84. おみやげばなし
天禄獣・シカのフィーネさんの手元から戻って来た瓶の蓋をひづめの先で軽く撫でながら、ユキちゃんは改まった声で言った。
『それでは。報告を、お聞かせいただけますか』
私はチラリと横のワイバーン二名に目をやる。ナイトホーンは『お前が話しなよ』という目を私に向けている。私は少し考えてから、やがて口を開いた。
『鱗の持ち主が……分かった。えっと、順番に話すね』
里長の保管庫のこと。棚に並んだ無数の鱗のこと。そして、カノンちゃんが持ってきた鱗と同じ色の、小さな木の箱のこと。
話している途中で、コンコンと扉がノックされた。フィーネさんが黙ってそちらに向かう。
『リア・バートルっていう、緑のドラゴンだった。ドラスで生まれて、二十年前に里を出た子竜。……「人間と友達になりたい」って、言ってたみたい』
ユキちゃんは黙って聞いていたが、『友達』のくだりが出た時に、少しだけ眉をひそめた。
フィーネさんが白い鹿角を揺らしながら、カノンちゃんを引き連れて戻ってくる。
カノンちゃんは静かに私の隣に並び、彼は玉座の段下へと向かう。
『それきり帰ってこなくて。……十年前に、お兄さんが「死んだ」と知らせに来て、そのまま出ていったって』
『お兄さん、というのは』
白鱗の麒麟が、静かに尋ねる。
『アルカイト』
カノンちゃんが、私を引き継いで答えた。
『「アルカイト・バートル」という名前だと、里長様が教えてくれました』
ユキちゃんの鬣がふわっと揺れた。彼女の瞳が、何かを考えるように伏せられている。
『……ありがとうございます。よく、調べてくださいましたね』
やがて、ゆっくりと顔を上げた。
『その……魔王様。お心当たりは』
『いいえ、私には、特に……。フィーネは』
『いえ……私も、存じておりませんね。竜種がかつての人魔戦争に携わっていようものなら、名が知られていても可笑しくないのですがね』
フィーネさんがチラリとナイトホーンを見る。突然やり玉にあげられた闇飛竜は『え。我?』と豆鉄砲を喰らったように返す。どうやらふたりともその名前に、特に引っかかった様子はなかったようだ。
しばらく、玉座の間が静かになった。外で午後の風が吹き、窓ガラスがガタンと大きく鳴った。
『セフィリア・ナイトホーン、クラウディア・アルヴァーナ、カノン・ノアーノ。そして、メアリー・フェリシア』
彼女が、改まって私達に目を配らせた。
『此度の調査、お力添えいただきありがとうございました。リアさんのことを……あなた方が伝えてくださったことを、嬉しく思います』
私達は少し間を置いてから、誰に示されたわけでもなく、静かに頭を下げた。
『それでは』
一転して、彼女は明るい声のトーンで続ける。
私達は顔を上げた。
『折角ですのでメイのお土産……皆さんでいただきましょうか』
◆ ◆ ◆
その後、私のお土産を、みんなで仲良く食べ合った。
ユキちゃんには案の定ドストライクだったようで、見る見る表情がとろけていく。
そしてフィーネさんにも刺さったようで、初めて彼の笑顔を見た。可愛かった。
ナイトホーンは甘すぎるものがニガテで、『いえ、我はお構いなく……』などと、魔王の進言を断るような大無礼をやってのけたが、ユキちゃんは『そうですか?』と気にしない様子で、彼の分も自分がほおばった。
そうして用の済んだ私達は、玉座の間を出る。
部屋を出るや否や、扉の前に待機していたハルピュイア……アリア・ノアーノさんが、『ノン。続き話そっか』と言って、カノンちゃんを強制的に拉致していった。
クラウディアさんもいない。部屋を出る時、初代魔王のセフィリアさんに鋭い目で見下ろされながら、『クラウディア。お前はここに残れ』と静かに言われていたのを、私は見ていた。
何の用か分からないが、クラウディアさんの顔が見る見るうちに恐怖と絶望に染まっていったのを、私は見逃さなかった。
『あいつ、何したんだよ……』
ナイトホーンが溜め息交じりに呟く。
残ったのは私、ナイトホーンの二人だけだった。
『分かんない。配信周りで、初代様に変なこと言った人がいたとか』
『そりゃそうだよなあ。我も配信見る時、変なこと書き込みたくなるし』
『普段どんなこと書き込んでんの?』
『「ビビってて草」とか』
そんなことを話していると、廊下の角を曲がってきた一頭の魔物がこちらを見て、驚いた様子で駆け寄って来た。
『あの! 少しよろしいっすか』
赤茶色の鱗。大きな体躯の竜人。
『ヴィクターさん』
『おう、人間。久しぶりだな』
魔王庁広報課の職員、ヴィクター・ハントさん。さすがに今日は、闘技大会の時の特大剣を持っていない。彼は私に一度ニッコリと笑うと、スマホのような端末を片手に、視線をナイトホーンに向けた。
『えりのあ通信のゲーム・エンタメ担当なんすけど。アビス・メイズの「終夜の咆哮ナイトフォール」さん……っすよね?』
『ん、そうだけど』
ナイトホーンが、一歩引くように翼をたたんだ。
『新ボスの切り抜き、再生数ヤバいことになってるんですよ。SNSもだいぶバズってるし。あれだけ話題になってて記事がないのはもったいなくて。少し話を聞かせてもらえますか』
ナイトホーンは、少しだけ間を置いた。それからこちらをちらりと見た。
『……んー、どうするかな。メイ、大丈夫?』
『うん、私は大丈夫だよ。行っていいよ』
私が言うと、彼は『そか』と短く答えた。
『じゃあ手短にね』
『ありがとうございます。……あ、ちなみに俺、あんたのボス部屋でこの前死にました。弱点も探ろうとしてます』
『うわ。取材で来といて敵情視察って何だよ』
ふたりが楽しそうに廊下の奥へ歩いていく。ヴィクターさんが何かを言って、ナイトホーンが翼を振り上げて何かをツッコんでいる。その声が、だんだん遠くなった。
久しぶりに、静かになった。
◆ ◆ ◆
『あら、メアリーちゃん。一人なの?』
不意に、横から声がした。
振り向くと、知り合いの魔物が立っていた。
黒い翼、ヤギのツノにひづめの脚、眼鏡の奥の静かな目。広報課の課長、悪魔のナターシャさんだった。彼女は書類を小脇に抱えていて、いつもの有能な『ビジネスパーソン』の顔をしていた。
『あ、ナターシャさん。お疲れ様です』
『お疲れ様。……ドラス郡、大変だったわね』
その声は、穏やかだった。ただ、ほんの少しだけ。この間とは、何かが違う気がした。
『せっかくだから、少し話せる?』
ナターシャさんは柔らかく言った。
『「えりのあ通信」の題材として、人間の女の子がドラスに行った感想。聞かせて貰える?』
『あー……』
私は少し考えた。任務の詳細は話せない。ユキちゃんから、そう言われている。
『感想だけでいいのよ。竜の里に入った人間なんて、和平が結ばれた後でもほとんどいないんだもの。顔も名前も出さない。「ある人間の旅行者」として記事に出来ればいいかなって、思うだけだから』
なるほど、そういう切り口なのね。
確かに、顔と名前が出ないなら、問題はないのかもしれない。
『はい。感想なら』
私が言うと、ナターシャさんは小さく頷いた。
『ありがとう。じゃあ、竜の里の第一印象から教えてもらえる?』
眼鏡の奥の目が、静かにこちらを見ていた。
柔らかい目だった。でも、その奥に何があるのか、私にはよく分からなかった。
『うーん。第一印象は……』
私は少し考えた。
『今の時代で、スマホも、コンビニも、バスもない。正直なところ、最初は「何もないじゃん」って思っちゃいました』
ナターシャさんは『うんうん』と頷く。
『でも、竜のひとたちは、それで困っていないみたいでした。自分で飛べるし、自分で食べ物も取れるし。いまのスマホばかり使ってる私と違って、「ちゃんと生きてる」って感じがしました』
『おもしろい視点ね』
彼女はニッコリと微笑むと、先を続けた。
『竜たちは、怖くなかった?』
『……少しだけ』
『……もしかすると、知ってるかもしれないけれど。ドラスの竜たちは、人間達との共存に最後まで乗り気じゃなかったのよ』
『……はい、聞きました。実際、そんな感じもしましたし……』
答えながら、私は少しだけ慎重になった。
ナターシャさんの質問は、自然だった。自然すぎて、どこに向かっているのか、少し分かりにくかった。
『それは、歓迎されてなかった、ってこと?』
『最初はそうでした。でも、話を聞いてくれる竜も……』
私はそこで、少し言葉を止めた。
里長のこと。保管庫のこと。
リア・バートルの名前。アルカイト・バートルの名前。
どこまで話すべきか。
『……場所によっては、ちゃんと向き合ってもらえた気がします』
そこで、私は止めた。それ以上は言わなかった。
ナターシャさんは、少しの間、何も言わなかった。眼鏡の奥の目が、静かに私を見ていた。
『そう』
それだけだった。続きを促してくる様子は、なかった。でも、何かを考えているような、そんな間があった。
『人間として、竜の里で、敵意を感じる場面はあった?』
また、自然な質問だった。
『はい、ありました』
私は素直に答えた。
『宿を断られたり、市場で因縁をつけられたり。……でも、それは仕方ないとも思ってます。和平からまだ五年だし、竜族と人間は元々、接点が少ない種族同士だから』
ナターシャさんは、少し間を置いた。
『仕方ない、と思えるのね。メアリーちゃんは』
『……私が人間だから、排除したいって思う竜もいるんだと思います。でも、人間でも、話を聞いてくれる竜もいた。どっちも、同じ竜の里の話です。だから……竜にも色々いて、仕方ない、というか』
ナターシャさんは何も言わなかった。
『今は、向き合ってくれた竜がいた……そっちの方が大事だと思うんです。私は』
しばらく、廊下が静かになった。
ナターシャさんは、書類を少し持ち直した。眼鏡の奥の目が、わずかに細くなった。
『……参考になったわ。ありがとう』
その声は、穏やかだった。取材の続きを求める様子は、なかった。
『また話を聞かせてね』
ナターシャさんはそう言って、軽く会釈した。それから廊下の奥へ歩いていく。黒い翼が、城の薄暗い廊下に溶けていくように遠ざかる。
私は、その背中を見ていた。




