79. 夕暮れの市場にて
『ここがドラスの市場。さっきのトーラに比べると、お肉が超おいしいんだけど……逆に言うと、肉料理しかないのが玉にキズなんだよね』
私はクラウディアさんに運ばれ、ふたりで市場にやって来た。
日が傾き始めていた。国の北西に位置するドラス郡は、早くに影が落ちてくる。
石造りの建物が橙色に染まって、少しだけ綺麗だと思った。
ヒュウ……
『……ん?』
風のない場所なのに、ふと私の後ろの空気が……ふいに、動いた気がした。
私は振り返る。そこには大きな岩と岩しかなかった。
誰もいないし、誰かが陰に隠れているわけでもない。
(気のせい……?)
またナイトホーンが気配を消して私の背後を取ったのかと思っていたが、ただの勘違いのようだった。
『フェリちゃん、どうしたの?』
『ううん、なんでもないよ』
私は前を向いて、彼女のもとへまた歩き出す。
橙色の夕日を浴びて、彼女のクリーム色の鱗は神秘的な輝きを放っている。その姿を配信すれば『クラ民』も大喜びだっただろうなと、少しもったいなく思った。
夕刻であるのに、市場の大通りはひとがまばらだった。
上位種の竜たちは自給自足で生活が成り立つ。だから、滅多に買い物をしたり、助け合うことはしない。
そんな種としての構造が、市場に体現されているかのようだった。
何頭かの竜とすれ違う。彼らからすると、私は地面の小動物だ。
視線を感じる。でも誰も何も言わない。セフィリアさんの一言のお陰で、『人間が里に来ていること』自体は周知されていたため、気付かれずに踏まれてしまうことは無かった。だが、悪気があったわけではないのだろうが、すれ違った竜の尻尾が私の真横へ薙ぎ払われて肝を冷やす場面があり、クラウディアさんがぷんぷんと怒っていた。
〈待て〉
突然、すれ違ったドラゴンから声を掛けられる。
竜語だった。声の鋭さで、何となく、好意的な言葉でないことだけは分かった。
私とクラウディアさんは振り返る。
青みがかった鱗の、体格のいい個体。クラウディアさんより一回り小さく、まだ成熟しきっていないような感じがした。
その黄色の目は鋭く、こちらをまっすぐに見ている。
〈人間が、なぜドラスにいる〉
その言葉に、クラウディアさんが私の前に出て、翼で庇うようにして竜語で返す。若い竜は、彼女をちらりと見てから、再び私に目を戻した。
〈お前には聞いてねえよ。俺は、その人間に聞いている〉
私は竜を見上げた。たぶん彼は、私のことを言っている。
それなのに、言葉が分からない。私は言い返せない。それがもどかしかった。
〈この人間は、ボクの連れだ〉
クラウディアさんにしては、低い声だった。竜語だったから意味は分からなかったけど、かばっていることは声のトーンで分かった。
〈ワイバーンが人間をかばうのか?〉
その言い方に、何かが混じっていた。軽蔑というより、どこか別の感情。
でも、その正体は私には分からなかった。
〈うん。かばう〉
クラウディアさんは短く答えた。
その毅然とした態度に、若い竜は少し押し黙る。それから、また私を見た。
〈……人間など信じても、何も良いことはねえ〉
それだけ言って、踵を返した。
しばらくして、竜は翼を拡げて飛び立つ。
私は、その後ろ姿が建物の陰に消えるまで、ずっと見上げていた。
『大丈夫?』
クラウディアさんの声。
『うん、ありがとう。……ごめんね、クラウディアさん』
自然と、謝罪が出てきた。
自分のせいで、次々にトラブルへ巻き込んでしまう。
そのことへの申し訳なさだった。
『ごめん、じゃないよ?』
彼女の空色の瞳が、夕暮れの光を浴びて、別の空を宿したように見えた。
『フェリちゃんは何も悪いことしてないじゃん。どう考えても悪いのはこの里の考え方。安心してよフェリちゃん、絶対にボクが守るからさ』
クラウディアさんはパチッとウインクを決める。
『……ありがとう、クラウディアさん』
感謝の言葉しか出なかった。
上位の竜の集う里。それでも、彼女のその言葉が、とても心強く感じた。
私は頷いて、夕暮れの市場の中をクラウディアさんと共に歩き出した。
◆ ◆ ◆
『どうしよう……』
夕焼けの中、わたしは、途方に暮れていた。
桃色の翼が、きれいな夕日を浴びて、……大して変わらないような色に光る。
里の入り口、初代魔王のセフィリア様と別れた場所まで、彼女を捜しに戻った。
それなのに……彼女は、そこに居なかったのだ。
はじめは、姿を消しているだけだと思った。
だから私は虚空に向かって何度も呼び掛けた。
それなのに、彼女がそれに応えてくれることは……最後まで無かった。
『……すみません、魔物言語、分かりますか?』
入口の番兵のドラゴンに声を掛ける。
初代様が何処かに行かなかったかと、尋ねようとした。
しかし彼らは困ったように顔を曇らせ、互いに目配せする。
言葉が通じていないのだ。
『どしたん? カノン』
仕方なしに、里の上空を徘徊する。
すると目の前から、巨大な濃紺の飛竜がやって来た。
『ナイトフォールさん』
『初代様、見つかんなかった?』
わたしが『はい』と答えると、彼は『うーん』と一度だけ唸った。
辺りにバサバサと、わたしとささやかな彼の羽音だけが響く。
『あのひと、我より隠れるの上手いかもなんだよね』
そう言って、彼は眼下に広がる光景に目を向ける。
『ちょっと、一緒に捜してみようか』
そう言って、わたしたちはふたりで初代様の捜索を始めた。
と言っても、彼女が姿を消していたら、どうしようもないのだが……
『……ん?』
ふいに、ナイトフォールさんが声を挙げる。
『どうしました?』
『あれ。もしかしてやばい?』
地上に目を落とす。
そこに居たのは……青い鱗のドラゴンに絡まれる、一人の人間。
そして、それをかばうワイバーンの姿だった。
『メイ……!』
わたしは慌てて彼女のもとへ降下しようとする。
でも……すぐに、ナイトフォールさんに呼び止められた。
『カノン。……だいじょぶみたいだよ』
ナイトフォールさんが黄金色の瞳を細める。
地上へ視線を戻すと、……ドラゴンが振り返り、飛び立っていくところだった。
『めっちゃ絡まれるじゃん。メイ』
彼は困ったように笑う。
でも、ひとしきり笑った後に、少し真剣な様子に戻って、私に尋ねた。
『ちょっとゴメン、降りていい?』
『はい』
『あいよ』
そう言って、彼は翼を少し畳んで、静かに地上へ降りていく。
私も特に考えもなしに、彼に続いて地上に降りた。
彼は市場から外れた地上へ降りると外壁にもたれ、どこからか携帯を取り出して、器用に翼爪で操作を始めた。
『……我だけど。ゴメンな、急に』
彼は器用に携帯を耳に当てながら言う。
夕方の光が、濃紺の鱗をくすんだ色に染めていた。
『あのさ、明日のシフトも、外してほしいんだ。……うん、もう一日だけ』
息を飲んだ。
電話の相手は、……たぶん、彼の職場だ。
『……後で埋め合わせするって言っておいて。……分かった。助かる』
短い通話だった。彼は携帯を下ろす。
その視線が、ふと前に向いて——目が合った。
『……残ってくださるんですか』
短く、でも、真っ直ぐに尋ねた。
彼は無理をして、今日だけシフトを空けてくれたと言っていたから。
彼は、少しだけ息を吐く。
そして、あっさりと答えた。
『メイは我の「友達」だからさ。さっきの様子見せられて、自分だけ帰れないよ』
ナイトフォールさんは少し視線を外した。
でも、彼の言葉は、……言い訳も何もない、素直なものだった。
『ありがとうございます。……その、私も、同じなんです』
その言葉に……わたしも、素直に打ち明けた。
彼の黄金色の瞳が、少しだけわたしを見た。
『同じ、ってどういうこと?』
『わたしがここに来たのは、わたしがメイを危険な場所に引き込んだからなんです。……鱗の確認に役立てるかも、と言い訳をしました。でも、それじゃないんです』
『…………』
うまく、説明できた気がしなかった。
それでも彼は、黙ってわたしの話を聞いてくれた。
『メイが危ない目に遭うなら、わたしが守りたい。……だから、わたしも残ります。最後まで』
彼はしばらく何も言わなかった。遠くの山の稜線が、少しずつ暗くなっていく。
『……お前とメイって、ずっと一緒だったんだよな』
『はい。オルト村にいた頃から、ずっと』
『そっか』
それきり、彼は前を向いた。話は終わった、という空気だった。
『……残ること、メイには』
それだけ言うと、ナイトホーンさんは、ゆっくりと翼を畳んだ。
『別に言わなくていいよ』
その言葉に、わたしは小さく頷いた。




