76. 中継都市トーラ
『クラ民のみんなー! 昼休憩だぞー!』
配信を通じて、クラウディアさんの声がどこか遠くに届いていく。
セフィリアさんの手の中でずっと同じ姿勢だったから、私はもう身体がバキバキだった。
改めて、ぐっと両腕を空に伸ばす。
そこは、川沿いの宿場町だった。
魚の干物が店先に並んで、建物の間には網の状態で干されているものが何本もある。川に近い分だけ空気がひんやりとしていて、九月の残暑の中でも、過ごしやすい気候だった。
通りを行き交う魔物の数はそれほど多くないが、それなりに活気はある。露店で話し込んだり、水辺に腰かけたりしている魔物たちの間には、王都の喧騒とは全然違う、のんびりした時間が流れていた。
『トーラ! 久しぶりだあ~!』
クラウディアさんが尻尾をぶんぶんと振りながら、周囲を見渡した。首元のカメラも、尻尾と共に揺れている。……『クラ民』、酔わないのかな。
『ここがトーラという宿場町、ドラス郡の一個手前ね。ボク、ここのスモーク系の料理が好きで。ドラスに棲んでた頃、よく食べに来てたんだよね。懐かしいなあ』
『…………』
ナイトホーンはそれに比べて、ぐるりと通りを一度だけ見渡してから、特に感慨もなさそうに翼をたたんだ。
『お師匠はどうですかー?』
『我は別に、懐かしくもないかな。ただ空を通るだけだったし、大して思い入れないよ』
『ししょーは情緒がないんですよ情緒が。カメラ越しにも分かりますからね、それ』
『別に我は、お前みたいに配信盛り上げようとしてるわけじゃないかんな』
クラウディアさんはその言葉を聞いて、ニヤリと笑みを浮かべた。
『でもお師匠ー、クラ民からその「飾らないクールさ」で女性ファン爆増中なんですよ?』
『え、マジで?』
ふたりのやり取りには、どこかやり慣れた押し引きがあった。師匠と弟子というより、長年の腐れ縁みたいな空気だと思う。
その様子を眺めながら、私は隣のカノンちゃんに目をやった。彼女は相変わらず、目線がどこか宙を彷徨っている。空の上でも、ずっとこんな感じだった。
『カノンちゃん、大丈夫?』
『え?』
彼女の緑色の瞳が私に向く。
『なんか、考え事してそうだった』
『ううん、大丈夫だよ。ごめんね、メイ』
短い返事だった。『大丈夫』と言葉では言うけど、その声に『大丈夫さ』がまるで無いように感じた。
◆ ◆ ◆
通りの端にある食堂の軒先で、私たちは少し休むことにした。
セフィリアさんは透明のまま、近くの路地の奥で待機している。さすがに初代魔王の黒龍がぬっと立っていたら、この宿場町が大騒ぎになると思ったためだ。一時の別れに、一番胸を痛めていたのは、……ほかでもない『クラ民』だった。
【嫌だああ!! 初代様ああああ!!!】
【セフィリア様をどこへやったあああああ】
『じゃかァしいぁぁ!!』
村の入り口のほうでクラウディアさんが翼を振り上げている。
そんな中、私たちはクラウディアさんイチオシの『スモーク魚の串焼き』に並んでいた。
『セフィリアさん、何個食べるのかな』
『分かんない。我の倍近くの長さあるし、我の倍は食うんじゃないの』
『ナイトホーンは何個食べんの?』
『分かんない』
そんな話をしていると、通りの向こうから声が聞こえてきた。
最初は、ただの賑やかな声だと思った。でも、その声が少しずつ近づいてくるにつれ、それが笑い声に近いということに気づく。
見ると、食堂の前の通りに、竜種らしき魔物が三頭立っていた。ナイトホーンより小柄だが、翼と前肢が別に生える『ドラゴン』で、鱗の色がそれぞれ違う。彼らはこちらに向かって何かを言っていた。
(竜語だ)
私には、言葉が分からなかった。
『…………』
ナイトホーンが首を上げた。表情は変えていないが、目つきだけが少し変わっている。
『何て言ってるんですか?』
カノンちゃんが聞くと、彼はカノンちゃんと私を一度見てから、静かに答えた。
『ちょっとさ。並んでてもらっていい? すぐ戻るから』
それだけ教えると、彼はドラゴンの方に向き直った。そして静かに列を外れる。
『ナイトホ……フォール!!』
『ん、大丈夫だよ。「フェリちゃん」』
彼は振り返りもせず、ただドラゴンのもとへ歩く。
〈……何だよ、お前ら〉
ナイトホーンは低く唸り声を挙げる。
喉を振るわせる低い音。竜語だった。
〈何怒ってんだよ。なんで『非常食』連れてんだって聞いただけだろ〉
現地の竜は、悪ぶれる様子もなく笑った。
ナイトホーンは、そんなドラゴンを黄金色の瞳で静かに睨み付ける。
〈非常食じゃねえよ〉
短く、はっきりと言った。
〈我の仲間だ〉
その言葉に、現地の竜が鼻を鳴らす。
〈人間を仲間呼ばわりか。……やっぱりワイバーンは落ちぶれたな〉
三頭のドラゴンは、ケタケタと笑う。
その様子に――ナイトホーンの尻尾が、ぴたりと止まった。
黄金色の瞳が、細くなる。
『……落ちぶれた、って?』
魔物言語。
低い声。いつもの彼の気まぐれな口調とは、少し違った声だった。
〈……我はシュオール様の時代に魔王軍にいた。お前たちが最後まで和平を合意しなかった戦争を、最前線で戦ってた〉
一歩、前に出る。
その迫力に、現地の竜は後ずさった。
〈それでも我は今、あいつを仲間だと思ってる。……それが落ちぶれたように見えるなら、勝手にそう思っとけよ〉
その言葉は、どこまでも静かだった。
◆ ◆ ◆
ナイトホーンが何かを喋っている。
低い、唸り声のような音。
やがて、彼はくるりと振り返り、こちらに戻って来る。
その背後で、現地竜の一頭が何かを言う。その声は尖っていた。
『ただいま』
ナイトホーンは何事もなかったかのように列に戻る。
現地の竜の一頭が相変わらず何かを言っていたが、他の二頭に肩を引かれ、やがて三頭は通りの向こうへ消えていった。
『何を話してたの?』
列の順番が回って来た。
私が尋ねると、ナイトホーンは串焼きを手に取りながら答える。
『「人間珍しいね」って言ってただけだよ』
あっさりとした説明だった。……でも、絶対、それだけじゃない気がした。
だけど……それは、言わないでおいた。
『…………』
そのとき、隣でカノンちゃんが、小さく翼を動かした。何かを言おうとして、やめたように見えた。
◆ ◆ ◆
魚を手に戻り、初代セフィリアさんを餌付けしながら、私はカノンちゃんの隣に並んだ。
クラウディアさんは配信を続けながら、セフィリアさんを舐め回すように撮影している。彼女は時々ナイトホーンとも何かを話す。それは竜語ではなく、普通の魔物言語だった。カノンちゃんはそのやり取りを、少し離れたところで聞いていた。
『…………』
私は、カノンちゃんの様子が、さっきからずっと気になっていた。
怒っているわけでも、何かを怖がっているわけでもない。ただ、何かを飲み込んだまま消化できていないような、そんな顔だった。
『カノンちゃん、さっき何か言いかけてたよね』
私が言うと、カノンちゃんはちょっと驚いたように私を見た。
『……うん』
カノンちゃんは少し間を置いた。川の方に目をやって、それから戻した。
『……わたし、ただメイを危ない目に遭わせてるだけだな、って』
静かな声だった。
『ここまで付いて来たのはいいけど、ドラゴンとナイトホーンさんが話してるの、何も分からないし。ただ立ってるだけでさ』
『そんなの、カノンちゃんは竜語担当じゃないんだから、いいじゃん』
『ううん……そういう話じゃなくて』
カノンちゃんは穏やかに、でもはっきりと遮った。
『わたしが魔王様に無理を言って、ここに来ることにしたんだよ。鱗の情報を提供するためって言って。でも……』
翼を、少し抱きしめるように動かした。その仕草は、彼女がオルト村にいた頃から変わっていなかった。何かを悩んでいるとき、カノンちゃんは必ず翼をそうやって畳んでいたから。
『私が来たから、メイも来ることになったじゃん』
私は何も言わなかった。
『ドラスは竜の里で。危ないって分かってた。さっき、ナイトホーンさんは濁してくれたけど……たぶん、あれ、モメたんでしょ。ドラスに付いたら、もっと、こんなことがあるかもしれない。それなのに……私が、メイを……』
言葉が途切れた。
川の音。セフィリアさんが魚を食べる音。クラウディアさんの元気な声だけがしばらく聞こえていた。
『カノンちゃん』
私は言った。
『私さ、自分で来たんだよ?』
カノンちゃんは、私を見た。
『カノンちゃんに連れてこられたんじゃない。私が、行くって決めた』
気を遣ったわけじゃない。それは本当のことだった。
行かない選択肢は初めから無かった。オルト村のことを知りたかったし、カノンちゃんと一緒にいたかったから。
カノンちゃんは少しの間、黙っていた。
『……メイはさ。そう言ってくれるよ』
静かな声だった。
『でも、私は……』
そこで言葉が止まった。続きは出てこなかった。
私は何かを言おうとして、やっぱりやめた。今はまだ、言葉を掛ける時じゃないと思ったから。ただ、隣に立っていた。
しばらくして、クラウディアさんが振り返った。
『セフィリア様、完食しましたー!!』
『喰わせ……すぎだ。お前たち……』
『それじゃあ行きますか。そろそろ出発しないと、日が落ちてからドラスになっちゃう』
『……分かりました』
カノンちゃんが、先に答えた。その声は落ち着いていて。……何かを飲み込んだような、静かな声だった。
『待て……ちょっと、休ませてからにして、くれ……』
そして、こちらにも……何かを飲み込んだような、苦しそうな声を出す初代様がいた。
ドラス郡まで、もうすぐだった。




