81. リア・バートル
『〈Ria Burtle〉……って、女の子の名前だね』
小箱を抱えるカノンちゃんを、ナイトホーンが上から覗き込んで言う。
『名前だけで分かるの?』
『うん。お前ってさ、我の名前の由来は知ってるんだっけ』
『あ、うん……。初代様と同じだからセフィリアにしたって、前言ってたよね』
『竜は強い名前を付けたがるんだよ。だからこの「リア」も、初代魔王様から取った、わりと竜に人気の名前』
そう言うと、彼はジト目で先を続けた。
『だから初代様から取った人気の名前って、だいたい女の名前なんだよ』
〈そ、それより!〉
ナイトホーンがクルルと喉を小さく鳴らす。
あまり面白い話にならなそうだったためか、クラウディアさんが慌てて竜語を発して、無理やり話を切り上げた。
〈どうして、話の鱗がこれだと分かったの?〉
そして彼女は、入り口の壁にもたれる若い竜に顔を向けると、何かを尋ねる。
問いを投げられた彼は腕を組みながら、少しのあいだ口をつぐんでいたが、やがて小さく、竜語で返した。
『「たまたまこいつと知り合いだった」、ってさ』
クラウディアさんが振り返り、通訳をしてくれる。
『あの……。リアさんの情報……知ってる範囲で、お話してくださりますか?』
カノンちゃんが続ける。クラウディアさんが翻訳しようと、再び青い竜へと目線を戻すと、彼はフンと小さく鼻を鳴らした。
〈わざわざ(竜語に)直さなくていいよ。魔物言語、ちょっとは聞き取れるし〉
〈じゃあ、話せるの?〉
〈話せないけど〉
彼は腕を組んだ姿勢のまま、少し上を仰ぎ見る。
〈……俺と同じ、六十歳くらいだよ。生きてたら、今頃はな〉
〈まだ、成竜前なんだね〉
〈子供で悪かったな、おばさん〉
〈ボクもまだお姉さんだからね?〉
保管庫のひんやりとした空気の中、彼とのやり取りが淡々と続けられた。
クラウディアさんはうんうんと頷きながら話を聞いて、ところどころ竜語で聞き返していた。
『バートルの家は、ここのすぐ近所にあって、この子は昔よく遊んでいたみたい』
クラウディアさんは竜語で会話しながらも、ところどころ翻訳してくれた。
『リアちゃんは、この里で生まれた緑のドラゴン種。地属性で、小さい頃から変わった子だったって。……「人間と友達になりたい」と言って、二十年前、里を出ていったって』
ふいに、若い竜……彼の瞳が、私を捉えていた気がした。
部屋の中は薄暗く、唯一の光源である油の灯りがゆっくりと揺れている。
彼は竜語で言葉を続ける。
クラウディアさんは、やがてゆっくりと息を吐いて、小さく俯いた。
『……そして、それっきり。帰ってこなかった』
私は、カノンちゃんをちらりと見た。彼女は木箱を両翼に持ったまま、下を向いていた。
『十年前、彼女のお兄さんが、ふらりと戻って来た。リアが死んだと知らせて、そのまま出ていった。……知ってるのは、それきりだと』
クラウディアさんは静かに翻訳した。
部屋の中が静かになった。カノンちゃんが鼻を小さく啜り、手が、少し動いた。鱗を、握り直すように。
『……エアリーが、大切にしてた。あの子の、大切な友達だった……のに』
カノンちゃんが、小さく言った。独り言みたいな声だった。クラウディアさんは、チラリとカノンちゃんに目を向ける。でも、それは竜語に訳さなかった。
◆ ◆ ◆
『……ご家族は、今もこの里にいますか』
カノンちゃんは、青い竜に問いかける。
だが、クラウディアさんはそれを翻訳する前に、彼は一度だけ頷いた。
〈いる〉
『なら。……ご家族に、話を聞けませんか』
自然な発想だった。彼女の親が里にいるなら、彼らに当たる。
でも、クラウディアさんとナイトホーンは、少しだけ間を置いた。
『うーん……』
クラウディアさんが翼爪を頬に当てて、困ったように首を傾ける。
『竜って……子供が自分で食べ物を取れるようになったら、もう親の管轄じゃないんだよね。どこに行ったか、何をしているか。……亡くなったとしても、気にしない。それが普通なの』
私は少し驚いた。カノンちゃんも、目を丸くしていた。
『気にしない、って……全然?』
『うん、全然。冷たいかもしれないけどさ、それが竜の間じゃ当たり前なんだ』
親が守る必要すらない。上位種の竜の生態らしいと思った。
ユキちゃんに魔物の生態はいろいろと教わっていた。でも、まだまだ知らないことだらけだと、私は思った。
『でも、リアさんのお兄ちゃんは、妹が亡くなったことを知ってたんだね』
『兄弟は親子ほどドライじゃない家もあるからね。これは本当に、家によるけど』
私の素朴な問いに、ナイトホーンが答える。
『お兄さんの名前は、なんて言うんですか?』
〈何だったかな。アル……なんとか。ずっとアルとばっか呼んでたから〉
彼はそう言うと、チラリと部屋の入り口の外を振り返り、続けた。
〈じいちゃんなら分かると思うよ。近所だし〉
クラウディアさんが翻訳する。
『あの、ありがとうございます。ドラゴンさん』
カノンちゃんは木箱を抱えながら、真っ直ぐと若い竜に頭を下げた。
彼は何も言わなかったが、そっと彼女の前へ大きな手を差し出す。
〈それ。もういいか? 元あった場所に、戻しとく〉
カノンちゃんはゆっくりと木箱を手渡した。若い竜は受け取って、保管庫の奥へと歩いていく。その手つきは、とても丁寧なものだった。竜は鱗を記録として保管している、と言っていた。でも、彼の動きは大切な記録だからというものではなく、もっと、別の想いがようなある気がした。
◆ ◆ ◆
〈見つかったのか〉
里長は、屋敷内で私達が初めてあった場所、定位置に戻っていた。
彼は大きな金色の瞳を、ゆっくりと私達に向ける。
〈はい。鱗は……リア・バートルさんのものでした〉
〈バートルのところの娘か〉
彼は短くそう言うと、過去を回顧するかのように目を細めた。
〈可愛い子だった。家の前の広場で、よく兄と遊んでいた〉
〈その、お兄さんは……〉
〈アルカイトか?〉
里長が、短く返した。やがて、静かに続ける。
〈……頭のいい子だった。リアのことを、よく可愛がっていた〉
それ以上は言わなかった。クラウディアさんが訳す。私はその名前を、忘れないようにと、頭の中で繰り返した。
〈……その鱗を持っていた者は、リアやアルカイトと知り合いだったのか〉
通訳を聞いて、カノンちゃんは少し間を置いてから答えた。
『……はい。リアさんは、大切な友達だったと言っていました』
〈そうか〉
里長はそれだけ言った。やがて、静かに目を閉じる。
青い鱗の若い竜が部屋に戻って来る。その場の音は、彼の足音だけとなった。
◆ ◆ ◆
『ありがとうございました』
外に出た。
既に陽は高く、山の陰がほとんど無くなっていた。クラウディアさんとナイトホーンが、私たちの前で、小声で何かを相談している。竜語じゃなかったけど、私には入れなかった。
カノンちゃんは、少し離れたところに立っていた。里の入り口の方を見ている。……いや、別に何かを見ているわけじゃない。ただボーっと、何かを考えているようだった。
私は彼女に声をかけようとして、……やめておくことにした。
たぶん彼女は、エアリーのことを思っている。リアさんを大切な友達だと呼んでいた。その友達が死んだと知った時、……彼女は何を思って、何を考えたんだろう。
リアさんがまだ生きていた頃。エアリーは、どんな性格で、どんな考え方をしていたんだろう。
……たぶん、カノンちゃんも、同じことを考えていると思ったから。
しばらくして、カノンちゃんが振り返った。
『……行こっか』
いつもと変わらない声。でも、真っ直ぐと前を見据えている。
『うん』
私は頷いて、彼女の隣に並んだ。




