ep.3-7【人生の余暇】迷路を抜けた先には
ついに、海都の前で歌声を響かせた湊。
それでも変わらず彼らの旅は続きます。
そしていよいよ、"運命を感じる場所"に到着です。
「お腹空いたね、そういえばまだ昼ごはん食べてないか」
車に乗り込み再びハンドルを握った海都は、助手席の湊に言った。
湊が海都の前でその歌声を聴かせたのは、数十分前のこと。あれほど泣きじゃくって言葉も発せないほどだった海都も、すっかり泣き止んでいつもの調子を取り戻していた。鼻の頭と目元の赤らみだけがそのひとときの名残りを引きずっている。
人生一度でいいから食べてみたかった香川のうどん、湊の口は早くも人生二度目を欲していて、朝食に続いて昼食もうどんを探すことにした。
事前に海都が設定していたルート周辺でうどん屋を検索する。この辺りは犬も歩けば棒に当たる勢いで候補が出てくる。湊たちも車を走らせればうどん屋に当たる、だ。
空腹も限界を迎えそうであったため、すぐ近くのうどん屋に駆け込んで2人並んで大盛りを頼んだ。
大満足の1杯をお腹に収め、再び車を走らせる。
「今日はお昼寝しなくて大丈夫?」
昨日このくらいの時間帯に寝落ちていたからだろう、海都はいじわる顔を浮かべて訊いてくる。満腹になるとお眠になる赤ちゃんだと思われているのかもしれない。
「大丈夫、と言いたいところだけど数秒後に寝てたらごめん」
念のため予防線を張ると、海都は大口を開けて笑う。
「どうぞごゆっくりお寛ぎください」
車内アナウンスの如く丁寧な標準語で海都は湊を夢の中へと見送ってくれた。
「さあさあ、いよいよ見えてきたよ」
宣言通り数秒後には記憶がなかった湊を現実に引き戻してくれたのもまた、海都だった。
車窓に映し出されたのは、大きな山。ただそこらにある山とは異なり、頂が平らで山全体を見たとき台形を象っているようにも見える。
その山の名は、屋島ー湊の苗字とお揃いのその地名こそ海都がここを"運命を感じる場所"と称した所以だろう。
「今は立派な山だけど、江戸時代までは島だったらしいよ」
何でもここは、かつて源平屋島合戦が繰り広げられた地だという。那須与一が扇の的を射たあの一場面でもよく知られる、平家物語にも登場するような歴史的合戦だ。そう考えればたしかに、昔はここが離小島であったという事実も自然と頭に入ってくる。今の地形になったのは、塩田開発等によって埋め立てが進められたからだという。
たしかな歴史が刻まれた地も、こうして形を変えて今なお愛されていると思うと、変わらぬものなどないのだなと思わされる。諸行無常の響きあり、とでも言っておこうか。
「湊が自己紹介してくれたときにすぐ思い浮かんだ、この場所が。まさか漢字まで一緒とは思わなかったけど、連絡先交換するまでは」
屋島という苗字は、他の漢字で同じ読みのものはあれど、たしかにこの漢字の組み合わせでは全国にそう多くない。近しい親戚で香川に住む人はいなかった気がするが、もしかしたら遠い祖先はこの地に縁があるのかもしれない。
湊がこの地を知らなかったことに海都は意外そうにしていたが、それには理由があるらしい。
「きっとメアリーは知ってるんだと思うから、湊も知ってるものだと思ってた」
海都が言うそれは、単なるファンの勘ではない。
「屋島の川を挟んで隣りにある町は、春日町っていうんだ。読み方は違うけどメアリーの芸名と同じ、季節の"春"におひさまの"日"と書く」
単なる偶然ではないと、芽亜莉の実弟である湊も思う。
オーディション番組の際、彼女は苗字だけを芸名に変えて「春日芽亜莉」として参加していた。自分がメディアに表立って出ることで家族、特にまだその当時小学生だった湊に迷惑がかからぬように彼女自身が頑なに譲らなかったのだと後になって両親から聞いた。とはいえ、これからきっと何年何十年と連れ添っていく名前の上半分であるから、彼女はあれでもないこれでもないと何日もかけて考えていた。その当時の姿を湊も幼いながらに覚えている。
本名とは全く違う苗字にしたものだとこの10年ずっと思っていたが、本当はすぐ隣町へ引っ越しただけのことだったらしい。屋島に寄り添う心は忘れていなかった。
山の坂道を登り、広々とした駐車場に到着した。
車を降りて暫し歩くと、まず出迎えてくれたのは真っ赤な大門だった。屋島寺への入り口である。
その鮮やかな赤に圧倒されながらも門を潜って中へ入ると、またこれも目を惹く大きな石像があった。
「何の…生き物だ?」
赤の鳥居が縦1列に並ぶ様は、湊の故郷である京の某稲荷神社と重ねずにはいられないが、その鳥居が両脇に従えた動物の石像はある界隈では狐と対にもなる彼らだった。石像の隣りに設置された説明文に答えが載っていた。
屋島太三郎狸、どうやらタヌキ界の中では3本の指にも入る有名な狸らしい。神社の名は蓑山大明神、この狸を祀った神社のようだ。
「普段お狐さまにお参りしている身なんだけど、大丈夫かな?」
湊が苦笑すると、それを見た海都は「無理強いはしないよ」と慰めてくれる。石像に一礼だけ捧げて、穏便に済ませてもらうこととした。
本堂にも挨拶をして、寺内を抜けていく。1つ目の目的地はその道をさらに奥へと進んでいった先にあるという。
それまで目に入ってきた建物だったり景色というのは、昔からこの地の風を浴び、この地で雨に晒されてきたような年季を感じたものだが、湊たちが辿り着いた先にあったそれは良い意味でその印象から逸脱していた。新しい風を感じる。
やしまーる、屋島の交流拠点施設である。
ガラス張りの渡り廊下がいくつものウェーブを描き地上に畝った巨大な円形を描いたような、先鋭的な造り。近代美術館を思わせるような近未来感がある。
その円の複数箇所に出入り口となる扉があり、中に入るとまた未知の世界に迷い込んでしまったような感覚に陥る。何処までも続く曲がりくねった透明の廊下は方向感覚を鈍らせ、ガラスの向こうに広がる木々の緑は今自分が屋内にいるのか森の中にいるのかを曖昧にさせる。
湊たちは今何処に向かっているのか、少し不安にもなってきた頃ちょうどこの施設のスタッフらしき方を見つけた。どうやらカフェも併設しているらしく、メニューが飾られている。
湊たちはそこで自家製レモネードを買い、一度施設の外に出た。
「不思議な気分になるよね。ただ建物をぐるっと一周回っただけなのに」
前を歩いていた海都が後ろを振り返り、そう声を掛けてきた。背後に目でもあるのか、終始目線を泳がせていた湊の心中はお見通しのようだ。
「こんな高いところまで来てたんだ」
一面に広がる瀬戸内海、記念公園から眺めた海より少しだけ遠い存在にも思える。やはり、海は偉大だ。
風が横切った。湊の重たい前髪をいとも簡単に掻き分け崩していく。無造作に手櫛で撫でながら、そばのベンチに座った。海都も湊の隣りに腰掛け、お揃いのレモネードをストローで口に含む。
「ごめんね、今まで黙ってて」
とっくに、湊は海都のことを信じていた。この旅が始まってからも、幾度と言い出せるタイミングはあった。それでもあの瞬間まで明かすことができなかったのは、湊自身に勇気がなかったから。やっぱり湊は、アーティストである彼の力を借りないと何も出来ないのだ。
「謝らないで?謝ることなんかしてないんだから。むしろ教えてくれて、歌ってくれてありがとう」
海都は湊の瞳をまっすぐ捉えて、微笑んだ。微笑んだと思ったら瞳から一粒涙を溢して、もう一粒が溢れないように空を見上げた。
「わー、だめだな。泣き止んだはずだったんだけど。涙腺がね、バグってる」
泣きながら笑って、笑いながら泣いて。どんなに笑顔が涙に濡れても、海都は笑顔を忘れない。それが彼を支えているのか苦しめているのか判断はつかないけれど、湊が背を摩ると、彼は尚更子供みたいに泣いてしまうのだった。
「でもこれだけはわかっていてほしい。悲しいから泣いてるんじゃないよ?動いたんだ…心が。今も動いてる、湊の歌に心が共鳴したんだ」
湊に出会うまで、ずっと止まっていた。それがあの日異人館で湊に声を掛けて、1日を過ごして、ライブに行って、自分のことを話して、旅をして。少しずつ拍車がかかり始めて、湊の歌声が合図を出した。
「久々にこんなに感情動かしてるから、身体がびっくりしちゃったのかも。とんだサプライズだな」
こんな幸せがあっていいのかな?ー海都は困った顔で笑った。
「こんな幸せ、あっていいんだよ」
海都が幸せになってはいけない理由なんて、何一つない。過去に何があっても、現状がどうであっても、幸せになることに、未来に遠慮なんていらないのだ。そこにある幸せを掴んだって、誰も文句は言わない。決して言わせてやるものかとさえ思う。
「ありがとう」
その一言しか浮かばないのが申し訳ない、そう彼は言うけど、日々色々な単語を浮かべては組み合わせて歌にしている身としては、そのシンプル且つまっすぐな一言が何より嬉しかったりする。
「東京ドーム公演行くんだ、俺」
チケットを2枚、彼は既に手に入れているのだという。有難いことに発売と同時に即完売、入手困難だったとスタッフからは聞いていたが、そこはさすがの大ファンでいてくれるだけある。
ペアチケットを取ったはいいものの誰と行くかは決まっておらず、本当はこの旅の間に湊を誘おうと思っていたらしいが、あいにく湊は客席でなくステージに立たなければならない。
「母さんと行こうかな、って」
大学に進学して以来、顔を合わせたのは年末年始に実家へ帰ったくらいだというが、久々に母親と2人で時間を過ごしてみることにしたらしい。iM-Atomの存在が彼の背を押したのなら、それより嬉しいことはない。
それから涙を拭って、彼は何かを思い出したように笑う。
「あとさ、俺も実はまだ1つ湊に黙ってたことある。だからお互い様かも、俺ら」
海都は徐ろにポケットからスマホを取り出す。そして何やら操作すると、湊にその画面を見せてくれた。
「これって…」
「そう、俺のお姉ちゃん」
海都の10個歳上で古くからの春日メアリーのファンだというお姉さん、本来であれば初めて見る顔のはずなのに湊は何故か知っていた。
何なら、実際にお会いしたことだってある。
「郁海さん、海都のお姉さんだったんだ」
三田郁海さんー芽亜莉が芸能活動のため15歳で1人上京した際に親代わりとなって面倒を見てくれていた事務所の先輩である。確かに言われてみれば名前に海都と同じ「海」の字が入っている。
「俺の苗字、生田でしょ?漢字は違うけど、芸名の間2文字をひっくり返すと生田になるっていうね」
そして彼女の場合は、芽亜莉とは考え方が逆で愛する弟の名前から一文字芸名に拝借したらしい。芽亜莉に負けず劣らずの姉バカかもしれない。
「お互い様だったね、僕ら」
どちらかに責任が偏れば、荷物の軽い方も居た堪れなさを抱いてしまうから、湊たちはそういう星の名の下に生まれてしまっているから、もしかしたら天秤はどちらかに傾いていたのかもしれないけど、構わず半分こすることにした。
お互い黙っていることもできたのかもしれないけど、それでこそ保てた心地よい距離感はあったのかもしれないけど、それさえ手放してでも手にしたかったものがあったのだと思う。
「さてと、そろそろ行こうか」
海都は言った、何より湊を連れてきたかった場所があるんだ、と。ここさえ行ければ思い残すことはない、そうとさえ言うからより一層期待は高まる。
旅の終わりは、近づいていた。
屋島という苗字、作者の確認不足で実際には京都在住の世帯はないようなのですが、物語なのでご了承ください…。また長野県やその他にも同じ漢字の地名があるようです。
海都のお姉さんに関しては、実はメアリーのコンサート中、海都の言動にヒントを隠していました。よければep.2-3を読み返してみてください。
そしてもうひとつ脚注すべきは、この屋島を訪れた淡路島四国旅の2日目は火曜日にあたるのですが、実際のやしまーるは火曜定休日だそうです。そこまで考えておらず安易に旅の2日目にまわしてしまいました、失礼しました(汗)
本編にもあった通り、気づけば遠いところまで来ていたこの旅もそろそろ終わりの時が近づいています。
そしておそらく次回で第3章も締め括りとなると思います。ならなかったらごめんなさい(笑)次回もお楽しみに!




