77. 竜の里
ドラス郡は、山岳地帯の中にあった。
エリノア国の北東の果て。切り立った岩山が連なる地形で、木々の数は減り、やがて石ばかりになってくる。その先に、集落があった。
上空から見下ろした時、輪郭が里のそれだと分かったのは、あちこちに大きな竜の姿が見えていたからだった。
遠目で見ても、ここは明らかに王都やトーラ、今まで私が立ち寄ったどの場所とは違う。そんな重々しい雰囲気を、そこは醸し出していた。
里へ向かう途中、セフィリアさんが口を開いた。
『ここで降りる』
里の入口から少し手前、岩陰になった場所。初代魔王は、静かに降り立った。
視界の向こうに、大きな岩を削り出した柱が二本、道の両側に立っているのが見えた。
私とカノンちゃんは地面に降ろされる。次いでクラウディアさんとナイトホーンも静かに着地する。
セフィリアさんは、透明化を既に解いていた。
入口の手前に、番兵を担う竜が数頭いる。岩陰に降り立ったものの、セフィリアさんの巨大な体躯だ。
遠目にも、彼らがこちらを視認しているのが分かった。
『セフィリアさん』
私が呼ぶと、黒龍はゆっくりこちらを見る。
『何だ』
『これから、どうしますか』
『……私はここまでだ。後のことは、お前たちに任せる』
そう言って彼女は里へと視線を戻す。
その目は、何処か過去を懐かしむような、そんな色が宿っていた。
『入里の際に、私が一度だけ名乗りを上げる。……それだけで足りよう』
それ以上の説明はなかった。
セフィリアさんは私達を先導して、村の入り口へ歩み出す。
私は一度だけ頷いて、彼女の後を追った。
◆ ◆ ◆
入口に近づくにつれ、番の竜たちが完全にこちらを捉えた。
そのうちの一頭が、鋭く声を上げる。
竜語。私には分からない。でも、『止まれ』という意味だということは、なんとなく分かった。
番兵は黒龍を見据えている。その目には、驚きと、畏れの感情がはっきりと見てとれた。
セフィリアさんが竜語で何かを返す。
その言葉を受けて、番の竜たちがカノンちゃんを見た。そして、次に私を見る。
……その目が、少しだけ険しくなった。
やがて、また竜語のやり取りが続く。
『…………』
純黒の鱗。黒い鬣。後方へ湾曲した二本の角。
竜語で話しながら、しなやかに伸びるセフィリアさんの長い胴体がゆっくり前に出ると、それだけで周囲の空気が変わった。
番の竜たちがじりっと半歩退く。
彼女は威圧しているわけではない。ただ、そこにいるだけで、周りの全てが彼女に呑み込まれていた。
〈初代魔王、竜族の始祖セフィリア・ヴァーレイン・ドラス・エリノアの名の下――〉
低く凛々しい、女性的な声。
静かな声に、番の竜たちのザワつきが止まった。
〈この者たちは、私が通す〉
番の竜たちは、しばらく黙っていたが、……やがて、全員が頭を下げた。
誰も反抗しない。何も言わなかった。
セフィリアさんは私たちに向き直る。
『……中のことは、お前たちでやるといい』
クラウディアさんがはぇ~っと小さく息を飲む。
ナイトホーンとカノンちゃんは、静かに頷く。私も頷いた。
セフィリアさんはその様子を見届けると、岩陰の方へ身体を向けた。
『ありがとうございます』
それだけ言う。魔王様は振り返らなかった。
私は前を向いて、入口に向かい出した。
鱗の手がかりを見つける。その決意を胸に。
『――あのさ』
……しかし、そんな矢先、三歩足らずでナイトホーンに呼び止められた。
『配信って、どうすんの?』
クラウディアさんも足を止め、少し黙った。
『……うーん』
翼を小さく畳むと、首に巻くカメラのベルトを触る。
『やっぱ、やめとくべきですかねえ師匠。ドラスの配信』
『え、なんで?』
私が首を傾けると、彼女はレンズを翼膜で覆うようにしながら続けた。
『ここでの話の内容、全世界に公開されちゃうんだよね』
言い方はふわっとしていたけれど、その意味は分かった。
リスナーには、竜族の者もいる。
……当然、竜語の話の内容も、私たちがここに来た目的も、『クラ民』には知られてしまう。
魔王の任務だということは、外には出せない。
ドラスの竜や反人派たちに「魔王側の調査」だと受け取られたら、……それだけで警戒を招くから。
『じゃあ、切っちゃおうか』
ナイトホーンが言う。あっさりした提案だった。
『…………』
でも、クラウディアさんはまだ迷っているようだった。カメラを見て、里の入口を見て、また少しだけカメラを見た。
なんとなく、彼女の考えが分かった。
……カメラの向こうには『クラ民』がいる。【ドラスの配信を楽しみにしてた】と、昨日から言っていた人たちが。そんな彼らの思いを、無下にしたくないのだ。
『クラウディアさん』
私は、自然と声が出た。
彼女がチラリと見たのは、里の入り口ではなかった。
……その先にいる大きな黒い龍だと、なんとなく分かったから。
『なーに?』
クラウディアさんがこちらを向く。
『里の外に、セフィリアさんがいらっしゃるから。もし、嫌じゃなければ――』
その言葉に、クラウディアさんが目を丸くした。
まるで、同じことを考えていたかのように。
『――カメラを預けてみる? セフィリアさんに』
少しの間があった。
『トーラの街でさ。コメントを読んで、全部返してたじゃん。あの方……嫌がってたわけじゃないように思えるんだよね』
言ってから、余計なことを言ったかなと少し思った。
だって、セフィリアさんの意向は確認していない。
勝手にこっちが決めて、迷惑だと断られても文句は言えないから。
……でも、クラウディアさんはその提案に翼を小さく拡げて、ぱっと顔を輝かせた。
『うん……実はね。……ボクも、おんなじこと考えてた!』
その声は弾んでいた。
『ええ、マジで!?』
『ちょっと、みんなそこで待ってて!!』
困惑するナイトホーンの声も置き去りに、すぐさま里の入り口の外へ駆けていくホーリーワイバーン。
『初代魔王様を、何だと思ってんだよお前ら……』
そう言うと、濃紺の飛竜は一つ溜息をついた。
◆ ◆ ◆
ふいに、岩陰の方から声がした。
『セフィリア様、少しよろしいですか』
私は見下ろす。
そこには、先刻別れた筈の小さな聖飛竜。
『……何だ』
仕事は終わったと思っていた。
だが……こんなにも早々、私の下へ戻ってくるとは思ってもみなかった。
『里の中で配信するのもアレなんで、セフィリア様がお待ちの間、……よければカメラ、お使いになりませんか?』
『……カメラ』
意外過ぎる提案だった。
小さな飛竜は翼爪と脚を使って、器用に首元の機械を取り外す。
『使い方を知らん』
『何もしなくて大丈夫ですよ。ただ持ち歩いて、文字とおしゃべりするだけです』
彼女が機械を差し出してくる。
鮮やかな光を放つ板型のそこには、右側に大量の文字が流れている。
【セフィリア様きたああああ】
【やっと俺の嫁が帰って来たわ】
【はい不敬罪】
『…………』
私は、しばらく何も言えなかった。
だが、……手は、黙ってそれを受け取っていた。
『……これは』
ようやく声が出る。自分でも驚くほど、低い声だった。
『私が、持っていてよいのか』
『もちろんです! へんなコメントは絶対に無視してくださいね! おいみんな! へんなこと言ったらマジでボクが処されるから!!!』
また少しの間があった。
『……分かった』
自然と、言葉が喉を吐いた。
先程までとはほんの少し、声色が違っていたことに……自分自身が気付いた。
(私が関わっても、『壊さ』ないもの……)
他人の人生を、私が『壊す』恐怖。
……それが、今までずっと、洞窟に籠っていた理由だった。
(だが――)
相手の顔も名前も分からない。
そんな『その場限り』の関係なら。……私でも、壊さないかもしれない。
『お前と【結婚】など……する筈が無いだろう』
流れる文字に目を向ける。
胸の中の固いものが剥がれ落ちて行くような、そんな気分だった。
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