85.【閑話】黒龍の現代知識
魔王ミゼル陛下への報告が終わった。
陛下本人からおすそ分けをお呼ばれされた時は緊張こそしたが、彼女は最後まで、ボクのような一市民にも優しく接してくれた。
ミゼル様が「ありがとうございました」と言って、フェリちゃんとカノンちゃんが頷く。お師匠様が翼を畳んで頭を下げたので、ボクも合わせて頭を下げた。
補佐官のシエラ様が部屋の扉を開けてくれる。それを見て、ボクたち一同は退室しようと入口の方へ向かい始めた。
『クラウディア』
そこまではよかった。
ボクが部屋を出ようとした時。低い声が、部屋に響いた。
ボクは、足が止まった。
振り返ると、初代魔王のセフィリア様が、こちらをまっすぐを見下ろしていた。深紫の瞳で、表情は変わっていない。ただその視線だけが、ボクに向けられている。
『……お前はここに残れ』
玉座の間が、しんとした。
『え』
フェリちゃんが振り返った。師匠も足を止めた。
カノンちゃんが、少し心配そうな目でボクを見た。
『他の者は、下がれ』
その言葉に、ミゼル様が静かに一同を促す。フェリちゃんが何か言いたそうな顔をしながらも、扉の方へ歩き始める。師匠が、部屋を出がけにちらりとボクを見た。不安そうな面持ちで、『何したんだよお前……』と言っているような気がした。
バタン……
扉が閉まった。
玉座の間に残ったのは、ボクと、魔王様と、初代魔王様だけだった。
(……終わった……)
ボクは内心、覚悟を決めていた。
考えてみれば、ボクは初代魔王様にカメラを預けて、あまつさえクラ民に好き勝手なコメントを打たせた。「結婚」「かわいい」などという不敬極まりない言葉を、無数に彼女へ浴びせたのだ。
それだけではない。
里の外で一晩待たせた。自分達だけ宿でぬくぬくしていた。
どれをとっても、申し訳が立たない。
国外追放だろうか。いや、それで済めばまだいい。打ち首の極刑になるのだろうか。
セフィリア様が、ゆっくりと前肢を動かす。ボクはビクッと思わず目をつぶった。
『セフィー様』
静かな声だった。
想定とは違った初代様の言葉に、ボクは、そっと目を開けた。
『え、え……?』
『カメラの中の「クラ民」たちが、私を「セフィちゃん」だの「セフィドラさん」だの「嫁」だのと呼んでいたが、最終的に「セフィー様」という呼称で落ち着いた』
彼女は表情を変えず、指を折りながら、淡々と事実を述べるように話す。
それが、怒っているのか、それとも違うのか……それすらも、まるで読めなかった。
『そ、そうでございますか……』
『……これは、よくある呼び方なのか?』
彼女は、真意のよく分からない質問で、発言を閉めた。
どう返せば良いのか分からない。魔王陛下も、少し困惑した様子で、セフィリア様とボクに交互に目を向けている。
『え、ええっと……その、愛称というか。親しみを込めた呼び名だと、思います……』
『……そうか』
私は正直に答えた。苦し紛れの説明に、セフィリア様はそれだけ言う。
表情は変わっていない。深紫の瞳は、相変わらず何を考えているのか分からない。
それが一層、ボクの不安を増長させた。
『初代様』
やがて、ミゼル様が、静かに口を開く。
『何だ』
『……その呼称が、お気に召されましたか?』
彼女の言葉に、また沈黙が続いた。
『…………』
初代様は、何も答えなかった。ただ視線が、わずかに下を向く。
それを見て、ミゼル様がこちらを見た。その瞳が、穏やかに細められていた。
『クラウディアさん。……御母様は、喜んでおられますよ』
『え……?』
ボクは、セフィリア様を見た。
表情は変わっていない。まったくの無表情だ。
その深紫の瞳は、あくまで静かで、……平坦だった。
『……そう、でしょうか……?』
思わずボクは、疑念を声に出てしまう。
そんな様子に、ミゼル陛下はふふっと小さく笑った、
『ええ。とても』
ミゼル様は、穏やかに繰り返した。
(そうなんですね……)
ボクは、もう一度セフィリア様を見た。
やっぱり、表情は変わっていなかった。
◆ ◆ ◆
『大草原の小さな家』
依然としてビクビクの止まないボクを尻目に、セフィリア様が表情を変えずに続けた。
『え……?』
『「草」とは、笑いを意味する現代の言葉と理解した。「大草原不可避」は、それを超えたものだと』
『……え、えっと』
初代様は無表情で淡々と話す。
話す内容とのギャップに、僕は何を話せばよいか、困惑を極めていた。
『ならば「大草原の小さな家」は……なぜ急に家が出てくる。意味が違うのか』
ボクは少し考えた。
『……い、いえ。全く同じ意味……笑いです』
『……そうか、分かった。現代の言葉は、使い分けが難しいのだな』
セフィリア様は表情を変えないまま、どこか自己完結した様子で頷いた。
その様子に、ボクは申し訳なさでいっぱいになった。
偉大な初代魔王様に、決して正しいとは言い難い『ネットスラング』を教えているのだから。
『ミゼル』
セフィリア様が、ミゼル様を見た。
『何でしょうか』
『「草」という言葉は、知っていたか?』
『……ええ、若者言葉として』
『なぜ教えなかった』
ミゼル様が、少しだけ困ったような顔をした。
『……え、ええっと。お伝えする機会が、なかなか……』
『そうか。ならば、仕方ないな。草』
セフィリア様は、それ以上は追及しなかった。ただ、深紫の瞳が、ほんのわずかに細くなった気がした。
◆ ◆ ◆
『クラウディア』
『は、はい』
『「切り抜きから来ますた」とは何だ』
『カメラの中の者たちが、大勢その言葉を使っていた』
『え、あ……切り抜きは、配信の中の面白い場面を短く編集して、世界中に公開したものです』
『……私の場面は、面白かったのか』
ボクは、恐る恐るカメラの画面を操作した。検索欄に「セフィリア」と打ち込む。
そして、その結果を見て……しばらく固まった。
『……クラウディア』
『……あ、はい』
『何か問題があったか』
『いえ、え、ええと……すごい数字で』
『数字?』
『再生数です。一日で、何百万回も見られていて』
セフィリア様は、しばらく何も言わなかった。
『……そうか』
それだけだった。表情は変わっていない。
『と、言うよりも……これ……』
『どうした』
ある意味、ボクは嘘を吐いていた。
何故ならボクは、切り抜きの再生回数で、固まった訳じゃない。それよりも……その『内容』の方が原因で、固まっていたからだ。
【これで、合っているか】
動画の中の黒龍は、太い前肢を持ち上げる。
その先端が、何かをしようとするように、少しだけ開かれた。
『これは――』
『「ダブルピース」という形だ』
ミゼル陛下が画面をのぞき込むと、セフィリアさんが先を続けて、あろうことかこの場で再びやって見せた。
人間達がやるような、きれいな二本指を立てた形ではなかった。人と龍とでは指の構造が違うものを、一生懸命に再現しようとしていることだけ、伝わってきた。
『ふ、フフ……フフフ……』
たまらずミゼル様が、前脚で顔を隠して下を向く。その頭が、小刻みに震えているように見えた。
『ミゼル』
『す、すみません』
陛下は顔を上げる。
収まりきらなかったのか、その表情には笑いが残っていた。
『斯様にも楽しそうな御母様は、数十年ぶりでしたので』
彼女は、美しい薄紫の鬣をなびかせて、嬉しそうに言った。
ボクは、もう一度セフィリア様の表情を確認した。
全く変わっていない。最初から一貫して、無表情だった。
セフィリア様は、「邪竜モード」は断ったそうです。
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