目に入ったのがこの異人館でした


そして今回で第3章は締めくくりと事前にはお伝えしておりましたが…すみません、あと1話だけ続きます…。どうぞお付き合いください。

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