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82. ごめんなさい


 里長の屋敷を出てから、カノンちゃんはあまり喋らなかった。


 クラウディアさんとナイトホーンは少し後ろを歩いていて、私とカノンちゃんは前に並んでいた。大きな力で踏み固めたであろう里の石畳は、高々と上がった陽の光に照らされ、干ばつにひび割れた大地のような様相に見えた。コツコツ、ズシズシという足音だけが響く。


 しばらく歩いて、カノンちゃんが言った。


『エアリーも、最初はリアさんみたいだったのかな』


 独り言みたいな声だった。


『人間と仲良くしたかった。そんな子だったのかな』


 その問いに、私は答えなかった。

 答えられなかった……というのが正直なところだ。

 エアリーのことは、よく分からない。カノンちゃんより、付き合いが浅いから。

 彼女に殺されそうになった時、怖かった。

 それでも彼女は、あの鱗を大切に持っていた。



 里の門を抜けた。


 山の稜線の向こうから現れた大きな雲に、日が、一時的に隠れた。

 フッと辺りが少し暗くなって、谷筋から風が吹き込む。


 里の外は、中に比べて風が強かった。

 狭い街道の谷に入り込んだ空気が行き場を失って、密集して襲い掛かってくるためだろう。何を示し合わせたわけでもなく、ナイトホーンが無言で私達の前に出ると、風除けになってくれた。


 そうして四人で歩き出そうとした矢先、ナイトホーンが不意に声を挙げた。


『あ……』


 そう言って彼は前方の空に一度目を向けると、キョロキョロと辺りを見回した。


『何?』


 私がそう言うと、彼は少しだけ困ったような顔をした。


『初代様。忘れてた』


 全員が止まった。


 ……確かに。里に入る前に別れてから、ずっと里の外で待っていて頂いているはずだった。

 宿を探し、市場で買い出しをして、里長に話を聞いて。気がつけば、だいぶ経っている。


『やばいですよ師匠』


 クラウディアさんが翼を口元に当てた。


『初代様、ずっと放置しちゃったじゃないですか』


『いや……だって見つかんなかったんだろ……?』


 ナイトホーンが言い訳のように言う。


 考えてみれば、セフィリアさんは宿にも通してもらっていない。

 あの方の体格からすれば宿の建物自体に入れるかどうかも怪しかったが、それでもせめて、断りくらいは入れるべきだった。だが、それもできていなかった。


 初代魔王様の威光でドラスへの入里を果たし、あまつさえ里内での身の安全も担保しておいて、あとは放置というのは……さすがに、まずいと思った。


『……全力で、謝るしかないね』

『うん』


 私が言うと、全員が頷いた。


  ◆  ◆  ◆


 セフィリアさんは、里の外れの岩場にいた。


 透明を解いた巨体が、雲に覆われ始めた空の下に静かに横たわっていた。こちらに気づいた深紫の瞳が、ゆっくりと向く。


『セフィリアさん』


 私は言った。


『本当に、申し訳ありませんでした』


 頭を下げた。隣でカノンちゃんも、翼を畳みながら深く頭を下げる。クラウディアさんとナイトホーンも、翼爪を合わせてぺったりと伏せる。


 セフィリアさんは、しばらく何も言わなかった。

 長い首がゆっくりとこちらへ向いて、四人を順番に見る。その目が、どこか微妙に据わっていた。


『……何がだ?』


 静かな声だった。


『え?』

『何故謝っているのか、と聞いている』


『だ、だって……ボクたちは、セフィリア様をずっとお待たせしてしまって……宿や、ご飯だって……』


 クラウディアさんがぺったりとした姿勢のまま、首だけを少し挙げて言う。彼女の額には、少し地面の土が付着していた。


『私はずっとここにいたわけではないぞ』


 全員が、ぴたりと止まった。


 ……どういうことだろう。


『お前たちが里に入った後、……私も里に入った』


『カメラとやらに話し掛けてくる文字が、「里を見せろ」と煩かったのでな』


 セフィリアさんはそう言いながら、太い前肢をそっと持ち上げた。クラウディアさんのカメラが乗っている。

 クラウディアさんの顔が青くなる。

 『クラ民』が、あろうことか初代魔王様に対して……指図をしたのか。


 彼女は黒龍からカメラを受け取りながら、おそるおそる尋ねた。


『……その、初代様。カメラのコメントが、ご無礼を……?』

『いや』


 黒龍はフンと小さく鼻を鳴らした。


『それらは現代の文化を私に教えてくれた。だから私も恩義を返したまでだ。……それに、』


 彼女の目が、一瞬チラリと私を見た。


『お前たちが、里の中で危険な目に遭わないか……少し、気になってな』

『と、言うことは……』


 私は、首を傾けた。


『セフィリアさんは、ずっと、私達を見ていて下さったのですか……?』

『……姿や気配を消すのは得意だ』


 彼女は、それだけ言った。


 ……少しの間、全員が沈黙した。


『……初代様』


 クラウディアさんが、おそるおそる口を開く。

 その手にはカメラ。依然として続いていた配信画面には、次々とコメントが流れていく。


【セフィー様に空からずっと撮って貰ってたぞ クラランとカノンちゃんが市場でつまみ食いしてるところも】

【俺たちがお願いしてたんだよ 「クララン達を撮ってください」って】


『も、もしかして……』


 カメラを持つ飛竜の翼が、ぶるぶると震え始める。


『もしかして、ずっと……里の中を、透明で』

『…………』


 彼女の深紫の瞳が、わずかに横を向いた。


 全員が、また沈黙した。


 私は、昨日のことが頭に浮かんだ。市場で、風のない場所なのに空気がふいに動いた気がしたこと。……どうやら、あれは気のせいでは無かったみたいだ。


 クラウディアさんが、おずおずとカメラの画面を覗き込んだ。


『……師匠ぉ。コメント欄が、大変なことになってます』


 ナイトホーンが首を伸ばして画面を見る。


【セフィー様が神すぎる】

【やっぱ俺の嫁だわ】

【昨日、セフィー様にみんなで肉をめっちゃ食ベさせた】

【クラランにイタズラ仕掛けさせようとしたら、セフィー様に流石に止められたわ】


『……みんな、もう許さないから』


 クラウディアさんが、コメントを読みながら静かに言った。

 その翼がぶるぶると震えている。

 ナイトホーンが、静かに息を吐く音がした。


  ◆  ◆  ◆



 私とカノンちゃんは、セフィリアさんの大きな前脚に掴まって、空を運ばれている。


 クラウディアさんはその横を飛びながら、カメラに向かって『明日はコメント欄の民度教育をします!』やら『ボクのチャンネルの評判にも関わってくるんだからね!』やらとぷんぷん怒っていた。ナイトホーンはその後ろを静かに飛びながら、ハァと小さく息をついた。里の家々が、少しずつ遠くなっていく。


 しばらくして、カノンちゃんが言った。


『時々、思うんだ』


 その声は、静かだった。

 彼女は私に目を向けぬまま、独り言のようにつぶやく。


『何を?』

『例えばメイが、同じように人間に殺されちゃったとしたらさ。……わたしも、エアリーと同じことを考えてたのかなって』


 その目は、大きな悲しみと、一抹の不安が籠められていた。


『ねえ、メイ』


 彼女の緑色の瞳が、私に向けられる。


『わたし……エアリーが、これ以上手を汚す前に、やめさせたいよ』


 静かな声だった。


『…………』


 私は、すぐには答えられなかった。エアリーが今どこにいるのか、分からない。生きているのかも、分からない。


『……そう、だね』


 私はそう言った。

 カノンちゃんの想いは、私の想いだ。

 だから私は、気休めではなく、私の『決意』として、彼女に伝えた。


『きっと。……分かり合えるよ。エアリーとも』


 カノンちゃんは目を瞑る。

 セフィリアさんの大きな手の隙間から吹き込む風が、さわっと彼女の髪を揺らした。


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