80. 『竜と人は』
翌朝、ナイトホーンが普通に部屋にいた。
『あれ、ナイトホーン。今日……仕事じゃ?』
私が聞くと、彼はあっさりと答えた。
『今日も(休みを)伸ばして貰った。せっかく帰って来た地元だし』
『ふーん……』
特に表情は変えなかった。
その気になればすぐ帰れるのにと私は少し思ったが、それ以上は聞かなかった。
〈そんじゃ行くわ。おっちゃん、元気でな〉
〈……ああ。お前もな、セフィリア〉
私達はロビーに向かい、チェックアウトを済ませる。
宿屋の老いたワイバーンは、赤い目を穏やかに細めた。
『あの方って、師匠のお知り合いだったんですかー?』
宿を出てすぐ、クラウディアさんはぐるりとナイトホーンの顔を覗き込む。
『ああ、昔いろいろと世話になったんだよ』
ナイトホーンはそれだけ言った。彼も、この話を続けるつもりはなかったようだ。
しばらくの沈黙。やがて、私は口を開き、前を歩くワイバーンたちを呼び止める。
『えっと。これからどうやって緑の竜を捜そっか……?』
『…………』
私の言葉に、ワイバーン二頭は少しだけ目を見合わせる。
そしてクラウディアさんが翼爪をピンと立て、左右に振りながら答えた。
『ちっちっち。ここで人間たちもビックリの竜の叡智の出番なのですよ』
その言葉に、ナイトホーンはフゥと短く息を吐いた。
『全然叡智じゃないけどな』
彼は翼爪で、里のさらに奥を指し示す。
『里長の保管庫にな、鱗があるんだよ』
『え、どういうこと?』
『我らドラスの里に、赤ちゃんの鱗を取っとく謎文化がある』
『たぶん、いつかの長の趣味がなんとなく受け継がれてるだけですよね。あれ』
『え。趣味なんかよあれ……』
『あれ? ずっとそうだと思ってましたよ師匠。もしかしてボクだけ!?』
クラウディアさんが翼を拡げて、大袈裟にリアクションをする。
……聞くところによれば、ドラスの里には、生まれた子竜の鱗を「この里に生まれた竜の記録」として保管する文化があるらしい。
『んまあ、生まれた時の鱗だから、大きさは全然参考になんないけどね』
濃紺の飛竜はそう言うと、雲の少し出てきた朝空の下、歩みを始めた。
◆ ◆ ◆
里長の住処は、里の奥にあった。他の建物より少し大きい。
石の壁に少しだけ苔がむしていて、扉はなく、中が見えないよう、大きな岩が入口の前に乱雑に置かれていた。
〈……また、お前らか〉
屋敷の前に、一頭の竜が立っていた。青みがかった鱗。昨日の若い竜だ。
〈人間の連れがここに何の用だよ〉
鋭い目が私に向けられる。
低い声。追い払う気満々であるような態度だった。
ナイトホーンが竜語で何かを言う。しかし若い竜は首を振った。
〈長は留守だ〉
クラウディアさんが、私の後ろで口を開こうとする。
そのとき、岩の影の奥から声がした。
〈……誰だ〉
低い声だった。年を重ねた、でも枯れてはいない声だった。
若い竜は、舌打ちを一つする。
〈人間のです。……追い返そうとしてました〉
〈入れ〉
短い一言だった。
若い竜の喉がグルルと鳴って、その後は何も言わなかった。
ただ、脇に退いた。
◆ ◆ ◆
中は薄暗かった。岩を削った住居。壁沿いには、石の棚がいくつか並んでいる。棚の上には、大小さまざまな欠片や、何かの記録らしき石板のようなものが置いてあった。
部屋の奥に大きな竜がいた。年老いた、濃い灰色の鱗を持つドラゴンだ。体格はナイトホーンの何回りも大きいが、動きはゆっくりとしていた。
金色の瞳が、私たちを順番に見る。クラウディアさん、ナイトホーン、カノンちゃん、そして、私。私のところで……少しだけ、視線が止まった気がした。それから、また動いた。
〈何の用だ〉
クラウディアさんが竜語で答える。里長は黙って聞いていた。やり取りが続いたが、私には分からない。カノンちゃんも、黙って立っていた。
やがて里長が何かを言った。クラウディアさんが振り返る。
『里長が……「人間が、我ら竜に何を求める」って、言ってる』
声が少し低かった。威圧というより、何かを試しているっぽいと、クラウディアさんは補足する。
私は里長を見た。何か、彼に言わないといけない。でも竜語が話せない。
魔物言語で言っても、伝わるかどうかが分からない。
『……あの』
そのとき、カノンちゃんが一歩前に出た。
魔物言語だった。里長に向かって、真っ直ぐに緑色の瞳を向ける。
『わたしは、ハルピュイアのカノン・ノアーノと申します。友人のグリフォンが、緑色の竜の鱗を持っておりました』
その言葉を、クラウディアさんがすぐに通訳する。
『その鱗を、大切そうに持っていました。「友達のもの」と言って』
通訳が続く。
『その鱗の持ち主のことを、知りたいんです。その竜が、誰なのかを』
カノンちゃんの声は、揺れていなかった。
しばらくして、里長が静かに口を開く。
『「それにこの人間がどう関係しているのか」、と』
クラウディアさんが翻訳した。
大きな金色の瞳が私に向けられる。
威圧は無い。ただ、静かにこちらを見ているという印象だった。
『関係、は……』
私は口を開く。
カノンちゃんの隣に立って、ぎゅっと彼女の翼を握った。
『カノンちゃんが、やろうとしているから』
クラウディアさんが翻訳する。
里長の瞳が、僅かに細められた。
『私は、もうカノンちゃんと離れないって、決めたから。……カノンちゃんが危ないところに行くなら、私も行く』
カノンちゃんの目が細められる。
屋敷の入り口の付近で話を聞いていた若い竜が、……小さく息を飲んだ。
『だって……友達だから』
通訳が終わった。里長はしばらくの間、黙っていた。
〈……来なさい〉
やがて里長が立ち上がり、大きな手で私たちを手招きした。部屋の奥、棚が並んだ暗い一角へと続く通路があった。
〈……保管庫がある。自分たちで探してみなさい〉
クラウディアさんが訳す。私はカノンちゃんと顔を見合わせると、彼の後を続いた。
◆ ◆ ◆
保管庫は、思っていたよりも広かった。
石の棚が何列も並んでいて、大小さまざまな鱗の欠片がそれぞれ小さな木の箱に収められている。箱のひとつひとつに、読めない文字が刻んである。色も形も、ひとつひとつ違っていた。
『……多いね』
私は思わず呟いた。
『これ全部、ドラスで生まれた竜の鱗。ボクや師匠のもどっかにあるよ』
クラウディアさんが、後ろから声を掛ける。
私たちはそれぞれ棚の前に立って、箱を順番に確認し始めた。くすんだ緑色。カノンちゃんが言っていた色だ。でも緑といっても、青みがかったものから黄みがかったものまで、様々だった。
『ねえ、これ……きつくない?』
私はカノンちゃんにぽつりとつぶやく。
ざっと見た限りでも、百や千どころの話ではない。
四人がかりで探したとしても、何日掛かるのかと、気が遠くなりそうだった。
『…………』
背後の通路に、気配があった。
振り返ると、あの時の若い竜が入口の横にいた。里長の許可を得たわけでもないだろうに、腕を組んで壁にもたれている。里長はちらりと彼を見たが、何も言わなかった。
〈……時間が掛かりそうだな〉
クラウディアさんが訳す。里長は私たちを一度だけ見回してから、静かに立ち上がる。
〈……客人。それは、私の……何世代後じゃったか、孫じゃ〉
そう言って、彼はゆっくりと保管庫の入り口に歩みを進め、青い竜にぽんと前脚を置いた。
〈……用が済んで、保管庫を出る時は、これに伝えるがよい〉
そう言って、里長はゆっくりと部屋を出て行く。
残ったのは、私たちと、若い竜だった。
『…………』
彼は何も言わなかった。ただ、腕を組んだまま、私たちの手元を遠くから見ていた。
◆ ◆ ◆
しばらく経っても、それらしい鱗は見つからなかった。
カノンちゃんは一列ずつ丁寧に確認していた。ナイトホーンとクラウディアさんは、竜語の文字を読みながら別の棚を当たっていた。私は自分の目を信じて、ひたすら色を見ていた。
沈黙が続く中で、カノンちゃんがふと口を開いた。
『……エアリーが、いつも言ってたんだよ。大切な、友達だったって』
独り言みたいな声だった。私に向けているのか、自分に向けているのか、分からなかった。
『……うん』
私は短く答えた。
『私も、大会でエアリーさんと話した時。……友達を、人間に殺されたって』
入口のあたりで、若い竜が少しだけ眉をひそめた。
『それが……この、緑の鱗の竜のことなのかな』
『……分かんない』
カノンちゃんは棚から目を離さなかった。しばらく、手だけが動いた。
『ねえ、メイ』
『うん』
『竜と人は、共存できると思う?』
その問いは、なんでもない言い方だった。でも、すごく重い内容だと思った。
ふいに、ドラスに来てからのことを思い返す。最初の宿で断られたこと。道ですれ違う竜たちの目。……そこにいる、若い竜に声をかけられたこと。
……それでも、
『できるよ』
私は言った。
でも、白い鱗のワイバーンは、私たちに部屋を貸してくれたから。
里長も、私たちの言葉を、ちゃんと聞いてくれたから。
『難しいけど……きっとできる。だって、ナイトホーンとクラウディアさんと友達になれたんだから。竜と人は、共存できるよ』
◆ ◆ ◆
目の前の小さな人間。それが、魔物言語を使って、はっきりと言った。
絵空事だ。……でも。
(……あいつも、いつもそう言っていた)
俺は、壁にもたれたまま、動かなかった。
人間が、何を言い出すのかと思った。……でも、最後の言葉だけは、頭の中にいつまでも残り続けた。
(……リア)
……あいつも、いつも同じようなことを言っていた。竜と人は友達になれる、と。笑いながら言っていた。
俺は棚をチラリと見た。くすんだ緑色。奴らが探しているのは、そういう色だと言っていた。リアの鱗は、それに合致する。
それに――
(人間に、殺された……)
――その事実も、合致した。
なぜ奴らが、鱗を求めるのかは分からない。
でも……それが、あいつの……リア・バートルのものだと言うことは、なぜか確信を持てた。
彼女を殺した筈の人間が……その事実を知りながらも、なお『リアの目指していたもの』と同じ物を目指している。
不思議と、怒りは湧かなかった。『どの口が言う』と怒るべきなのかもしれない。それでも、今はそれよりも――あの人間の姿が、あの時の彼女と重なってしまっていた。
〈どけ〉
自然と足が動いていた。
棚の一角。他よりも新しい、小さな箱。俺はそれを手に取った。
開けると、小さな鱗が一枚。……くすんだ緑色の、子竜の鱗だった。
〈……ほら〉
それを持って、鳥人にただ、差し出した。
鳥人は、驚いた様子で俺の顔を見上げると、やがて、その鱗をじっと見た。
少しの間、何も言わなかったが、やがて、その緑色の目が大きく開かれた。
『……似てます』
静かな声だった。
『エアリーが持っていたのと、……同じ色で、同じ模様で』
俺は、フンと小さく息をつく。
〈Ria Burtle〉と書かれた木の箱が、鳥人の小さな翼の手に渡るのを見てから、俺はまた、壁の方へ戻っていった。




