83. 贈賄
帰り道、私達は行きの道でも寄ったトーラに再び立ち寄っていた。
理由は、何気ない私の一言。
『ユキちゃんに、お土産買ってもいい?』
本当は昨日、ドラスの市場でお土産を買おうとしていた。でも、クラウディアさんに『ドラスは肉しかないよ』とあっさり言われてしまい、断念した経緯がある。
川沿いの露店を覗きながら、クラウディアさんは私に尋ねた。
『魔王様って、何食べるんだろ。そもそも麒麟って草食なのかな』
『うん。ユキちゃんは果物とか木の実が好きだって言ってたよ』
私の言葉に、ほえ~っと声を挙げるクラウディアさん。
『なら』と言って、彼女は翼の先で市場の一角を指し示す。
『あっちに木の実のお菓子屋さんがあるよ』
やがてやって来たのは、落ち着いた雰囲気の外装の菓子店。扉を入ると、女性の魔物客が数名、買い物をしている所だった。
『これが一番人気だよ』
店のおばさん魔物が愛想よく勧めてくれた品を見ると、それは片手を拡げたほどの大きさの底の浅い瓶に詰められた、黄金色の蜜の中に沈む濃い色の木の実だった。『木の実のはちみつ漬け』という商品名の左上に、『人気No.1!』というポップが貼られている。
『なにこれ。うま……!』
試食を一つ貰った。ねっとりとした触感の木の実に歯を差し込むと、鼻から抜けるはちみつの甘い香りの中に、酸味がアクセントとして現れる。口の中が幸せな時間に包まれて、カノンちゃんも私の隣で、顔をほころばせていた。
『これ、ください。……ふたつ』
一つはユキちゃんへのお土産用だ。
そしてもう一つは……言うまでもなく、自分用だった。
◆ ◆ ◆
王都ヴァーレイン市が見えてきたのは、昼をだいぶ過ぎた頃だった。
セフィリアさんの手の中から、街の全景が見える。石造りの建物が連なって、その間を大小さまざまな魔物たちが行き交っていた。
王都の喧騒だ。
あちこちからガヤガヤと声がする。荷車の音、上空を飛ぶ魔物の羽音、そしてどこからか呼応するアオーンという狼族の魔物の遠吠え。
ドラスとは全然違っていた。
私はドラスで二日過ごしただけなのに、この賑やかさがどこか懐かしく思える。
隣でカノンちゃんが、静かに街を見下ろしていた。何を思っているのか、私には分からない。でも今は、同じものを見ている気がした。
セフィリアさんが二頭のワイバーンを引き連れて、高度を下げていく。街の中心部、魔王城が近づいてきた。
魔王城に入ると、城の廊下はいつも通りだった。
平日の日中。辺りには、公務にいそしむ様々な魔物達が行き交っている。
石の床に、高い天井。魔物の規格で作られた広い通路を、私たちは並んで歩く。ナイトホーンとクラウディアさんが前を行き、私とカノンちゃんが後ろに続いて歩いた。セフィリアさんは透明になって、私たちの後ろを付いてきている。……筈だ。
玉座の間に向かう途中、廊下の角を曲がったところで、声が飛んでくる。
『あっ』
曲がった先にいたのは、桃色の翼。
ハルピュイアの魔物が、こちらを振り向いた。
『ノン!』
アリア・ノアーノさんだった。カノンちゃんと同じ色の羽毛、同じ緑色の瞳。カノンちゃんより少しだけ背が高い。彼女は私たちの姿を見た瞬間、書類を片手に持ったまま、小走りで近づいてきた。
『ドラス、大丈夫だった? 電話しようか迷ったよ』
アリアさんはカノンちゃんの前で立ち止まると、その顔をまじまじと見た。カノンちゃんは少しだけ目を丸くして、それから小さく笑った。
『うん。大丈夫だったよ。ただいま、お姉ちゃん』
アリアさんは、ほっとしたように息を吐いた。それからぎゅっと妹の翼を掴んで、ぐいと引っ張った。
『ねえねえ、今からちょっと話せる? 少しだけでいいから』
カノンちゃんがこちらを見た。ナイトホーンは小さく頷く。私も頷いた。
『行ってきていいよ。報告は私たちでするから』
『うん。ごめんね』
カノンちゃんはそう言って、アリアさんと並んで廊下の奥へ歩いていく。ふたりの桃色の背中が、角の向こうへ消えた。
◆ ◆ ◆
ギィ……
玉座の間の扉を開けると、前に立つナイトホーンの大きな身体の隙間から、ユキちゃんとフィーネさんがこちらを向いたのが見えた。白い鱗に、淡い紫の鬣。魔王の瞳が入口に立つ私たちを捉えた瞬間、わずかに見開かれて、そして穏やかに細められた。
『……ご苦労様です』
静かな、でも確かに弾んだ声だった。
『ただいま、ユキちゃん、フィーネさん』
私は、いつも通りに返した。
『カノンさんはどうされました』
『ああ……お姉ちゃんと外でお話してるよ』
そう言うと、玉座の間の扉がバタンと閉じられる。
そして、私の背後で大きな黒い龍が姿を現した。ユキちゃんの目線が上に向く。
『お世話になりました、初代様』
『ああ』
ユキちゃんは小さく頭を下げる。セフィリアさんは短く返した。
でも、ユキちゃんを見る彼女の目は、どこかほっとしたような色を帯びていた。
『ご無事でしたか』
『何もなかった。私の守護魔術は、結果として不要だったな』
セフィリアさんはそれだけ言うと、ゆっくりと部屋の中へ視線を向けた。
守護魔術。あの玄武の亀、ローミアさんの……?
セフィリアさんも使えるのだろうか。そして、それを今回の旅で、掛けてくれていたのだろうか……?
そのことが気になったが、私が声を挙げる前に、ユキちゃんが口を開いた。
『では、お話しいただけますか。旅の間のことを』
『私からの報告は一つだ』
私の後ろで、セフィリアさんが食い気味に話した。
ユキちゃんが、気圧されたように『はい』と頷く。
『「配信」をやった』
玉座の間が、しんと静まった。
『……はい?』
ユキちゃんは瞬きを一つした。
クラウディアさんが、少し気まずそうに目線を逸らす。
『「カメラ」を借りた。顔の見えぬ「クラ民」と言葉を交わした。……なかなか、悪くはなかったぞ』
ユキちゃんは、遂に何も言わなくなった。
視線だけが私やクラウディアさんに向いて、また戻った。
『そう、でございますか』
それ以上は聞かなかった。いや、彼女でも聞けなかったのかもしれない。
セフィリアさんは、もう用は済んだとでも言うように、静かに身を翻した。
彼女のながい身体が、部屋の隅へと向かう。
『……改めて。お帰りなさいませ。皆さん』
ユキちゃんは、仕切り直しと言わんばかりに、私たちに向き直った。
その声は穏やかで、でも少し疲れが感じられた。きっと公務の続く中で、私たちの無事を祈って、帰りを待ち続けてくれていたのだと、なんとなく分かった。
『ただいま、ユキちゃん』
私がもう一度同じ挨拶をすると、ユキちゃんは小さく目を細めた。
『あの、これ』
私はポーチから、浅い瓶を取り出した。帰り道のトーラで買っておいた『お土産』だ。
『木の実のはちみつ漬け。トーラの名産らしくて。ユキちゃん、甘いもの好きだったし』
彼女は、一瞬だけ目を丸くした。瓶の中の黄金色に輝く果実をしばらく見て、それから口元がわずかに緩んだ。
『ありがとう、メイ』
その声は、魔王のものじゃなくて、昔のユキちゃんのものだった。
『メアリーさん。それは、献上品として処理しても宜しいでしょうか?』
するとフィーネさんが、すっと前に出た。
『ん、どういうことですか?』
『一応、国務に携わる者への贈り物は、収賄防止の法で周囲の目が厳しいもので……』
『しゅうわい……? って、なんですか……?』
『魔王陛下への贈答品は、原則として日時と品名を目録への記載が必要でございまして』
『え、普通にこれ、ユキちゃんへのお土産なんですけど……』
フィーネさんは瓶を丁寧に受け取ると、小さく一礼する。そして横の書き物机に、そそくさと持って行ってしまった。
それを見送るユキちゃんの目が、少し残念そうに細められた。




